2013年5月12日日曜日

ニコニコ動画観ながら&聴きながら言語の勉強

 前回の、ニューエクスプレス ラトヴィア語を話題にした記事へのアクセス数が当ブログでもかなり多い方になってきています。
 結構注目度の高い刊行だったのかな。前回も書いたけど、日本語で書かれた入門書としては本邦初の筈だからね。
 ただ、この本を検索して、注目される可能性の高い位置に出てくるサイトのひとつがこのブログってのがなんともね・・・恥ずかしいやら申し訳ないやら。なーんも実のあること書いとらんしね。
 出ますよ!ってだけでなく、ラトビア語はこうこうこういう言語で~って続けられればアクセスした甲斐があったかもしれないのに。まぁそこは俺がラトビア語についての知識が、どっかのサイトを2、3巡るだけで身につけた程度のものしかないからね、ここにアクセスした人たちとそう変わらんほどにしか俺はこの言語のことを知らんのではないでしょうか。ラトビア語に興味を持つ人の大半はリトアニア語も知ってそうだし、俺よりも遥かにバルト系言語について造詣の深い人も相当数いらっしゃったかもしれません。
 今は言語の学習書片手にどの言語についても基礎もド基礎なことしか学んでない俺ですが、ゆくゆくはね、学者みたいなことやってみたいなって思ってるんですよ。何やって食べられるようになるか知らんけど。
 趣味は生業にするなとは言いますが、それでもやっぱり己の得意分野でカネが稼げるってとっても素敵なことだと俺は思うんです。
 そうやって稼ぎを得たことがない人間故の浅はかな考えに過ぎないのかもしれませんけどね。
 さて最近の俺ですが、専らニコニコ動画観ながら&聴きながら言語の勉強してます。
 「言語の勉強」よりも先に出したいのがニコ動なんですよね。
 ホント、面白いもんつくる人がこんないるもんかと、感嘆せずにはいられませんね。
 このブログでは、YouTubeで活動するSENEKALT(の、主に、見事完結したBreath of Fire IIIゆっくり実況)について取り上げたときにちらっとニコ動で楽しみに観ている動画を挙げたときだけじゃないっすかね、今までにニコニコ動画の名前出したの。
 俺がニコ動を知った当時は、まだアカウントを取得しようと思っても捌ききれない長蛇の列の最後尾に並ぶが如く易々とは適わないときでした。
 観てみたいなとは思ってもアクセスできないんじゃどうしようもないし、そもそもどういうサイトなのかよく知らなかったこともあって興味はあれどさほどその程度が強くなかったが為にいつの間にかアカウントの取得については考えないようになっていましたが、それからやや経って誰でも即座にアカウントが得られるようになってから俺も無事ニコ動で遊べるようになりました。
 それまではネットでの遊び場といえば主に2chでしたが、今はもう滅多に書き込みしてませんね~。閲覧は続けてますが。専ブラのJane Doe Style使ってます。これ開発した人はホントに偉大。初めて使った専ブラはギコナビだったなあ、うわ~懐かしい。未だにちゃんとこの名前覚えてる俺にオドロキだ。ギコがアニメーションで動くのが好きだった。なんでJane Doe Styleに乗り換えたのかは忘れたな。かちゅ~しゃとか、他にもいくつかちょっと触ってみたっけ。まだ残ってるのかしらと検索してみたら、もう開発は更新されてないのね。開発者がソースを紛失したとか、ホンマですかぁ~?って、俺は思わずにはいられないんですが。
 俺、本名の名の方が漢字1文字・平仮名3文字なんですが、ニコ動に本格的にハマる切欠を与えてくれたユーザーが4名いて、その人たちもユーザー名が仮名で3文字なんですよ。なんか縁みたいなもんを感じましたね。
 ちなみにミノルくさやアンリすぎるです。この内アンリだけ本名らしい(アマガミやDQ3実況での発言による)ですが、表に見える名前が3文字だってだけで縁を感じるには十分です。ただ最近、この4人誰もが新しい動画を投稿してないのが残念ですね。
 この人たちを知ったお陰で、ユーザーに注目するということを覚えました。SENEKALTを知ったのはニコ動で遊ぶことを覚えた後、ゆっくり実況というものが存在することを知った後なので、ニコ動がなかったらSENEKALTというユーザー自体に注目することはなかったかもしれません。
 ニコ動では、最近はなんといってもわかめすーぷが好きです。ダントツ。面白すぎる。天才でしょこの人。既存のものを組み合わせてるだけなのに傑作揃い。この人の動画観ちゃったら、もう他の兄貴と会話させる系のやつは楽しめません。投コメで字幕をつけてるのも完成度の高さに一役買ってます。
 他、最近ヘビーローテーションで閲覧してるのはknbnitkr。現行更新されてるシリーズがロマサガ3とFF5のものだからね、勿論動画のつくりのうまさ故に半端でない面白味があるわけですが、やったことのあるゲームってのはやっぱ他のものより強く注目してしまいます。質の高いTAS動画が代表作のようになっていますが、蓄積された経験を基軸に最早人力で乱数に介入するほどの存在となってしまったこの人のロマサガ3の、特にサンディーヌ戦とこれに関連する行動は、編集の巧さも相俟って、これ以上ないほどの強烈な見応えがあります(戦闘内容としては次元断で瞬殺してるだけですが・・・)。FF5は次のソル カノン戦が非常に楽しみですね。即死攻撃はしてこない相手ですが、刻々と失われる体力ではもたないほどパーティ側の火力がショボイわけで、一体TAKEをいくつ重ねることになるのか・・・。思いもよらない頭脳&面白プレイを否が応にも期待しちゃいますね!
 以前話題にした「まったく成長しないFF6」を投稿していたmntnの新シリーズ(といってももうそれなりのパート数を重ねているが)、FF8ノーダメ縛りプレイ動画も楽しみに観てます。FF6のものはコミュ限動画になっちゃって、突然観られなくなったときには愕然として、しかし動画自体が削除されたわけではないことを知ったときには安心しましたが、コメントがすべて消えてしまったのが寂しいですね、やっぱ。あれあってこそのニコ動だと思いますし。ちなみにこの動画を見るためにコミュニティに登録したことに端を発してコミュニティを利用することを覚えました。俺、今まですごい浅くしかニコ動を利用してなかったんですね。
 あと、最近、と言ってもつい2日前ほどなんですが、トルクってユーザーのArc the Lad IIノーダメ縛りプレイ動画を見つけまして、これがすごい面白い!特にArc the Lad IIをゴリ押しでクリアしちゃった人には是非観て欲しい。俺が正にそうでしたんで、戦略性の高さに感動しました。最序盤のアルフレッドとの第2戦目からして既に目からウロコの内容です。ふつう、仲間とかスキルが充実してくる頃から本当に面白くなってくると先に考えちゃうじゃないですか?この人の縛りプレイは、ただキャラを移動させることからして行動のひとつひとつにまったくムダがなく、遥か先々のことまで考えて先述の戦闘から細かく経験値稼ぎをしてるんですよ。「ここでレベルを上げておきます」とか「ここで○○が△△になります」、「○○を△△にします」とかさらりと字幕で出てくる瞬間にいつもワクワクさせられます。一体どんだけ緻密なテストプレイを繰り返した末の動画作成なんだろうとただただ驚くばかりです。また重要なこととして、説明が非常に丁寧なことが挙げられ、これのお陰でプレイが何倍も興味深いものになっていると言わざるを得ません。そして縛りプレイ界隈ではお馴染みの、理不尽なほどのリセット&ロードの嵐・・・これまた序盤に登場するヤゴス島のヴィルマー博士の家での戦闘に於ける失敗ラヴィッシュの連続には言葉が見つかりませんでしたよ・・・。勿論爆笑モノでもありましたけどね!
 さてまあニコ動についての話題はここまでにしといて、次に最近の私の言語学習について。
 カネがないってのに本は増える。増えた。
 色々あるんですが、特筆すべきものとして、現代ビルマ(ミャンマー)語文法(岡野賢二 著)、ニューエクスプレス カンボジア語(上田広美 著)、ニューエクスプレス・スペシャル ヨーロッパのおもしろ言語(町田健 監修、著者10名)、あと、大分前に買ったのですが話題にしてなかったものとして、タイ語の基本 初級から中級まで(吉田英人 著)があり、以下、これらから得た知識を軸に話をしてみたいと思います。
 ビルマ語(ビルマ、ミャンマーの名のどちらを使うかについてですが、軍事政権を認めるか否か云々よりも、個人的には言い易い方を使いたいので、ビルマと言っています。ちなみに俺はアウンサンスーチーは嫌いです。自宅軟禁なんて軍事政権の名折れ、ヌル過ぎ、さっさと殺せ。活動に制限はあってもその間にも後継者は数多く育ってしまうんだよ)のものは、以前バイトしていた本屋に長らく置いてあって、買われたのか返品されたのかはわかりませんがある日忽然と姿を消してしまい「買っときゃよかった!」と後悔して以来ずっと欲しかったものです。CDは付いてません。つくりは非常に丁寧で、国際語学社らしいブアイソさが堪らんね。独習用の本としては向いてないと思います。俺は内容を丸暗記してやろうというくらいのつもりで挑んでます。基本的に字母に曲線が多いので非常に書き辛いですが、なんとかガムバってます。
 で、ビルマ語がどうとかよりも、本に記載されているビルマ文字の書き順に影響され、俺の文字の書き方がこれまでの人生に於けるそれとはガラリと変わったことの方が実は重要です。簡素であるが故にさして書き順などにはさほど関心のなかったラテン文字の扱い方もまったく変わってしまいましたから。いつか実例を用いて話題にしてみたいですね。
 次にカンボジア語(これまたカンボジア、クメールのどちらを使うかについてですが、私は日本名の「カンボジア」を彼の国の名として是としてきましたんで、これからも「カンボジア」で通したいと思います。ただ、カンボジア語の文字は「クメール文字」とふつうは言うようです。余談ですがカンボジア語で言う「カンボジア」よりも「クメール」の方がカンボジアでは同国関連のものを指す語としては一般的)ですが、一旦は2課まで進んだものの、ページを遡り、今は改めて文字を覚えることに腐心しております。書けると非常に楽しい。特にkɔntrai(鋏)という語の字面が気に入っています。ブラーフミー系のクメール文字は、上下左右構わず文字やら記号やらがくっ付く仕様になっており、それ自体はもうお馴染みなんで取っ付き難さなんて微塵も感じませんが、くっ付き方が滅茶苦茶独特で、その難儀さは、個人的所見として、これまでに学んだ同系の文字、デーヴァナーガリー(サンスクリット、ヒンディー語、ネパール語)、タミル文字(タミル語)、チベット文字(チベット語)、タイ文字(タイ語)、ビルマ文字(ビルマ語)を書く際のそれを遥かに凌駕してます。たとえば前述のkɔntraiをクメール文字で書くとimageであり、どう読むのかを説明すれば、左から見て先頭のキリル文字のПにティルデが乗っかったような一文字でkɔ、次の記号がai、その次の平仮名の「し」みたいなのがr、最後尾のラテン文字の「S」みたいなものがn、その下にきている文字がtなのです。これを踏まえてラテン文字で表現してみると

kɔ ai r n
            t

 と書かれているが如くであります。
 Cai(C = consonne / 子音字)と書こうとすると「ai」にあたる記号がCよりも先にくる形となるのはタイ文字やタミル文字なんかでも同じですが、ある子音の後に置かれているそれとは別の子音が前者よりも先に綴られる例は見たことがありません。慣れるとなんでもないどころか表記システムの複雑さを支配することによる快感が凄まじくなってくるのですが、この字形状の特殊性の為、1ページ内にカンボジア語だけを綴っている場合は勿論、他の語との共存についても、空白の残存に目をつぶる必要があります。デジタル上での処理も難しいみたいですね。ブラーフミー系文字全般に言えることですが。しかしタイ文字なんかは今やネットでまともにその表示が処理できていない様を見ることはまずありません。やはり国際的に大なり小なり影響力があったり、名が知られている国の言語、もしくはそういった国の言語の特徴に近かったり、その言語と同系統に属していたりする言語は、あらゆる点からその研究の進捗が著しいという絶大な利点を有していると言えます。あとは言語学者が注目してくれるかどうかにかかっているんじゃないでしょうか。たとえばリトアニア語が理論上の印欧祖語に現在にあっても近似した特徴を有しているとして注目を浴び出したのはそう昔のことではないらしいですし。で、リトアニア語に目が向けられれば、共通の語派に属するラトビア語の研究も進む、と・・・。ラオスは言葉を選んでみたところで国際的重要度の高さがある国家とは言い難いですが、タイ語と同系統の言語なので、タイ語研究で積もった成果が、ラオス語が世界に知られるようになった要因のひとつになったんじゃないでしょうか。いや・・・まぁまったく憶測ですけどね。
 ビルマ語には声調があり、カンボジア語にはありません。
 で、声調のある言語がそれを視覚的に明示する機能のある正書法を採用している場合、綴りを正しく覚えるにあたってはその再現に常に多少の不安が付き纏うものです。特に、俺みたいな音声面での学習を疎かにしている人間はね・・・。
 タイ語もそんな言語のひとつです。
 声調は平声(e)、低声(è)、下声(ê)、高声(é)、上声(ě)の5つを数え、字母の上に何も書かないか、或いはマイエーク(x่)、マイトー(x้)、マイトリー(x๊)、マイチャタワー(x๋)の各記号を乗せるという5つの手段によって綴り上、表現されます。そして、これらの記号が常に特定の声調を示しているわけではないところに、タイ文字で書かれたタイ語の正しい音読の難しさがあります(実際には声調の判断に留まらない悩ましい難読性があって、黙字が少なくないとか、インド系の言葉には不規則な読みが要求されたりとか・・・これらについてはいつか機会があればね)。
 字母は低子音、中子音、高子音の3種類のいずれかに分類され、どれがある語の先頭に来ているか、そしてそれが含まれる音節は平音節であるか促音節であるかでその音節、ときにはその語全体の声調が決まります。
 たとえばง่าย(ンガーイ; 簡単な)とกี่(キー; いくつかの)は共にマイエークを持つ平音節の語ですが、声調は前者が下声(ŋâai)、後者が低声(kìi)であるという違いがあります。それぞれの語の先頭が低子音、中子音であることがその原因です。
 俺の勉強法としては、先ずはラテン文字で記された音を覚え、次にタイ文字による綴りを覚えています。どう記されていようが言葉は言葉なので、現時点で簡単に覚えられる方を優先しています。これはカンボジア語なんかでも同様です。
 この「中子音」などの性質に似た特徴で、クメール文字にはA子音字とO子音字という分類があり、字母がどちらに属しているかでそれに付記される母音記号の読みが変わります。これが非常に厄介です。字母の分類の数自体は即ち2つなのでタイ語のそれよりも少ないのですが、カンボジア語の母音記号はこれが付記される字母の分類にその読みが影響される点がタイ語とは決定的に異なり、また基本的な母音の種類、母音記号の数がタイ語のものよりもかなり多いこともあって、大変覚え辛い為です。そして更に、属しているのがA、O、どちらであるかに関係なく、母音記号の読みを決定できない字母があります。もうなんなのって感じですが、先のkɔntraiを例に取って見てみると、末尾の「-ai」という母音は、直前の「-r-」ではなく、「-t-」によって決定されている音です。「-r-」を示しているこのクメール文字には母音記号の音価を具体化させる機能がなく、もうひとつ遡って「-t-」の性質に頼る、そこまでして原語表記で2番目に置いてある記号は「-ai」の音を持つと認識されるのです。もしこの「-r-」が母音記号の音価決定に効果があったならば、これがO子音字であることから、末尾の母音は「-ai」ではなく「-èi」(èはニューエクスプレスでの表現で、狭いeを弛緩させた音)となっていました。「-r-」に先行している「-t-」はA子音字で、且つ付随する母音記号をなんと読めばいいか教えてくれる存在なので、この語の2音節目が含む母音は「-ai」であるというわけなんです。ただ、母音記号の音価を具体化させるというこの機能を欠いているのは、すべての鼻音字(ŋ、ɲ、2つのn、m)、並びにすべての流音字(rと2つのl)だけなので、覚える手間がさほどないことが救いです。
 一方、タイ語の母音の示し方はと言うと、基本的な9つの母音、これの長母音、二重母音とその長母音、更にこれらに末子音が続く場合といった具合に50ほどありますが、殆どの記号が使い回しされることによって成り立っているので、記号の数自体は多くなく、そして低子音、中子音、高子音という字母の分類は母音記号が持つ音価になんら影響を及ぼさないので、「子音+母音」という組み合わせはクメール文字よりも遥かに早く読めるようになります。少なくとも俺はそうでした。ただ、字母の数はタイ語の方が圧倒的に多く、複数の字母が共通のひとつの音価を持つ例もよく見られるところには慎重に注意を払いつつ字母毎の読みを覚えなければなりませんね。異なる字母が同一の音価を持っていることはクメール文字にもある要素ですが、T段が2つ(なので先に書いた通り、nを示す文字が2つある)とlが2つあるだけなのでしれたもんです。まぁ難読性についてはどっちもどっちって印象を持つ人、実際持っている人もいるかもしれませんが、それでも私はクメール文字の方がずっと面倒臭いと思います。そもそも字母同士の組み合わせからして・・・。
 ニューエクスプレスシリーズの構成上、カンボジア語の母音記号は一覧表として少しの説明とともにただ載せられているだけであり、効率の良い覚え方を積極的に考案することが欠かせません。漫然と眺めていて覚えられる言語的な規則では絶対にないでしょう。ただ、字形的にはタイ語の母音記号とその読みが参考になるものが結構あるので、タイ語の綴りに先に堪能になるとクメール文字に割と早く馴染めるかもしれません。タイ文字とクメール文字は異なる文字なので似てはいても「まったく同じ」ということはないでしょうが、相互に似ているものはまったく同じものとして覚える方が近道になるでしょう。どちらがどちらを参考に整備されたんでしょうかね?もしくは別の由来か。
 さて最後に「ニューエクスプレス・スペシャル ヨーロッパのおもしろ言語」について。
 扱われている言語は、アブハズ語フリジア語(北フリジア語 東モーリング方言)、ルクセンブルク語フェロー語(同書での呼称は「フェーロー語」)、オック語(同書での呼称は「プロヴァンス語」。俺はかつて同言語をオック語として学んだが、「プロヴァンス語」の方が馴染みやすいでしょうということで本ではそう呼ばれている)、ソルブ語(上ソルブ語)、エストニア語バスク語、付録としてロマニ語(ヴラフ系ロマニ語; リンク先のWikipediaは何系のロマニ語で書かれているのか当然わかりません)です。1言語3課ずつページを割かれていますが(課毎に付随する文法解説は基本的にエクスプレスシリーズだと2ページずつだが、この本は4ページ以上費やされている場合も有り)、最後のロマニ語だけは文法規則や諺の羅列になっています。とはいえ、この諺がかなり面白い。日本語でもそうだが、諺には教科書的な規範表現しか知らない者には意味を推し量れないことが往々にしてあるので、諺の掲載は是非色んな言語の多くの語学書でやって欲しいと思ってるんですがねぇ。また、ロマ二語の紹介は付録とはいえ、ちゃんと付属CDへの音声の吹き込みもあり、話者が世界各地に散在している上に所謂標準語がないという特徴がある為その解説は実に濃く、読み応えたっぷりです。むしろ他の言語よりも内容は小難しいかも。
 今重点的に読んでいるのは、上述の言語名の内わざと最初に持ってきた4つ、アブハズ語、フリジア語、ルクセンブルク語、フェロー語です。同書内ではアブハズ語、エストニア語、ソルブ語・・・と続いています。
 アブハズ語(аҧсшәа アプスシュア)は北西コーカサス諸語に分類され、グルジア語を擁するカルトヴェリ諸語(=南コーカサス諸語)と同じコーカサス系の言語です。グルジア語に似て(系統的な相互関係は現在不明とされています)動詞の形態が複雑であることが特徴のひとつとして挙げられます。
 しかしそういう文法的に高度な要素よりも、個人的に「なんじゃこりゃー」と思わされたのは、見たことのないキリル文字の数々でした。
 弁別的に区別される子音が58個あり、これを表現すべく基本的なキリル文字にちょこちょこ改造が施されたものが字母として加わっています(参考にして、どうぞ: http://en.wikipedia.org/wiki/Abkhaz_alphabet)。母音字はロシア語を知っていれば新たに覚える必要のない文字だけですが、ыは/ə/を表しています(ロシア語では中舌のi)。この発音とは関係なくəがあり、これはおそらく大抵の言語で母音として扱われていると思いますが、アブハズ語に於いては子音字の一部として登場し、単独では使われません。上のаҧсшәаのшәがそれに該当し、基本的にこれの付いた子音を唇音化します。ҧはпの帯気音です。
 アブハズ語が打てるキーボードレイアウトがこのPCにはないので、アブハズ語は打てません。ӡ /dz/、ҩ /ɥ/を除けばすべて既存のキリル文字にちょっくらちっちゃな線をどっかに付け足しただけのものばかりなのですが、その大抵の文字が他のキリル文字を正書法に採用している言語では使われていないので代替となるキーボードもありません。お手上げです。コピペして綴るなんてメンドいことマジゴメンなんで、文字と発音の項目で挙げられていた全単語(!)と1課の本文丸ごと暗記してありますが、ここじゃ書きません。
 ところでみなさん、Wikipediaのフランス語版の名称って何か知ってますか?
 Wikipédiaと言います。
 eの上に記号(アクサン テギュ / accent aiguと言う)が振ってありますね。音自体はふつうに「ウィキペディア」の如くですが。
 こんな感じで、Wikipedia自体の名称、綴りも言語によりけりです。まぁ勿論みなさんご存知ですよねこんなこと。だって日本語版の名称は「ウィキペディア」ですもんね。

ヒンディー語版 - विकिपीडिया(vikipīdhiyā)|ヴィキピーディヤー
※dhはdの帯気音です。以下同様に、子音にhが付随している場合はその子音が帯気音であることを表しています。
タミル語版 - விக்கிப்பீடியா(vikkippīḍiyā)|ヴィッキッピーディヤー
※ḍは/d/の反舌音。また、க /k/、ப /p/、ட /ṭ/はまったく同じ見た目のままで有声音も示すので、上で表した音は推測。
タイ語版 - วิกิพีเดีย(wikiphīdīa)|ウィキピーディーア
ペルシャ語版 - ویکی‌پدیا(vīkīpedīyā)|ヴィーキーペディーヤー
アラビア語版 - ويكيبيديا(wīkībīdiyā)|ウィーキービーディヤー
イディッシュ版 - וויקיפּעדיע(vikipedie)|ヴィキペディエ
ギリシャ語版 - Βικιπαίδεια(Vikipaídeia)|ヴィキペズィヤ
※このdは/ð/を示す。
チェコ語版 - Wikipedie|ヴィキペディエ
トルコ語版 - Vikipedi|ヴィキペディ
ハンガリー語版 - Wikipédia|ヴィキペーディア
アイルランド語版 - Vicipéid|ヴィキペーヂ
※このdは/dʲ/を示す。
サモギティア語版 - Vikipedėjė|ヴィキペデーイェー
エストニア語版 - Vikipeedia|ヴィキペーディア
グルジア語版 - ვიკიპედია(vikipedia)|ヴィキペディヤ(一見読めないからってだけ)
アルメニア語版 - Վիքիպեդիա(Vikhipedia)|ヴィキペディア(同上)
カンボジア語版 - image(vikīphīdīə)|ヴィキーピーディーア
チベット語版 - ཝེ་ཁེ་རིག་མཛོད།(lbe khe rig mdzod)|ペケリーンヅェー
※書いてある通り読むとこうなるけど・・・いくらなんでもヘンテコ過ぎる。読み方まったく間違ってるか、そもそもこの文字列は「Wikipedia」ではない?

 と、こんな具合になるのですが、これがアブハズ語版だったらどうなるかと言うと、

アブハズ語版 - Авикипедиа(Avikipedia)|アヴィキペディア

 なんですね。即ち、W、Vにあたるものが語頭に来ておらず、Аから始まっている。なんで?というと、これが他言語で言うところの定冠詞にあたるからなんですね。文字が読める限り色んな言語版のウィキペディアの名称にあたってみましたが、U, V, W以外の文字や音を語頭に持つのはこのアブハズ語版のものだけでした(上のチベット語版の名称は不確かだからノーカンってことで・・・)。とは言え、元々はВикипедиаなので、文法的な特徴からくる異形ってだけなんですが。
 前にも書きましたが、他の言語のちょっとした文法要素を知ってるだけで、大なり小なりの「へぇ~」が味わえる。
 これがホントに、俺は面白いんです。
 さて次にフリジア語(frasch フラシュ)。前書いた通り、これはもう語学書が発注済みで、俺に買われるときを何ヶ月も前からまだかー!と待ってる言語ですね。まさか別の本で先に学ぶとは俺も思ってなかったよ・・・。
 上述の言語名列挙に於いては細かくなんとか方言とまで書いてありますが、自身が扱った言語についてここまで子細を述べてくれた執筆者・清水誠氏にはまったく感服致しました。俺が個人的に、「俺が今勉強している言語は本当に標準語なのか?この語学書の著者が学んだものは実際にはどこかの地方寄りのものではないのか?」と常々気にしてしまう質なので、こういう情報は本当にありがたいです。
 フリジア語は、執筆者曰く、その実態上「フリジア語群」と呼ぶべき言語で、非常に狭い地域の中に夥しい数の、便宜的に単一のものとして呼ばれる「フリジア語」の方言が話されているそうです。実際にどれほど各言語毎に言葉が異なるのかの例が挙げられていますが、確かにこれじゃあ何言ってるか互いにわからんわなと納得させられるものでした。
 ドイツ語の知識があればカンタンに文法要素が理解出来ます。まぁ、少なくともこの本で取り上げられているものについては、ですが。
 北フリジア語・東モーリング方言では、デンマーク語の影響からåが使われます(nåcht / ノフト = 夜、mååge / モーゲ = 行う)。但しデンマーク語にあるæ、øはなく、ä(fääge < feek pl. / フェーゲ = ロッカー)、ö(ik köm / イク ケム = 私は来た)、加えてü(üülj / ユーリ = 年をとった)が用いられます。これらが示す音はドイツ語のそれと同じです。
 他に綴りや読みに於いてドイツ語と異なる点は、

I. 一般名詞は文頭にある場合を除いてその語頭が大文字にならない: mak / マク = キス、brädj / ブレヂ = 花嫁 

II. 長母音の表現として同一母音の並置が多用される: tääle / テーレ = 物語る、nooch / ノーホ = 十分な
※一見長母音の様に見えて実は短い場合がある: shiis / シス = スプーン(「シース」と読むと「鞘」)、teele / テレ = 呼ぶ(「テーレ」と読むと「床」)

III. sは直後が母音であっても/z/と発音されない: seecht / セーヒト = 病気、sü / スュ = そんな
※但し、VsV(V = voyelle / 母音)という綴りに於けるsは/z/となる: rouse < rous pl. / ラウゼ = 薔薇、hüsinge < hüs pl. / ヒュズインゲ = 家

IV. sp-或いはst-という語頭の二重子音に於いてsが/ʃ/にならない: stich / スティヒ = 小道

 この言語も・・・というか、先に挙げた4言語いずれに於いても、文字と発音のページで使用例として挙げられている単語をすべて暗記しました。特にアブハズ語は字母が多かったのでかなり時間を費やしました(と言っても数時間程度)が、最も平易に済んだのがこのフリジア語です。
 今は2課まで読み終えてますが(=課毎の本文暗記済み)、スゲエヘンテコな要素などは特になく、わりかし淡々と進んでます。
 で、きましたね、ルクセンブルク語(Lëtzebuergesch レツェブアイェシュ)。
 いやー、magnum opus・ルクセンブルク語入門が刊行される前に、ちょっとだけながらもルクセンブルク語を知ることのできる本があったんですねぇー。
 勿論さわりはオッケー程度の内容ですが、フリジア語と同じくドイツ語に関する知識、あとフランス語も知ってれば更に良し、ってな具合で大方理解が適っちゃうみたいなんで、この2つをあらかじめ知っていれば各言語間での共通点を見出しつつ読めるという楽しみが得られます。当然、ドイツ語もフランス語もまったく知らんって人でも、解説が易しいので問題ないでしょう。
 さてこちらはフリジア語とは違い、というか元々ドイツ語の方言に過ぎないので当たり前なんですが、綴りや読みの規則にドイツ語的な要素を大いに孕んでいます。既出のフリジア語と比較して見てみましょう。

I. 一般名詞の語頭は文中の位置に関係なく常に大文字: Zäit / ツェイト = 時間、Wieder / ヴィーエダー = 天気
※この項とは関係ないが、2つ目の語の通り、ルクセンブルク語の「ie」は、これがiの長音であるドイツ語と違い、/iːə/を示す。
但し「ie」の直後がrであれば、ドイツ語と同じく/iː/を示す場合がある: schwiereg / シュヴィーレヒ = 難しい

II. sは母音を従えれば/z/: Eisen / アイゼン = 鉄、sou / ゾウ = とても
※-ss-は/s/: iessen / イエセン = 食べる、Professesch / プロフェセシュ = 女性教師

III. sp-及びst-という綴りに於いてsは/ʃ/: spillen / シュピレン = 遊ぶ、Stär / シュテーア = 星

 しかしドイツ語とは大きく異なる規則もまた、あります。
 フリジア語のようにii(Kiischt / キーシュト = 桜)とかoo(Strooss / シュトロース = 通り)といった長母音の表現が頻出しオランダ語チックですし、そして特に個人的に好き・・・っつーと変か?何故だかお気に入りの要素が、特定の環境下でgの音素が/j/になるという規則です。たとえばSpigel(鑑)は「シュピェル」、Bierger(市民)は「ビーアヤー」です。/k/とか/g/の音素は他の音に影響され易いという特徴を持つ言語は数多いですが、ルクセンブルク語もそういった言語のひとつと言えるでしょう。簡単に言うと、語頭にある場合を除いて(Gaascht / ガーシュト = 客)、gは/g/の音を示しません。母音間にあれば/ɣ/(Jugend / ユゲント = 青春、但しTiger / ティーガー = 虎 などの例外有り)ですし、語末にあっては/x/(Dag / ダーハ = 日)とか/ç/になります(richteg / リヒテヒ = 正しい)。richtegの場合、chもgも同じ音を持つってわけですね。
 ところでルクセンブルク語に於ける特定環境下のchとgについて言及しておきたいのですが、本来は/ç/となるべきである場合に実際は/ʃ/と発音されがちなんだそうです。専門家もそれを認めているとのことなんで、今後ルクセンブルク語から硬口蓋摩擦音が廃れるかもしれませんね・・・。ノルウェー語(ブークモール)に於いても同じ現象が見られ、/ç/の発音ができない人が増えてるそうです(kirke / ヒルケ > シルケ = 教会)。そんな難しいかね。確かに/ʃ/の方が簡単ではあるが。俺はちゃんと発音できるのでchやgを/ʃ/とは見做しません。ちなみに後述するフェロー語では、kiと書くとこのkは/ʧ/を示します(kirkja / チルチャ = 教会)。もっと発音がおざなりになった例ですね。いや別に悪いと言っとるわけではないですが。声にしない音を増やしに増やしまくったデンマーク語とかに比べればなんぼかマシ。これについても悪く言ってるつもりはない。おかげで・・・っつーのも変だけど、デンマーク語ならではの超絶ヘンテコ発音規則成立の原因になりましたからね。これのせいで読むのは大変だけど面白すぎて興味が尽かないようになってしまったわけで、ホント言語さんは悪魔の如きエンターテイナーやでぇ。
 さて文法的規則についてですが、特筆すべきは「アイフェル規則」でしょう。大学書林の本でもネットで見られる目次にアイフェル規則ってありましたね。初見じゃナニソレでしたが、確かにこれは興味深い要素であり、ページをある程度割いて解説して欲しいな。
 で、これなんなのってことなんですが、要は「ある語の末尾のnと直後の語の頭にある音との相性が悪い場合、そのnは消える」という音声上の現象のことです。と同時に、そのnは黙字になるわけではなく本当に文字通り綴りとしても消えちゃうので、話す際にも書く際にも要注意であると。「アイフェル」ってのはドイツにあるアイフェル地方のことで、ここで話されるドイツ語の方言でも同じ現象が見られるので、ルクセンブルク語のそれもそういう名で呼ばれているというわけなんですね。
 アイフェル規則に則った文例(本より抜粋):

エヒ シュトゥデイレ レツェブアイェシュ リテラトゥーア
Ech studéire Lëtzebuergesch Literatur.
私はルクセンブルク文学を学んでいる。

 面白いことに、ドイツ語では直説法1人称単数現在形をとった動詞は不定詞にある語末の-nを落とすところが、このstudéireは本来はstudéirenという語形なのです。-nは直後のLëtzebuergeschのLに影響されて引っ込んでます。これがアイフェル規則の適用例です。ちなみにドイツ語では通常見られないéという綴りは、狭いeを示します。eと書くと広いeです。同じくドイツ語的でないLëtzebuergeschに於けるëですが、これは/ə/です。アルバニア語とかと同じですね。そしてアルバニア語と同じく曖昧母音ではあるがアクセントを有することができます(kënnen / ケネン = できる)。おまけにアブハズ語に於ける/ə/であるыにもアクセントが付きます(адырра / アドゥルラ = 知っている、ашəапы / アシュアプゥ = 足; アブハズ語特有の字母を用いずに綴れる場合は綴った方がいいよね)。
 但しこのアイフェル規則、適用外となる場合があり、固有名詞や特定の接尾辞の末尾の-nは落ちません。再度本文から抜粋して2例を:

ア シュプエニエン ブレネン トベシャー
A Spuenien brennen d'Bëscher.
スペインで森が燃えている。
※まずはSpuenienの-nが消えていない点に注目すべきだが、語頭の「A」もまたアイフェル規則により「an(アン; ...で)」から-nが脱落したもので、対比の表現になっているところがミソ。
また、brennenという形を見るに3人称複数形みたいなので、主語である「森」は複数を指しているらしい。単数の場合はbrennt(ブレント)。

トゼンゲリン ケント
D'Sängerin kënnt.
女性歌手はやって来る。
※語頭の「D'」は女性定冠詞主格単数(ドイツ語ではdie(ディー))。となると上記のd'Bëscherの「d'」は定冠詞複数形なのだろうが、本では言及されていない。

 さてこれまで挙げてきた単語、ドイツ語っぽいのばっかですね。フランス語っぽいのはというと、残念ながらと言うか、あんまし例がありませんでした。2課まで読み終わっていて、3課目に更になんか出てくるのかもしれませんが。今のところは、

Vëlo(< vélo / ヴェロ) / ヴェロ = 自転車
※vはふつう、ドイツ語と同じく/f/の音価を持つ: virun / フィールン = ...の前で

just(< just / ジュスト) / ジュスト = 丁度
※フランス語由来の語に於けるjは/ʒ/で、ふつうは/j/: Jor / ヨーア = 年

Ministère(< ministère / ミニステール) / ミニステール = 省庁
※èの発音自体はeと同じで、即ち広いe。

Televisioun(< télévision / テレヴィズィヨン) / テレヴィズィオウン = テレビ
※Tëlee(テレー)とも言う。

Cours(< cours / クール) / クーア = 授業
※本来ならouは「オウ」: rout / ロウト = 赤い。
ちなみにフリジア語だとルビを見る限り「アウ」(foue / ファウエ = 3pl.は得る)の様だが、特に説明されていない。

Madame(< madame / マダム) / マダム = 婦人
※元の語と同じく、語末の-eが黙字になっている。

 など、ドイツ語彙に対してほんの少数。いやまあ元がドイツ語だから当然なんですが。
 あとはbonjour / ボンジュール = こんにちは、merci / メルスィ = ありがとう、äddi / エディ = さようなら(たぶんadieu(アデュー)由来; フランス語でadieuなんて滅多に言わないけど、ルクセンブルク語じゃ普通なのかな?)くらいでしたかね。しかし名詞の語頭が常に大文字ってだけで、いくら似ててもフランス語とはまったく違う!ってな印象を受けちゃうわ俺わ。
 そうそう、「どうもありがとう」をvillmools merci(フィルモールス メルスィ)というんですが、ゲルマン的表現とイタリック的表現が合体しているこういう言葉がホントもーたまんないっすね!こういうのは積極的にもっと知りたいぜ。
 最後にフェロー語(føroyskt フェーリスト)。身も蓋もない言い方をすれば、可読性の高くないアイスランド語の読みがまた少しヘンになったかのような正書法を特徴とする言語・・・ってとこ?しかし何故こんな綴りになっているのかにはちゃんと理由があるのです!それについて言及する前に、まず以下一例。

I. 母音編

●A - 「エア(ɛa)」、「ア(a)」: hvat / クヴェアト = 何、dansa / ダンサ = 踊る

●Á - 「オア(ɔa)」、「オ(ɔ)」: ár / オアル = 年、nátt / ノット = 夜

●Í - 「ウイ(ʊi)」、ggjの前で「ウ(ʊ)」: tí / トゥイー = それ、tíggju / トゥッジュ = 10

●Ó - 「オウ(ɔu)」、「エ(œ)」、gvの前で「エ(ɛ)」: vóru / ヴォウル = 3pl.は...であった、tómt / テムト = 空っぽの、Jógvan / イェクヴァン(人名)

●Ú - 「ウウ(ʉu)」、「ユ(y)」、gvの前で「イ(i)」: úr / ウウル = ...から、krúss / クリュッス = マグカップ、kúgv / キクヴ = 牛

●Ý - íと同じ: býur / ブイユル = 町、nýggjur / ヌッジュル = 新しい

●Æ - aと同じ: fær / フェアル = 彼は行う、ætli / アトリ = 私は欲する

II. 子音編

●Ð - 基本的に黙字だが直後にrが来ていると「ク」の音を持つ場合がある: tað / テア = それ、veðrið / ヴェクリ = 天気
※「tósaðu / トウサヴ = 3pl.は話した」という語に於いて/v/が生じているようだが、これに関する説明は本にはない。

●HJ - 「チュ(ʧ)」、「ユ(j)」(= 単一のj): hjá / チョア = ...のところに、hjálpa / ヨルパ = 助ける
※hjの他に、kj、tjも/ʧ/を示す: kirkja / チルチャ = 教会、tjaldur / チャルドゥル = ミヤコドリ

●R - 「ル(ɹ)」、tなどの前で「シュ(IPA記号不明)」、nの前で「ト(t)」: regn / レグン = 雨、bert / ベシュト = 単に、barn / バトン = 子
 ※余談ですがこの本はゲルマン系言語のすべてで「雨」という単語が出てきており、フリジア語・rin(リン)、ルクセンブルク語・Reen(レーン)でした。

 まあそれでもデンマーク語よりかは・・・ってしつこいかw
 で、こんなに初見さんお断りな綴りが採用されている理由はですね、デンマークに支配され続け、書記言語は勿論デンマーク語というフェロー諸島に於いてフェロー語は長らく文字にされることがなかったのですが、ようやく書記言語として整備される際に、口語発音の文字による再現よりも、語源を重視した結果がこれなんだそうです。
 この正書法成立の経緯にはね、わたくし実に感動しました。素晴らしい。可読性を取るか伝統を取るか。日本から漢字が廃れないことに通じます。かつては阿呆が漢字廃止上等だとかフランス語を公用語にせーとか騒いでたらしいですが、そんなことが法律になってしまった日にゃー、大和民族の終焉の時ですね。そして我らの成長、我らの歴史の根底で連綿と民族の原動力としていついかなるときも休む間もなく用いられ続けてきた栄えある日本語も。日本人が在るべき日本語を使わずしてなんとするか。そういう主張は日本語を極め、日本語のすべてを知った上でしなさい。だから古今東西日本人の誰一人としてそんな愚考を言葉にする資格はない。消滅を許してよい言語はない。たとえば朝鮮人は死に絶えてもよいし若しくはこの世の益に求められるままに殺し尽くしてもよいが、朝鮮語は是が非でも保存すべきです。そういうことです。幸い、物好きな日本人が朝鮮語の本いっぱい書いてるからね。日本人以外から朝鮮語が総スカン食らったとしても良い形で残せるんじゃないでしょうか。
 さてフェロー語の特徴ですが、古い時代より正書法に殆ど変化のないアイスランド語(口語としての発音には経過した年月に相応の変化がある)と、現在に至り極端に簡素化したスカンジナビアのゲルマン系諸言語の中間程度に位置するほどの曲用などに複雑さを持つ言語なんだそーです。アイスランド語やドイツ語などと同じく、曲用として主格、対格、与格、属格を有しますが、属格はあまり使われない傾向にあるそうで、またこれはルクセンブルク語での特徴でもあり、本では定冠詞の属格形の提示が省略されていました。こういう傾向にあるのはなんでなんですかね。使うと表現の仕方が煩雑に思えてくるんでしょうか?曲用に因る語形変化が目立ったものではないので、所有表現の明示に誤解が起き易いとかかな。
 実態はアイスランド語フェロー諸島方言なんじゃないのかというくらいアイスランド語によく似ている言語なので、少なくともこの本を読む限りでは言語学的にも特に目新しい要素もなく、ホントに可読性の低い言語だなという印象を持つだけで終わっちゃいそうです。まぁ紛れもなく自身にとっての新しい言語ではあるので、読んでて楽しいってことは確かですけどね。フェロー諸島はデンマーク領であり、デンマーク語の影響も歴史的に大きく受けてきているらしいので、そんな要素が見出だせるくらい色々と読んでみたり学んでみたりしないと、フェロー語の本当の面白さってのはわかんないのかもしれないね。
 そうそう最後に・・・フェロー語 = føroysktの読み方についてですが、本によると「フォーリスト」です。私は上で「フェーリスト」と書いていますが、「fø-」を「フォー」とするか「フェー」とするかは人それぞれだろうしどうでもいいものの、「oy」は「オイ」(hoyra / ホイラ = 聞く)としてしか説明がなく、「-roy-」で「リ」としていることに納得できません。-sktのkが脱落していることは、まったく同じ重子音表記に於いてkが黙字化する現象を持つアイスランド語を知っていれば説明不要ですが、同言語の知識取得が読解の前提として明記されているわけでもないのでこちらもまた説得力に欠けますね。ページが極めて少ないと、こういう不親切な面は仕方ないことなんでしょうか・・・。

 ・・・という今回のお話でした。
 「ニューエクスプレス・スペシャル ヨーロッパのおもしろ言語」はオススメです。
 この本を買う前に、前評判や中身についての詳細を知らず、その上書店での立ち読みも適わなかったとしても、この厚みと扱われている言語の数を見れば、買ってから「なんだよ内容ウスすぎ!」とか言っちゃうバカはまさかいないとは思いますが、この本は言語学的な見地から充実した内容を期待して手に取るもんでは端からございません。しかし欠点らしい欠点もなく、ソツのないつくりをしていると思います。
 しかし言っておきたいこともある。こういった様々な言語の案内を土台にして更に詳しく学んでみたいと思う人間を後押ししてくれる学習書や文献の記載が絶対的に少ないこと。そしてまえがきが長すぎです。各言語についての話が多かれ少なかれそれは各言語の専門執筆者に一切を委ねるべきであったんじゃないでしょうか(ちなみにまえがきを書いた監修の町田氏はオック語担当)。これをなくして各執筆者のための文献紹介用のページ或いはスペースを設けて欲しかった、これだけが本当に残念です。文献紹介があるのはアブハズ語とロマニ語のものだけ。アブハズ語の方は、執筆者の柳沢民雄氏はアブハジアに入国したことがなく、グルジアの首都・トビリシ在住のアブハズ人女性に話を聞くことでアブハズ語の調査を進めてきたそうで、この告白に少々ひっかかり手がけた内容への信憑性に多少の不安を感じないでもないが、2冊のみながらも入門書を、それらがどういったものか一言添えながらしっかりと紹介しているところに研究者としての真摯な姿勢と執筆者としての責任の自覚が窺え、結局のところ不安を帳消しにする安心感を覚えられる。一方ロマニ語の方は、なんとたっぷり10冊紹介!日本語で著されたものもある。他の連中ェ・・・。
 日本語で読めるものとしては、エストニア語フリジア語オック語(プロヴァンス語)、バスク語(絶版なんだろうか、大修館書店サイト内でヒットしない・・・)、そして勿論ルクセンブルク語には既に本格的な入門書が、加えてソルブ語には文法解説が含まれる超弩級の力作である辞書があるのでそちらを手に入れる方がいいかと思いますが、「言葉のしくみ」シリーズみたいに、ちょっと色々手っ取り早くかじってみようってな人には、「ヨーロッパのおもしろ言語」は丁度いいかもしれません。俺は衝動買いしただけです。この「ヨーロッパのおもしろ言語」は実は「ニューエクスプレス・スペシャル」第3弾でして、第1弾第2弾では日本近辺の地域で話されている、この本で扱われているもの以上にドドドマイナーな言語が紹介されてるんです。そっちはマジで早く入手したいですねぇ。ただ、第1弾の方は既に絶版になってるっぽい・・・?手に入るのかなぁ。ニヴフ語の学習は、俺の言語に関係する夢のひとつなんですヨ・・・。ゆくゆくは本格的に学んでみたい!
 最後に余談ですが、このブログの総プレビュー数が1万を超えちゃったんですよ。現時点では更に+1000。いやー自分でびっくりです。思えば一志死去について書いたときから段々とアクセスが増えてきた気がするけど、気のせいかな。検索エンジンってどういう仕組みになってんだろ。検索する言葉によってはこのブログがかなり上の方に引っ張られてきてることもあって、「そんなにこれについて話題にしてる人少ないのかあ?」と驚くこともしばしば。一志の死去からしてそうだったんですけどね。あの記事にアクセスした人の検索ワードには「一志 死去」が多かったんで、ブログタイトルをまったく捻りもなく(基本的に、記事内の言葉や表現をそのままコピペしたものをタイトルにするようにはしてる)「一志死去」にしたことが検索に引っかかりやすくなった原因なのかな?
 人を集めるつもりで書いた記事なんてひとつもないし、意図的に時流に乗ろうとも常日頃から考えもしてないけど、やっぱ世の中には色んな人がいて、そういう人個人個人が色んなことを知りたがってるから、こういう駄文長文雨霰なブログでも検索には引っかかっちゃうんですよね。
 ウケは狙おうと思っても狙えないけど、せめて迷い込んじゃった人がちょっぴりでも役に立つ情報が一記事につきひとつくらいは含まれていたら、いいなあと思うわけです。私がバカのままではないことの証明になりそうじゃないですか。
 ・・・って、この文章中から極僅かの有益な情報を拾い上げるって、全部読んだ上でのことになるだろうし、すげえ骨折れるよな、それってw

 それでは読了villmools merci! Farvæl!

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