2016年1月3日日曜日

鍛錬の機会

只今のながら観: http://www.nicovideo.jp/watch/sm18427812

 近所に図書館があってですねえ、少数ながら語学書もあるので便利でよく利用しています。一度に借りられるのは最大10冊で、貸出期間は2週間(更に2週間の延長が可能)。機能はふつう、規模は小さめであると言っていいと思います。
 で、今借りている本の一冊に、「ニューエクスプレス 現代ギリシア語」(9784560085837; 書名に則って「ギリシア」と書きましたが、私は常時「ギリシャ」と口にし、また書いています)があります。音声教材つきの現代ギリシャ語の本はここ日本に於いてさほど多く刊行されていないはずなので、まあそれなりに貴重な代物なんですが、CDを除いたツクリは雑の一言に尽きます。
 そもそもこの著者、木戸雅子ってのは何者なんでしょーか?巻末の略歴を見ると、「共立女子大学国際学部教授」とあります。ギリシャに行ったことがあるのかどうかはわかりませんが(ある言語を公用語にしている国への渡航経験がなくても、その言語の学習書ってのは出るもんなんですよ。4475017904とかね)、ギリシャの大学での研究経験はないようです。
 著書は「今すぐ話せるギリシャ語 入門編」、「まずはこれだけギリシャ語」、「すぐにつかえる日本語 - ギリシャ語 - 英語辞典」、ほか・・・だそーな。入門書ばかりですね(つーか出版社書いてないけど・・・ニューエクスプレスシリーズの、この本に限ったことじゃないけどね。普通は併記してあるもんでしょう。とりあえず、二つ目が国際語学社のものだってことはわかる。)。
 経歴からは窺い知れない本人の実力が大したものである可能性は否定できませんが、少なくともニューエクスプレスの内容からはそれを察せられる要素は皆無です。
 ギリシャ語文章の和訳から初出の言葉の意味を把握せよという場合の多いこと!
 言葉ってのは単体で用いられることのほうが少ないわけですから、使用の実際例を提示すること自体は学習のためには良いことです。そういうつくりの方針であったためか、この本は課毎の本分以外にも、その他のニューエクスプレスシリーズに比べて例文が多めに書かれています。字によるページの占有率の高さは、大学書林あたりの語学書を見ているようで、ニューエクスプレスの本としては間違いなく異例でしょう。著者の意図はどうあれ、全体的に解説が初学者の立場を十分に考慮していないことに目をつぶれば、私はたとえニューエクスプレスであってもこういう編集で結構なのではないかと思います。
 ただ、学習レベルの到達具合と比較して場違いな例文も多めです。
 はっきり言って、この木戸なる女が読者に学習させたい「現代ギリシア語」以外の言語を2、3、ある程度学んで多言語を読み解くセンスを磨いていないとかなり読み辛い出来。たぶんですけど、コイツ結構歳いってるんじゃないでしょうかね・・・。悪い意味でガキっぽくないです。女の書いた語学書は問題点に対する解説が洗練されていないことが多く、特に日本に於いて学習者が多いとされる言語(具体的には、NHKで講座の対象に取り上げられているような言語群)の語学書に於いてそれが顕著ですが、この女の解説は洗練云々以前に言葉が足りなさすぎです。かと思えば本の冒頭に於けるギリシャ語(即ち己が語学書を書いた言語)に関する薄っぺらく覚束ない解説文はやはり女がよく見せるそれ。この本で学習が始まるまでのページを読んだだけで、「この本大丈夫なのか?」と思った人、絶対にある程度いるでしょう。「エクスプレス」時代からこの解説用のページには割とどうでもいいことしか書いてませんが、極めて限られた量の言葉しか用いられないだけに(ページにして2ページ、多くても3ページ)、こういった文章は著者の言語センスを評価することに役立ちます。私は必ず目を通しています。母語がまともに扱えない人間が言語そのもので人を惹きつけることなど到底不可能でしょうから。
 さて少し話が逸れましたが、ニューエクスプレスで初めて、それも付け焼き刃程度の学習具合に妥協する、或いはそれを目的に現代ギリシャ語を学ぼうとする初学者たちにとってやや扱い辛い学習書、という評価に終わっていたでしょう。
 誤字が多い!!滅茶苦茶多いです。単語内のある子音が二重になっていたりそうでなかったり、アクセント記号があったりなかったり。ギリシャ語は単語同士の繋がりや語形がアクセントの有無や位置に影響するので、たとえばベトナム語のある言葉が声調記号を付随され忘れて表記されたとか、そんな失敗とはワケが違います。それからギリシャ語はフランス語に似て、同音異字の母音表記が多い(「ア=αλλ」、「エ=ντομάτες, είναι」、「イ=σπτι,  φίλη, υιός, υπάρχει, φοιτήτρια」、「オ=μεγάλο, ωραίο」、「ウ=δουλειά」、古典ギリシャ語時代にはすべて相互に異なる音価を有していた)のですが、表記に特に気をつけねばならないこの点に於いて、文法規則を慎重に扱っている様を模範的に示さねばならない著者が失敗をやらかしているという体たらく。編集者は勿論ギリシャ語なんてその言葉ひとつも知らないんだろうし編集者を責めることもできませんが・・・ひょっとしてコイツは独りでこの本を書き上げたんですかね。ポカを通り越してもはや傲慢なのではないでしょうか。

 ま、そんなワケで、「ニューエクスプレス 現代ギリシア語」は決して、特に初学者にはオススメ致しません。
 というかこの木戸って女の本自体が地雷の可能性が微レ存。
 まあでも、意味の併記なしに出てくる初出単語、解説なしに出てくる新表現、少なくない誤字によって、初学者はある意味語学書の利用に於いて鍛錬の機会を得られると言えるかもしれませんね。・・・敢えてこの書で鍛錬に挑戦する必要は、まったくないですけど。

2016年1月1日金曜日

1000回食されたおやつ

 いやー、すごかったですね!オヤツ=サンの某ロマサガ3動画。
 ニコレポで3部作動画の投稿を知ったときは「遂に来た!」と勿論早速観ようとしましたが、併記されていた12月31日公開の文字にカウンターを食らわされましたヨ・・・丁度23時から翌7時にかけてバイトだったんでねえ。
 さて今回の話題はそれ一色。
 VS破壊するもの戦の最中、解説の一環として過去の動画で起こした行動の意味が明かされる展開が最高に楽しかった!漫画やアニメでも、伏線回収の瞬間は多大な楽しみが得られるポイントのひとつですよね。
 「あの行動は実は後に関わってくる重大な要素だったのかも?」とか、俺は考えながら何かを読んだり観たり想像・妄想したりをさっぱりしない(できない)人間なので、ゆっくり霊夢自ら「どうでもいいけどとりあえず買っとくわ」みたいなことを言いながら大量に購入していた火星の砂の件に限らず、最終戦で明かされた事実の数々は、厳密に言えば俺にとっては伏線にもなってませんでした。それらの殆どは、それが起こされた動画内で完結しているものだと思ってましたから。
 それにしても、ここまで緻密に計画を立てて目標を完遂できる人が、最初は破壊するものに1000回挑んで散っていったなんて信じられないんですけど・・・これも演出用の狂言だったんですかね?ただこれをそうであるとしてしまうと、動画として残っている、最終的に攻略完了を担ったパーティとは別のパーティで、ツヴァイク武闘大会でおともレベルを最大まで上げた上で破壊するものに挑んだのは揺るぎない事実ではあるが、「1000回ってのは嘘かな?」って疑われかねませんよね。というか、俺なら即座に疑います。別にいーですけどね。「「閃きだけで最小戦闘回数クリアに挑戦」という大前提を堅持しつつその他の縛りや条件も加えた上でラスボスまで到達する(そして撃破する)」こととラスボスに1000回挑むことは関係ありませんし。ただ、TAKEをどれだけ重ねて必須戦闘毎に設けられた目標を達成するのかがこの動画シリーズの大きな見所のひとつとなっていることを考えると、「実は1000回戦ってません」は非常にマズイですよね。まあ、1000回どころか、ザコ戦に10回程度であっても俺としては戦い過ぎだと捉えてしまうので、正確なTAKE数がどうあれ乱数に翻弄され同じ戦闘を何度も繰り返すことになったのは間違いなく事実であるはずなので、数字は別に問題じゃありません。こんなことを考えてしまうのは、ひとえに今回のおやつの人の計画の素晴らしさが原因なんです。
 最初はもう少し楽観的に、どうにかなるだろうと考えていて、1000回(彼の中でのNGライン?)挑んでも本当にムリだったから根本的に計画を練り直したってことなんですかね。しかし最終的に採用されたラスボス撃破までの道程の下に四度、破壊するものを倒したって話なんだからすごい。如何に計画の完成度が高かったのか、ということをその結果が物語っていますよね。
 そしてご本人も言及していた通り、滑稽な場面を多々経つつ、最終戦に緊張感のある攻略法であったことが極めて非凡だと思います。
 手堅く真面目に隙なく淡々と難関を突破するのも、編集如何ではありますが十分絵的に面白くなる可能性があるだろうと思うのですが、意図的に色々と羽目を外しつつエンターテインメント性の追加も考慮に入れた攻略となっていたわけで、ホント脱帽モノです。
 これがゆっくり実況で成されていたってのがまた効果的だったと思います。
 ゆっくりによらない、人間による実況、もしくは初見実況だったりするとある程度行き当たりばったり、或いは楽観的にゲームを進めていって、思わぬアクシデントに狼狽したり絶叫したり必死に打開策を考えたりといったところが実況ならではの面白さを生むわけですが、ゆっくり実況って、喋ってる内容全部後付けですもんね。演出特化型の編集なわけです。ご本人は「攻略するだけよりも10倍大変だった。もうゆっくりはいれない」(しかしこの発言の直後に、後日ゆっくり解説を入れた動画をつくる予定であると言っていたが・・・)と編集の大変さに言及していましたが、これが字幕プレイだったらもうひとつ盛り上がりに欠けていたと俺は思います。実際、ロマサガ2は、まあまだ全然進んでないせいもありますが、ロマサガ3の先を待っていた頃ほどは今のところこの先の楽しさに期待してません。これまでの縛りプレイの中でも随一のレベルで大変だそうですが、ならばゆっくりで騒がしくバカバカしく実況して欲しいものだったんですがねえ。編集に凝って完結に4年を費やした「最少勝利回数」シリーズの、総パート数に見合わない完結までの長さを考えれば字幕編集の方が次を長く待たされる可能性が低くなりそうでいいと言えばいいのですが・・・まあ、これについて自分なりの答えを出せないのは、別の動画シリーズのせいもあるのか、今のところは更新が極めて鈍足であることも関係しているのかもしれません。
 「最少勝利回数でクリア」シリーズのPart 1には、「伝説の始まり」というタグがついています。まあ、ニコ動に限らずネット界隈での大言壮語的な言い回しや表現は今に始まったことではありません。伝説と言っていいのかどうか俺にはよくわかりませんが、このシリーズは間違いなく面白い。そしてそんな珠玉の動画シリーズがきれいに、極めて面白くまとまったのが最高に嬉しい。そしてシリーズが完結して、「楽して」シリーズと同じく、各動画の終わりに次のパートへジャンプする(最終パートではPart 1へループ)仕様に変更されたこと。これが今後の視聴を更に楽(!)させてくれることになったことがまた素晴らしい。
 それにしても真に畏怖すべきは、彼を含め様々な人々が現在も(解析が容易になった現在だからこそ、か?)多様な楽しみ方を見出だせるロマサガ3というバケモノRPGなのかも、という気がしてきました。もはやこのつくりこみの完成度の高さたるや、おそろしさを感じるレベル。
 たとえば言語関係に例えると、ある言語を用いて何ができるということに該当するだろうか・・・と相変わらず遅々としている言語学習の進捗具合に意識を飛ばしてしまいましたが、何はともあれ目出度い完結に心から拍手!
 ・・・トルクのArc the Lad IIノーダメクリアの更新はいつになるんだァ!今回の緻密な行動によるラスボス撃破を見ていましたらあの動画シリーズを思い出さずにはいられませんでしたよ。
 俺は待ってるぞ!

過去の記事(アーカイブの頻度: 週毎)