2012年12月29日土曜日

გამარჯობათ, ენესსე მქვია

ガマルジョバ. トクヴェン・ヤポネリ・ハルト
- გამარჯობა. თქვენ იაპონელი ხართ?
ディアフ. エネッセ・ヴァル. トクヴェン・ラ・グクヴィアト
- დიახ. ენესსე ვარ. თქვენ რა გქვიათ?
メ・ニノ・ムクヴィア. ストゥデンティ・ハルト
- მე ნინო მქვია. სტუდენტი ხართ?
ディアフ, ストゥデンティ・ヴァル. ヅァリアン・サスィアモヴノア
- დიახ, სტუდენტი ვარ. ძალიან სასიამოვნოა.
メツ・ストゥデンティ・ヴァル. ヅァリアン・サスィアモヴノア
- მეც სტუდენტი ვარ. ძალიან სასიამოვნოა.
アルバト・ダグリリ・ハルト
- ალბათ დაღლილი ხართ.
アラ, ダグリリ・アラ・ヴァル
- არა, დაღლილი არა ვარ.

 うーん、やっぱりLEXILOGOSは便利だなあ。
 ラテン文字を使う言語をタイプする時と同じ感覚で、こうやって文章が作れる。作るといっても、暗記した他人のモノをそっくりそのまま書いてるだけだけどね・・・。「ენესსე(エネッセ)」は勿論俺のことだけど。
 それにしてもさ、「ძალიან სასიამოვნოა(dzalian sasiamovnoa)」、この語感めっちゃかっこよくない?日本語で言う「はじめまして」に相当する表現なんだけど、これまでに知った他言語の「はじめまして」で群を抜いて語感に魅力を感じる。他に好きなものといえば、ルーマニア語の「încântat de cunoştinţă(ウンクンタト・デ・クノシュティンツァ)」、ポーランド語の「bardzo mi miło(バルヅォ・ミ・ミウォ)」もなかなか。「クノシュティンツァ」と「バルヅォ」って語感がイイからってだけなんだけどね。
 さて、驚くほど濃密な子音クラスターで有名(?)なグルジア語ですが、現在第2課まで読了、この時点ではその特徴はまだまだ息を潜めてるって感じですね。თქვენ(tkven=きみたち; あなた; あなたたち)とかმქვია(mkvia=私は...という名である)みたいに、早くも、広く比較的知名度のある言語では見られないような重子音が登場してはいるんですが、こんなの序の口でしょうね。しかしこの初歩の段にあっても「გქვიათ(gkviat=きみたちは / あなたは / あなた方は...という名である)」の「gk-」という重子音には驚かされる。たとえばフランス語のabsent(アサン=不在の; b=p)、ポーランド語のw Polsce(・ポルスツェ=ポーランドで; w=f)、ロシア語のсказка(スカーカ=物語; з=с)、ハンガリー語のvagytok(ヴァトク=きみたちは...である; gy=ty)などの様に、有声音と無声音が隣合えば片方が片方に影響されて音の変化が起こるってのが学習上は定石であったものだが。
 ところで「სტუდენტი(st'udent'i; t'は帯気音)」は「学生」なんですが、グルジア語でもこう言うんですね。どこから入ったのかな?隣国・ロシアでも「学生」は「студент(ストゥヂェーント)」だけど、ロシア語から入ったってのは有り得るのかな・・・。ちなみに、厳密にはこれは主格で、語幹は「სტუდენტ(st'udent')」です。こう書くとますますどこかで見た語形。「-ი」が主格の指標語尾になってます。
 で、第2課に「ეკლესია(ek'lesia)」ってのが出てくるんですが、これはéglise、ἐκκλησία(ekklēsiā)、つまり「教会」です。これも絶対外来語ですね。これも主格形ですが、語幹と形を共有しています。
 しかし「車」は不思議な語感をしており、「მანქანა(mankana)」と言います。「車」と言うと、「auto」、「mobile」、「machine」、「car」のいずれかからできてるものばかりこれまで色んな言語で見てきたんですが(フランス語ではautomobile(オトモビル; 原義は「自動で動くもの」)とも言うが、日常的にはvoiture(ヴワテュール)がふつう)、これは新鮮ですね。とは言え、最近学習の優先順位が上の方にあるポーランド語でも「samochód(サモフト)」というこれまたフランス語ないしはロマンス系的でない言葉になってるんですが。ちなみにポーランド語と同じくスラヴ系であるロシア語では「машина(マシーナ)」です。あれ、待てよ。もしかしてმანქანაはmachineからきてるのかな。
 とまあ、そんなこんなでグルジア語も楽しんでやっております。
 LEXILOGOSの力添えなしでは打てないどころか打つ気もまだしませんが、紙にペンで書くことにはもう早くも大分慣れてきてます。まだ出てきてない字もあるんだけどね。
 なんとなくさ、個人的に、「究極の他言語学習」ってのがあるとしたら、それはグルジア語だと思ってるんですよ。なんでなんですかね。何故かは自分でもわからないんですけど。非ラテン文字が正書法に用いられていること、形態論的に膠着語であること、子音クラスターが極端であること・・・とりあえずなんでかなと考えてみて思い浮かんだのはこういったところです。バスク語も難しいとよく言われますが、あっちはまだいいですよ。ラテン文字使ってるんだから。これはホントデカいですよ。まず読めないと学習どころじゃないって、絶対。あああ、チベット語も「究極」入りさせていいかもなあ。一字毎を読む分には事欠かないとしても、言葉って単位になると途端になんて書いてあるんだかって感じだし。読みの規則がないってことではないんだけどね。しかも敬語表現が発達していて、且つ動詞の使い分けに「心情」が関わってくるというなんとも説明し難い特徴がある・・・(少なくともラサ方言には)。正直なんのこっちゃやらでいまだに理解できてません。
 まあだからね、まがりなりにも己の言葉として使い始めようと思ったら暗記ってのがイイわけなんですよ。
 それを繰り返して理論でなく感覚でいつの間にやら身についた文法要素があるとか、ザラだからね。習うより慣れってやつかね。
 ところで「მე ნინო მქვია(me nino mkvia)」は「私はニノといいます」(女性が言っている; 姓・名の内「名」の方の言い方だそう)という意味なんですが、「ニノ」ってのは実在する名なんですね。
 荒川アンダーザブリッジがグルジアに輸入されて「ニノ」の名の由来をグルジア人が知ったら、我らの名は日本ではこんなマヌケな理由でつけられるものなのか・・・と多少は複雑な気分になったりするもんなんだろうか?ちょっと興味あるわ。

2012年12月28日金曜日

ugbgjwk.7 f,dty nghkytln @gjf2

 なんだと思います?この記事の題になってる文字列。
 グルジア語キーボードレイアウトを使ってこう打つと、

 გამარჯობა. თქვენ იაპონელი ხართ?

 と出てくるんです。
 ああ~、グルジア語と言えば極端な子音クラスター!すごいな、一語がこの長さで母音字をまったく含んでないやつがあるぜ、ということではなく、上のラテン文字が示す音と、グルジア文字が示す音はまったく異なっています。
 正確さを追求するのは面倒臭いので基本的なラテン文字だけを使って大雑把にその音を示すと、「gamarjoba. tkven iaponeli hart?(こんにちは。あなたは日本人ですか?)」となります。
 この理不尽なレイアウトをこれから覚えていかなければならないなんて・・・。
 困難があると燃える人はいいですね。俺の場合はものによりけりですが、これはただ単にハァ・・・って感じです。
 だってさ、既に書いたことだけど、アルメニア文字は、それに相当する音を持つラテン文字のキーを打つと別の音を持つ文字が出てくるなんてことないんだもん。そういうのがあると知ってるからこそ、何故グルジア文字のレイアウトはこんな配置になっちゃったんだと思わずにはいられない。
 あ、ただ、俺が学んでいるのはアルメニア語の西方言なので、「D」を打つと「Տ」、「T」を打つと「Դ」が出てきてくれないと違和感を持っちゃう。アルメニア本国の正書法(東方言とも言う)だと、ラテン文字のDにあたるものは「Դ」、Tにあたるものは「Տ」で、西方言とは逆。他、B / P、G / Kはそれぞれ「Բ / Պ」、「Գ / Կ」で、どれが有声音でどれが無声音であるかが、「Դ / Տ」と同じく東と西で逆になっている。たとえば「Հայաստան=アルメニア」は東方言では「ハヤスン」、西方言では「ハヤスン」だ。そういうわけで、前に原語でのアルメニア共和国の名を話題にしたことがあったが、あのとき書いた仮名による転写は東方言のものであった。ちなみに「東」と「西」の名の由来だが、アルメニアよりディアスポラでトルコ方面(=西方)に出て行った人々が話すから「西方言」、その対比でアルメニア本国の言語形態が「東方言」。アルメニア共和国内の東と西で大別されているわけではない。・・・ホント言うと、たぶんそうなんじゃないかな、ってだけなんだけど。
 そういえば、「ニュー」も含めてエクスプレスシリーズには何故アルメニア語のものがないんだろう?いくらなんでもマイナーすぎるということなんだろうか。アルメニアからして、日本でもさっぱり話題にのぼらん国だしなぁ。グルジアは、イヤな話ではあるが、侵攻をやらかしてひとときの間ニュースになってましたね。まぁ、それが「ニューエクスプレス グルジア語」の刊行に何らかの形で、或いは僅かでも影響を及ぼしたのかどうかは全然わからんが・・・。
 アルメニア語の日本での語学書は、いまだに国際語学社のものしかないんじゃなかろうか。持っているから知ってるんだが、この本はアルメニア語、日本語共に誤植がヒドいので、もっと洗練された編集をウリとしている出版社に是非新しいものを出してもらいたいのだ。同社はアラム語など興味を大いにそそられる言語の本も出しているんだが(グルジア語もある)、このアルメニア語の本の雑なつくりが原因で買うことに二の足を踏まされているんだよなぁ。
 なんか結局グルジア語の話しだったの、アルメニア語の話だったの?って感じだが、とにかくですね、グルジア語キーボードレイアウトにはいつになったら困らされずに済むんだ!ってことで。

2012年12月26日水曜日

un idiot (savant)

 サヴァン・Daniel Tammetは1週間でアイスランド語を習得するよう要求され、その成果をアイスランドのテレビ番組に出演して司会者たちと通訳なしでやり取りをすることで、その試みを成功に終わらせたことを見事証明した。
 1週間か・・・。
 紙の上でペンを走らせる分には、己のなんらかの言語の習得度は他者のペースに惑わされる心配がない。
 1週間で、たとえば簡単な日記をつけられるようになることは、アイスランド語であろうが何語であろうが無理のないことなのかもしれない。
 これは「意外に」ではない。
 実際、俺ならその自信が持てる。但し語彙を増やすことに積極的でないので、小学生以下の内容にならんとも限らんが。
 ポーランド語の学習を円滑に、比較的難解なページから読みながらも適っていることを書いた後、俺はチェコ語ルーマニア語グルジア語の語学書を買った。
 チェコ語は、学生だった時分に別の本で少しだけ勉強したことがある。
 ルーマニア語はさっぱりない。前知識としても、まさか文法性に男・女以外に中性があり、しかも格があるとは思ってなかった、そんな程度だった。
 チェコ語はルーマニア語の後に学習を始めた。こちらは最初の課から進んでいっている。
 片や初めて学ぶことになったルーマニア語は、最後の課から暗記を始めた。暗記による他言語の円滑な学習が、「どういうわけだかポーランド語でのみ適っていた」わけではないということを確かめたかったのだ。
 かなり苦労した。
 なにせ全然知らん言語。
 一応イタリック語派の言語なので、動詞、形容詞、前置詞などに見覚えのある言葉があったり、文中の品詞の役割がどういったものであるかの見当がつくものも多少あったことは幸いだったが、それにしてもルーマニア語は、イタリック語派の言語としては非常に異質だと、早くも思っている。スラブ系言語の影響が色濃いことも関係しているのかもしれない。
 最終課は

 ce impresie ţi-a făcut România?

 という一文で始まる。本に倣うと、「ルーマニアの印象は?」という意味である。
 ルーマニア語は最終課とそのひとつ手前の課の暗記を終えた後、普通に第1課から改めて始めて、今7課を読了したところであり、そのことも関係してなのか、それとも今冷静に考えてみれば、なのか、何故こういう文で上に示した通りの和訳となっているのかがようやくわかった。
 これは和訳も悪い。しかし逐語訳に近く訳しようとすると、日本語として不自然なものになってしまう。
 この文章の主語は、おそらくルーマニア(România)だ。実はこの見極めが重要なことだったんだが、まず俺は文の本質ではなく、「ţi-aってなんだ?」とこれについて考えずにはいられなかった。
 で、「ルーマニアの印象」という和訳に目がいき、これが「făcut România」に対するものだと勘違いしてしまったのがいけなかった。愚かに安直である。
 被修飾語に対して後置される名詞が原形のまま先行のものに帰属することを示すという文法構造があるのかと、まぁすぐ何かを思いつくのはこれまでに散々色々な言語に触れてきた結果であると喜んでいいのかもしれないが、この文に対してこの解釈はマズかった。これのせいで、この第一の文からしてかなり覚え辛かった。
 字数大したことないでしょ?でもそういう問題じゃないんだよな。俺は見えてるまま暗記してるわけじゃなく、一応自分の中で文型に対して納得いく解釈を、正しかろうが間違っていようが持てるかどうかってのが、円滑な暗記には必要だと思いながら事にあたってるわけだ。見えてるまま暗記できるヤツってのは、そうだな、冒頭挙げたDaniel Tammetみたいな稀有な連中、サヴァンだ。俺はサヴァンでなく、サヴァンの元の名(un idiot savant)から取り除かれたまさにイディヨ(白痴)。
 この文章は、

 ce impresie(チェ・インプレスィエ) = どんな印象を
 ţi-a făcut(ツィア・ファクト) = きみに為した
 România(ロムニア) = ルーマニアは

 という構造である。
 「ルーマニアの印象は?」という和訳に捕らわれている時間が長すぎたと思う。
 第6課にa face(ア・ファチェ)という動詞が登場した。フランス語でいうfaire(フェール; faceの前のaはàに相当)である。
 そうかなるほど、どうやらfăcutはa faceの過去分詞だろうなと考えが至ったわけである。語形からも過去分詞であると推測させられた言葉が他にあって、cunoscut(クノスクト; =有名な; フランス語・connu(コニュ)), pierdut(ピエルドゥト; =失われた; 同・perdu(ペルデュ))がヒントになってくれた。făcutが本当に過去分詞なのかどうかはともかく、仮にでもそう納得しておくとce impresie~の意味が、他者に用意された和訳にのみ頼るだけでなく理解できた気になれた。もしfaireがルーマニア語に於いてよく似た語形をしていると知っていれば、もっと早くによい解釈が適っていたかもしれない。
 この文を逐語訳でフランス語にすると、quelle impression la Roumanie t'a fait?(ケル・アンプレシヨン・ラ・ルマニ・タ・フェ)、「ルーマニア(la Roumanie)」が最後に来るようにもつくれて、その場合は、口語的ではないが、quelle impression t'a-t-elle fait la Roumanie?(ケル・アンプレシヨン・タ・テル・フェ・ラ・ルマニ)となる。こういう風に他の言語(といっても試みたのはフランス語でだけだが)を通して考えてみるのもいい。
 ce impresieが直接目的語だと思うんだが、そうなるとţiの形に疑問が沸く。というのも、「きみ」にあたる人称代名詞の与格形が、どうやらîţi(ウツィ)らしいからだ。以下の文からの推測である:

 ダカ・ヌ・エシュティ・オボスィト, ウツィ・プレズィント・オラシュル・ブクレシュティ
 dacă nu eşti obosit, îţi prezint oraşul Bucureşti. = もし疲れていなければブカレストの案内をするよ。

 この文型なら、prezint(不定形はまだ知らない)の直接目的語は絶対にoraşul Bucureşti(ブカレスト市; oraşulの-ulは後置定冠詞)である筈なので、これを案内(紹介)される側は与格で表現されるのが妥当というものだろう。
 しかし、こういう文もあった。以下のものは第19課からである:

 ウツィ・ムルツメスク・ディン・トアタ・アニマ
 îţi mulţumesc din toată anima. = 私は心からきみに感謝する。

 「mulţumesc」が「私は感謝する」にあたり、これをフランス語で言うと「je remercie(ジュ・ルメルスィ)」になる。remercier(remercie不定形)の対象は直接目的格である。ただ、フランス語では「きみを」も「きみに」も共に「te(ト)」一語で表現されるので、ルーマニア語でも同様なのかもしれない。
 さて、では「ţi-a」の「a」はなんだろうか?これは助動詞だと思う。フランス語で言えば、上にも示した通り、これと見た目は同じく「a(avoir 直現3単)」である。しかしルーマニア語でのavoirである「a avea(ア・アヴェァ)」の直現3単は「are」と学んだ(上から3段は単数、残り3段は複数; 人称代名詞+a avea活用):

イェゥ・アム
eu am
トゥ・アィ
tu ai
イェル / イェァ・アレ
el / ea are
ノィ・アヴェム
noi avem
ヴォィ・アヴェツィ
voi aveţi
イェィ / イェレ・アゥ
ei / ele au

 まぁ、まだ俺の知らない文法要素ってことなんだろう。或いは、a fi(=être)の直現3単は「este(イェステ)」であるが、「e(イェ)」にもなるの如く、省略形があるとか・・・どうだろう?
 何故色々とフランス語でいちいち考えているのか?それはルーマニア語を知らないからである。
 しかし暗記には問題がない。
 今日、ポーランド語、チェコ語、ルーマニア語を取っ替え引っ替え暗記していったが、まったくなんの問題もなかった。知恵熱が出たり頭が重くなったり他言語間で言葉の交換が行われてしまったりといったことなども一切ない。人の記憶の引き出しは無限に存在しているんだろうか?考えても栓のないことであるが、ふとそういうことが不思議に思えてきてしまう。
 それにしても、以前は1日かけて1課を暗記していた筈なのだ。
 どうなってんだ、ホントに?
 ポーランド語は、20課から逆流して11課に到達した。これを除いた2言語、1週間あれば・・・たぶんどちらも読了し、それに加えポーランド語の学習も終わっているだろう。
 以前、チャリで通っていて16時から21時までが労働時間となっていたバイトと違って、今のバイトは強制的に1日9時間(休憩1時間含む)+電車通勤時間を費やすことになっている。ついでに、24時間営業の店舗で、休みは週2だ。おまけに店長と営業以外は土日祝日関係なし。シフト制なので休みの申請はある程度きくと思うが、別の月にその分多く出勤させられるらしい。
 この生活環境の中で、1週間で1冊、2冊の語学書が読了できれば成果として本物だろう。
 さて・・・グルジア語についてですが、これはこの1冊だけにかまけていいとしても1週間じゃムリそうだ。
 なんせ、まず文字を覚えないといけない。
 文字を覚えずして暗記に取り掛かるとなると、それこそ絵を眺めるが如くだ・・・。
 あと、こういうところでタイプするとなるとキーの位置も覚えないと・・・正直こっちの方が億劫だ。
 アルメニア文字やギリシャ文字などは、ラテン文字ではないが、たとえば「R」を打ては、これに相当する「Ր」、「Ρ」が出てくるように、キーの位置を新たに覚える必要が殆どない。アルメニア文字はラテン文字よりもかなり多いのでその分の配置は覚えないといけないし(数字のキーや約物のキーにまで割り振られている)、ギリシャ語は古典期のものをタイプしようと思うとアクセントや気息記号も使いこなさなければいけなくはあるが。
 片や、グルジア文字は、たとえば「K」と打つと「ო」が出てくる。これはラテン文字で言う「O」にあたる・・・。
 しかしやって覚えられないことはない。アラビア文字やヘブライ文字のキーボードレイアウトも、ラテン文字のキー配置がまったく参考にならない構造になっているが、覚えられた。しかも割りと早くにだった気がする。
 しかしいまだに大嫌いなレイアウトがある。キリル文字だ。といってもロシア語のもので、たとえば同じく正書法にキリル文字を採用しているマケドニア語やセルビア語のキーボードでは、「D」と打つとこれに相当する「Д」が出てくる。しかしロシア語レイアウトでの「D」は「В(=V)」である。何故かこのロシア語レイアウトではキリル文字の正しい位置がさっぱり覚えられなかった。僅かな数だけを修得して終わった。いや、またやればいいんだけどさ・・・。ちなみに何故マケドニア語レイアウトでロシア語を打たないのかと言うと、前者のレイアウトにはない文字を、ロシア語で用いられているキリル文字が有しているからである。
 今度は色んなキーボードレイアウトの素早い覚え方を編み出す試みに取り組んでみようかな・・・。
 あ、最後に余談なんだけど、「ニューエクスプレス ルーマニア語」はすごいオススメの本です。最初からまったく手加減なしで、最終課までずっと文字数が多い。シリーズの他の本に比べて、かなり早い段階からスキットがギュウギュウになってるのが少し眺めただけでわかるかと思います。ちなみに登場する単語の数が飛び抜けて多いわけではなく、他の本と同じである。つまりは著者の能力のおかげだね。Este uimitor şi extraordinar!
 逆にイマイチなつくりであるという印象を受けたのがチェコ語。書店でパラパラと見つつ、本当は買おうかどうかかなり躊躇したんだけど、同じく西スラヴ系言語であるポーランド語とどんくらい似てるもんかなと学習しながら検証したくて買ってみました。ポーランド語のものに比べると全体的に空白が大きい感じがするんだよね。まぁ、ポーランド語はその正書法が原因(複数ある二重子音、チェコ語よりも遥かに多い軟音の表現の為)でどうしても綴りが長くなりがちな言語だから比較には少々無理があったのかもしれないけど。挿絵の質もクソ。しかもやたらとデカい絵が多くて、これのせいで文章入れるスペースが圧迫されてるんじゃねーのかと思う。

2012年12月23日日曜日

俺はものぐさだから

 結局劇的な暗記方法というものは編み出せていないまま。
 ここ数日は原点回帰の上勉強している。
 最近また語学書が新たに2冊増えたのだが、そのうちのひとつは、ポーランド語のもの。
 そしてもうひとつはポルトガル語。・・・「ポルトガル語」ね。「ブラジルの」とか、そういうの一切付かない、純粋なポルトガル語。真のポルトガル語。その名の通りポルトガルで育まれたポルトガル語。ブラジルのポルトガル語なんて俺はやりたかね。いやいつかやるものとしてはいいが、最初は純正に拘りたいんだよ。しかし確かja.wikipedia.orgで目にしたのだと思うが、ポルトガル本国のポルトガル語の正書法は、ブラジルでのそれに倣うようになっているのだか、或いは倣うようになるのだとか。こんなに嘆かわしいことはない。何故そんなことをするんだろう。今やポルトガル語と言えば、ブラジルで話されているポルトガル語の方が影響力があるからか?それはそうだろうな。話者数がまるで違うし。しかしそれに追従する意味が皆目わからない。本当にさっぱりだ。
 ちなみにそんな2つの形態の力関係の差を表しているかの如くであるが、日本では純粋ポルトガル語の本が極僅かしか出版されていない。ないわけではないのでそれが勉強できないということはないが、ルシタニアでない彼の地で話されているポルトガル語の本が、辞書、単語帳、会話練習帳、文法書と様々な体裁で出版されているのを目にするのが実に容易であることに比べれば、その品数の少なさたるや実に残念なことである。
 まぁ、需要がないんでしょうな。簡単な理由である。俺にしたって別にポルトガル本国のポルトガル語を学ぶ動機なんて特にない。たとえば市井の民の声を拾って語学書を作ってくれる出版社があるとして、ではプレゼンどーぞと言われても理由に困る。
 俺の買った本では、ブラジルのポルトガル語を勉強した筆者がポルトガルへ行くと会話に苦労したということが重ねて記されていたが、実際そんなに意思疎通に多少の困難が伴うものなのだろうか?片や、ノルウェー、スウェーデン、デンマークの3国間で、それぞれ固有の言語で互いに話して通じることを鑑みればなんともまあ不思議な話である。ブラジルの、とはいってもあくまでもポルトガル語である。しかしこちらは言語名からして違う。つまり相互に独立性が確立されているということだ。といっても、これら3言語についてのこの話も実際自身が体験したことではないので、本当に通じ合えるのかどうか半信半疑でもあるんだが。というかそもそも、この3つの言語が3つとも云々以前に、とりわけデンマーク語が音声面からしてスウェーデン人、ノルウェー人に通じるとはとても思えないんだけどなあ・・・。
 さて、冒頭の「原点回帰」とはどういうことであるか。
 これは、口に出さず、字を追ってだけして記憶していくというやり方である。
 そして、自分で文章を作る。
 自分で文章を作りながら言葉の使い方や、正しい文法に注意を払い正書法を身に着けてゆくという勉強方法はお勧めである。必ず身につく。
 コツは、どんなに簡単な表現であっても、頭に浮かべば即座に文字にしてみること。口にできるのならそれでもいい。俺の場合は書く(或いは打つ)。
 頭が余程ヘンな構造をしていない限りは、勉強の進捗が著しく進んでいない限りは、即座に思いつけるのは簡単な表現であるはず。そういったものの積み重ねで言語は身につく。いつまで経っても「あれはうんたらです」「こんにちは、お元気ですか?」「どこに住んでいますか?」「昨日は何を食べましたか?」程度の表現しか思いつかなくても、つまりはそれらを何度もしつこく他言語を通して自身の言葉にしていけば、それらは確実に身につけられるということだ。身につけられるものが多いのはいいことだ。そして論文を書いたり小難しいことを長々と述べてみたりしたいのでなければ、そんな簡単なことしか口にできず仕舞いであるとしても、なんの問題がありましょうか?俺は将来、こんな風に他言語ですらすらすら~っと記事を書いてみたいので簡単な表現じゃ満足できないけどね。でも咄嗟に思い浮かぶ言葉が10回連続くらいで「こんにちは、お元気ですか?」くらいのものであったとしても、必ずそれはすべて文字にしている。逆に言えば、その程度のものくらい流暢に表せなくて後々難しい表現が適うと思ってんのか、ということだ。
 ただ、採るべき勉強法は、そのとき教師となってくれている学習書のつくりにもよる。
 上の勉強法は、ポルトガル語の本を読んでいるときのもの。
 ポーランド語の勉強をしているときにはやっていない。いや、生格、じゃない正確にはしていたんだが、やはり俺は生来のものぐさだ。
 俺のポルトガル語の本には、基本的に長文が載っていない。課毎の冒頭に複数の例文が示され、それらの文章で用いられている表現や文法について個別に解説が為されている、という構成だ。
 ポーランド語の本の方にはスキットがある。ひとりの人による記述もあるが、基本的には殆どが会話文だ。
 当然、あとの方のページには複雑な表現が並ぶ。
 全20課あるが、8課くらいまでは最初のページから順に読んでいって学習していた。
 しかし飽きた。
 だから最後の課から逆流していくことにした。
 そうすれば勉強が面白くなるかと思ったかというと-まったくそんなことはない。しかしページの空白をよい具合に埋め尽くすほどの文章群というのは、やはり見ていて心地良い。
 それにしても自分で自分を驚異的だなと思った点がある。
 当たり前のことだが、20課の文章を読むには、文法的知識が不足している。しかし暗記だけでそれすらも乗り越えられる。
 しかも1課丸ごとの暗記に要する時間は僅か30分ほどだ。
 勿論もっと早くに暗記を終えてしまうヤツだっているだろう。
 しかし、20課から・・・今16課なんだが、今のところ30分程度で暗記が適っている。学習開始当初、真面目に最初から読み進めて到達した8課あたりに差し掛かる頃には、暗記に要する時間は当然の如くもっと短くなっているに違いない。
 つまり、1冊に掛ける勉強の総時間が大したことにならないという結果が得られる。
 取り敢えず計算し易いよう、仮に全課30分ずつで終わらせたとすると、所要時間は10時間。そして逆流の内に差し掛かる10課あたりを堺に必ず1課あたりに費やす時間はかなり減るはずなので、実際の所要時間はもっと少ないだろう。これにプラスして文法事項の確認と習得に数時間を掛け、10時間前後になるんじゃなかろうか。ちなみに語彙を増やす努力というのはこれまでに滅多にしたことがないので、表現力アップを謳って設けられている単語表のページはまともに見ないこととする。まぁ、気分にもよるだろうが。
 俺はある1冊のフランス語辞書の付録として載っていた文法解説のページを約4ヶ月間何度もしつこく繰り返し読みまくることで、4年間、フランス人教師との会話も含んだ、大学内での学習に殆ど困らないだけの語彙、文法知識、発音法を得た。
 4ヶ月を費やしひとつの言語の学習書を取っ替え引っ替え読んでいけばどうなる?
 どうなるんだろう?
 どうなるんだろうか・・・。
 実に・・・☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓。
 まぁ、実際のところ、少なくともポーランド語に関して言えば、だが、4ヶ月取っ替え引っ替えはムリそうである。何故なら、そこまで本が手に入らないであろうから。金欠の問題を差し置いても、果たしてこんなに早いペースで学習を進めていった結果、4ヶ月最後の日に至るまで、読み終える毎に新しく本を手に入れられるほど、ここ我らが日本国には日本語で著されたポーランド語の学習書があるのだろうか、ということだ。
 別に4ヶ月に拘らなくてもいいと言えばそうだが・・・謂わば、俺にとっての、言語がある程度習得できるかどうかについて、ひとつの区切りの期間なのだ。
 今にして考えてみれば、4ヶ月ひたすらひとつの学習書を延々と読んでいた、この行為自体が有り得ない。だから今の俺にとっては、そもそも4ヶ月ひとつの言語に打ち込んでみるとどうなるか、を実践することすら不可能に近い。ここまで色んな言語の本を揃えてしまうと、ね・・・(30を超えている)。
 だからこそどうしても考えてしまう。今4ヶ月ずっとひとつの言語をやり続けると、一体・・・。
 さて最後にどうやって暗記しているか、だが、これは至極単純。
 「意味のまとまり毎に覚える」だ。
 以前既に言及しているが、これは長いこと暗記法として揺るぎない効果のある方法であると俺が信じているもののひとつである。まぁ、実際はそこまで大層なものではなく、つまりはさっさと暗記を進めるためにはどうやればいいか、というものぐさ精神の充足に繋がるものでもある。
 それに、分類上、孤立語(中国語など)でない言語の学習中には、こうやって覚えてゆく方がいいに決まっているのだ。
 たとえば、フランス語で「古い」「年をとった」は「vieux(ヴィユー)」と言う。これは原形なので、イコール男性単数形だ。
 では、「男」は「homme(オム)」と言うが、「年寄りの男」は「*(un) vieux homme」かというと、これは間違いで、vieuxの被修飾語となる直後の男性名詞が母音で始まっていれば、「vieil(ヴィエィ)」という特別な形になる。「母音で始まっていれば」、である。「母音で始まっていれば」、ではない。
 そして、形容詞の女性形は大方、原形の語末に-eを付けることによって形成される。たとえばintelligent > intelligente(アンテリジャン > アンテリジャント; 賢い)といった具合で、一方原形が-xで終わっていれば、heureux > heureuse(ウールー > ウールーズ; 幸せな)というように-xが-seに変わるが、vieuxの女性単数形はならば*vieuseか?というとそうではなく、vieuxからではなくvieilから形成され、「vieille(発音はvieilと同じ)」となる。こういうことは辞書やらで数度、実際の使用例を抜きにして言葉とその活用のみを目にするよりも、修飾語と被修飾語のペアを見ながら覚える方が断然ためになる。
 言語の学習法に「正解」はないであろうが、効率良いものであると確信できる方法が見い出せれば、是非ともそれに縋って、できるだけ精神の負担を抑えつつやってゆきたいものである。
 俺はものぐさだから、さっさと覚えたいが為に熱意が楽する方楽する方へと常に向いている。
 今でも、格による曲用の一覧表を作ったりするのは大好きなんだけどね。
 それが苦にならないから、駆け足学習法の欠点を補う術もあって勉強が捗ってるって感じなのかなー。
 では最後に、件のポーランド語学習書・第20課の本文を書き出しときます。こんなものが載ってるんだってことで。

ヤク・シェン・マチェ? ポドブノ・フチョラィ・フ・ポルスツェ・スパドゥ・ピェルフシ・シュニェク
Jak się macie? Podobno wczoraj w Polsce spadł pierwszy śnieg.

フ・ポルスキム・インテルネチェ・ポカザノ・ズディエンチャ・ザシュニェジョヌィフ・ウリツ. チ・イェスト・バルヅォ・ジムノ
W polskim Internecie pokazano zdjęcia zaśnieżonych ulic. Czy jest bardzo zimno?

オト・モイェゴ・ポヴロトゥ・ド・ヤポニイ・ミネウォ・ユシュ・プゥトラ・ミェションツァ
Od mojego powrotu do Japonii minęło już półtora miesiąca.

ヂシュ・イェスト・ピェルフシ・リストパダ - ヴィェム, ジェ・ト・ヂェニュ・フシストキフ・シュフィェンティフ
Dziś jest pierwszy listopada - wiem, że to dzień Wszystkich Świętych.

ヴィェレ・ミ・オポヴィァダノ・オ・ティム・シュフィェンチェ・イ・ジャウイェン, ジェ・ニェ・モゲン・ゴ・ゾバチチュ・ナ・ヴワスネ・オチ
Wiele mi opowiadano o tym święcie i żałuję, że nie mogę go zobaczyć na własne oczy.

ニェダヴノ・フ・ポブリジュ・ナシェゴ・ドム・オトファルト・ノヴィ・スクレプ・ズ・ウポミンカミ
Niedawno w pobliżu naszego domu otwarto nowy sklep z upominkami.

スプシェダヨン・タム・ポルスキェ・ボンプキ・ホインコヴェ! ゾバチフシ・イェ, バルヅォ・シェン・ウチェシワム
Sprzedają tam polskie bombki choinkowe! Zobaczywszy je, bardzo się ucieszyłam.

プシェスィワム・ヴァム・ポズドロヴィェニャ・オト・モイフ・ロヂツフ
Przesyłam wam pozdrowienia od moich rodziców.


 名詞の格毎の特徴的な語形についての記憶はあやふやだし、過去形すらまともに覚えてないけど、ここまでのものが暗記できる。
 この文章、動詞の非人称能動過去形(pokazanoとか)と完了体副分詞(zobaczywszy)が出てきてるんですよ。概念的になんだそりゃって感じなんですが、言葉としては頭に入ってて、取り出せます。
 完了体なんて、初出のページをまだ見てすらいない。
 ロシア語、セルビア語、クロアチア語とやってきてるんで、どういうものかは名前見ただけでわかりますけどね。簡単に言うと、対になるものに「不完了体」ってのがあって、フランス語・travailler(トラヴァイエ=働く)を例にとると、

 不完了体=j'ai travaillé(ジェ・トラヴァイエ=私は働いた)
 -「働いた」という今より過去の動作について言及しているだけで、それが終わったものかどうかについて問題にしていない。たとえば、これを言った時点はサボリ中なのかもしれない。

 完了体=j'ai fini à travailler(ジェ・フィニ・ア・トラヴァイエ=私は働き終えた)
 -働き終えた、今日の自分の仕事はもう終わり、今日はもう働かない、退勤済み。

 ということ-この違いです。
 なんかもうね、勉強が進んでる気がするのなら、これでいいんじゃないのって。

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