2011年9月10日土曜日

新しさが感じられるうちに

 だんだんとDIR EN GREYDUM SPIRO SPEROに対する評価が固まってきました。
 「どう聴けばいいか」に気づくと、一点だけでなく全体に対する見方が生じて、作品を構成する諸要素それぞれへの細切れの感想が頭の中でまとまるようになってきました。
 近日中に語りが始まるかと。
 CDレビューサイトって実は憧れなんです。
 でも俺は見識が狭い上にただひたすら好きなものだけを聴ければいいので広めようとも思ってないし、「聴いたら書かねば」なんて考えるだに億劫なのでレビューをメインに据える気はないのですが、レビューで優秀な記事を一本書くことができれば相当かっこいいはずです。
 これまでいくつかレビュー記事がありましたけど、まぁ俺は前書いた通り超せっかちなので、一度聴いちゃうともう感想を書いてしまっていて、で、後から読んでみるとてんで的外れな記述があったり。自認してます。
 流行り廃りは追いかけない主義ですが(気にならないわけではなく、目移りしてる内に物欲に神経ヤラれそうだから)、自分の中の流行り廃りには敏感です。
 たとえば今なら、まだ感想を書いていないCDとしてはDUM SPIRO SPEROやIn WavesTrivium)なんかを主に聴いているわけですが、それは買ったばかりだからです。
 当たり前っちゃ当たり前なんですが、新作であるが故に「熱いうちにいただいている」わけではなく(実際DUM SPIRO SPEROなんか発売後1ヶ月近くしてから買いましたし)、俺の中で新しさが感じられるうちに堪能しきってしまおうと聴いているわけです。
 そして感想をさっさと書いてしまうのは、俺の中に初めて生じた、一応その時点では固まった形である感想が新しい内に外に吐き出さんと狙ってのことです。
 まぁいつか、他に持っているCDについてもずらずら書けるようになれるといいですけどねぇ。
 内容全然知らずに買ったCDでも、買って後悔したってのは俺、今のところひとつも持ってませんし、今でもどれでも聴き返せますし、楽しめる自信があります。
 基本的に、CD買う前にどんな曲が入ってるかよくわかってるのはアニソンだけですしね(笑)。
 最近の洋盤は発売前全曲試聴!なんてことを公式にさせてくれる機会が設けられてたりしますが、大抵発売された後にそういうのがあったと知ることになってます、俺の場合(笑)。

 余談ですが、検索ワードに「カメラ CAELUM」ってのがありました。
 運の悪い事に、ウチのサイト内のBelinda CarlisleHeaven Is a Place on Earthについての記事である、Caelum a Nostris Factum(kaélum ā nóstrīs fáktum; "Heaven Made by Us"; 歌詞にある、we'll make heaven a place on earthという一節から)がヒット。
 正確にはCaelum a Nostris Factum / In Waves特典DVDというタイトルで、このDVDに収録されているスタジオライブについてカメラワークが云々言っていたので、「カメラ CAELUM」で引っ掛かっちゃったわけです。
 さぞかし落胆したことでしょうねえ。
 すいませんねえ。

2011年9月9日金曜日

D.C. CooperがRoyal Huntに再加入!!!

 3日ぶり?
 なんか1日空けちゃうだけで次の日も興が乗らなくて、そのまま今日まで更新なし。
 このまま記事書くのやめちゃうのかななんて自分でもこわくなったり。

 でも話題ありゃ書くんですよオリャー。
 話題なかったの。
 ギリシャ語の転写しかタイプすることなかったの。
 「話題候補」として挙げたやつどれかについて書ければよかったんだけど、どれひとつとしてそれなりの長さのある記事一本分として語ることがまだ足りてないんだよな~。
 そして既に語る予定としてその名の挙げられたものたちを差し置いて、新たな、そして絶対に取り上げておかねばならない大注目のニュースが更新していない内に届いてきたわけだ!

D.C. CooperがRoyal Huntに再加入!!!

 語ることはない!ないが、これについて俺がどんだけ驚いたか、どんだけ喜んだかを、まったくその衝撃が誰にも伝わることがなかろうとも、文字に変えてここに綴っておかなければならない!
 これは最早義務だ!
 永遠のD.C. Cooperフリークとしての!
 思えばRoyal Huntの3rdアルバム・Moving Targetで初めてその歌唱を聴き、つべで初めて動いている姿、歌っている姿を見てからというもの、私は永遠の彼の虜となったわけです。
 ホモじゃないんです。
 むしろホモだったらその内に飽きてたかも。
 ホモだったら菊に茎を云々って感じでしょうが、俺は歌手としての彼がたまらなく好きなだけなんだ。
 正直顔はそんなにかっこいいと思わないし、ガタイも大してよくない。
 だけど歌い手としてステージに上がったときに披露する、歌と身体の動きを併せたドラマティックで躍動感溢れるパフォーマンスといったらもう!
 助走なしで狙った高音に到達できる凄腕サンですが、それが故にワリと淡白に聞こえることがなくもないです。
 うまいのはわかるけど、それで?みたいな人、どんなジャンルにでもいっぱいいるでしょ。
 ともすれば時にそういう風に見られがちなボーカリストでもあると思うんです、D.C. Cooper。
 そういう観点からすれば、D.C. Cooperよりも心に響く歌い方のできるシンガーってのは、人によってはHR/HMでも枚挙に暇がないのではないでしょうか。
 俺はあまり開拓しない人なので名メタルボーカリストの名を挙げよと言われても数が知れてるんですが。
 だけど彼はあのパフォーマンスがね!
 掛け値なしの素晴らしさ。
 見る人によってはこっ恥ずかしいなと思うかもしれない。
 けどそれがいいんじゃん!
 いつの時代もヒーローってのは堂々としたナルシーですから。
 まぁ程度はわからないながらも、やっぱり俺イケてるからこんな動きしてもサマになるよと思っちゃってるかもしれない。そう自負すらしているのかもしれない。
 彼はキメに合わせてステップ踏んだりするんだ。
 俺はライブ楽しんでんだ、お前ら(客)も俺を見て楽しんでくれよと積極的にそういった動きを披露してるってのもあると思うんだけど、基本的には単に好きでやってるんじゃないかと俺は考えてる。
 生来のドラマティックさを愛する感性・・・うーん、成功者のヒケツなんじゃないでしょうか。
 とにもかくにもRoyal HuntにD.C. Cooperが帰ってくる。
 俺はJohn Westはキライじゃなかったですよ。
 以前、Acceptのボーカル、そしてUdo Dirkschneiderの後任としてのDavid Reeceについて語ったことがありましたが、John Westという武器は、Royal Huntの魅力をいささかも損なうことのないまま、D.C. Cooper期とは違った強さをバンドに与えてくれたんじゃないですかね。
 単純に声質から来る歌唱の迫力だけで言えばD.C. Cooperよりも明らかに上でしたし、2000年に入りどのバンドも軒並み音の芯がぶっとくなっていく中、John Westの力強い歌唱はRoyal Huntをエクストリームメタルムーブメントから完全に弾き出された存在にさせなかった主要素のひとつだと思います。
 勿論André Andersenが律するバンドの方向性に多少のヘヴィさを加味したということも見逃せませんが、その変質したバンドサウンドを常に凌駕する歌を聞かせてくれたJohn Westってのは、やっぱり偉大な存在だったのです。
 というかもう、単純にうますぎなんだよね、彼は。
 バックはズドズドピロピロしてないともうデビューできねぇんじゃねーか!?ってくらい今メタルはヘヴィ志向・テクニカル志向が極まってるように思えますが、ボーカリストも朗々と歌い上げるタイプの人が極端に減って叫びに迫力があれば合格みたいな風潮はなんとかならんかなと思います。
 比較の対象として凄すぎるかもしれませんが、結局Jørn Landeあたりには歌唱力は勿論、シャウトを耳にして得られるエキサイトメントにもどうせ敵ってないんですから。
 そんな中、John Westは稀少な、今も生き残るハードなメロディアスシンガーなんですよね。
 えー、ところでD.C. Cooperの前任はJohn WestではなくMark Boalsなわけですが(笑)、個人的に好きじゃないので語るにどうでもいいです。
 とにもかくにもRoyal HuntにD.C. Cooperが帰ってくる。
 メタル界の人事異動に関しては、Nevermoreの後任ギタリスト・ドラマーは誰なのかとか、KamelotRoy Khanの後に歌うのは誰なのかとか、Vaderにはもうある程度長く居つくようなセカンドギタリスト・ベーシストは加入しないのかとか、メタルじゃないけどGotthardの後任ボーカリストいい加減発表せえよとか色々関心事が尽きませんが、今後しばらくこのD.C. Cooper再加入を凌駕する衝撃的なニュースはそうそうあるまいて!

2011年9月5日月曜日

ΤΟ ΜΕΤΡΟΝ ΤΟΥ ΧΡΗΜΑΤΟΣ ΠΑΝΤΟΣ

μέτρον πάντος χρήματος θεός ἐστιν. πάντα ζῷα θνητά ἐστιν. ἄνθρωπος ἄκων πολλάκις ἁμαρτάνει. ἄνθρωπος πολλάκις ἄκων ἁμαρτάνει. ὁ θεὸς ἀνθρώπῳ παντὶ δῶρον χαρίεν δίδωσιν. ὁ χρόνος πάσας λύπας θεραπεύει. χρήματος πάντος μέτρον ἐστὶν θεός. τοῦ χρήματος πάντος τὸ μέτρον θεός ἐστιν.
τὸ μέτρον χρήματος πάντος θεός ἐστιν. τὸ μέτρον χρημάτων πάντων θεός ἐστιν. τὸ μέτρον χρήματος πάντος θεός ἐστιν. ζῷα πάντα θνητά ἐστιν. τὰ ζῷα πάντα ἐστὶν θνητά. ζῷα πάντα θνητά εἰσι. θνητά ἐστι πάντα ζῷα. ὁ θεός ἐστιν τὸ τοῦ χρήματος πάντος μέτρον. τὸ μέτ
ρον θεός ἐστι πάντος χρήματος. θνητὰ ζῷα πάντα ἐστίν. πολλάκις ἄνθρωπος ἄκων ἁμαρτάνει. ὁ ἄνθρωπος πολλάκις ἄκων ἁμαρτάνει. ὁ θεὸς δίδωσι δῶρον χαρίεν παντὶ ἀνθρώπῳ. ἀνθρωπῳ παντὶ δίδωσιν χαρίεν δῶρον ὁ θεός. παντὶ χαρίεν ὁ θεὸς δίδωσιν δῶρον ἀνθρώπῳ. ἄνθρωπος πολλάκις ἁμαρτάνει ἄκων. ὁ θεὸς τοῖς ἀνθρώποις πᾶσιν δίδωσιν χαρίεν δῶρον. ὁ χρόνος θεραπεύει λύπας πάσας. πάσας λύπας θεραπεύει ὁ χρόνος. πάσας ὁ χρόνος θεραπεύει λύπας. τὸ τῶν χρημάτων πάντων μέτρον θεός ἐστιν. τὸ μέτρον τῶν χρημάτων πάντων ἐστὶν θεός. θεός ἐστιν τὸ μέτρον χρημάτων πάντων. ζῷα θνητά ἐστι πάντα. πάντα θνητά εἰσιν ζῷα. ζῷα πάντα θνητά ἐστιν. πᾶν ζῷον θνητόν ἐστιν. οἱ ἄνθρωποι πολλάκις ἄκοντες ἀμαρτάνουσιν. πολλάκις ἁμαρτάνει ἄκων ἄνθρωπος. ἁμαρτάνει ὁ ἄκων ὁ ἄνθρωπος πολλάκις. πάντες ἄνθρωποι ἄκοντες πολλάκις ἁμαρτάνουσιν. ἀνθρώπῳ χαρίεν δῶρον ὁ θεὸς δίδωσιν παντί. ὁ χρόνος θεραπεύει λύπας πάσας. θεὸς χρήματος τὸ μέτρον ἐστὶν παντός. θνητὰ ζῷά εἰσιν πάντα. ἁμαρτάνει ἄνθρωπος ἄκων πολλάκις. ὁ θεὸς πᾶσιν χαρίεντα δῶρα δίδωσι ἀνθρώποις. δίδωσιν χαρίεν παντὶ δῶρον ἀνθρώπῳ ὁ θεός. λύπας θεραπεύει ὁ χρόνος πάσας. τὸ μέτρον χρήματος θεός ἐστιν παντός. ζῷά ἐστιν πάντα θνητά. ἄνθρωπος ἁμαρτάνει πολλάκις ἄκων. ὁ θεὸς ἀνθρώπῳ δῶρον χαρίεν δίδωσι παντί. ὁ χρόνος θεραπεύει λύπας πάσας. Μέτρον χρήματος παντὸς θεός ἐστι. Πάντα ζῷα θνητά ἐστιν. Ὁ ἄνθρωπος πολλάκις ἄκων ἁμαρτάνει. Ὁ θεὸς παντὶ ἀνθρώπ}ω χαρίεν δῶρον δίδωσιν. Ὁ χρόνος λύπας πάσας θεραπεύει. Θεός ἐστι παντὸς χρήματος μέτρον. Θνητά ἐστιν πάντα ζῷα. ἄκων ἁμαρτάνει ἄνθρωπος πολλάκις. Παντὶ ἀνθρώπῳ δῶρον χαρίεν δίδωσι ὁ θεός.
ὁ πολέμιος ἐκ τοῦ ἀγροῦ καρποὺς φέρεται. Οὐδέποτε ἄνθρωπος πολέμου παύσεται. Ἤδη ἀναπαυόμεθα. τί οὐ παύῃ, ὦ νεανία, τῆς κακουργίας; Ἄνθρωποι ἀγαθοὶ ἀγαθὸν δίδονται. Τί οὐ λούεσθε; Ἤδη λελούμεθα. Ἐν τῷ ποταμῳ λούονται παρθένοι. ὁ πολέμιος φέρεται καροοῦς ἐκ τῶν ἀγρῶν. ἐκ τοῦ ἀγροῦ καρποὺς φέρεται ὁ πολέμιος. φέρεται καρποὺς ὁ πολέμιος ἐκ τοῦ ἀγροῦ. ὁ ἀνθρωπος πολέμου οὐδέποτε παύσεται. Πολέμου οὐδέποτε παύσεται ὁ ἄνθρωπος. ἄνθρωπος πολέμου οὐδέποτε παύσεται. Ἤδη ἀναπεπαύμεθα. Ἀναπεπαύμεθα ἤδη. ἡμᾶς αὐτοὺς ἀναπαύσομεν. τί οὐ πέπαυσαι, νεανία, τῶν κακουργιῶν; Πεπαύμεθα πάντας τὰς κακουργίας. Νεανία, τί οὐ παύσῃ τῆς κακουργίας; Τί τῆς κακουργίας, νεανία, οὐ πέπαυσαι; Οἱ ἀγαθοὶ δίδονται ἀγαθά. Ἀγαθὸν δίδονται ἀγαθοί. Ἀγαθὸν δίδονται ἄνθρωποι ἀγαθοί. Τί οὐ λούεσθε; Λελούμεθα. Ἤδη λελούμεθα. Αἱ παρθένοι ἐν τῷ ποταμῷ λούονται. Λούονται ἐν τῷ ποταμῷ παρθένοι.

 πᾶςの男性或いは中性の単数属格及び与格のアクセントの位置が、どれか間違ってるかも。
 全部第一音節に鋭アクセント置いちゃったんだけど、これ単数属格がπαντόςだから鋭アクセントは属格παντός, 与格παντί(パンティ・・・w)でultimaに来るんだよね。
 そのこと思い出して、タイプの際は全部直した。ノートの間違いはそのまま。
 ノートに余白を残さんと綴っていて、且つなんかいっちょまえに長文記してるような見映えにしたくて文頭に番号入れたりとかいうのは極力しないようにしてるので、すべての文章がずらずらと連結していて非常に読み辛い。読み直さないからいいんだけど。
 でも、つまりタイプにも向いてないな・・・目通しながら写してるワケだし・・・。
 ところで途中から文頭を大文字で書いてますが、作文する際くらいはすべてを教科書のやり方に従うこともないかなと思って。ノートでの見た目もこれまでとは僅か乍ら変化がつきました。しかしこれまでに刷り込まれたクセは簡単には抜けず、無意識に文頭を小文字にしている箇所もまだチラホラ・・・。
 従うこともないかな、とはいっても、もちろん、「真似」が上達には最適ですからね。
 ラテン語でもそうですけど、ふつうの文であまり動詞が文頭に来るということはないようで、また、ある名詞を修飾する属格名詞はその名詞よりも後の位置に来ることが自然なようです。作文の際、その辺念頭には置いてるんですが・・・文体に反映させてるかっつーと、属格名詞に関しては倣ってるんですが、動詞はかなりの頻度で文頭に持ってきてます。
 教科書とは違った訳の仕方をしないと、「和訳せよ」という出題と「作文せよ」とでは、動詞の主語の数、名詞の数、その他1、2個の言葉を別のものに置き換えただけの味気ない作文になりがちなので、日本語の逐語訳をギリシャ語でするような感じで文章は考えてます。そうすると大抵ギリシャ語的でない文体になるので。
 たとえば「きみは我々の娘に教育を施したか?」という日本語の文を古典ギリシャ語訳するとします。

Πεπαίδευκας τὴν παρθένον ἡμῶν;
きみは教育した - 我々の娘を

 日本語の文では主語が先頭に来ているので、それを動詞で明示しています。おそらく「自然な」語順は「きみは教育した」が最後に来るものだと思います。
 次にもう少し言葉の多い文を-「神は遍く不正なる者どもに優美な贈り物をくださらない」

Ὁ θεὸς πᾶσιν τοῖς ἀδίκοις χαρίεντα δῶρα οὐ δίδωσιν.
神は - すべての不正な者たちに - 優美な贈り物を - 与えない

 こういった主語が第3者である文の場合はそれが動詞以外の語で明示できるわけなので、動詞は先頭にやりません。
 まったく日本語の逐語訳にして、ギリシャ語としても自然な語順になっていると思いますが、日本語と同じく、ラテン語やギリシャ語は与格(間接目的語、~に)が対格(直接目的語、~を)よりも先に来ることが多いようです。ただ、形容詞(χαρίεντα < χαρίεις n.pl.acc.)は強調を意味しないのならふつうは修飾する名詞の後ろにつくようです。
 それにしても昨日も書いたけど、時間かけたワリには全然書けてねーもっと一気に10ページくらいいかねーかななんて思いながら勉強してるわけですが、改めて自分の文章写してみると結構かかるもんなんだな。
 昨日最後に書いたことに通じますが、「急いてはことを仕損じる」とも云うし、速いのは素晴らしいが中身伴ってないとバカな結果に終わるんだよな。
 ・・・とかゆーふーに思うようにしないと、超絶せっかちな俺としては人生諦観して自殺しそうなんです。
 ちなみに昨日の記事タイトル、Σπεῦδε βραδέωςは「ゆっくり急げ」という意味です。
 初代ローマ皇帝・アウグストゥスが好んでいた言葉だそーです。
 日本語で言うと「急がば回れ」?
 勿論彼が言ったのはギリシャ語としてではありませんが。
 ラテン語版はFestina lente
 ギリシャ語 / ラテン語共に、日本語としての並びは「急げ(動詞2人称単数)」+「ゆっくり(副詞)」。
 全然似てませんね。
 まぁそれにしても古典ギリシャ語と古典ラテン語を比べることは、インド・ヨーロッパ祖語の子孫として現代フランス語と現代ペルシャ語を比較して近似点を見出そうとするよりは無謀でないとは思いますが、2つの言語の勉強をする際のいずれかからもう一方への知識の活用は、語彙に於いても文法的要素に於いても驚くほど適わない。
 philosophiaとかギリシャ語からラテン語へ輸入された言葉なんかは別にして、下級の語彙を例にとってみると、互いの言語のそれ同士似ているものがないか常に意識を払っているんだけど、・・・ないね。ただ、θεόςとdeus(テオス / デウス、いずれも「神」)という語の形の成立は相互に関係あると思うし、「書く」は希: γράφω(グラポー; 「なんとかグラフィ」の「グラフィ」の部分の語源) / 羅: scrībō(スクリーボー)といってまったく距離のある形をしているとは思いがたいものもやはり語源を同一としているのではないかと考えさせられてしまう。
 もう判明してるのかもしれないけどね。
 俺が個人的に知らない限りは未解決も同然だから。
 さて昨日のΣπεῦδε βραδέωςと同じく、9月2日のタイトル・Δοῦλος ἀχρεῖός εἰμιも、すべて大文字で書いてあるのは、記事のタイトルのフォントをTimes New Romanに設定していて、これを通して古典ギリシャ語のアクセント付字母を表すとてんで醜い見た目になるからで、大文字だとアクセント記号がいらないってどっかで読んだ気がするから。フランス語とごっちゃにしてる可能性もあるけど(たとえばétudiant(学生)などはETUDIANTでもÉTUDIANTでも許される。むしろ前者の表記の方が見る機会が多いと思う。俺は大文字にも完璧にアクサン記号付ける派)。
 そして今回のタイトル、理想の表記はΤὸ μέτρον τοῦ χρήματος παντόςでしたが、これは「あらゆる物事の尺度」という意味です。まぁなんでもよかったんで、なんでもよかったなりになんとなくこれを。

 ところでこの3日なんだかギリシャ語の転写で記事をつくってきちゃってますが、1日の学習内容をここにタイプするってのはあくまでオマケのつもりです。だって「話題」じゃないしね、日課みたいなもんだから。歯磨きが話題にはなんないでしょ。
 何かについて書いた後に今日こんなこと勉強しましたと追記するだけのはずだったんだけど、たまたま話題がないので仕方なく。
 早くDUM SPIRO SPERO芸リンピックDEAR FUTUREについて書けるようになりたい。
 一応他にも話題候補あるけど、ちょっとまだ。
 実際書くかどうかはともかく、Skid RowSebastian Bach今井麻美Halestormデンマーク語Jan Benkwitz・・・あたりが今後優先的に話題に来そうです。

2011年9月4日日曜日

ΣΠΕΥΔΕ ΒΡΑΔΕΩΣ

 昨日は起きたのがなんと午後2時で、勉強する気力などなくバイトに行くまでにもさほど時間もなく、で何も書けませんでした。
 そして特に話題もなかったので更新せず。
 今日は今日で11時起き。
 昨日今日と寝た時間がね、アレでね。
 同じく話題はございませんが何行かは綴ったのでタイプタイプ。

χάριτεσ μὲν χάριτασ τίκτουσιν, ἔριδες δ'ἔριδας.
φενακίζεις, ἐλπὶ κενή, τὰς φυχὰς τῶν ἀνθρώπων.
ἐξ ὄνυχος τὸν λέοντα γιγνώσκομεν. πνεύματι βαπτίζει.
εἰς τὸν θεὸν ἐλπίδας ἔχομεν.
τῷ μύρῳ τοὺς πόδας μου ἠλείφατε.
τῷ μύρῳ τοὺς πόδας μου οὐκ ἠλείφατε.
οὐκ ἠλείφατε τῷ μύρῳ τοὺς πόδας μου.
τὸ φῶς ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει. τὸ φῶς φαίνει ἐν τῇ σκοτίᾳ.
ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει τὸ φῶς.
αἱ μὲν χάριτες χάριτας τίκτουσιν, ἔριδας δὲ αἱ ἔριδες.
αἱ μὲν χάριτες χάριτας τίκτουσιν, αἱ δ'ἔριδες ἔριδας.
κενὴ ἐλπί, τὴν τοῦ ἀνθρώπου φυχὴν φενακίζεις.
ἐλπὶ κενή, φανεκίζεις τὴν φυχὴν τοῦ ἀνθρώπου.
κενὴ ἐλπί, φενακίζεις τοῦ ἀνθρώπου τὴν φυχήν.
ἐλπὶ κενή, τὰς τῶν ἀνθρώπων φυχὰς φενακίζεις.
γιγνώσκομεν ἐκ τῶν ὀνύχων λέοντα.
γιγνώσκομεν λόντα ἐκ τοῦ ὀνύχος. βαπτίζει πνεύματι.
ἔχομεν εἰς τὸν θεὸν ἐλπίδας.
τῷ μύρῳ τοὺς πόδας μου οὐκ ἠλείφατε.
τὸ φῶς ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει.

 今回はすべて俺がつくった文章ですよ。
 本のものの単なる模写と区別し易いよう、模写のページと作文のページを分けることにしました。
 「今日はこんだけだし見映えしないなぁ」と思ってましたが、いざ書き始めると結構苦なのね・・・古典ギリシャ語をタイプし慣れてないからだとは思うけど。
 古典ギリシャ語は典型的な屈折語で且つ、「普通」と思しき品詞の並びのパターンはいくつかあるようですが、基本的に語順は書き手、話し手の裁量に委ねられますので、ひとつの文章を色んな形に書き分けられるところが面白いのです。
 古典ラテン語よりも。
 そんなことをする際十分注意を払う必要があるのが、アクセントの規則
 古典ギリシャ語は古典ラテン語よりもアクセントについての規則が多く、また、ラテン語とは違ってそのアクセントの位置が文字として実際表記上現れることから、音声面だけでなく筆記面に与える影響が無視できないのです。
 たとえばεἰμί(=eimi, “I am)などの後倚辞(こういじ)。
 この直前の語は、己の中のどの位置にアクセントを有しているかによって、そのアクセントの質、そしてそれだけでなく直後に来ているεἰμίのアクセントの質をも変えてしまいます。
 たとえば

 δοῦλος ἀχρεῖός εἰμι. / 私は役立たずの奴隷である。
 (↑一昨日の記事タイトルですね)

 ふにゃっとしたのは曲アクセント、右斜め上から降りてきているのは鋭アクセント(εἰμίのιについているアポストロフィのようなものは気息記号で、この場合はειがeiと発音されることを示しています)。
 これら3語をバラバラにすると、 δοῦλος と ἀχρεῖος と εἰμί なんです。
 後倚辞という名称は、その語自体の位置は何か別の語の後ろに必ずなることから来ています。
 また、後倚辞すべてがそうであるというわけではないようですが、この後倚辞εἰμίは、これの直前に来ている語のアクセントに影響を与えます。
 ふつう、一語につきアクセントはひとつです。
 しかしこのἀχρεῖός εἰμιという2語の並びは形容詞ἀχρεῖοςに影響を与え、εἰμίからアクセントを奪い、己の中に2つのアクセントを有しています。
 後倚辞からのアクセントの奪い方ですが、後倚辞直前の語に曲アクセントがあり、それが最終音節から2番目の音節(文法用語でpaenultima=ラテン語、「最後の前」)にある場合、最終音節(ultima=「最後」)に鋭アクセントが付きます。

ἀχ - ρεῖ - ός
第1音節 - paenultima(曲アクセント) - ultima(鋭アクセント)

 曲アクセントはultimaかpaenultimaにある長い母音にしか付きません。
 ultimaに曲アクセントがある場合は、曲アクセントはそのまま維持され、後倚辞からアクセントが消失するだけです。

 ἡ συναγωγὴ ἐν τῇ οἰκίᾳ τῶν γεωργῶν ἐστιν χαρίεσσα. /
 あの農夫たちの村にある会堂は優美だ。

γε - ωρ - γῶν(< γεωργός m.pl.gen.)
antepaenultima - paenultima - ultima(曲アクセント)

 次に、後倚辞直前の語が鋭アクセントを持ち、それがultimaから3番目の音節(antepaenultima=「最後の前の前」)にある場合、ultimaに2つ目の鋭アクセントが生じます。

 ἄνθρωπος δίκαιός εἰμι. / 私は正しき人間である。

δί - και - ός
antepaenultima(鋭アクセント) - paenultima - ultima(鋭アクセント)

 鋭アクセントがpaenultimaにある場合は、後倚辞が2音節の語であれば、その後倚辞のアクセントは維持されたままであり、且つ、その直前の語のアクセントにはなんの変化もありません。
 つまり、鋭アクセントは隣接しないのです。

 ἐγὼ ὁ τῆς ζωῆς ἄρτος εἰμί. / 他ならぬ私が命のパンである。

ἄρ - τος
paenultima(鋭アクセント) - ultima(アクセントゼロ)

 そして鋭アクセントがultimaにあれば、その語の次に別の語が控えている場合、鋭アクセントは重アクセントと呼ばれるものになり、表記はされるがアクセントは「ないもの」として扱われるが、後倚辞からアクセントを奪うと鋭アクセントとしての性質を保ち続けます。

 後ろが普通の語: παιδεύει ἀγαθοὺς ἄνθρώπους. / 彼は善き人間たちを教育している。

ἀ - γα - θοὺς(< ἀγαθός m.pl.acc.)
antepaenultima - paenultima - ultima(重アクセント)

 後ろが後倚辞: ἀγαθός εἰμι. / 私は善良だ。

ἀ - γα - θός
antepaenultima - paenultima - ultima(鋭アクセント)

 俺が学んだ範囲では、ラテン語のアクセントはultimaを含めず語末から3音節以内に存在し、2音節目が長ければそこが、短ければ3音節目がアクセントを持つ、という知識だけがあるけど、実際はアクセントのある箇所をただ強く発音すればいいわけじゃなかったらしく、それなりに読みに関しては難しかったそうだ。
 ちなみに「長い」と「短い」の判別の仕方だが、乱暴に言うと長母音をもつ音節、或いはある音節が子音で終わり直後の音節が子音で始まる場合その音節は「長」く、それ以外は「短」い。
 たとえばpuellārum(娘たちの < puella), Rōmānus(ローマ人)はantepaenultima(-el-, ō)とpaenultima(-ā-, -ā-)が長く、horribus(ひどい)はantepaenultima(hor-)が長く、maritimus(海の)はすべての音節が短く、interfaciō(殺す)は-ter-が長い(-ōも長いがアクセントに影響しないので無視)。蛇足だがantepaenultimaも例にすると-ul-が長い。
 しかしラテン語はアクセントを表記しないし、また、読みに関して突っ込んだ解説をしている学習書の方が少ないのではないかと思う。
 今日母語にする者がいないという点では古典ギリシャ語も同じだが、アクセントを表記するので規則を熟知していないと読むことはおろか書くことすらままならない。

 さて、明日から3連休です。
 実は希求法くらいまで本は進んだんですけど、中動相後半から接続法あたりにかけて頭がめちゃくちゃこんがらがってきて、それでもごまかしごまかしやってたのが遂にその希求法あたりで破綻したので、最初からやり直しているのです。
 千里の道も一歩から、ですね・・・。

2011年9月2日金曜日

ΔΟΥΛΟΣ ΑΧΡΕΙΟΣ ΕΙΜΙ

 今日は特に話題なし。
 で、済ますのはイヤなので、今日ふと思いついたことを早速この記事から始めたいと思う。

 ὁ Εὐφράτης ποταμὸς τῆς Βαβυλωνίας ἐστίν. καλαὶ ἦστε ὅτε παρθένοι ἦστε. ὁ Εὐφράτης ἐστὶν ποταμὸς τῆς Βαβυλωνίας. τυφλοί ἐσμεν. τυφλοὶ ἦτε; ὁ ἥλιός ἐστιν ὁ θεὸς ἡμῶν. ὁ ἥλιος ὁ θεὸς ἡμῶν ἐστιν. τυφλός ἐστιν; ἐν τῇ ἁμαρτία ἦμεν. σὺ ὁ ἄρτος τῆς ζωῆς εἶ. σὺ εἶ ὁ ἄρτος τῆς ζωῆς. σὺ εἶ ὁ τῆς ζωῆς ἄρτος. δοῦλος ἀχρεῖός εἰμι. δοῦλος ἀχρεῖός εἰμι. ἐγώ εἰμι δοῦλος ἀχρεῖος. δοῦλος ἀχρεῖός εἰμι. ἐγὼ ἀχρεῖος δοῦλός εἰμι. 
 τὸ ἔλαιον ταῖς τῶν ἀνθρώπων θριξὶν ὠφελιμόν ἐστιν. φεύγω τοὺς κόλακας΄ ψεύδουσι γάρ. κλῶπές ἐστε. ὁ Αἰθίοψ ἦν δυνάστης βασιλίσσης Αἰθιόπων. ἤκουσα φωνὴν ὠς ἡμεῖς κατὰ τὴν σάρκα κρίνετε. ὑμεῖς κατὰ τὴν σάρκα κρίνετε. ἡ ἐπιθυμία τῆς σαρκὸς βλάπτει τὴν εὐδαιμονίαν.

 何事!?
 古典ギリシャ事です。
 記事を作成する日に、言語学習のために綴った文章をすべてタイプで起こそうという試みです。
 綴りや意味の再確認、そしてこの古典ギリシャ語の場合、未だなれていないキーボードによる俺の筆記の再現の練習を、好きなタイピングをしつつできる。
 ただノートに目を向けて文章を再確認・・・なんてたぶん退屈で死んで死んだことに気がつかないくらい退屈だと思います。
 今回は最初ということで、・・・そして超眠いってことで、3ページ書いた内の最後の1ページだけを。
 固有名詞を除き大文字が含まれていない文章になっていますが、俺の使っている古典ギリシャ語の教科書が何故かこういう表記でギリシャ語を載せてるんです。
 古典時代はそれが普通だったのかな?と読み始めの頃は思ってたんですが、ネットで新約聖書見てみても文頭が小文字ってことはないし・・・。
 やっぱり著者による意図的な表記なんだと思います。
 ちなみに上部の文章、綴り間違い(あるか見つけてないけど)とか文法的な誤り(いくつあるかわからないけどἡμεῖς ... κρίνετεは間違い。ἡμεῖςならκρίνετεじゃなくてκρίνομεν)はそのままにしてあります。
 だからホント単なる模写です。
 まったく同じ文章が繰り返されていることがありますが、実際手で、それで持ったペンで書いた字のかっこいい見た目を追求してのことですんで、電子を通すと説明しないと理由がわかりませんね。

 時間に余裕があるのでオマケで意味も。
 本格的にこのノートに綴った文章の再現を始めたときにもやるかどうかはわかんない。ノートに和訳が書いてあったら、それも模写することで和訳を載せることにはなるかも。

 ὁ Εὐφράτης ποταμὸς τῆς Βαβυλωνίας ἐστίν. / ユーフラテスはバビロンの川である。
 καλαὶ ἦστε ὅτε παρθένοι ἦστε. / 娘であったとき、あなた方は美しかった。
 ὁ Εὐφράτης ἐστὶν ποταμὸς τῆς Βαβυλωνίας. / ユーフラテスはバビロンの川である。(ἐστίνの位置が上と異なる。後倚辞が齎すアクセントへの影響について考えたくてこの語の位置を変えて文章を反復した。以下にも同じような例が繰り返し出てくる)
 τυφλοί ἐσμεν. / 我らはめくらだ。
 τυφλοὶ ἦτε; / 貴様らはめくらだ。
 ὁ ἥλιός ἐστιν ὁ θεὸς ἡμῶν. / 太陽は我らの神である。
 ὁ ἥλιος ὁ θεὸς ἡμῶν ἐστιν. / 太陽は我らの神である。
 τυφλός ἐστιν; / 彼はめくらか?
 ἐν τῇ ἁμαρτία ἦμεν. / 我らは罪の中にあった。
 σὺ ὁ ἄρτος τῆς ζωῆς εἶ. / あなたこそ命のパンである。
 σὺ εἶ ὁ ἄρτος τῆς ζωῆς. / あなたこそ命のパンである。
 σὺ εἶ ὁ τῆς ζωῆς ἄρτος. / あなたこそ命のパンである。
 δοῦλος ἀχρεῖός εἰμι. / 私は役立たずの奴隷です。
 δοῦλος ἀχρεῖός εἰμι. / 私は役立たずの奴隷です。
 ἐγώ εἰμι δοῦλος ἀχρεῖος. / 私は役立たずの奴隷です。
 δοῦλος ἀχρεῖός εἰμι. / 私は役立たずの奴隷です。
 ἐγὼ ἀχρεῖος δοῦλός εἰμι. / 私は役立たずの奴隷です。
 τὸ ἔλαιον ταῖς τῶν ἀνθρώπων θριξὶν ὠφελιμόν ἐστιν. / オリーヴ油は人間の髪に有用だ。
 φεύγω τοὺς κόλακας΄ ψεύδουσι γάρ. / 私はその追従者どもを避けている。騙しをするからだ。
 κλῶπές ἐστε. / お前たちは盗っ人である。
 ὁ Αἰθίοψ ἦν δυνάστης βασιλίσσης Αἰθιόπων. / そのエチオピア人はエチオピア女王の廷臣であった。
  ※これだけ訳が正しいのかどうかいくら考えてもわからない。
    ὁ Αἰθίοψ=エチオピア人(は; 主格)(冠詞からm.s.n.確定)
    ἦν=ἦ3人称単数(動詞の主体は冠詞のあるὀ Αἰθίοψで確定)
    δυνάστης=権力者、廷臣(は; 主格)
     その他の語形は単数δυνάστου(属格), δυνάστᾳ(与格),
     δυνάστην(対格), δυνάστα(呼格);
     複数δυνάσται(主格), δυναστῶν, δυνάσταις,
     δυνάστας; 双数δυνάστα(主・対・呼), 
     δυνάσταιν(属・与)なのでm.s.n.で確定
    βασιλίσσης=女王(の; 属格)
     主格はβασιλίσσα(呼格同形)。その他の語形は
     単数βασιλίσσῃ(与格), βασιλίσσαν; 複数βασιλίσσαι,
     βασιλισσῶν, βασιλίσσαις, βασιλίσσας; 双数βασιλίσσα,
     βασιλίσσαινなのでs.g.確定。
    Αἰθιόπων=エチオピア人(たちの; 属格)
     主格は上の通りΑἰθίοψ(呼格同形)。その他の語形は
     単数Αἰθίοπος, Αἰθίοπι, Αἰθίοπα; 複数Αἰθίοπες, Αἰθίοψι,
     Αἰθίοπας; 双数Aἰθίοπε, Αἰθίοποινなのでpl.g.確定。
  ・・・文全体の解釈がおかしいのかなあ。全然しっくりこない。
 ἤκουσα φωνὴν ὠς σάλπιγγος. / 私はラッパのような音を聞いた。
 ἡμεῖς κατὰ τὴν σάρκα κρίνετε. / (文法的に間違っているので訳不能)
 ὑμεῖς κατὰ τὴν σάρκα κρίνετε. / 肉的な思いに従い物事を判断しているのはあなたたちだ。
 ἡ ἐπιθυμία τῆς σαρκὸς βλάπτει τὴν εὐδαιμονίαν. / 肉欲は幸福の妨げになる。

 ちなみに俺が記事作るとき、フォントはGeorgiaにしてるんだけど、見ての通り、記号のついた字母とそれのないものとで見た目の統一がとれないんだ、これが。
 Arialとかにすると統一感って点ではまだマシなんだけど、Georgia以外のフォントにしたくないしねー。
 Tahomaが使えるのがイチバンいいんだけどな。
 全然選択肢がねーったら。
 最後にちょと不安なのが、上の文章、殆ど教科書の模写です。自分で考えた文章はちょっとだけ。
 こういうの、悪意なくしてこういうとこに載せてもダメなのかな。
 まぁ、今度からは自作の文章だけでページが埋められるように考えますケド。

2011年9月1日木曜日

感想はまだ

 coalterじゃなくてcoaltarなんですね。
 英語ってのはね、ホントもうね。
 さて、DUM SPIRO SPERO聴きました。付属DVD観ました。DVDを観たのが先です。Disc IIはまだ聴いてません。
 DEAR FUTURE聴きました。タイトルトラックだけ。他の色々入れてくれてますが冗談でも聴きたいと思わん。
 芸リンピック観ました。
 しかし感想はまだ。
 今までは大抵、1度か2度聴いた / 観た後すぐに感想書いてましたけど、今回のこれら3点については、ソラで内容がまったく正しく伝えられるようになるまでは感想書かないことにします。
 さっさと書いてしまったCDやDVDの感想を後で見直すと、節々に「全然そんなことないな・・・」とよく思わされるので、今回は初めて意識してそれを回避すべく。
 もう書けと言われたら書けなくもないんですけどね。
 あと明日は7時出勤です。起きられない不安はないんですけど、一応、もう寝ときます。
 というわけで感想はないのだ。

 そうだ、感想はないけど別の話題を。
 「検索語句」について。
 ここを訪れた人がアテにした検索キーワードに、「イレハイ Ilejay」ってのがあった。
 これでググっ(或いはヤフっ)てみると、トップに来るのはウチだが、それ以下にはIbardolaza Elsa Ilejayという人がヒットしていた。
 学者さんかなんか?・・・とにかく一般人には理解不能なことをやってる人のようだ。
 やはりArin Ilejayの苗字はヒスパニックならではのものだったのだ。
 こっちは「アイルジェイ」だよ!
 他には、Google画像検索のキーワードに「ギリシャ語 画像」と入れると、俺が以前うpした、俺が勉強のためにノートに綴った古典ギリシャ語がヒットする。
 綴り間違いが写っているのでビミョ~な気分(笑)。
 俺は鉛筆では文字を書かず専らボールペン(アラビア語、ペルシャ語には筆ペン)を使っているので消しようがなく(フリクションとか使う気はない)、綴り間違いはやっちゃったら上から線を引くだけだ。
 まぁ、後から見直したりはしないんで、どの綴りが合ってようが間違ってようが、それらが混在してようがどうでもいいしね。
 あと、「激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇」で、以前書いた記事内からリンクした、Wikipediaにあるディルの薫の画像がヒットするみたい・・・?
 そう、ヒットするのはこのサイトだけど、俺は他人が別のサイトにアップロードした画像に勝手にリンク設定しただけ。
 ヒットの仕組みがようわからんね。

2011年8月31日水曜日

Dir en coalter of the 貨物


 今日は8月31日。
 月の〆なのでなるべく売り上げを高く終わらせたいという売場責任者の意向がありました。
 今日の予算は20k超えてましたが、俺が始業するまでの売り上げを見るにどうもそれは達成しそうにない・・・仕方ないので15kを目標にしよう!ということで、俺は予約&取り寄せした商品の内、買わずに置いておいたものをすべて購入させられました。
 もう今月3万使っちゃったんですケド・・・。
 とりあえず今月限定でもバイト探して補填しないと生活費がヤバイ!
 ハイ、というわけでデカいの・DIR EN GREY / DUM SPIRO SPERO、シングル・coalter of the deepers / DEAR FUTUREDVD・仙台貨物 / 芸リンピックです。
 クソ暑い店内にずっと置いてたから傷んでやしないかと心配です、DUM SPIRO SPERO・・・。
 しかも持ち帰る羽目になった今日は生憎の雨!
 どこまで俺をイジめるか。
 しかしチャリのカゴに入れるとき、ジャケがデカすぎてカゴの中に傷つかないように苦労して収めながら、俺は思った。「買ったは買ったけど、別に持って帰るのは今日じゃなくてよかったんじゃ・・・」と。
 coalter of the deepers、帯のウラに注目。
 彼ら自身についてじゃなく、やくしまるえつことメトロオーケストラによるOPテーマ・ノルニルの宣伝が載ってるんですけど、2クール目OPテーマも収録されているそうです(タイトルは未定)。まぁ、発売1ヶ月先ですからね~。
 それにしてもこれは卑怯だぞ!欲しくなるじゃないか。ノルニルはいらないのに。
 まぁ、実際2クール目入ってから吟味しますけどね・・・。
 さて仙台貨物ですが・・・。
 こいつらのこと話題にしたことあったっけな?
 俺かなり好きなんです、このバンド。
 初めて聴いた曲は絶交門
 あれでもう好きになって。
 で、1stアルバムが出るとき、uchino店にサンプルが来たんですよ。なぜか。
 聴いてみると・・・イイ!
 そして最近のことですがライブ動画観てみると・・・これもイイ!
 ナイトメアは全然ってくらいですが、仙台貨物は非常に面白いですね。
 ウケ狙ってやってるわけだし、特にイガグリ千葉みたいなのをフロントマンに据えていると「どうぞ笑ってください」と先手取られたようなもんなんで若干彼らのつくるお笑いオーラに飲まれてる気がしないでもないんですけど、でもやっぱり好きだな、俺は。
 まぁ、お笑いオーラが出てると言っても俺が知ってるのは表面上のことだけで、これまでにリリースされたライブDVDに収録されている副音声では爆笑ものの掛け合いが聞けるらしいですが(芸リンピックにもあるかは知らない)、勿論そんなものは聴いたことないし、仙台貨物復活にあたって収録されたニコ動向けの動画?だかなんだかでもギター2人と千葉のやりとりはさして面白くもなく、千葉の喋りのキレも悪いしで、やっぱりバンドとしての本分が好きで、お笑い要素としては、それにあくまでオマケとして加味されているバカバカしいヴィジュアルが気に入っているというだけなんだな。
 このDVDを欲したきっかけとなったライブ音源がこれに収録されていると知るまでは、彼らのライブDVDの収録曲を必死に調べましたが、このDVDは彼らのライブ作の中でもかなり曲目が少ない方なのです。
 それでも俺はケチなくせにこれが、これだけが欲しかった!
 それについてはまた明日!

2011年8月30日火曜日

平丸と吉田氏

 バクマン。13巻で爆笑した!
 毎巻面白く読ませてもらってるけど、今回は声出して超笑った。
 143ページの一番左下。
 俺の琴線に触れる会話のテンポでした。
 平丸の荒っぽい喋り方も面白く、最後の「出たよ「よく聞け」」で大声が漏れるに至りました。
 うーむ、平丸と吉田氏の不毛なやり取りが今までも大変滑稽であったが、この巻ラストの歩道橋での言い合い位にまでページを費やし、インパクトの強いものに発展するとは思わなかった。スゴイぞ!
 この2人のいくつかのやり取りだけでなく、「ラッコ」の連載終了が作家に伝えられたのを皮切りに2人のやり取りはどんどん乱暴に、そしてどんどんバカバカしさを増していく。

 漫画業界から消してやると実も蓋もない脅しをかける吉田氏
 ネームを床に放る平丸
 「シナリオ」と称した白紙をてんこもり用意した吉田氏
 4年間の連載の労をねぎらった担当に「そんなセンチはいらないんだよ」とのたまう平丸

 ポウシェ発見!かと思いきや実は安岡に10万で売られていて最早彼の私物となっていたこと、それがわかったときの「俺が買ったス」のセリフ、他にもラッコ最終回、カリブ海での「私は自由だ!」という最後のコマもなんだかミョーに気に入った。
 そして蒼樹を巻き添えにした末の、あの歩道橋でのやり取り、相変わらず台詞回し、たとえば「つまり今までは嘘偽りだらけ」「そこは否定せん!」「しろよ!」など言葉やテンポ、右往左往する平丸+蒼樹と吉田氏の動きなど一瞬たりともテンションの落ちない見事な場面。
 個人的にクライマックスは、吉田氏が怠け者の平丸のことを天才だと告げるコマ。あとはオマケかな。ホントのラストにして〆は「付き合ってください」らへんだけど、もうあそこは平丸と吉田の間に交わされたものではないし。
 それにしても蒼樹さんはカワイクなったよな。
 さて俺も遂にあと読んでいないのが、最新刊である14巻だけとなってしまった。1ヶ月に1巻買う、ってのはムリだね。こんな面白い漫画の購入を先延ばしになんて、どだい俺にはムリ。
 また話の盛り上がりに寄与しそうな、新キャラにして新たな漫画家候補が出てきて、まったく俺のバクマン。に対する興味は全然尽きそうにないぜ!
 ここ数ヶ月はCDにさっさと1万円分費やしてしまっているので、漫画は月2、3冊程度しか買えていない。
 月を置くことで興味が薄れてしまったタイトルもあるけど、生徒会役員共荒川アンダー ザ ブリッジマギは早く続きが読みたいなぁ・・・。
 月イチ刊行の今日から俺は!!は、1ヶ月に1度必ず出ることがわかっているのはいいんだけど、つまり次を読むまでに絶対に1ヶ月は待つことが前提になっているのが同時に苦しいわぁ。

2011年8月29日月曜日

?מה נתן ג'וש קלינגהופר להם ולי

 や~、なんか耳がジーンとしてました、ちょっとの間。

 ヒーリングミュージックと銘打たれたジャンルの下に作成・販売されるCDの中に、安眠を手助けするってやつ、あるでしょ。
 あれクソだなってずっと思ってて。悪徳商売もいいところだし買う方もバカなんじゃねぇのって。
 バイト先で安眠CDどれがオススメですかとか以前言われたことあるんだけど、「勝手に好きなもん買えバカ、どうせ効かねーよ」と正直対応に困りました。
 謂わばつくったもん勝ち、宣伝したもん勝ち、の典型的な一商品です、安眠うんたらってのは。
 合う / 合わないありますから。
 川のせせらぎを間近で耳に流してるくらいで眠れるやつは、たぶん最初からホントはなんにもなしで眠れる奴なんですよ。
 思い込みはこわい。
 まぁ、だから「安眠CDかけてるから眠れる!」ってバカを釣るのに最適のエサとなってるんですけどね、この手の商品。
 みなさんも見たことありませんか?安っぽい、薄い色の木だけでできた棚、そして上部にHealingだかRelaxだかいう文字の書かれた看板(自分の店にあるけど覚えてないや)。ラインナップはジブリの楽曲、コブクロなんかの曲をピアノアレンジしてたり、オルゴールアレンジしてたり。
 あれは、俺も最近他のCD屋行ったとき目にして初めて知ったんですけど、特定のCD屋で見られるものではないのです。
 そういったCD探してる人に案内してあげて、後日「買ったはいいが効かねーぞ!」って苦情言ってきやしねーだろうなと不安になるわ。
 無論、そんなこと販売元は考えもしない。
 どうせ無意味なもん制作してることは己らもわかってるくせに。
 ま、唯一褒められるのはポピュラーミュージックのCDに比べて安価なことですかね。大抵2kしません。
 最近、寝るとき音楽かけてるんです。
 ここまで散々安眠CD貶しておいて、実は「すんませんボクがバカでした、あれホントは効くんスね」とかいうオチなんです、ごめんマジで。

2011年8月28日日曜日

פרץ ברנשטײן


 8月31日発売、Red Hot Chili Peppersの新作・I'm with You・・・の、サンプル盤です。
 上部に貼ってある、裏返しにした紙には業界ならではの門外不出の衝撃の文章が・・・あああ
 あああ別に書いてないですが。
 彼らのCDを聴くのはBlood Sugar Sex Magik以来。
 どんなだったかぜんっぜん覚えてないけどね。なんで世界的なヒットを飛ばせたのかさっぱりわからなかったから。
 レジ内に転がってるのを見て、なんとなく聴きたくなってお借りしてきました。
 従来のファンにとってはやはり、聴きドコロはJosh Klinghofferの仕事っぷり・・・でしょうか。
 俺はノれる内容ならなんでもいいです。
 ちなみにJosh KlinghofferのフルネームはJoshua Adam Klinghoffer。
 こんな「如何にも」な名前しててユダヤ系じゃないとは・・・絶望した!
 しかし、Josh Klinghoffer→Red Hot Chili Peppers→Dave NavarroOne Hot Minute時のギタリスト)→Jane's Addiction(かつてあったデイヴのバンド)と辿って、Perry Farrell(同バンドのボーカリスト)のページについたとき、born Peretz Bernsteinという文字列を見て(そして確かにユダヤ系であることを確認して)機嫌直りました。
 פרץ ברנשטײןですね。勝手にヘブライ文字に起こしちゃったけど怒らないでね。
 まぁそんなことはさておき、明日感想書けたら書きます。
 なんかジャケとタイトルから小粒感全開でカナリ不安・・・。
 インナーではChad Smithが自分の手の甲にフォーク突き刺してマコーレー・カルキンの「あの」顔ライクな表情しててちょっとオモシロイんですが。

2011年8月27日土曜日

アリン・アイルジェイ!

アリン・アイルジェイ!
Ricsád Arin Ajldzsej / Րիչատ Արին Այլճեյ / Ричад Арин Ајлджеј
ریچاد ارین ایلجی / ריטשאַד אַרין אײַלדזשײ

 現在A7Xと共にドラムをプレイするArin Ilejay、彼の名の読みです。
 これ以外の仮名転写はfucking wrongですのでご注意を。
 厳密には、最初の「ア」はappleの「a」です。あのねちっこい「ア」ね。
 いやー、動画を探しに探しましたよ。彼の名が呼ばれているものを。
 20近く。
 まずはA7Xのライヴ動画から。
 たくさん観ました・・・。
 M. Shadowsが彼を紹介し、ちょっとソロってそのまま間髪入れずにWelcome to the FamilyNightmare収録)のイントロのドラムに繋げる、というパターンが最近のライブで定着しているようです。
 これで「アリン」という読みはすぐにわかった。
 色んな会場でのこのパフォーマンスを観ましたが、少なくとも俺がチェックした動画だと、全部「アリン」としか呼ばれてないの!
 当然なんかいね。名字まで含めるとよそよそしいのかな。実は知らねーんじゃねーのとも思ったけどw
 で、彼がドラマーを務めていた今はなきメタルコアバンド、Confideの動画までチェックしてみた。
 やっぱ「アリン」だけだね・・・。たとえばこれの0:09、当時のメンバー全員が名乗る(少なくともアリンは解散時のメンバーではない)、あとこれの2:20、アリンのプライベートスペース紹介。
 すげー時間かかったよ。なにせ飛ばせない。当然だけどどこでフルネーム出てきてるかわかったもんじゃないから。
 で、結局、最後の方法として、Arin Ilejayを検索ボックスに入れて、視聴数の多い順にソートして一番上に出てきた動画(1:15~1:30、ところでこいつはなんなの?)でわかったっていう、何故それを最初にしなかったしという試みで名の読みが判明。
 昨日Wikipedia.enの彼の記事でよく確認してなかったんだけど、父・Ric Ilejayはフィリピンやらメキシコの血が混じっているそうで、この変わった名字もそのせいなんだろうね。
 だから昨日「エイリン・アイルジェイ」と憶測で書いたけど、英語らしい読みが適用されないのならもしかして「イレジャイ」とか「イレハイ」が正しいのかなとか考えてた。
 「ハイ」って?-スペイン語だとJは普通、日本語で言うハ行の音なのです。reloj=「レロ」(時計)とかね。
 英語でha ha haと書くところを、スペイン語話者はja ja jaと書きます。ha ha haだと「ア・ア・ア」だからね(hermano=「ルマノ」(兄、弟)、hasta=「スタ」(~まで))。でもわかっているとはいえ最初見たときはやっぱ奇妙だな~と思わずにはいられなかったねぇ。
 余談だけどGも後続がEかIならJと同じ音。ángel=「アンル」(天使)とか、Jorge=「ホル」(=George)とかね。
 ちなみに母親の名前はCharlotte Tuttle(シャーロット・タトル、たぶん)。覚えちゃったよ。彼女も確か混血。まぁ、混血だから何、だよね、あちらさんは。
 Arin Ilejay、フルネームはRichard Arin Ilejay(リチャード・アリン・アイルジェイ)です。つまりステージネームはJames Paul McCartney方式だね。
 正式なドラマーになったわけでもないヤツのことを何こんな熱上げて調べてんの・・・って自分でも思いますが、色々と動画を観ていく中で、「新ドラマーこいつでもいいけど~」的な昨日の記事で見せた考えは、100%「コイツがいい!」に変わりました。
 何せ超いい人そう。
 ナイスガイってやつです。
 動画漁りの過程で見つけたひとつにこんなのがあります。
 上のConfideメンバー全員集合動画でもひとり、なんだか気が小さそうだなと思わずにはいられないテンションですが、すごく控えめなカンジ。
 あと、彼の肉体は純白です。
 その上半身は今年のRock am Ring参加時のこの動画とかで確認できます(A7Xレパートリーのプレイもね!)。
 A7Xの正式なファミリーになった暁には、もしかするとこの先・・・とあまり考えたくないのですが、そのまっさらな肉体に所狭しとタトゥーを入れられるんじゃないか!?と心配せずにはいられません。
 笑顔なんかも、時には大いにワルぶるよ!的な連中(まさにA7Xの面々とかね・・・)のどこかいやらしいものとは違い、かわいい感じ。つべでは彼についてcuteだとか評するコメントが見られますが、まったくですなぁ。
 Not Ready to Dieで聞かれた重たいボトムは、音作りその他彼自身の力強いプレイから生じていた可能性が多分に大かと。
 A7Xにこのまま定着すんのかなぁ。どうかなぁ。
 慣れきれてないのか、The Revのフレーズを再現できているというにはまだカタさが目立ちますが、その辺は練習とライヴの積み重ねが解決してくれるもんでしょう。
 ドラムセットの組み方だって、今はとりあえずレヴの代役として、彼が使っていたものに倣ってます感が強いし(というかもしかして実物を叩かせてもらってる?)、扱い辛いんじゃないかなあ。Confide時代のセットなんて超シンプルだったみたいで、上のレコーディング動画だとバスドラムのリムが叩けるくらいスカスカだよw
 更にそのバスドラム、今の“レヴ・セット”は勿論ツーバスだけど元々はシングルバスドラム+ツインペダルの愛用者だったんだよね。
 で定着するかどうかですが・・・なんというかやっぱキャラが違うよね、A7Xの連中とは。
 デカいツラして追い出されるとか、不遜な態度を原因とした両者の別れはたぶんない。
 むしろA7Xにはいい人すぎて合わずにサイナラ、は大いにありそう。
 これから先を占える材料がまだ少なすぎるってのもあるけど、どうも今はまだ「サポート」としての起用でしかない印象。
 俺は刺青大好き人間ですケド、Arin Ilejayに施しちゃうのはなんか違うぞ!って思うし、バッドボーイ的振舞いが要求されたところで似合うとは思えない。
 純粋にプレイと人柄だけを理由にA7Xが受け入れてくれないのかなぁと期待したいところです。
 余裕はなさそうですけど、勢いを利用してある程度フレキシブルなプレイができるようです。この辺も、見た目はなでるようなヒット、聞こえてくるのは音の洪水みたいな、主にテクデス系統の一線級ドラマーによく見られるスタイルに注目してきた人間には面白くて、一層彼を支持したくなるってもんです。
 彼を伴ったクリエイションの結果、更に面白くなったA7Xが今後、聞けるようになるかもよ!?

 ※Not Ready to Dieの作曲にはArin Ilejayも関わっていると吹聴しているつべのユーザーがいますが、M. Shadowsの手によるものです。

 ※冒頭の仮名以外への転写は単なる「リチャード・アリン・アイルジェイ」という音を示しただけです。この音が日本人が口にするべきものとして正しいことの強調を図ったものですが、単に仮名での表記を繰り返すとバカみたいでしょ?左からハンガリー、アルメニア、セルビア、イディッシュ、ペルシャですが、あくまでも他言語に於けるRichard Arin Ilejayではなく、たとえばセルビア人にとってのRichardはРикард(Rikard)、イラン人だとریچارد(rīchārd)で厳密には-r-が入ります。

2011年8月26日金曜日

Not Ready to Die

 なんとAvenged Sevenfoldが新曲を発表していました。
 タイトルは「Not Ready to Die」。
 なんかなあ。
 何かに提供したものだということで(まともに情報読むのがメンドっちくて忘れた)、曲調や詞の内容、それを元にしたであろうこの曲名なんかはA7Xが100%統制したものではなかったんだろうけど、やっぱどーしてもまだThe Revのこと引きずってんのかなと思ってしまうよね。
 ちなみにいつの間にか彼の死因は判明・公表されていて、アルコールとアブなくない方のお薬が原因だったんだとか。
 いや別に苦楽を共にしたバンドのメンバーとしては一生引きずっててくれていいんだけど、こっちとしては現時点最新アルバムにして、Mike Portnoyのショッボいドラミングが披露されたNightmareを以ってその死をしみじみ噛み締め、さて次のドラマーはどんなかなとか考え始めたりするわけですよ。
 アレッ、まだレヴがトピックになんの?とちょっと驚き。
 レヴの夭折に改めて向き合って、「俺(たち)はそう簡単には死なねーぞ」という決意を込めたものであってもね。
 つべでフラフラしててこの曲がうpされてるのを発見したんだけど、バンド名とセットでこの曲名をググってみると、そのなんとかに提供した曲であるということ、そして新ドラマーが加入しての初めての音源だということが、あるサイトに書かれてました。
 注目は矢張り2つ目。
 Arin Ilejay(エイリン・アイルジェイ?名も姓も初めて見る)なるドラマーで、Wikipediaには既に彼単独のページがあります。去年解散したConfideというメタルコアバンドのメンバーだったそーです。同バンドの記事で集合写真が見られますが・・・どれがArin Ilejayかわかりませんが、ダセー面々だな・・・。
 上の「あるサイト」は日本語のサイトで、しっかり「新ドラマー」って書いてあったんですけど、Wikipedia.enによると「ツアーメンバー」だそうですよ。
 「ツアーメンバー」は「新メンバー」じゃないんじゃないの・・・。
 どこの国の人ならそう見なすのか知らないけど、サポートは一時的に手助けする人以外の何者でもないと思うけどな、個人的には。
 ちなみに曲のデキですが、一言にするとヘヴィな感じ。Nightmareで聞かれた、暗さへの比重が強いヘヴィさとは違うけどね。
 一部M. Shadowsのドスのきいた声の出し方がこれまでで最もエゲツない印象で、他はまぁ、いつものA7Xです。
 ドラムの音作りはこのArin Ilejayの個性が表れているのか、バンド全体が納得したものなのか定かではありませんが、The Rev(とついでに一応Mike Portnoy)よりもかなり重たくて、A7Xにはちょっといきすぎな気がしました。まぁ、The Revの音に慣れてたらどうしてもね・・・。
 まぁ、今後の活動がこれ1曲で占えるわけでもないし、個人的にはArin Ilejay正式加入~新作発表で全然構わないのですが、このままどんどん重くなっていって溜めたノリ重視のヘヴィなだけのメタルコア色を強めるのだけはカンベンして。
 Nightmareは私はすごく気に入りました。
 暗いなあとは思いましたが、暗い=悪いじゃないし、The Rev死亡直後のアルバムが、彼が存命であった頃から製作が始められていたものの、結果的にああいうカラーになってしまうのはしょーがない。FOREVERとか書いちゃうのもわかる。Bon Scottを喪った直後のAC/DCみたいに表向き、Hells Bellsの鐘の音だけで追悼を表した、ああいうやり口の方がスマートだとは思うけどね。
 一緒に歌えるメロディアスなボーカルパート、ギターパート、共にバンドのアンサンブルと一体になってノれる全体の雰囲気、これまでと比べてもまったく遜色ない。
 しかし、シンプルさはあれでそろそろ限界です。
 City of Evilの頃の、ガチャガチャと色々詰め込みたがる気持ちには、彼らはもう戻れないのでしょうか・・・。
 あれは、但し、整理しきれてないなという印象もまたありました。
 今彼らにある磨かれたセンスを以ってあれの洗練版をつくってみるとどうなるんだろう?
 あくまで願望でしかないんですが、次は・・・いや、いつかでもいいから、新作としてそういうのが聴いてみたい。
 A7Xに俺が飽きる前に。
 ね。

2011年8月25日木曜日

2日目

 ハイ、何が理由かと言われたら昨日Disc I観てDisc IIの内容が気になったから、というわけで本日はUROBOROS -with the proof in the name of living...- AT NIPPON BUDOKANのDisc IIを観ました。
 まぁ基本的な感想はDisc Iにしたそれと同じですね。
 感情感情言ってるクンですが、圧倒されたという事実については勢い一辺倒な残-ZAN-Agitated Screams of Maggotsでのパフォーマンスが最も特筆すべきものだったかと。京のボーカルのノリは文句なく、どっちの曲でか忘れましたがDieも一瞬ですがニコっとしましたからね。少なくとも彼は楽しそうでしたし、俺も特にこの2曲のパフォーマンスの間は楽しかったです。
 Toshiyaは相変わらずフリーダムすなぁ。 
 Omen付属DVDのBobby Burnsじゃないけど、京が動くことによってではなく、京以外の者が動くことによって彼と並ぶ位置についた、それは2日通して確認できる限りToshiyaだけでした。
 Disc IIの終盤、京のお立ち台(?)あるでしょう、あそこに足をかけて弾く姿が見られます。
 Toshiyaに関しては他にも、Hydra 666では1日目には見られなかった、ギター隊も混じっての全体的なメンバーの移動が見られるんですが、の位置にDieが寄っていて、空いたDieのマイクスタンドでToshiyaが叫んでいたりとか。最初のサビでは自分のマイクに向かって叫んでいたんですが、Dieのところでのパフォーマンスではベースから両手離してましたね。
 両手離しはここと1日目でも見られた他、2日目も幾度か見られます。演奏そっちのけで自分のマイクスタンドの位置直してたりとか(笑)。
 あとなんの曲だったかな?終盤ってのは確実なんだけど、ある曲が終わって京が手を頭上に翳す、それに合わせてToshiyaがベースを掲げてる。あれは素晴らしい画だと思いましたね。ザ・パフォーマーです。京が目立つのは当たり前ですから、敢えて最優秀パフォーマンス賞は彼には与えません。
 他には序盤、京の後ろでベースをものすごく大きく振り回す。シールドが舞うほどです。
 残念なのが、このときカメラのフォーカスは京にあったんですよね。Toshiyaは大きく動いて位置は京の背後にありました。
 ひとり浮いたことをやってる奴を他の連中と一緒に映すのはよくない。「浮いてやがんの」とどうしても思ってしまう。あそこはToshiyaをアップにしたカットを入れるべきだったんですよ、マジで。なかったのかもしれないけどさ。
 薫のライブパフォーマンスのひとつに、客をアツく煽るってのがあるらしいんですけど、Disc I、IIともに殆どそういう場面はありません。バンドリーダーでギタリストなのに・・・ってのはまぁ関係ないにしても、正直このDVDでは最も目立たない人。Dieに比べると何故か手元のアップが多いこともあって、イレズミなかったら全然目を引き付けられてなさそう・・・。このバンドのギタリストクラスの演奏をアップで見てもちっとも面白かないぞオイ。
 Dieは任されているコーラスの頻度が多いこともあって、かなりよく顔が映ります。送風に煽られる髪の動きが好きなので個人的に嬉しい編集ですね。
 Shinyaは初日と比べて軽快なトコロや音の粗の目立つタイコの連打は2日目も相変わらず。THE FINALは視覚的に確認して初めてわかった結構難しそうなドラミングでしたが、まさに最も叩ききれてない感じがよくわかるパフォーマンスになっています。
 京も相変わらず主張負けの残念パフォーマンスなんですが、蝕紅のアカペラパートはすごく良かったです。シングル・のスタジオライヴでもやってましたね。あのときはマイクもなしでしたが。個人的にVULGARの収録曲中では比較的どうでもいい方の曲で(だから朔に収録されているのがわかったときも嬉しくなかった)、このDVDで最も印象的なパフォーマンスのひとつが観られるとは思ってませんでした。
 すごいじゃん、京。どこまでも素直に、あれは心に来たぞと言える。INWARD SCREAMとかワケのわかんないもの曲間に挟むくらいなら、パッと頭に浮かべたレパートリーから一部を抜き出してナンかアカペラで披露してみたらどう?理由蛍火ザクロとか良さそうだぞ(何故かすべてMACABRE収録曲だな・・・)。
 あのアカペラ中、マイクをかなり離しながら声を出す場面があったけど、マイクに通した声を聴くとさ、もっと大きく出したい、もっと迫力持たせたいとヘンにリキんじゃって本来できることが適わなくなるのかいね?
 DIR EN GREYと言えば・・・①、②、③、④、⑤くらい簡潔に大別して挙がるもののひとつに、確実に「京(の歌)」があると思うんだよね。
 でも、CDで聴いてこそ、の人だよ。まだまだ。
 私は実際にDIR EN GREYのライヴを観たことがない人なので、読む人によってはこういった言い草は戯言に感じられるかもしれませんが、加工した音源であるライヴDVD作品に対する感想がここでこうやって書いたものになってるんですから、実際観たらもっとヒドくこき下ろすことでしょうよ。
 さて、ライヴはVINUSHKASA BIRで幕を下ろします。これが初日の幕開け、SA BIR~VINUSHKAに繋がり、“ΟΥΡΟΒΟΡΟΣってワケですね。ハイハイ。
 アンコール!アンコール!の声が響く中、UROBOROSツアーの日程?がスクリーンに流れ、最後に来るのはこのDVDに収められている武道館公演2DAYS。
 それが終わると激しさと、この胸の中で絡み付いた灼熱の闇のPVが開始。これに合わせた観客の合唱は2番目のサビからよく聞き取れるようになりますが、反応遅いっすねー。マキシマム ザ ホルモンDeco Vs Deco Disc I終演後にみんな速攻フルパワーで歌い出したのとは正反対。
 このPVが終わって、あとはDVD制作関係のクレジットの表示と共に本当にオシマイ。
 えー、で、まとめですが、まぁ2DAYSあって2日目に良くも悪くも同じバンドとは思えないほどのパフォーマンスをされてもライブ会場の、或いは映像作品を視聴する客は戸惑うだろうし、Disc Iで気に入った人ならそのままの勢いで2日目の収録も楽しんじゃってください。Disc Iでダメだ~って人も1万5千出して買ったんですから一応全部観たってください。
 ちなみに俺は「○○円出して買ったのに!」とかいう悔やみ方を全然しない人なんで、デキに好意的になれなくても損したとかちっとも思いません。
 昨日今日とこんな感想書いてきましたがこれでDIR EN GREYがキラいになったってわけでもないですし、昔から好きで今も好きでこれからもCD、DVDは欲しいですしヴィジュアル面での変遷なんかもこの先楽しみたいです。
 結構ね、たとえば超絶テクデス連中とかのトチったライブなんか観ても同じことが言えるんですけど、自分の好きな人々をヘンに神格化させたりしない方がいいですよ。「なーんだこいつらもヘボいんじゃん」って気づくことができる人の方が、より多くの楽しみ方を見出せると思います。
 要は、突っ込みどころが見つかった方が持てる感想は間違いなく豊かになると思うんですよね。
 完璧なものに対する感想って、「完璧」の一言で済むじゃないっすか。
 たとえば音楽のライブだったら?「完璧」っつったら、ピッチが完璧、運指が完璧、リズムが完璧、音の粒が完璧、アンサンブルが完璧、奏者のあらゆる所作は非の打ちどころがないほどかっこよく、客のノリは常に最高、MCも面白い・・・たぶん俺、1度堪能したら次聴く / 観るの数年後でしょうね。
 -I'll-の頃から知ってる身としては(昔っちゃ昔とはいえ、珍しくもないですが)、海外公演も大盛況とかいうニュースを耳にするたんびに「そういうバンドだったっけ?」と思わざるを得ないんですが、そこにこういう突っ込みどころ満載のライブ映像が登場すると、「ああよかった、大したことないまんまだ」とまた身近に感じられるわけですよ。
 CDだと文句なく、昔と比べようがないほど凄くなってるんですけどねえ。
 さて最後にライヴの内容とは全然関係ないんですけど、
 Voice 京
 Guitar 薫
 Guitar Die
 Bass Toshiya
 Drums Shinya
 って表記の仕方、どうなんすかね。
 「薫 - Guitar」って感じで、名前を先に出す方が自然だと思うんですけど。
 バンドにとっちゃ全然深く考えるようなことじゃないんだろうけど、そのバンドの構成は定められた楽器ありきなの?って思ってしまう。
 人でしょ、まずは。
 昔から不思議、こういう表記をしてるバンド。

 ちなみに私の「DIR EN GREYと言えば」、は
 ①京
 ②Shinya
 ③起伏の豊かな曲構成(これ昔からのイイ特徴だと思いますよ)
 ④わけのわからん歌詞
 ⑤諸要素ひっくるめて「現実感」がある(決して巧くなれないところとかもね)

2011年8月24日水曜日

CDでこうやって演奏してたし

Βλέπω SFBD-0022

 ハイ、というわけでRageStrings to a Web付属DVDじゃなくてDIR EN GREYUROBOROS -with the proof in the name of living...- AT NIPPON BUDOKANを観ております。
 なんでこれか?
 ・・・いやなんででしょうね。
 未だにDisc Iしか観てなかったからかな?
 もう忘れたわ。
 初回視聴時の感想としても以前書きましたが・・・はホントヘタだなあ。
 グロウル時や奇声発してるときは存在感がバッと輝きますが、ああいうときにヘタレて見えるなんてまあ、普通はありえないですしね・・・。
 あと、「華がある」と褒めたShinyaのドラミングですが・・・改めて見ていると、「華がある」+「だけ」なことに気づきました。
 なんかね、ダイナミクスが感じられない。グルーブがない。
 彼がグルーブ出したそうなドラミングを披露してるんでこういう指摘をするんですよ、俺は。
 ただ、バンドとして全体的に自由なアドリブが殆どきかなさそうなバンドの中で個人的なグルーブ持ってると雰囲気が崩れそうではありますが。
 CDに収めるために行った演奏をライブでまたなぞってるだけって感じがね、ヒジョーにするのです。
 いや確実にリズムには乗っているし曲には魂込めてそうではあるし、それはところどころの小気味良いフィルインや大きなビートの中で登場する細かなフレーズからも感じられるんですけど、「勿論こうやって演奏するよ。CDでこうやって演奏してたし」という風に見えるんですよね。
 最近の曲では手元が昔と比べて忙しくなったからかDieもパフォーマンスがこじんまりとしているし、Toshiyaだけですね、本当にライブという場で見る価値があるの。
 少なくともこのDVD(のDisc I)だとベースサウンドがかなり小さいので、間違えても誰も気づかないだろう的な、勿論こんなこと考えながら演奏してはいなかったんでしょうけど、暴れてる彼を見られりゃそれでいいやと思わされる見応えのあるパフォーマンスをしてるのがイイですね。
 Shinyaもね、過去書いた通り、そして改めて見てもやはり思った通り、華があっていいですよ。ヴィジュアル畑出身の人間らしくカッコつけのためのムダな動きも多いし、薫とDieのギター隊、そしてヘタとは言えここまで一曲中で色んな声の出し方を見せてくれるボーカリストが世界にどれくらいいるだろうかという点では物凄く価値のあるパフォーマー・京に負けず劣らず、どんな曲でも忙しそうで一聴で終わる程度のプレイはしていない。
 けど・・・サウンドプロダクションが悪いのか?彼の技術・力量不足なのか?とにもかくにも淡白なんですよ、とっても。色々やってるからこそその淡白さが多彩なフレーズを以って濃くなっていき、見逃せなくなる。
 Shinyaを主に槍玉に挙げてますが、「CDでこうやって演奏してたし」ってスタンスの無言の体現は、何もShinyaだけじゃない。みんなです。いや、Toshiya以外かw
 以前も書きましたが、京は「うまく歌うことに興味がない」と言いつつ、明らかにうまく歌いたげ。
 殆どのパートに於いて、うまくいったテイクを再現しようとしてるだけに思える。
 カラオケなんですよ、やってることが。
 高音が出切らないところにしたって、自分で定まった音まで持っていけないってのは声出している内にわかってくるもんでしょう?だったら表現しきれない部分は別のやり方に変えるとかね、感情の放出を歌に変えているという仰々しいこと言うくらいなんだから、中途半端に終わりそうな歌はやめて、シャウトやグロウル、なんでもいいんですが自分が確実にまともな声を出せそうな方法変えるとか、そっちの方があらゆる意味でおそらく説得力ありますよ。
 こっちとしてはカネ払ってるんだから、ミュージシャンの言い分は尊重したくもありますがまともなパフォーマンス観たいってのもホンネですからね。
 「あっ、今のフェイクだな、でもしょっぱい演奏聴くくらいならフェイクなりにうまくいってるこっちの方がマシだわ」ってね。
 ギター隊もね~。
 これは俺の好みもあるんですケド、ギターはもっと掻き鳴らして欲しい!ね!手元でチマチマやってるのはよほどのテクニシャン以外おらー認めねーよ。
 さてそれではまとめですが、UROBOROS、若しくはTHE MARROW OF A BONE、或いは極少数のこれら以外の過去のアルバムからの曲をちゃんと覚えていて、デキ度外視でそれらのライブ音源を視覚的にも味わいたい!って人向けのDVDなんじゃないかなと。
 A:「今海外でも話題らしい日本のDIR EN GREYってどんなバンド?」-B:「このDVD観てみなよ。」
 このやり取りの果てに、Aさんはこの世に数多ある初めて観る / 聴くものとして確かな価値があったと思うでしょうか?
 まぁ人それぞれですが、HR/HMリスナーがDIR EN GREYとヘヴィメタルを同列に語られることに抵抗を示すことに、俺が少なからず共感を覚える程度には、DIR EN GREYのライブは迫力に乏しいです。
 GAUZEMACABREあたりが好きだった人の中には、とっくのとうに遥か彼方に置いていかれた人が相当数いるであろうと思いますが、ついてきた人はそりゃ・・・このライブ作品でも気に入ったでしょうよ。
 曲を覚えてるってのはやっぱ楽しさに多大に影響するよ。

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