2012年5月29日火曜日

3日に分けて書くアイヌ語学習成果-1日目: iyairaykere / hunna an?

今日はアイヌ語の学習内容を振り返ってみようと思います。

 今日、注文していたリトアニア語の本を遂に購入しました。リトアニア語入門(ベスト社; ヴァイダ・ヴァイトクテー 監修、ユーラシアセンター 編; ISBNナシ)です。
 数日前、ISBNがない本はどうやってレジ打ちするのかを社員のひとり(女性)に尋ねて、俺がそういう本を買いたがっていることがその人に知られたんで、他の社員にはわけのわからん解釈してるの(男性)がいたんですけど出勤してきて彼女がレジにいるのを見て衝動的に保管してる場所からダッシュで持ち出してきました。
 ついでに、持っていったら俺より後に続いていた一般の客優先に会計すると言われたんで、待たされてる間に店内のおおまかな在庫がわかる検索機を使用して、今日俺15巻がないかどうか見てみたところ-あった!-んで、これもダッシュで取りに行って、2冊同時にお会計。
 記事書いた後読みます!
 俺ね、中野と(片桐)智司好きなんですよ。でも2人とも最近出番少なくてとっても残念・・・だったのが、実は帰宅してからメシ食べるまでの間に15巻パラパラっと目を通したんですけど、その智司が今回は登場してるじゃないですか~!ちょっとだけだったけど・・・。そして中野は13か14巻のどっちかに出てましたね。こいつも1話だけ・・・しかも話の内容がウスすぎるw それにしても、まったく三橋と接点なさそうな女子大生の家に招かれて行ってみるとヤツがいたなんて、そりゃビックリするわな~。
 バクマン。は久々にアツい展開が見られました。週刊やりつつ月刊でも連載か・・・カッコよすぎるぜ。昔は雑誌掛け持ち(しかも異なる出版社の!)で週あるいは月に何本も漫画描いてる人結構いたらしいですね。どんな時代だ。
 ただあのREVERSI、PCPに比べると誕生までの過程が短いのと、漫画の内容があまり具体的に語られていないのでこちらに魅力が伝わり辛く、服部がPCPよりも入れ込んだことについて説得力があまりない気がするんだよなあ。
 刑法に抵触しないとはいえ完全犯罪の達成を根幹に据えた内容から、オファーはあってもアニメ化は絶望的であるとされたPCPですが、完全犯罪が仮に認められても、そもそもすごい地味な作風であり、アニメとして観る価値があまりなさそうなんだよな。REVERSIはREVERSIで雰囲気は暗そうですが、比較的アニメとしては映えやすい気がします。アニメ化なるのか?いや、なったのか?
 与太話はここまでにして、アイヌ語いってみましょう。
 現在6課まで終えていますが、それぞれの課毎の本文がすごく短いので、1課、或いはバスク語でやったように2課ぽっちではいまいち書いてて物足りない気持ちで終わりそうなので、暗記できている6課全課を振り返ってみようかと思います。
 ただ、ひとつの記事で6課も振り返るとなると文章量がもんのすごいことになって時間がかかってしょうがないので・・・「3日に分けて書くアイヌ語学習成果」として記事を作成しようかと思います。
 ちなみに、アイヌ語はアイヌ語で「aynu itak(アイヌ・イタㇰ)」と言います。この「-k」の発音は日本語にはないもので、後述します。
 では魁の第1課。

- topenpe an na. e yan.
- iyairaykere.
- keraan?
- sonno keraan.
- usey e=ku rusuy ya?
- ku=ku rusuy na.
- o.
- hioy’oy.

 アイヌ語の正書法はいまだに定まっていません。
 カタカナかラテン文字かを用いる綴り方が主流のようですが、おそらく有名なのは前者なのではないでしょうか?俺が初めて文字として書かれたアイヌ語を見た際用いられていたのがカタカナだったから、そんな気がしてるってだけなんですけどね。
 CDエクスプレス アイヌ語では、単語や文章はラテン文字で綴られています。そしてカナにも起こされ、併記されています。
 というわけで俺はどっちででもタイプできるのですが・・・そりゃもう勿論、圧倒的にやり易いラテン文字を利用して、このブログでアイヌ語は常に書くつもりです。カナを用いて綴る際必要になるあの小さな文字は、俺のタイピング環境じゃどっかからコピペしなきゃならんしなあ。
 これはつまり、アルバニア語やらバスク語やらの記事でカナを以ってその読みを示していたが、それはアイヌ語に対してはやらないってことです。
 日本語にはない音もありますが逐一言及しますし、基本的にはホントもう、見たまま読んでもらえれば。

topenpe an na. e yan.
お菓子があるよ。おあがり。

 「見たまま読む」ってことは、つまりこの文だとその発音は「トペンペ・アン・ナ. エ・ヤン」とカナで表せるってことです。
 ちなみに、母音が持つアクセントの位置が、フランス語でいうアクサン・テギュで示されるという記述方法があります。「CDエクスプレス」では言及されていなくて、ja.wikipedia.orgで知りました。とは言っても、本でも、文章中には表されていないだけで、課毎に初出の単語の一覧などでは示されています。
 で、まあいつものことなんですけど、発音はあんまり重視せずやってますんで、単語毎のアクセントの位置はあまり真面目に確認していません。なので、「アクセントの位置を明示する記述方法」では「書きたくない」のではなく、「書けません」。
 ただ、アクセントの位置は大方規則的に決まります。あ、ちなみにCDエクスプレスで扱われているのは「千歳方言」なので、勿論これ以外の方言に於いては、アクセントの位置のみならず他の相違点についてはまったくわかりません。
 で、そのアクセントの位置なんですが、①第1音節が開音節、第2音節が閉音節である単語は、第2音節にアクセントを持ち、②第1音節が閉音節である単語は、第1音節にアクセントを持ちます。
 ということは「topenpe」は「topénpe」か?と思ってしまうのですが・・・これは開音節である第1音節にアクセントを持つという数少ない単語のひとつ・tópen(甘い)から成っている言葉で、基本的なアクセントの位置決定の規則は適用されません。その数は、頑張れば1日費やせば暗記が可能であるくらい少ないです。20くらいです、たしか。「発音編」で全例が記されていて、丸暗記せよって書いてあるんだ。俺はこのtopen(pe)以外には2、3くらいしか覚えてません。
 また、単音節の言葉は、単語表でもアクセントが明示されていないので、アクセントがあるんだかないんだかわかりません。CDを聴く限りでは、明らかにアクセントを持っていない単音節の語があるんで、このことを気にするのはムダではないと思います。
 文頭の語が大文字で始まっていないことについてですが、まあ、別にどうでもいいでしょう。それはヨーロッパ的な正書法の内の一規則に過ぎないはずですしね。で、ラテン文字を母語の記述に用いている人々の大方はヨーロッパに影響を受けているので、自然と文章が大文字で始まっている言語を多く見ることになる、と・・・。
 まあ、正書法が定まってないから、全部大文字でもいいし、いっそのことラテン文字でない文字で綴るってのもアリだと、俺は思いますけどね。

топэнпэ ан на. э ян / топенпе ан на. е јан
キリル文字(ロシア語 / セルビア語準拠)とか、

τοπενπε αν να. ε γιαν
 ギリシャ文字(現代ギリシャ語準拠)とか、

تُپِنپِ اَن نَ. اِ یَن 
アラビア文字(ペルシャ語準拠)とか、

טאָפּענפּע אַן נאַ. ע יאַן 
ヘブライ文字(イディッシュ準拠)とか、

դոբենբե ան նա: է յան 
アルメニア文字(西アルメニア語準拠)とか

தொபெந்பெ அந் ந​. எ யந்
タミル文字とか、

तोपेन्पे अन् न​. ए यन्
デーヴァナーガリーとか(サンスクリット準拠; サンスクリットの/o/と/e/は本来は必ず長音)。

 ・・・当たり前のアイヌ語がわかる人に読ませるつもりがないなら。
 さて本筋入るまでにちょっと長くなっちゃいましたね。
 「an」は「...がある」で、これは単数形、複数形は後で(今日、ではない)出てきますが「oka」と言います。「アイヌ語の動詞には単数形と複数形がある」、そして「その語形は「an」と「oka」のように相互に大いに異なる場合がある」、これはアイヌ語学習の際、特に神経を遣って理解に努めなければいけない要素です。
 で、次の「na」は、あちらこちらの文章中に頻出する、アイヌ語のとても日本語的な要素に属する助詞(仮)です。日本語で「あるよ」と言ったときの「よ」にあたります。
 こういった助詞には「na」の他に「ya」、「wa」が学習の範囲内では既出でありますが、この先もっと新しく出てくる予感がします。
 これがアイヌ語文章暗記の最大の弊害になっています。
 語調を和らげたり豊かにしたりと、例文でもよく目にするあたり、アイヌ語に於いてとても大切な要素なんでしょうし、弊害なんて言うのも実は憚れるところなんですが、「この文の最後にあるのはnaだっけwaだっけ?」と、書いていて考えてしまうことがよくあります。「ruwe ne」ってのもあります。で、これに更に「wa」が付いて「ruwe ne wa」になったり・・・。
 「e」は「食べる」です。和訳からわかる通り、「命令形」です。「きみは食べる」だと、「e=e」です。勿論、読み方は「エ・エ」です。「我々は立ち上がる」は「as=as」、「アシ・アシ」です。だから?って?ほら、そこはかとなくおもしろくありませんか?俺は好きなんですけどね。
 「yan」は、上記「na」や「ya」に用法の似た、これ単体では意味を為さない助詞です。ただ、命令表現に伴って登場するものであるという違いがあります。「yan」を付けた方が丁寧な感じが出るそうです。

iyairaykere.
ありがとう。

 「バスク語学習成果」の記事で書きましたね。再びの紹介になりますが、「ありがとう」は「hioy’oy」、「hap」とも言い、この2つは女性が使う表現なんだそうです。どういう由来があるんですかね?
 ちなみに「殺す」を「rayke」と言います。「熊送り」のことを朧気にですが知っているので、「iyairaykere」は「rayke」の派生語なのかとちょっと考えてしまいました。いや、まあ、この疑問はまだ晴らされてないんですけどね。
 ところで何故こんな物騒な動詞を知っているのかですが、アイヌ語には動詞に単数形と複数形という概念があり(その使い分けはヨーロッパの言語的な常識のみを以ってしては語れないが)、ものによっては相互に別々の動詞であるかの如く語形が異なるものがあり、そういった動詞の紹介の際にこの「rayke」が取り上げられていたんです。まぁ、その複数形は忘れちゃったんですけど・・・。ただ、単数形から複数形を規則的に導き出せるものに比べれば確かに単・複別個に暗記が必要になりそうなんですが、確か見た目としては語末の2文字が相互に違うだけなんですよ、ってことは覚えてます。まったく違うものはホントに違いますからね、上で出した「an / oka」や、その他「arpa / paye=行く」、「ek / arki=来る」とか。

- keraan?
- sonno keraan.
おいしい? - とってもおいしい。

 語るべきことが少ない2つの文章を、応答にかこつけてくっつけました。
 一応、「na」とか「ya」を伴う文は、和訳に「...よ」とかを表すように、それらがある場合とない場合で語調を変えて訳しようと思ってます。「sonno keraan na」だったら「とってもおいしい」と書いてたでしょうね。

usey e=ku rusuy ya?
お湯が飲みたいかい?

 この文章、ホントに和訳そのままの語順なんですよ。即ち、「お湯」「きみ(=e=)」「飲む」「欲しい」「かい?」なんです。これもとても日本語的ですね。だからと言って文章が覚え易いかと言うと、俺は正直まあーったく関係ないと思います。個人的に、現にそういう実感があったためしがない。欧米の言語の常識にアタマが侵食されてるからでしょうね、きっと。いいことなのか悪いことなのかは人それぞれ。取り敢えず、俺個人は欧米至上の思想がないってだけで十分だと思ってます。え、どこ至上って?そんなもん日本に決まってるやん。
 アイヌ語には、第6課で「私」が初めて出てきたことからわかるように、人称代名詞もあるようなんですが、同じく第6課でのその「私=kani」の使用例から見るに、それがあろうがなかろうが、動詞の主語は人称接頭辞(だったかな、名前・・・)によって必ず示されるようです。

私は飲む: ku=ku
きみは飲む: e=ku
私たちは飲む: ci=ku
きみたちは飲む: eci=ku

 ※3人称単数を示す人称接頭辞はなく、同複数は未登場なのでどういうものかまだわかりません。
 ※1人称複数の人称指標は、他動詞に対してはその頭に、自動詞に対してはその末尾に付随します。自動詞に付くものについては後日。

ku=ku rusuy na.
飲みたいな。

 今更ですがこの「=」を使う書式、気に入りません。ノートではハイフンに置き換えてます。たまにアポストロフを使ったり、人称接頭辞を動詞に密着させたり、しっくりくる方法を模索中です。
 個人的には人称接頭辞(もしくは接尾辞)は動詞に密着させて書きたいんですけど、そうなると、CDエクスプレス準拠の方式による綴りが示す音と変わる点が生じるのではないかという疑問があって、誰に見てもらうわけでもないノートの上であってもそうやって書く気にいまいちなれないのです。
 たとえば、「ku=iwanke(私は元気だ)」の「ku=」と「i-」の間では、声門を一瞬閉鎖するのが正しい発音なのでしょうか?それとも、「ku=i-」は、「kuy」に等しいのでしょうか?もしそうであるとすると、人称接頭辞と動詞の語頭は機械的に接続できないことになります。この「iwanke」なら、「kuywanke」、「eywanke」などと書かねばならない。
 ただ、文字は所詮文字です。単なる記号です。言語の本質は音であり、「=」は人称接頭辞が動詞の一部でないことを便宜的に示しているだけなのかもしれません。
 それならそれでいいのですが、もし違うのなら、人称接頭辞(単音節でないものはその語末)の母音と、動詞語頭の母音の間は声門閉鎖を挟む必要があると誰かに説いて欲しいところです。
 フランス語のアンシェヌマンのように、2つの単語同士の語頭と語末が結合してあたかも1つの言葉であるかのように聞こえる現象は、それを避けねば語や表現の解釈に間違いが生じる場合、その他に特別な理由がある場合を除けば、口と舌の動くまま声帯の震えるままに自然と行われるものです。
 尚、アイヌ語に於いては、アポストロフを使って、綴りの上で発音に於いてイアテュスが避けられていることを明示することができます。たとえば、「hioy’oy」なんかがその好例です。これにアポストロフがないと、「ヒオーイヨイ」になるわけです。

- o.
- hioy’oy.
どうぞ。 - ありがとう。

 これも、2つの文章がそれぞれいずれも一単語のみで構成されているので、ムダを省くために一行に纏めました。
 ところでこの「hioy’oy」に使われているものに限らず、アイヌ語タイプに於いてはアポストロフは意図的に全角で打つことにしてます。この形が好きなんですよ~。「'」はダメです。ちなみに今のところ、語中の声門閉鎖が明示されている言葉で知っているものはこの「hioy’oy」だけです。
 そういえば、hioy’oyの音写を「ヒオーイオイ」と書いてますが、これは本のカナ転写に準拠しています。また、CDでも、明らかにhioy-のoは長いです。
 ラテン文字からはわかりませんよね。やっぱカナで発音書いた方がいいかなって気がしてきてます。もうここまでカナ抜きで書いてきてるから、追加がメンドくさいので少なくとも今日はこのまま通しますが。
 では本日を〆る第2課。

- hunna an?
- Yosiko ku=ne ruwe ne.
- Yosiko e=ne ruwe?
- ruwe un.
- ahup wa sini yan.
- e.
- e=iwanke ya?
- ku=iwanke wa.

 1課よりは長いけど、単語の繰り返しが多くて覚える必要のある言葉は少ないです。

- hunna an?
- Yosiko ku=ne ruwe ne.
どちら様? - ヨシコです。

 うん、語るべき要素が多いにせよそうでないにせよ、短い2つの文章はこうやって書いた方がいいやね。
 「hunna an?」は、直訳すると「誰がいる?」です。
 さて、他者の家を訪ねるというこの場面にちなんだ話をおひとつ。
 少なくとも、俺が読んだことのあるCDエクスプレスシリーズでその内容を覚えている「現代ヘブライ語」、「ペルシア語」、エクスプレスシリーズ「イディッシュ語」(これ「ニューエクスプレスシリーズ」にならねえかなあ・・・)に於いては、その言語を話す人たちの文化についてのコラムがいくつか読めます。「CDエクスプレス アイヌ語」も同じくそう編集されているのですが、アイヌ人についての情報が大勢の現代日本人にとって一般的でない今、それに言及されている箇所の面白さはとても新鮮です。
 アイヌ人は、他人の家を訪ねると、その辺のものを叩いて音を出したり咳払いをしたりして家の者が己に気づくのを待ち、訪問を受けた側は客を認めると家の中を片付けて迎える環境をつくり、それから中へ招き入れるそうです。また、日本語の「こんにちは」にそっくりあてはまる表現がないそうで、それも家を訪ねた際にかけるべき声を持たないことに関係しているみたいです。
 あ、ちなみに「CDエクスプレス アイヌ語」の著者は生粋の日本人で、CDへの吹き込みを行なっているのもこの人です。
 「Yosiko」の語頭が大文字ですが、本では固有名詞の語頭はこのように大文字で書かれています。他に、「Sapporo(札幌)」、「Nupurpet(登別)」など。また、アイヌ語に元来ない言葉は単語丸ごと大文字で書くことでそれを示しているようで、「EIGA(映画)」、「GAKUSEI(学生)」などがこれに該当します。
 既述の通り、人称接頭辞「ku=」は「私は」にあたりますが、たとえば「私はヨシコです」を「ku Yosiko ku=ne」とは言いません。上で書いた通り、人称代名詞としての「私」は「kani」であり、これの初出は第6課ですが、「私」を主語に持つ動詞はそれまでに何度も出てきました。主語が動詞に付く人称接頭辞で判別可能であるという文法の一要素は、独立した語としての1人称、2人称の明示の省略が可能であることを証明しています。
 故に、「私はヨシコです」と言う際、アイヌ語では「私は」という人称代名詞は省略されても問題なく、結果的に、「ヨシコ 私はです」と書かれているかのような語順になります。
 たった第6課に至っただけですが、人称接尾辞の重要性は既に身に染みて理解できています。アイヌ語の動詞は、unë jam, ti je、ni naiz, hi haizなどというような活用こそしませんが、その使用に於いては主語が必ず判るようになっているのです。
 「ruwe ne」は、直前に述べたことを断定する働きがあるそうです。
 ただ、これにしても「na」や「wa」にしても、時折、意味よりも己にしっくりくる口調や、会話の流れでの小気味良いテンポを保つことを優先して挿入されている気がするんですよね。
 実際、このruweを用いての疑問文「Yosiko e=ne ruwe?」と、用いずの「Yosiko e=ne ya?」、「Yosiko e=ne?」の2つは、使い分けの意味がない程度の違いしかないようですし。

- Yosiko e=ne ruwe?
- ruwe un.
ヨシコなのかい? - そうだよ。

 そういえば今更だけど、・・・って切り出し方が多すぎて反省してまーす。
 で、今更だけど、「si」と書いて日本語発音の「シ」と酷似した音を示します。それで「Yoshiko」と書く必要がないわけですね(というか日本語をラテン文字で表記する際の手法なのでアイヌ語の綴りと混合させて考えること自体が間違い)。
 上で「我々は立ち上がる=as=as」と書いたのを覚えてますか?アシ・覚え・・・なんでもないです。
 「as」の音を「アシ」と表現しましたが(本に厳密に沿うと「アㇱ」)、ヘボン式ローマ字表記で「ashi」に等しいわけでなく、この「シ」は謂わば、「シ」から声帯を震わせて出す「イ」の音を除いたような音です。
 上でも述べたように、「Yosiko e=ne ruwe?」でも「Yosiko e=ne?」でも意味は同じですが、一応の知識として、平叙疑問文はその語末に「ruwe」を追加することで形成することもできると覚えておきましょう。
 そして「ruwe疑問文」(勝手に命名)に対する返答が、「ruwe un」です。まるで日本語の返事、「うん」みたいですね。

- ahup wa sini yan.
- e.
入って休みなさい。 - うん。

 動詞複数形の指標のひとつに、語末の-pがあります。この「ahup」も複数形です(単数形はahunだったっけ・・・)。第6課で初めてそうだとわかりました。複数形を持たない動詞もあります。「sini」が複数形かどうかは忘れました。
 で、動詞が複数形として用いられる条件として、様々な言語でよく見られるように、その主語が複数であるかどうかという区別がありますが、・・・当然ながら、ヨシコは独りです。
 もうひとつの条件は、動詞が示す動作が複数回行われるかどうか、ですが、これが自動詞の複数形に関係あるのかどうかはわかりません。今のところこれが影響して複数形として登場した動詞は他動詞だけです。

 su ku=huraye kusu wa cep poronno ku=huraypa.
 私は鍋を(1回)洗って、魚をたくさん(何度も)洗った。

 ※cep: 魚、poronno: たくさん(形容詞ではない。というかアイヌ語に形容詞はない)
 ※動作が現在のものであるか過去のものであるかは、動詞単体の語形上は判別できません。

 まあつまりどーゆうこっちゃい。今んところは不明な文法規則が働いてる「ahup」(と、もしかすると「sini」も)です。
 そしてこのように、命令文に於いて動詞は人称接頭辞抜きで用いられます。勿論、相手が複数いて、且つ命令に使う動詞に複数形があれば、動詞は複数形に変えて口にします。

 apunno paye yan.
 気をつけて行きなさい。(=さようなら)

 ※paye: arpa複数

 「ahup」の「-p」の読み方について。英語の「type」を正しく発音してみましょう。最後は息が口から漏れますね?声も共に漏れるヤツはやり直し!で、次は息を漏らさず、口を閉じたまま発音を終えてください。そのときの「-pe」が、アイヌ語の単語末の「-p」です。他、「-k」(ekなど)、「-t」(Nupurpetなど)も、息を漏らさず、発音の構えを口で作ったまま終わることで表現される音です。
 「wa」は、和訳からすると、文字としては明瞭に表れていない「そして」を意味するものかと解釈しそうになりますが、「...して」という意味を持つそうです。動詞の後だけにつくモノ?つまりは「そして」なんじゃないの?どちらもまだ判然としません。ただ、「そして」という和訳がそっくり充てられている言葉はいまだに登場していません。
 「e」の用法なんですが、これは疑問副詞のない平叙疑問に対する答えとしては、本来使わないそうです。たとえば真下の文では、「元気かい?」と尋ねられて、「e.」と答えていない。このように、質問に使われた言葉を用いて答えるのが「アイヌ語らしい」作法なんだそうです。但し、最近は、答える側が内容の反復をせずに「e.」と返すことも多くなっているんだとか。他文化-というか日本語の影響なんでしょうねえ。
 尚、この「e」は、本では「エー」と音写されています。何故長音として表現されているかについての理由が書いてあったんだけど、忘れチャッタ・・・。

- e=iwanke ya?
- ku=iwanke wa.
元気かい? - 元気だよ。

 なんかもう、上でぐちゃぐちゃ語ってる際に出したんで、いいですよね。
 「na」と「wa」の使い分けですが、いずれも「...よ」と訳せることに加え、「na」の方は、「...よ、だから...」と、「発せられない要求」を示す機能があります。たとえば、第1課一発目の文、「topenpe an na. e yan.」は、厳密には、「お菓子があるよ、(だから)おあがり」を意図した表現です。

 wakka ku=ku rusuy na.
 水が飲みたいな(、だから持ってきて)。

 まあ、この「発せられない要求」が実際通じるものかどうか、そしてこういう言い方は時と場合によって失礼にあたるのではないかと、色々考えさせられる用法ではありますね。
 「あっそ、自分で入れてきたらいいじゃん」ってアイヌ語で言えるようになれたら一人前ってことにしようかなw

 明日は非番なんでたぶん2日目書きます。

2012年5月27日日曜日

Mirëdita, si je?

3言語学習成果の記録が終わってすぐに
新たな成果を記事にできることを嬉しく思います。

 今日暗記を終えたばかりの、アルバニア語の一課本文を以って記事作成といきましょう。

- Mirëdita, Sokol!
- Mirëdita, Besnik! Si je?
- Mirë, faleminderit. Ku po shkon?
- Po shkoj në restorant. Atje do të ha drekën tani.
- Shkojmë bashkë! Edhe unë do të ha tani.
- Ç'do të bësh në mbrëmje?
- Do të rri në shtëpi.
- Do të punosh?
- Jo, nuk do të punoj, do të pushoj. Po ti?
- Unë do të shkoj në teatër.

 例によって第何課だったか・・・。
 昨日のバスク語学習成果記事で言及したアルバニア語の接続法は、この課で初登場したものです。

ミラディタ、ソコル
Mirëdita, Sokol!
こんにちは、ソコル。

 「mirëdita」は、見ての通り「mirë=良い」と「ditë=日」の合成語ですね。「良い」+「日」で「こんにちは」という挨拶になるのは色んな言語や文化に於ける常識であるという感じすらあります。
 ところで、実はこの「mirëdita」が初めて知ったアルバニア語の挨拶=初めて本に出てきた間投詞)ではなく、それは第1課の最初の言葉、「alo(=フランス語・salut)」でした。

ミラディタ、ベスニク. スィ・ィエ
Mirëdita, Besnik! Si je?
こんにちは、ベスニク。調子どう?

 特に言うべきことないな・・・。

ミラ、ファレミンデリト. ク・ポ・シュコン
Mirë, faleminderit. Ku po shkon?
元気だよ、ありがとう。今どこに行くところ?

 昨日の記事の最後に書いた通り、「faleminderit」で「ありがとう」。語尾の形を見るに、文法的には男性名詞複数主格定形っぽいですね。

 プリンダリト・エ・テウタス・バノィナ・ナ・フシャト
 Prindërit e Teutës banojnë në fshat.
 テウタの両親は村に住んでいる。

 「ku」は「どこ(へ)」で、「po」は動詞によって示される動作が進行中であることを示す助詞です。

ポ・シュコィ・ナ・レストラント. アティエ・ド・タ・ハ・ドレカン・タニ
Po shkoj në restorant. Atje do të ha drekën tani.
レストランに行くところだよ。そこで今から昼食を食べようかと思って。

 「atje」は「そこ(で)」、「tani」は「今」、「drekën(f.)」は「昼食; 食事」で、単数対格定形です。
さて、ここで接続法が初登場です。言わずもがな、「do të ha」のことですね。

●ha接続法現在形
s. / pl.
unë ha / ne hamë
ti hash / ju hani
ai hajë / ata hanë

 直説法現在形は、単数2・3人称以外は上記の通りで、これら2つはそれぞれいずれもhaです。
 次に、直説法現在形が子音に終わる場合:

●hap(開ける)接続法現在形
s. / pl.
unë hap / ne hapim
ti hapësh / ju hapni
ai hapë / ata hapin

 これの直説法現在形単数2・3人称はhapです。2人称単数は子音+shとなるでなく、子音とshの間にëが挿入され、3人称単数は、haの接続法現在で+jëとなっていたところが、追加されているのがëだけになっているのが判りますね。
 で、動詞を接続法に活用し、その動詞の直前にtëを置くことで動詞接続法として、そして更に「të+接続法」の直前に「do」を置くことでその動詞で未来の動作を表現できます。「動詞未来形」と名付けられているかどうかは・・・わかりません。「動詞接続法」が、現実的でない動作を表すものなので、意味の解釈によって未来のことも示すことができるというだけなのかもしれませんね。

シュコィマ・バシュカ. エゼ・ウナ・ド・タ・ハ・タニ
Shkojmë bashkë! Edhe unë do të ha tani.
一緒に行こうよ。俺も今から食べるつもりだったんだ。

 「①shkojmë ②bashkë」で、「①=allons-y ②=ensemble」。「edhe」は「...も」を意味し、位置としては対象となるものに先行するようです。

 ポ・シュコン・ナ・テアタル・エゼ・ユ
 Po shkon në teatër edhe ju?
 あなたも劇場へ行くところですか?

 ※主語と動詞の位置を倒置させることによって平叙疑問文を形成します。

 尚、接続詞「edhe(e, dhe)」と同じように、複数の語形を取り得る語なのかどうかはわかりません。

チュド・タ・バシュ・ナ・ンブラミェ
Ç'do të bësh në mbrëmje?
夕方は何をするんだい?

 「ç'」の原形ってなんなんでしょうね。第1課には「Ç'është Agimi?(チャシュタ・アギミ=アギムとは何であるか→アギムは何をしている人ですか)」という文章があり、ここでも疑問詞「ç'」は動詞に直接付随しています。また、第2課には「Çfarë ke?(チュファラ・ケ=きみは何を持っているんだ→どうしたんだ)」という表現があり、動詞の直接目的としての補語疑問詞には「çfarë」というものがあることがわかります。何故上の文章では「Çfarë do të bësh...」という表現になっていないのか、今のところはわかりません(解説の〆方がわかりませんばっかだな)。
 「bësh」の原形はbëjです。直説法現在は単数: bëj, bën, bën, 複数: bëjmë, bëni, bëjnëです。

ド・タ・リ・ナ・シュタピ
Do të rri në shtëpi.
家にいるつもりだよ。

 和訳としては表れていませんが、「rri」は「留まる」という意味です。そういえば、アルバニア語、タミル語、バスク語、サンスクリットを書いたノートを撮った画像を載せた記事で言及するのを忘れていた気がするんですが、「rr」という二重子音は巻き舌で発音されるRの音を表します。

ド・タ・プノシュ
Do të punosh?
勉強するの?

 実は本での和訳は「働くの?」になっているのですが、家にいて働くってなんじゃい?と俺としてはしっくりこないので(内職ってのもあるが、そこまで俺、考えないといけない?w)、punoj(> punosh)が持つ別の意味、「勉強する」を充てました。フランス語「travailler(トラヴァィエ)」、英語「work」なんかと同じような動詞なんですね。

ヨ, ヌク・ド・タ・プノィ, ド・タ・プショィ. ポ・ティ
Jo, nuk do të punoj, do të pushoj. Po ti?
いや勉強はしない、休息を取るよ。きみは?

 これも見たまんまですな。「po」は接続詞、「edhe」との違いはなんだろう。「edhe ti?」とすると「きみも(休むかい)?」という意味に取られちゃう可能性があるかな?

ウナ・ド・タ・シュコィ・ナ・テアタル
Unë do të shkoj në teatër.
俺は劇場に行くつもりだよ。

 これも特に言うことなし。
 接続法が登場したってこと以外は、言及すべき箇所の乏しい課なんですよね。
 接続法現在の語形が直説法現在と比べて大きく違わないことには、学習の円滑な進捗を図る上で大いに助かりましたね。フランス語でも両者の語形は似通っていますが、なんか関係あるんですかね。伝統?イタリア語とかスペイン語の接続法が学習済みだったらもうちょい色々言えたかもな~。

オマケ

●フランス語・ouvrir(ウーヴリール=開ける=アルバニア語・hap)直説法現在形
s. / pl.
j'ouvre(ジューヴル) / nous ouvrons(ヌ・ズーヴロン
tu ouvres(テュ・ウーヴル) / vous ouvrez(ヴ・ズーヴ
il ouvre(イルーヴル) / ils ouvrent(イル・ズーヴル)

●同・接続法現在形
s. / pl.
j'ouvre(ジューヴル) / nous ouvrions(ヌ・ズーヴリヨン
tu ouvres(テュ・ウーヴル) / vous ouvriez(ヴ・ズーヴリェ
il ouvre(イルーヴル) / ils ouvrent(イル・ズーヴル)

 être, allerなんかは互いにかなり異なりますが。
 尚、フランス語の接続法には現在形の他に半過去形がありますが、家で読むフランス語でも大学での学習範囲でも滅多にお目にかかったことがないので、どんな語形だったか全然覚えてません・・・。

2012年5月26日土曜日

3日に分けて書く3言語学習成果-3日目: euskara

学習成果記録・最終日。

 3日に分けて書く3言語学習成果、遂に第3日目、最終日。
 バスク語(euskara(エウシュカラ)です。
 ちなみにeu.wikipedia.orgの「バスク語」の記事を見れば分かりますが、バスク語という言語名称には多くの異名があります。方言によって異なっているのです。俺の知る限り、言語記事に於いて、言語名称が方言別にずらーっとテンプレート内に列挙してあるのが見られるのはこの記事だけです。スゴイね。さすが「優秀な記事」に選出されているだけのことはある。 
 現在は第5課か6課です。文法格は主格、能格、属格、処格、与格が、時制は現在、過去、未来、現在完了が登場済み。過去完了は出てきていませんが、現在完了のつくり方を応用して表現できる気がします。そもそも過去完了って概念がバスク語にあれば、の話ですけどね。あと、法があるのかどうかはまだわかりません。そういえば、アルバニア語には接続法が出てきました。未来の行動を、動詞接続法を用いて表現するためです。

 ナ・カタ・ゾマ・ド・タ・マソヤ・アギミ
 Në këtë dhomë do të mësojë Agimi.
 この部屋でアギムは勉強するつもりだ。

 ※këtë: kjo(キヨ; f.s.; =これ)対格。m.s.acc.も同形(n.: ky(キュ))。
 ※do: この助詞が「të+動詞接続法」に先行することによってその動詞が未来のことを示す。全人称・数に於いて共通。
 ※të: 動詞接続法に先行する助詞。全人称・数に於いて共通。
 ※mësojë < mëson接続法(現在?)3人称単数。2人称単数はmësosh、他の人称・数は直説法現在形と同一。

 その用途からして、登場頻度はフランス語でのそれとは比べ物にならないほど高いのではないでしょうか。タミル語の学習は動詞を使った命令文から始まり、アルバニア語では早々に接続法が登場するという、これまでの言語学習には例のなかった学習順序が共通していることがおもしろいです。
 また、タミル語では、動詞の条件法がこれまでに一度だけ出てきています。

 inda suvicchaip pōṭṭāl veṉṉīr varum / インダ・スウィッチャ・ポーター・ヴェンニ・ヴァルン
 இந்த​ சுவிச்சைப் போட்டால் வென்னீர் வரும்.
 このスイッチを点けるとお湯が出てきます。

 ※போட்டால்(条件法(現在?)) < போட​(pōḍa / ポーダ; 不定形)=入れる、点ける
 ※வரும்(直説法未来形) < வர​(vara / ヴァラ; 不定形)=来る

 では、何課目か忘れましたが、もっとも新しく暗記した文章の、ひとつ手前の文章を綴ります。何故2つ綴ることにしたのかと言うと、最新の文章とその前の文章とで、これまでに学習した時制が俯瞰できるからです。

Iñakik: Zuk zer ikusten duzu, Amaya?

Amayak: Nik Gorbea mendiko gurutzea ikusten dut.
Eta zu zer ikusten duzu, Iñaki?

Iñakik: Nik mendiak eta herriak ikusten ditut.

Iñakik eta Amayak: Mutilak, zuek mendigoizaleak al zarete?
Zuek zer ikusi duzue?

Mutilak: Bai, gu mendigoizaleak gara.
Guk baserri zuriak ikusi ditugu.
Guk menditik Euskal Herria ikusiko dugu.

 たったこれだけの文章を書くにも、十分に気をつけなければなりません。
 ちょっと見ればわかりますが、あまり単語の数は多くありません(=何度も出てきている単語が複数個ある)。思い出す必要のある言葉は少ないわけですが、文法事項の順守に留意して、慎重に綴っていかなければならず、そこに神経を遣う。
 どんな言語でもそれは当たり前ですが、殊バスク語はその特異性が故、慣れていない内はより厳しく脳に鞭打たねばならない。

イニャキク: スク・セル・イクシュテン・ドゥス、アマヤ
Iñakik: Zuk zer ikusten duzu, Amaya?
イニャキ: あなたは何を見ていますか、アマヤ?

 いやー、なんとも説明し難いですね。
 語の登場している順序から見れば、最初は「Iñakik」が能格であり、それはどういうものかを説くのが筋なんでしょうが・・・後に出てくる文章を例に挙げた方が効果的なので飛ばしますね。そもそも、話者を示すこの語がこの位置にあって何故能格であるかは俺にもよくわからん。
 「zuk」は「あなた」で、「zu」の能格です。「きみ」は「hi(主格)」と言い、語形は共用ですがアラビア語やヘブライ語と同じく男女の区別があります。3人称単数には「彼」「彼女」の別はないのに・・・。

 ヒク・アラバ・マイテ・ドゥク
 Hik alaba maite duk.
 きみ(男性)は娘を愛している。

 ヒク・シェメア・マイテ・ドゥン
 Hik semea maite dun.
 きみ(女性)は息子を愛している。

 「主格名詞+maite(adj.; =愛すべき)+ukan(> duk / dun=持っている)」で「(主格名詞)を愛している」という表現で、前者は「duk」、後者は「dun」という動詞が主語の性を表しています。
 イニャキとアマヤの関係は不明ですが、「あなた(お互いにある程度距離のある関係を示す呼称として)」と言っているからと言って、お互いに親しい者同士でないとは言えません。何故なら、バスク語の「hi」で 対象にできる人間の選定は、フランス語の「tu(テュ)」に比べずっと厳しいからです。この辺、タミル語に於ける「きみ=நீ(nī)」に通じるものがあ りますね(学習成果1日目を参照)。
 「zer」は「何(を)」。これが文中にある、たったそれだけのことが「zu」を「zuk」に変え、文の性質を「能格構文」に決定づけています。
 なんと説明すればいいのか、バスク語で初めて能格に触れ、まだまだ学習経験が浅い俺なら当然戸惑うところですが、「能格構文」に於いては、「能格」は「主格」で、「主格」は「対格」であると置換して解釈に努めてみるとある程度しっくりきます。能格のない他の言語で言えば、格としての用法はまさしくそれと同等ですから(少なくとも今までに学んだ範囲内での能格構文に関して言えば)。
 主格を直接目的語に取る主語は能格として運用されます。この文章の場合は、主語=zuk、直接目的語=zerです。動詞はduzuで、d-が直接目的語の 人称と数(この場合はzerなので、3人称単数)と、-u-がこの動詞そのもの(不定詞: ukan)を、-zuが能格主語の人称と数を表しています(この場合は2人称敬称形、意味上は単数だが文法的には複数扱い)。「ikusten」は ikusi(見る、会う)の現在分詞です。

●ukan現在形
s. / pl.

nik dut / guk dugu
hik duk(-n) / zuek duzue ; zuk duzu
hark du / haiek dute

 「d-」はあくまでこの動詞にとっての直接目的語が文法上どういったものであるかを示す指標なので、もしかすると活用表に含めるのは間違いなのかもしれま せんが、本ではこういう体裁を取ってあるので、それに倣います。ちなみに、動詞の形で主語がなんであるかは明白なので、人称代名詞(或いは主語)は省かれても問題ありません。
 「d-」は直接目的語が単数である場合に付くもので、それが複数であれば「dit-」になります。

 ニク・グラショアク・マイテ・ディトゥト
 Nik gurasoak maite ditut.
 私は両親を愛している。

 わかってはいるが、俺はよくこれを挿入するのを忘れてしまいます・・・。
 この直接目的語が3人称以外の場合には、-u-の前に「各人称代名詞の語頭の子音+a」が付きます。

 グラショエク・ニ・マイテ・ナウテ 
 Gurasoek ni maite naute.
 両親は私を愛している。

 ※gurasoek: gurasoakの能格形。能格複数の語形については後述。

 直接目的語たる主格が複数の場合は、aの後に当然+itで、且つ能格主語が複数である場合は、ukanの語末指標-teの直前に-z-が挿入されます。口調に関する現象だと思います。確かに、「-itute」より「-ituzte」の方が個人的にも言い易い。ちなみに、この直接目的語も省略可能です。動詞が表してるからね。つまり、「dut」という一語だけで「私はそれを持っている」という表現が可能。

 グラショエク・グ・マイテ・ガイトゥステ
 Gurasoek gu maite gaituzte.(guを省略: Gurasoek maite gaituzte.)
 両親は私たちを愛している。

 また、直接目的語が2人称複数(=zuek)である場合は更に+αがあります。「z(主格人称指標)-a(緩衝母音)-it(主格複数指標)-u(動詞語 幹)-」と構成されて、次には「能格人称・数の語末指標」が来るでなく、これら2つの要素の間に「-zte-」の挿入が要求されます。目的語が 「zuek」なのか「zu」なのか判り辛くなるから、かな?

 グラショエク・スエク・マイテ・サイトゥステステ
 Gurasoek zuek maite zaituztezte.
 両親はきみたちを愛している。

 ※比較:
 Gurasoek zu maite zaituzte.
 両親はあなたを愛している。

アマヤク: ニク・ゴルベア・メンディコ・グルツェア・イクシュテン・ドゥト. エタ・ス・セル・イクシ・ドゥス、イニャキ
Amayak: Nik Gorbea mendiko gurutzea ikusten dut.
Eta zu zer ikusten duzu, Iñaki?
アマヤ: 私はゴルベア山の十字架を見ています。あなたは何を見ていますか、イニャキ?

 「Gorbea mendiko」は「ゴルベア山の」という意味で、属格です。主格に戻すと、「Gorbea mendi(a)」であり、バスクにある山の名前です。これまでの学習内容にだけ依って言うと、バスク語の格指標語尾は単純な形のものばかりで、且つ、名詞へのその接続も大方機械的に行えるようです。他には、動詞不定形からの現在分詞、未来分詞への変化も平易です(現在分詞はものによってはひとひねり必 要)。過去分詞は不定形と同形です。
 さて、2日目: アルバニア語の記事でちょっと書きましたが、バスク語の定冠詞は名詞の語尾に直接添加させられます。「gurutzea」の不定形はgurutzeです。 ちなみにこの語は、スペイン語で同じ意味を持つcruz(クルス)から来ているそうです。またもアラビア語と同じく、バスク語の言葉は二重子音で始まりません。だからgUru-ですね。母音の豊富な(母音の「種類が」ではない)スペイン語に勝るほど、一文章中に登場する母音の数は多いと言えるでしょう。
 「eta」は、和訳では表せませんでしたが、「そして」という意味で(フランス語の「et」の借用?)、これの直前の語が末尾に母音を持っている場合には、「ta」になったりします。

 エグン・オン - バイ、タ・スリ・エレ 
 Egun on. - Bai, ta zuri ere.
 こんにちは。 - はい、あなた(に)も。

 ※変なやり取りだなあと思いますが、本にある例文なんです。
 ※egun: 日、on: 良い、bai: はい、zuri: zu与格(iは与格指標、-r-は母音間の緩衝音)、ere: ...も

 なんか、またも別の言語、ここではアルバニア語ですが、それとの共通点が見い出せますね。言わずもがな、edhe = dhe = eのことですが、但しこの複数の語形は何を切欠に文中でそれぞれに変化するのか、その条件は知りません。

イニャキク: ニク・メンディアク・エタ・ヘルリアク・イクシュテン・ディトゥト
Iñakik: Nik mendiak eta herriak ikusten ditut.
イニャキ: 私は山々と、村々を見ています。

 ちなみにイニャキもアマヤも一人称を「私」にしていますが、前者は男性名、後者は女性名です。「僕」って言い方嫌いなんですよ。かといってここで「俺」もしっくりこねえしなあと思うんで。
 「mendiak」は、「mendiko」の主格「mendi」の複数形です。「herriak < herria」は、「村」の他に、「国」など、複数の意味があります(村と国以外は忘れたがw)。たとえば「バスク国」は「Euskal Herria(エウシュカル・ヘルリア)」です。後から出てきます。
 今更ですが、能格単数の指標語尾は-kであり、主格複数の指標語尾は-akです。
 「mendi」の能格は「mendiak」ですが、じゃあ「能格複数」は「*mendiakk」か?とちょっと考えましたが、バスク語的な語形ではないで すよね。能格複数形は、どうやら「mendiek」のようです。「ようです」ってのは、能格複数形として登場した別の語(gurasoek < 主格複数: gurasoak(両親)、Lasa jaun-andreek < 同: -andreak(ラシャ夫妻))から類推しただけで、まだ解説が出てきていない為。

イニャキク・エタ・アマヤク: ムティラク、スエク・メンディゴイサレアク・アル・サレテ?スエク・セル・イクシ・ドゥスエ 
Iñakik eta Amayak: Mutilak, zuek mendigoizaleak al zarete?
Zuek zer ikusi duzue?
イニャキとアマヤ: 少年たちよ、きみたちは登山家か?何を見たのだ?

 遅まきながらちゃんと本を読んでなかったなってことにこの文から気付かされたんですけど、「zu」って「あなた」の単数も複数も意味する言葉なのかな?「zuek」は近称としていか用いない?・・・まあ拙い学習の成果の現れってことで、許してくだちゃーい。 
 「mendigoizale(ak)」は、本によると「mendi-(山)」と「-goi-(上へ)」、それから説明のない「-zale」を併せた言葉らしいです。いや、「教師」が「irakasle」、「教える」が「irakatsi」、「-le」は「...する人」という意味がある、ってな説明があったよーななかったよーな?
 「al」は肯定疑問文に含む疑問指標です。アルバニア語にもあります。取り上げるのを忘れていましたが、「a」といいます。なくても別にいいみたいです。

 ア・フレト・シュチプ・ケチュ 
 A flet shqip keq?
 きみはアルバニア語で話すのがうまくないのか?

 ※=Est-ce que tu parles mal l'albanien ?

 さてまた新しい動詞の登場、数多の言語で基本中の基本、フランス語で言うêtreにあたる、izanです。上の文中ではzareteという形になっています。

●izan現在形
s. / pl.

ni naiz / gu gara
hi haiz / zuek zarete ; zu zara
hura da / haiek dira

 人称代名詞の主格はこうなっております。つーか待って・・・zuekとhaiekって主格と能格で語形一緒だったっけ?もうグダグダだよ!
 ukanと違い、主語の人称・数の指標が動詞の先頭に来ている(niならnaiz)のがわかりますね(ukan「現在形」は語末でしたね: nik dut。「現在形は」ってことは・・・?後述)。

ムティラク: バイ、グ・メンディゴイサレアク・ガラ. グク・バシェルリ・スリアク・イクシ・ディトゥグ. グク・メンディティク・エウシュカル・ヘルリア・イクシコ・ドゥグ
Mutilak: Bai, gu mendigoizaleak gara.
Guk baserri zuriak ikusi ditugu.
Guk menditik Euskal Herria ikusiko dugu.
少年たち: はい、私たちは登山家です。私たちは白い複数の農家を見ました。山からはバスク国が見えることでしょう。

 ちょっと長いのが出てきましたね。
 まず最初に注目すべきは、「baserri zuriak」。バスク語の形容詞は、上にある「こんにちは=egun on=日+良い」が例になっているように、被修飾語に後置されます。そして、「名詞+形容詞」という結合からなるひとつの言葉が単数であるか複数であるか、そして冠詞がついているか否かは、後置される形容詞が示すことになります。つまり、「*baserriak zuriak」とか、「*baserriak zuri(< zuriak原形)」という形にはならないということです。
 尚、「gurutze eder bat(十字架+美しい+1本の」、「bi haur(2人+子)」という言葉があり、これを見てわかることは、「1=bat」に修飾された語は定冠詞がつかないこと、そして「bat」は語群の結合 の最後尾に置かれること、「2=bi」(もしくはこれ以上の数)はbatとは逆の位置に置かれること、そしてこれに修飾されても名詞は複数形にならないことが判ります。数が関係する表現は他に「zazpietan=7時に」というのがありましたが、どこからどこまでが「7」なのかは不明です。いや、もしか したら本に書いてあったのかも・・・。
 さて次です。「menditik」は「mendi(=山)から」という意味です。格の名称としては、なんと呼べばいいのだろう?この格は次の課にも登場します。
 「...から」って、タミル語でももう出てきてたなあ。

 yāriḍamirundu inda mobail fōṉai vāṅgiṉīrgaḷ / ヤールッテルンドゥ・インダ・モバイル(・)フォーナ・ヴァーングニーンガ
 யாரிடமிருந்து இந்த​ மொபைல் ஃபோனை வாங்கினீர்கள்?
 あなたは誰からこの携帯電話を買いましたか?

 「ikusiko」はikusiの未来分詞です。不定形が-nで終わる語の後では、-koは-goになります(joan=行く > joangoなど)。品詞がなんであるか見極められないと、属格名詞にも見えてややこしいですね。
 そういえばこれまた今更ですが、現在、過去、未来の3つの時制は、それぞれの時制を司る分詞と、それらの分詞が自動詞からのものであればizanを、他動詞であればukanを助動詞として用いて表現します。

 ニク・エグノロ・トレネス・ビルボラ・ヨアテン・ナイス
 Nik egunoro trenez Bilbora joaten naiz.
 私は毎日電車でビルバオへ行っている。(自動詞)

 ※trenez < tren具格、Bilbora < Bilboへ(スペインはビスカヤの州都・ビルバオのこと)

 ニク・ゴイセアン・サスピエタン・エチェアン・ゴシャルツェン・ドゥト  
 Nik goizean zazpietan etxean gosaltzen dut.
 私は朝7時に家で朝食を摂っている。(他動詞)

 ※goizean: 朝に < goiz処格、etxean < etxe処格、gosaltzen < gosaldu現在分詞

 また、バスク語では「現在進行形」が表現可能であり、それには「ari(またはaritu)」を伴わせる。これがあると、現在進行中の動作が他動詞で表現されていても、 izanを助動詞に用いる。また、自動詞の主語は主格になるので、現在分詞が他動詞で直接目的語を従えていても主語は能格形を取らない。

 イニャキ・エタ・アマヤ・ウルダイ=アスピコア・ヤテン・アリ・ディラ
 Iñaki eta Amaya urdai-azpikoa jaten ari dira.
 (今)イニャキとアマヤはハムを食べている。

 ※比較:
 Iñakik eta Amayak goizean urdai-azpikoa jaten dute.
 イニャキとアマヤは朝にハムを食べる。

 もうここまでで虫の息です。頭ヤバイ。
 まぁ、今回に限らずですが、言語についての解説をする記事を作る際には、音楽やら動画やら一切止めます。普段はそれがなければ死ぬの?ってくらい絶やさず流しっぱなのに、そんくらい神経遣うんですヨ・・・。慣れてない言語を扱うとき限定なのかな~。
 それでは次の課、いってみましょう!

I. Atzo Andonik, Gabrielak eta nik autoz txango ederra egin genuen.

II. Goizean Bilbotik irten eta Gasteizera joan ginen.

III. Gasteizen gosaldu genuen. Kafesnea hartu genuen. 

IV. Iruinean ordu bi egin genituen.
Iruina lehen Euskal Herriko hiriburua izan zen.

V. Orain Nafarroako hiriburua da.

VI. Han bada unibertsitatea.

VII. Gero Donibane Garazi ikusi genuen.

VIII. Zuberoa ere ikusi nahi genuen, baina ez ginen joan.

IX. Baiona Lapurdiko hiriburua da.

X. Han bazkaldu genuen.

XI. Gipuzkoako Donostian geure adiskideei bisita egin diegu.

XII. Arratsaldean poz-pozik itzuli ginen Bilbora.

 いやー、長いですね。暗記で言うなら、この課は文法事項とか一般名詞よりも、これまで全然知らなかった固有名詞を覚える方が骨が折れます。俺は別にバスクの地理に興味があるワケじゃないからなあ・・・。

アツォ・アンドニク, ガブリエラク・エタ・ニク・アウトス・チャンゴ・エデルラ・エギン・ゲヌエン
Atzo Andonik, Gabrielak eta nik autoz txango ederra egin genuen.
昨日、アンドニとガブリエラと私、我々は車で素晴らしい旅をした。

 おっ、早速出てきましたね。この課最重要の文法要素。 
 izanとukanの過去形が初めて出てくる課なのです。語の登場順に文法的要素を解説しているから、ちょっと待っといてねお2人サン。
 「autoz」はauto(車)の具格。上の「trenez」と同じですね。語末が子音で終わっている場合は「-ez」が付くのかとtrenezを見ると思えてきますが、この「-e-」はtrenのeに影響されて出てきた母音って可能性もあるよな。まだ具格はtrenezとautozって言葉として出てきただけなんで、詳しいことはこれからですね。・・・いや、そういえば1課にあった「Euskaraz ba al dakizu?(バスク語を知っていますか)」って例文で、「euskaraz」は具格だったな。何故この日本語訳で「バスク語」を具格として扱わねばならんのか・・・安直に「...によって」を意味するだけの格ではないということだな。
 「txango egin」で、「旅をする」という複合動詞です。この後に「...を訪ねる」を意味する「bisita egin」という表現も出てきますが、バスク語は複合動詞が多いのでしょうか?ペルシャ語を思い出します。ペルシャ語はすごいですよ、「話す」というとても基本的な動作すら複合動詞で表現しますからね。元来、動詞が少ない言語なんだそうです。ちなみにその「話す」は「صحبت کردن(sohbat kardan)」と言います(・・・確か)。「kardan(メンドいしラテン文字で; ペルシャ語の動詞原形は直説法過去3人称単数で表される。不定詞は別にある)」が「...をする」という動詞で、「sohbat」は名詞です。sohbat単体で何を意味するかは忘れましたが。「言葉」とかだったかな・・・。

 diruz shomā be āqāye dehqān darbāreye ān sohbat kardid / ディールーズ・ショマー・ベ・アーガーイェ・デフガーン・ダルバーレィェ・アーン・ソフバト・カルディード
 دیروز شما به اقای دهقان دربارهٔ ان صحبت کردید؟
 あなたは昨日デフガーン氏にあのことについて話しましたか?

 この文中では、「کردن」は「کردید」という形になっていますが、これはkardanの直説法過去2人称複数形(=敬称形)です。この他、「忘れる」、「示す」、「踏む」、「知らせる」などが複合動詞で言い表されると記憶しています。
 さて脱線は毎度のこと。まず出てきた過去形は、ukanのものの方ですね。「genuen」がそれにあたります。

●ukan過去形
s. / pl.

nik nuen / guk genuen
hik huen / zuek zenuten ; zuk zenuen
hark zuen / haiek zuten

 語形に注目!izanの現在形と同じく、人称指標が語頭に来ています。考えてもしょーがないんですが、なんでなんでしょうね?そして全活用に於いて-en を語尾に有しているのが特徴です。勿論、直接目的語が複数である場合は-it-を挟みます。1人称複数と2人称複数以外では、語頭の子音の直後に付け(たとえばnituen)、そしてukan現在形と同じく-te-を持つものはこれの直前に-z-が挿入されるので、即ち、1人称複数はgenituen、2人称複数はzenituzten(*zenitutenではない)、zenituen、3人称複数はzituzten(*zitutenではない)となります。

ゴイセアン・ビルボティク・イルテン・エタ・ガシュテイセラ・ヨアン・ギネン 
Goizean Bilbotik irten eta Gasteizera joan ginen.
朝、ビルバオから出発し、ビトリアへ行った。

 上で手短に言及し、また、直上の和訳にも表れていますが、「Bilbo(> Bilbotik)」ってのはスペインのビスカヤ州都・ビルバオのことです。「Gasteiz(> Gasteizera)」は、そのまま読むと「ガシュテイス」ですが、いわゆるビトリア(Vitoria)、バスク自治州の州都です。なんか本ではいちいちスペイン語名、或いはフランス語名が併記してあって、中には知ったものもあり、そっちの方が俺としてもカナで書いていてしっくりくるので、文章の和訳としては、都市名はバスク名で書かないことにしてます。バスク名はカナ音写には出てきてるってのもあるし、いいかなと。
 過去形は、助動詞としてのizan若しくはukanと過去分詞(=動詞不定形)を共に使うことで表現されます。また、「昨日以前」のことを表すらしく、たとえば今の時点から見て過去である「今日の朝」のことは「現在完了」で表されるそうです。

 ガウル・ゴイセアン・アルラウルツァ・アシュコ・ヤン・ディトゥト
 Gaur goizean arraultza asko jan ditut.
 今朝私はたくさんの卵を食べた。

 ※asko=多い; 「lore asko=たくさんの花」という言葉が別の課に登場していて、これを見るに、「asko」に修飾された名詞は複数形にならないようです。しかし「lore asko」の後の動詞が「ditu」だったので、見た目は単数でも文法上はその意味を反映して複数扱いになっているらしい。

 前の課で「過去」として扱っていた動詞は、実は「現在完了」です (baserri zuriak ikusi ditugu=我々は白い農家を見た)。izanとukanの「現在形」を助動詞として扱っていた、と文字にして説明すると、ピンときやすいかも?

●izan過去形
s. / pl.

ni nintzen / gu ginen
hi hintzen / zuek zineten ; zu zinen
hura zen / haiek ziren

 これも-enで終わるのが特徴ですね。人称指標は現在形と同じく語頭です(n-aiz / n-intzen)。

ガシュテイセン・ゴシャルドゥ・ゲヌエン. カフェシュネア・ハルトゥ・ゲヌエン
Gasteizen gosaldu genuen. Kafesnea hartu genuen.
私たちはビトリアで朝食を食べた。ミルク入りのコーヒーを摂った。

 バスク語とはあんまり関係ないんですが、コーヒーのくだりについては、「摂った」よりも「飲んだ」とすべきでしょうかね。hartuは、食物・飲物に対し、フランス語で言うprendreと同じように使えるようです。
 「kafesne(a)」は見ての通り、「コーヒー」となんらかの合成語ですが・・・「ミルク」にあたる部分は厳密になんて言うのかは、よく読んでなかったので覚えてません・・・。

イルイネア・オルドゥ・ビ・エギン・ゲニトゥエン. イルイネア・レヘン・エウシュカル・ヘルリコ・ヒリブルア・イサン・セン 
Iruinean ordu bi egin genituen.
Iruina lehen Euskal Herriko hiriburua izan zen.
私たちは2時間をパンプローナで過ごした。パンプローナは以前、バスク国の首都であった。

 文の区切り方ミスってますね。一文ずつに番号振っていってたつもりなんですが、2つの文がくっついてます。変えるの面倒臭いんで、このままで。って、IIIもミスってんのか・・・。 
 「Iruina(> Iruinean)」はパンプローナ(Pamplona)、ナバラ州都です。処格語尾は「-en」のようですが、主格が-aを語末に持つ語に付くと、そのaをeに変えるんでしょうか?何かまだ知らない文法要素が働いている予感です。
 さて、この文章をまったく意識せずに上で「bi haur」という表現を登場させていましたが(ホントですよ!)、この「2時間」を見てみましょう、「時間=ordu」に対して「2=bi」は先行しています。
 これについて、今までの言語学習を通して立てられる仮説はひとつ。「2時間」と「2時」という表現は、数詞の位置の違いによって区別されるのではないか、 ということ。というのも、ペルシャ語がそういう言語なんですよね。時間を用いての表現ってどの言語でもまともに身についたためしがなくペルシャ語でも例外じゃないので、その違いを利用しての文例なんかは作れませんが、絶対にそうだったはず。「ساعت دو(sā`ate do; do=2)」は「2時」、「دو ساعت(do sā`at)」は「2時間」だった・・・はず!
 また、「ordu」は単数なのに、これを直接目的の補語に取っている「ukan」の1人称複数過去は「-it-」を含んで「gen-it-uen」となっていますね。やはりこの文章を意識せずに上で取り上げていた「名詞+asko」に通じる文法規則です。
 「lehen」は、例文の中の言葉としては初登場ですが、「第1課」の訳が「lehen ikaskaia(レヘン・イカシュカイア)」でした。「第1の」という意味もあるんですね。
 「hiriburu(a)」は、「hiri-(町)」と「-buru(頭)」の合成語だそうです。すごい最初らへんの課で初出となった語です(今もまったく最初らへんだがw)。

オライン・ナファルロアコ・ヒリブルア・ダ
Orain Nafarroako hiriburua da.
今はナバロ州都である。

 主語が明示されてませんが、当然、パンプローナ(Iruina)のことです。

ハン・バダ・ウニベルチタテア
Han bada unibertsitatea.
そこには大学がある。

 この「大学」というのは、「ナバラ大学」のことだそうです。
 「bada」は、「da」に強調を意味する「ba-」が付いた形、らしい。
 ちなみに、「...がある」を意味する動詞は、「dago」というものが他に登場しており、どう使い分けするのかは現時点では不明。

ゲロ・ドニバネ・ガラスィ・イクシ・ゲヌエン
Gero Donibane Garazi ikusi genuen.
それから私たちはサン=ジャン=ピエ=ド=ポールを見た。

 「ドニバネ・ガラスィ」というバスク名とはかけ離れたこの都市名は、音写からして言わずもがな、フランス語名です(原語表記: Saint-Jean-Piet-de-Port)。

スベロア・エレ・イクシ・ナヒ・ゲヌエン, バイナ・エス・ギネン・ヨアン
Zuberoa ere ikusi nahi genuen, baina ez ginen joan.
スールも見たかったが、私たちは行かなかった。

 「スール(=Soule)」、音写と綴りでわかると思いますが、これもフランス語名です。
 「nahi」は本に「望み」として載っていますが、この文例だけではどうやって使える語なのかよくわかりませんよね。しかもこの「望み」という和訳だと、名詞であるかのように思えるし。
 「ez」は否定詞でもあり、「いいえ(フランス語: non)」を意味する間投詞でもあります。反意語は、上で出てますが「bai」です。
 ちなみにアルバニア語では肯定「po」、否定「jo」というのですが、フランス語「oui(ゥイ)」、ドイツ語「ja(ヤー)」、英語「yes」、ハンガリー語「igen(イゲン; 否定: nem(ネム))」などと言うので、「肯定の間投詞は母音で始まる」という印象があり、また、ドイツ語の「ja」と似ているので、初見では「jo」が肯定 を意味しているのだと勘違いしてしまいました。というかなんか未だに「jo」を「いいえ」と訳する度に「あれっ、「いいえ」だっけ?」とちょっと考えてしまいます。
 ところでお気づきですか、過去分詞が助動詞・izan(文中ではginen)の後に来ていること。これまでは助動詞が文末に置かれていましたよね。たまにこういうことが起こってるんですが、今のところこれについての説明はなしです。この課最後の文章で、「Bilbora」の位置が文末であることも、現在までに目にした大半の文章と比較すると異質です。ただバスク語は典型的な屈折語であると言っていい構造をしているので、おそらく文中に於ける語の位置は、「バスク語的」な語順が確立されている(とすれば少なくとも主語は文頭、(助)動詞は文末)のかいないのかにかかわらず、話者が随意に決めることも可能であるのではないかと思います。まぁ、俺なんて初心者も初心者だし、まったくの「たぶん」だけどね。

バイオナ・ラプルディコ・ヒリブルア・ダ
Baiona Lapurdiko hiriburua da.
バイヨンはラブール州都だ。

 バイヨン、まあ「バイヨンヌ」の方が通りがいいでしょうね。文章そのまま、フランス領バスクはラブール州の州都、Bayonneについてです。

ハン・バスカルドゥ・ゲヌエン
Han bazkaldu genuen.
そこで私たちは昼食を食べた。

 フランス語・déjeuner(デジュネ)の如く、bazkaldu単体で「昼食を食べる」という意味です。「朝食を食べる」は、既出の通り 「gosaldu」で、フランス語では「prendre un petit déjeuner(プランドル・アン・プティ・デジュネ)」と色々な語を組み合わせて表現しなければなりません。フランス人の食生活の変遷に由来しているそうです。大学で教わったけど、もううろ覚えだなー。

ギプスコアコ・ドノシュティアン・ゲウレ・アディシュキデエイ・ビシタ・エギン・ディエグ
Gipuzkoako Donostian geure adiskideei bisita egin diegu.
ギプスコアのサン・セバスティアンで私たちの友達を訪ねた。

 この「Gipuzkoa(> Gipuzkoako)」は、スペイン語名(Guipúzcoa)とほぼ同じ音をしてますね。「サン・セバスティアン(San Sebastián)」と聞くと、やっぱSonata Arcticaのアレだよなあ・・・聴く度よく燃えたものだ。
 「geure」は読んでの如く「我々の」という意味ですが、この課よりも前に「gere」という語形で登場しました。

 ゲレ・イラカシュレア・ドノシュティアン・ビスィ・ダ
 Gere irakaslea Donostian bizi da.
 私たちの先生はサン・セバスティアンに住んでいる。

 どちらが正しいのか、どちらも正しいのか、どちらかが誤植なのかは不明です。今更ですが、Gasteizera(ビトリアへ)はGasteizaとも言うそうです。多様な方言を反映してなのか、音声学的なことに因っているのか、結構こういう異形が見受けられます。ちなみに、実際、巻末の単語集には特定の方言で使われる語も幾つか載っています。
 方言と言えば、私が使っているアルバニア語入門(直野 敦 著)では、標準アルバニア語の基となったトスク方言(つまり、本の内容の中心)の他に、ゲグ方言という有力な方言も学べます。ゲグ方言は第二次世界大戦前までの主要な民衆語だったそうで、ja.wikipedia.orgにも単独で記事があります。戦前の文献を読むためという名目で本では教えてくれるのです。素晴らしいね。ちらっと見たけど、なんとトスク方言とは用いられている字母が異なります。ほんの僅かだけど(ラテン文字ってのは一緒)。あと、語によっては、トスク方言とゲグ方言で、同一の祖を持つ言葉がそれぞれに於いて相互にやや違った形となっているだけでなく、同じ意味でまったく別のものであることも。珍しいことじゃないけど、外国語の方言なんて習う機会そうそうないからね。ひとつのものやことに対し別々の方言で異なる言い方が学べるってのは珍しい。これまでの経験だと、アイルランド語のコシュ・アーリゲ方言とコナマーラ方言(別々の本)を学んだことがあるだけで。標準語がないらしいし、本を変える毎に別の方言が学べる言語なのかもね。
 さてバスク語に話を戻して、と。「adiskideei」は、「adiskide=友人」の「複数与格形」です。この数・格で登場した語はまだこれだけで、解説もありませんでした。既述した通り、「-i」は与格指標です。
 「bisita egin」で、「訪ねる」です。訪ねる対象は、この文を見るに与格になるみたいですね。「bisita」は、本には書いてませんが(巻末の単語帳には書いてあるかも。何語由来かが各語に併記されている親切設計です)、きっとフランス語・visiter(ヴィズィテ)とか、これに準ずる語から来てるんだろうな あ。
 そしてまたも説明のない「diegu」です。「bisita egin」という他動詞の助動詞なんだから、ukanだと思うんですけど、・・・実は直接目的語によってのみだけでなく、間接目的語でも動詞の形が変わる そうです。ちらっとね、先を見ましてね・・・。このdieguはその結果の語形を取っているんでしょう。まだこれからですね。adiskideeiが複数であることがdieguという語形に反映されているのかどうかはわかりません・・・いやきっと反映されているのでしょうが、その証はitではないようですね。

アルラチャルデアン・ポス=ポスィク・イツリ・ギネン・ビルボラ
Arratsaldean poz-pozik itzuli ginen Bilbora.
午後、満足して私たちはビルバオへ帰った。

 「arratsalde(> arratsaldean)」は、第1課に登場した言葉のひとつです。「arratsalde on」で、昼食後の「こんにちは」という挨拶になります。これも合成語なんですが・・・どう分解できるのかやっぱり忘れちまったい。直訳で「なんとかの側」って意味なんですヨ、確か。
 「poz-pozik」は成句みたいですね。この表現を構成する最小単位が「poz」であるとして、これ単体についての訳はこの課には載っていません。

 さてまあ、こんなとこです・・・。
 実に4時間近く費やした記事作成です。
 身体の、どこがとまでは特定できませんが、どこかがおかしいです。明らかに。床に伏せるほどではありませんが、明らかに不調になってる箇所があると感じております・・・。
 なんかもうあれですね、もっとサササーと書けるようになってからですね!しんどすぎます。
 さてこれから細かい所見直していかなきゃ・・・。
 次回?・・・次回は・・・とにかく、タミル語・アルバニア語・バスク語以外の最近学び始めた言語で書けたらいいですね。
 候補筆頭はアイヌ語かな。アイヌ語も語ってみたいもんなあ。
 モンゴル語は・・・まず文字です。まだまだぜーんぜん。チベット語も同じく・・・。
 古英語は・・・いやもうこれ、この言語を用いて文章書けるようにとか、俺の持ってる本じゃたぶんなれんでしょ・・・。学者、研究者の類でなく市井の一般人の身分でこの言語について色々文例やら取り上げつつ語れるようになったら言語マニアを堂々と自称していいどころか、そうするべきってレベルじゃなかろうかw
 ベトナム語は・・・もういいか?もっと学習が進んだら改めて、だな。
 あとはドイツ語とイタリア語か。有名で学習者も多い言語であるが故に、これについてまともに語るのはゴマカシ効かないだろうからいざ書くとなるとすごい緊張しそうだw

 もし最後まで読んでくれた人いたら、
 eskerrik asko!(エシュケルリク・アシュコ; バスク語で「ありがとう」)
 faleminderit!(ファレミンデリト; アルバニア語で同上。最新の課でようやく間投詞出てきたんだ!)
 iyairaykere!(イヤイライケレ; アイヌ語で同上。タミル語では何と言うのか知らないので代わりに出演してもらいました。hioy'oy(ヒオーイオイ)、hap(ハープ)とも言うが、女言葉らしい)

2012年5月23日水曜日

そんで15巻がないとか!

そんで15巻がないとか!

 今日俺14巻が届いたので、13、14、15と3冊いっぺん至福の購入をする予定だったのが、15巻売り切れ・・・orz
 まぁー、とりあえず15巻はまた後日でいいや・・・13、14あるし、しばらくは大丈夫。
 あとは、バクマン。16~18巻を買った。これも知らん間に3冊も新刊が出てたからね。
 さんかれあは・・・店にあったサンプル冊子読んでみたんだけど、俺はアニメの方がいいな~・・・。木村良平さえなんとかなればなあ。
 俺この声優キライなんです。
 礼弥と蘭子を筆頭に、その他はすごくいい感じなのに(萌路以外。声優や演技云々よりキャラとして浮き過ぎ。次回予告の小芝居も気に入らん)、とにかく最も台詞を多く聞く羽目になる主役の声が気に入らんのって、好きなアニメとはいえ楽しさと苦痛を一緒に与えられてる感じです。
 バクマン。ってそういえば連載終わってるそうですね。どんなオチだったのか知らないけど、亜城木夢叶が漫画界の頂点を獲って完、ではなかったんだろうな。主人公周りは結構シビアだもんね。アニメ化はまだまだ叶いそうにないけど・・・てんてんてん・・・なんやかやでサイコーと亜豆は結婚したと予想。
 今から今日俺、バクマン。共に読みますが、今日俺13巻のウラを読むと、この巻の内容は、軽井沢のチーマーが復讐にやってきた!ってものだそうです。
 何を隠そう、このチーマー復讐編(仮)、実は俺が最初に読んだ今日俺の話が含まれているんです。今にして思えば、ですけどね。
 ひとりでトコトコ歩いてる伊藤を見つけて、「オイコ(ラ)・・・」と話しかけるロンゲのチーマーを、別の男がとめる。そいつは「千葉最悪最強の男(やつ、だったかな?)だぞ」とロンゲに言う。未だによく覚えてるシーンです。何人かで徒党組んでたよね。京子のタンカにビビって戦意喪失したコ(マリだかなんだかそんな名前の)や、ロンゲ以外のチーマーたち(カリアゲの「WAI」君(笑)とか)の出番はなしかな?
 今回もミツハーシーといたう、千葉最強コンビの伝説の1ページに相応しいアツい展開、期待してまっせ!

2012年5月22日火曜日

3日に分けて書く3言語学習成果-2日目: shqip

ようやっとの2日目!

 アルバニア語(shqip(シュチプ))編です。
 セ・セディーユとトレマのタイプが可能なキーボードならなんでも表記に使えます。と、なるとフランス語キーボードが向いてるのか?と思う人もいるでしょうが、俺はスペイン語キーボードを利用してます。「フランス語を打つためのもの」と考えて使ったことある人なら一度は感じたのではないかと思うのですが、フランス語キーボードの並びは冗談かと思うほど扱い辛い。AとQで位置を交換していることも鬱陶しい(フランス語ではどちらもよく使うのでタイプミスがその分増す)。
 さて、アルバニア語の学習成果ですが・・・始める前からナンですが、アルバニア語、なっかなか慣れません。
 タミル語は文法要素毎に単元をつくって解説を載せることができましたが、アルバニア語ではムリそうです。
 というわけで、ある課の最初に載せてある文章(勿論暗記したもの)に含まれている品詞や語の形態、構文などを取り上げて、学習成果を確認することにします。

I. Çdo ditë, në mëngjes, në orën gjashtë e një çerek, Agimi del nga shtëpia dhe shkon në punë.

II. Ai është mekanik dhe punon në Uzinën e Traktorëve.

III. Uzina e Traktorëve është larg, prandaj Agimi del herët nga shtëpia.

IV. Tani ora është gjashtë e gjysmë.

V. Në rrugët e qytetit ka shumë lëvizje.

VI. Autobusët kalojnë në rrugë vazhdimisht.

 第何課だか忘れましたが、これが今最も新しい、暗記している文章。実際にはIだのIIだのは付いてなくて、便宜上分けた文章群はすべて繋がっています。
 文字としては、とにかくëが目立ちますね。前にも書きましたがこれはシュワーで、この文字にはアクセントが付きません(後述するある文法要素の解説に於いて重要な点です)。
 まずは最初の文章。

チュド・ディタ, ナ・マンヂェス, ナ・オラン・ヂャシュタ・エ・ニャ・チェレク, アギミ・デル・ンガ・シュタピア・ゼ・シュコン・ナ・プナ
Çdo ditë, në mëngjes, në orën gjashtë e një çerek, Agimi del nga shtëpia dhe shkon në punë.
毎日、朝の6時15分に、アギムは家から出て仕事へと向かう。

 çdo ditëはフランス語で言うchaque jourにあたります。jourと違い、ditëは女性名詞です。この2語による表現以外に、名詞に先んじて立っている形容詞を見たことがないので、çdoがditëに合わせて語形を変化させているかどうかはわかりません。
 文法性が存在する言語なんだからそりゃ語形は変わってるんじゃないの?とも思えるんですが、ヘンな要素てんこ盛りなせいでそう素直に考えきることをさせてくれないのが俺にとってのアルバニア語です。

 ゾマ・ヌク・アシュタ・エ・マゼ
 Dhoma nuk është e madhe.
 その部屋は大きくない。

 述語として用いられる形容詞には、「前置定冠詞」なるものが付随します。「前置定冠詞」を従える形容詞は語によるそうで、男性形ならi、女性形なら上にあるようにeです。「述語としての形容詞」に「定冠詞」ってなんじゃそりゃって感じですが、偶然にも今同時進行で学習中のバスク語も、述語形容詞に定冠詞が付随します:

 グルツェア・ゴルベア・メンディコ・プンタン・エデルラ・ダ
 Gurutzea Gorbea Mendiko puntan ederra da.
 ゴルベア山の頂上にある十字架は美しい。

 そう、述語形容詞「ederra」の語末の「a」は定冠詞なのです(原形・eder)。そして、アルバニア語の定冠詞も、この言語が属する「バルカン言語連合」の諸語に見られる特徴のひとつである「後置定冠詞」で、上の「Dhoma nuk...」の文章だと「dhoma」の「-a」がそれにあたります。このdhomaの不定形はdhomë(女性名詞)です。
 しかし時折「前置定冠詞」が登場することがあり、「e madhe」という一例はそれを示しています。また、上記長文にも幾つか含まれており、たとえば「Uzina e Traktorëve」がそれにあたります。「トラクター工場」という意味で、「工場+後置定冠詞=Uzina(< uzinë) 前置定冠詞=e トラクター(複数属格)=Traktorëve(< traktor)」という構成です。
 「në mëngjes」は「朝に」で、nëは「...で」とか「...へ」を意味する前置詞で、今に至るまで頻出しています。
 アルバニア語の前置詞の大抵は後続の語に対格を要求するそうで、nëもそのひとつです。
 ではmëngjesは対格か?と言うと、確かにそうですが、主格とまったく語形は同一で、単数不定形(=定冠詞の付いていない形)に於いては、その語形は性にかかわらず常に主格=対格です。
 そして、これの直後の「në orën gjashtë e një çerek」の「orën」は、その原形が「orë」で、「orën」は「対格定冠詞」の付いた形です。「gjashtë e një çerek」は「6と1/4」という意味ですが、これによって直前の「時間=orë」が修飾されているが為に定冠詞を従えた形になっています。対格を要求する前置詞の直後にある名詞になんらかの修飾する要素が付随していると、不定形でなくなるそうです。ちなみに、orëの「定形単数主格」はoraです。
 ここで20までの数詞を列挙。

●1~10
një(ニャ)
dy(デュ)
tre / tri(トレ(男性) / トリ(女性))
katër(カタル)
pesë(ペサ)
gjashtë(ヂャシュタ)
shtatë(シュタタ)
tetë(テタ)
nëntë(ナンタ)
dhjetë(ズィェタ)

●11~20
njëmbëdhjetë(ニャンバズィェタ)
dymbëdhjetë(デュンバズィェタ)
trembëdhjetë(トレンバズィェタ)
katërmbëdhjetë(カタルンバズィェタ)
pesëmbëdhjetë(ペサンバズィェタ)
gjashtëmbëdhjetë(ヂャシュタンバズィェタ)
shtatëmbëdhjetë(シュタタンバズィェタ)
tetëmbëdhjetë(テタンバズィェタ)
nëntëmbëdhjetë(ナンタンバズィェタ)
njëzet(ニャゼト)

 何故か俺、数詞の覚えだけはいいんだよなあ・・・。
 「11から20」に含まれる、20を除く数詞は、「-mbëdhjetë」という共通の綴りを引っさげていることがわかりますね。更に分化させて、「-dhjetë」は、言うまでもなく「1~10」に含まれる「10」で、「-mbë-」というのは、「...の上に」を意味する前置詞「mbi」に由来するそうです(まだ現物にお目にかかっていない)。それにしても、「14」の「-rmb-」という重子音は珍妙ですね。学習経験のある全言語を通しても初めて見ました。この辺からも、印欧系の言語としては異質な印象を受けます。
 さて次、「Agimi del...」の冒頭の「Agimi」がこの文章の主語ですが、この和訳を「アギミ」でなく「アギム」と書いたのは、「-i」が定冠詞だからです。女性人名「Verë」とその定形「Vera」は、カナで書くとどちらも「ヴェラ」ですが、男性名詞に付く後置定冠詞はiやu(shok > shoku(友人)、mjek > mjeku(医者))なので、不定形(呼称などとして用いる)と定形のカナ音写には違いが生じます。
 「del」は「dal」の直説法現在形3人称単数です。この動詞の代表形である「dal」とは、フランス語で言う「sortir」ですが、このsortirが「不定詞」であることに対し、「dal」は「直説法現在形1人称単数」です。アルバニア語の動詞には不定形がないそうで、これもバルカン言語連合の特徴のひとつです。同じ法、時、人、数を以って動詞の基本形とするラテン語やギリシャ語-これらには不定詞があるが-に通ずるものがありますね(ギリシャ語もバルカン言語連合の一員。但し定冠詞は後置されない)。
 「dhe=そして」は、「edhe」や「e」とも綴られます:

 アギミ・ゼ・ヴェラ・ヤナ・ヴァラ・エ・モタル
 Agimi dhe Vera janë vëlla e motër.
 アギムとヴェラは兄妹だ。

 前者はまだ実際の使用例を見たことがありませんが、後者は頻出しています。勿論前置定冠詞「e」とは全くの別物です。
 「shkon」は「shkoj」の直説法現在3人称単数形。
 様々なヨーロッパの言語と同様、アルバニア語でも活用の特徴によって動詞が分類されています。現時点で既に登場しているのは第1、第2形で、「shkoj」は最も基本的な第1形に分類されます。

●単数(動詞の前のものは人称代名詞、以下同)
unë shkoj
ti shkon
ai(男性) / ajo(女性) shkon

●複数
ne shkojmë
ju shkoni
ata / ato shkojnë

 そして「dal」は第2形です。

●単数
unë dal
ti del
ai del

●複数
ne dalim
ju dilni
ata dalin

 第1形に比べるとかなり人称・数毎の特徴となる語尾が異なっていますね。
 第2形所属には他に「flas=話す」などがあり、こちらは、

s. / pl.
flas / flasim
flet / flisni
flet / flasin

 という活用を見せます。「-s」が「-t」に、語幹の母音「-a-」が「-e-」に変わるなど、「dal」にプラスアルファの暗記が求められますね。
 「nga shtëpia」は、書いた通り「家から」という意味であり、「nga」は主格を要求する前置詞です。
 「shtëpia」の原形は「shtëpi(女性)」で、語末の母音がアクセントを持っている場合、それは後に付けられる冠詞になんら影響されないまま音が保たれます。末尾がëである語の場合は、既出の「dhomë > dhoma」からわかるように、これは消滅します。a, e, o, uがある場合は-jaが付き、更にeは脱落させられます(例: dritare(窓) > dritare-ja > dritarja)。
 「në punë」の「punë=仕事」は、これを修飾する語がないので、対格ではあるが原形のまま。なんで定冠詞がついてないんだろう?「“自分の”仕事」なんだから特定のものだろうに。
 では次の文章。

アイ・アシュタ・メカニク・ゼ・プノン・ナ・ウズィナン・エ・トラクトラヴェ
Ai është mekanik dhe punon në Uzinën e Traktorëve.
彼は機械工であり、トラクター工場で働いている。

 「është」はフランス語・estに相当します。原形・jam。

unë jam / ne jemi
ti je / ju jeni
ai është / ata janë

 「uzinën」は「uzinë」の定形単数対格です。後に属格複数名詞・traktorëveを従えているので、不定形から脱しているわけですね。
 「traktorëve」は原形が「traktor」で、不定複数「traktorë」に定形複数属格語尾「-ve」を付随させた形です。

ウズィナ・エ・トラクトラヴェ・アシュタ・ラルグ、プランダィ・アギミ・デル・ヘラト・ンガ・シュタピア
Uzina e Traktorëve është larg, prandaj Agimi del herët nga shtëpia.
トラクター工場は遠いので、アギムは早くに家を出ている。

 「larg」、「herët」は副詞、「prandaj」は「...だから...」という接続詞です。

タニ・オラ・アシュタ・ヂャシュタ・エ・ヂュスマ
Tani ora është gjashtë e gjysmë.
今、時刻は6時半だ。

 アルバニア語の時刻表現は、X時30分までは「X時+半分」と言い表し、30分から1分でも過ぎると、「Y時-A分」と言うことで「X時B分前」と表現します。「-(マイナス)」を意味する前置詞は・・・ありゃ、なんだっけ?Pを含んでるってことだけしか頭に残ってない・・・w

ナ・ルガト・エ・チュテティト・カ・シュマ・ラヴィズィェ
Në rrugët e qytetit ka shumë lëvizje.
町の通りにはたくさんの交通がある。

 さて、「Uzina e Traktorëve...」と「Tani ora...」の2文については書くことが思いの外少なくてちょっと困りましたが、こちらでは上手な解説に困る要素が登場。
 まず、「rrugët」は、rrugë(=通り; 女性名詞)の定形複数対格形で、「e qytetit」はqytet(=町; 男性名詞)の定形単数属格形です。
 この課までに登場した格は、主格、対格、属格、そしてこの課にはない「奪格」、これまでの学習でまだ一度も使用例のない「与格」があります。

 ドラピ・アシュタ・アファル・デラス
 Dollapi është afër derës.
 洋服ダンスはドアの側にある。

 前置詞「afër=...の側に」が、奪格名詞「derës(< derë(女性名詞))」を要求しています。語形としては与格と同じで、前置定冠詞を持たないことを除けば、属格と同形です。つまり、語形: 属格=奪格=与格です。単数に於いては、ですが。複数についてはまだわかりません。
 属格は、「e Traktorëve」や「e qytetit」の例を見ればわかるように、前置定冠詞を持っています。また、今回はどちらの前置定冠詞もeですが、これは女性名詞が先立っていることが原因で、男性名詞の後ではiが出現します。といっても男性名詞「主格」の後でのことで、単数対格や、名詞複数形のあとではeとなります。つまり、前置定冠詞に影響を持つのは、これを出現させる名詞ではなくて、その名詞が修飾する語の形態なのです。
 男性名詞の代表としてvëlla(兄弟)を、女性名詞代表としてdritare(窓)を取り上げて、曲用一覧を示します。複数形は対格と属格を除いてまだ習っていないので、単数形だけ(もしや複数形でも属格=与格=奪格なんだろうか?)。ちなみに、ホンの一例です。たとえば、男性名詞定形単数対格の語尾が-in, -unになるものもあります:

 ナナ・エ・テウタス・アシュタ・マスウェセ・ナ・ウニヴェルスィテティン・エ・ティラナス
 Nëna e Teutës është mësuese në Universitetin e Tiranës.
 テウタの母はティラナ(アルバニアの首都)大学で教師をしている。

 1. 男性名詞
  1.1. VËLLA不定形

  • nom.(主格) vëlla
  • gen.(属格) i / e vëllai
  • dat.(与格) vëllai
  • abl.(奪格) vëllai
  • acc.(対格) vëlla

  1.2. 同定形

  • nom. vëllai
  • gen. i / e vëllait
  • dat. vëllait
  • abl. vëllait
  • acc. vëllanë

 2. 女性名詞
  2.1. DRITARE不定形

  • nom. dritare
  • gen. i / e dritareje
  • dat. dritareje
  • abl. dritareje
  • acc. dritare

  2.2. 同定形

  • nom. dritarja
  • gen. i / e dritares
  • dat. dritares
  • abl. dritares
  • acc. dritaren

 既述しましたが、曲用間で語形の共用が目立ちますね。vëllaと同じく「兄弟」を意味する、アルバニア語と同じ印欧語族系であり、曲用がアルバニア語と同じ数の分だけあるラテン語の「frater」が、

s. / pl.
frater / fratres
fratris / fratrum
fratri / fratribus
fratre / fratribus
fratrem / fratres

 と、単数だけで5つもある、というか格毎に独自の形を持っていることを考えれば、大分単純化したものです。勿論、古い時代のアルバニア語はもっと複雑な語形態を有していたのでしょうが。
 そして、「ka shumë lëvizje」についてですが、「ka+X」で、フランス語で言う「il y a+X」を意味します。「ka」は、「kam=持っている」の3人称単数です。Xが単数であっても複数であっても、語形は「ka」のままです。「形容詞+複数名詞」という組み合わせである「shumë lëvizje」がその証明になっていますね。「il y a」の用法と同じです。
 そういえば、上で「çdo ditë以外に形容詞に先行されている名詞を見たことがない」と書きましたが、嘘っぱちでしたね。

s. / pl.
kam / kemi
ke / keni
ka / kanë

 「jam」の活用にとてもよく似ています。なんだかすごく重要な意味を持つ共通点である気がしないでもないです。

アウトブサト・カロイナ・ナ・ルガ・ヴァジュディミシュト
Autobusët kalojnë në rrugë vazhdimisht.
バスがひっきりなしに通りを通行している。

 さて最後の文章ですね。
 「kalojnë」は、見ての通り第1形です(< kaloj)。
 「autobusët」は、autobus(男性名詞)の定形複数主格です。
 実は、ここまでわざと名詞複数形の解説を避けてきました。上の「lëvizje」なんかも主格複数形です(女性名詞)。
 というのも、アルバニア語に於いて、複数形指標の語尾や、単数形から複数形へ変える際の手順は実にその種類が豊かで、今に至るまでの学習だけに於いても殆ど把握できてません。
 男性名詞は、概して語末に「-ë」か「-e」を持つことが多い気がしますが、たとえばvëllaは「vëllezër」になります。その他、「-nj」、「-k > -q」、語幹の母音が変わるもの、色々です。正直、古典ラテン語・古典ギリシャ語の方が遥かに覚え易いです。また、方言が数多くあり、その影響で複数形を2つ以上持つ名詞もあるそうです。アルバニア語にいまいち慣れることができていない今の段階じゃムリゲー。
 但し、女性名詞は男性名詞ほど複雑じゃないっぽい・・・かな?最初に出てきた複数形指標は「-a」です。これは単数主格定形の指標語尾でもあるので、定形単数主格と不定形複数主格では同じ語形を取る女性名詞が散見されます。また、女性名詞は-ëか-eで終わっていることが多く、不定形単数主格で、前者を語尾に持つ一部の名詞と、後者を持つ多くの名詞は複数形でその語形を変えず(ditë > 不定形単数複数: ditë; dritare > 同: dritare)、また、その他の母音を語末に持つもので、且つその母音がアクセントを有している場合も単数形=複数形だったりします。このことも、男性名詞に比べて複数形の覚え易さに寄与しています。
 基本的な定形複数主格の指標は、両文法性共通で-t、対格も同じく-tです(あくまで「基本的な」、です。ちゃんと覚えてない^^;)。

 とまあ、こんな感じです・・・。ツカレタ。
 俺が使っている本のアルバニア語に対する解説が正しいと仮定すると、それを暗記して己の言葉で説明ができればその内容はアルバニア語の知識として正当なものであることになりますが、正直ちゃんと記憶できているかどうか自信ないです。本が実際に正しいかどうかは別として、もしかしたら覚え違いでここに書いたことは間違いだらけかもしれません。すっごい時間かけて書いたワリには・・・。詳しい人から見れば冷笑・爆笑ものかも、今回の記事。
 「自信を持つ」って大切ですね。それなしでは、間違ってないことにもその正しさをひたすら疑ってしまう。
 次回は最終、バスク語です。これもいつ書くことになるかわかったもんじゃありませんが・・・。
 アルバニア語の挨拶って、そういえばまだヒトコトも知りません。「comment vas-tu ? / comment allez-vous ?」にあたるものは知っていますが(si je? / si jeni?)、今要るのはこれじゃない。
 というわけで、gabon!(バスク語で「おやすみなさい」。見た通り読んで下さい)

2012年5月20日日曜日

ダメでした

 「備品だから」って理由でダメでした。わざわざそれっぽい動機をでっち上げて頼んでみたんだけどナ・・・。まぁ意味なかったっていう。
 それはもう済んだからいいとして、今日俺ですよ。
 まさか俺が今持ってるものが3巻も前のものとは。13、15巻をバイト先で見つけて吃驚しましたよ。
 14巻は売り切れ。これもあれば間違いなく3冊同時お買い上げだったんだけどねぇ。3冊もいっぺんに今日俺の新刊が読めるなんて嬉しいなんてもんじゃネェ。
 たぶん発注はかかってると思うんだけど、確認する術を知らないし誰かに訊くのもメンドくさいのでもうさっき自宅のPCから注文しちゃいました。
 ところで今期観てるアニメなんですが、俺はうぽって!!黄昏乙女×アムネジア謎の彼女XエウレカセブンAOさんかれあです。戦国コレクション這いよれ!ニャル子さんも観てたけど、切った。這いよれ!ニャル子さんはマジでつまんないね。内容のデキに自信満々な上で張り切って宣伝してたわけじゃないんだね、残念ながら。あれぞ正真正銘のゴリ押しだ~。
 原作漫画がないエウレカセブンを除いて、どれも原作を読んだことがないんですが、謎の彼女Xとさんかれあはちょっとホシイ。
 うぽって!!はアニメのキャラデザと原作のそれがあまりにも違いすぎて-特にFNC-漫画買ってみようという気になりませんでした。
 作者は重度のガンマニアだそうで。
 それを漫画に投影させて作品を発表しようとすると、今は女の子の擬人化を主軸に構成しないと売りに出させてもらえないんだね、嗚呼・・・。
 銃器(というか戦争関係のあらゆるもの。兵器ではないがコードトーカーの存在には心躍る!)にはすごく興味があるので、うんちくをそこかしこで炸裂させてくれるアニメ版を楽しみに観ているわけなんですよ。
 萌えとかは、別に・・・。
 あ、でもえるはカワイイ。但し、元となった銃のダメさが絡んでこそだけどね。
 はっきりした言葉でない溜息みたいな台詞をよく口にするキャラってめちゃくちゃキライなので、普段の彼女は最低最悪です。
 ダメさ加減を解説するシーンが毎回オモシロイから存在価値があるんだ。
 何話目か忘れたけど、「ジャムる、割れる、マガジンも勝手に落ちる!!(サイナラ~)」が、これまでのエピソード全シーン通して一番のお気に入りw ちなみに2番目は、しぐがスイスでの長距離射撃の必要性をコミカルに説くシーン。あの演出は花マルすぎだね。
 絵の違いには目をつぶって、せめて1巻だけでも買ってから漫画版の判断はした方がいいのかなあ。いやそりゃその方が絶対的だろうけどさ。
 やっぱ、「アニメだから」で好きになっちゃうと、オリジナルでなかろうがそっちしか受け付け難くなることも多いんだよね。
 同じタイトルなら漫画で楽しめる方が手軽でイイんだけどね・・・。

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