2012年5月11日金曜日

革命勃発!

タミル文字の綴り方に革命勃発!

 めちゃちょっとしたことなんだけど、なんだか物凄く嬉しくなったのでこれは記事にせざるを得ないな!
 まぁこれを見りゃれ(暗くて見辛いケド)。


 下部に矢印が引いてある文字に注目してもらいたい。
 その2つの文字と、これらの下、更に矢印の下にある文字とは僅かな違いがある。
 ・・・わかる?
 文章の中に含まれている方の2文字は、その下にある文字に比べて角張ってるんだ。
 これだよ!革命は!
 最初こうやって書いたときは狙ってやったわけじゃなくて、字を書く際の集中が足りなかったかなんかで、いつもの書き方-即ち矢印の下の文字の形で綴るための手の動き-ができなかった。謂わばミスであったと言える。
 「おわっ、曲線が書けなかったっ」と思ったのも束の間、この形が即座にこれまでの書き方を二度と省みる必要がないと思わせるほどに魅力的であることを悟った。
 シンハラ文字やビルマ文字など、丸みを帯びた文字を目にすること自体は好きだ。しかし書くとなると話は別で、将来たとえばこの2種類の文字を書くことがあっても、疑いようもなく俺は文字毎にその各部を己にとっての書き易さに適当なように角張らせるだろうと思う。
 タミル文字は既にそんな風にアレンジしまくって綴っている文字のひとつだが、この書き方は何故だか今日偶然実現させてしまうまで思いつかなかった。
 まだ他のどの字母に適用させられるかについては、考えたり実践したりしてはいないが、きっと更に楽に、俺好みの見た目で記すことができるようになるはずだという不思議な確信がある。
 なるべく元の形を尊重したいとは思っているが・・・それに則り綴ることがストレスになるのなら考え方を改める方が寿命が削られずに済みそうで好いしな。
 デジタルで表すと「எங​களுடைய​ நாது ஜப்பான்.」と書いてある。・・・実はこの文、綴り間違いが2箇所ある。「எங​களுடைய​」の2文字目、「ங​​」の上には点を付ける必要があり、そして真ん中の「நாது」の語末は「து(du)」ではなく「டு(ḍu)」が正しい。
 なので、間違いを正して綴ると、「ங்களுடைய​ நாடு ஜப்பான்.」となる。
 読みは「エンガローダ・ナードゥ・ジャッパーン(< eṅgaḷuḍaiya nāḍu jappāṉ)」、「我々の国は日本である」という意味です。間違った方の文章は「エンガローダ~」になってしまう(;´д`)・・・「ナードゥ」はカナだと区別しようがないのでそのままだが。ちなみにこの「ドゥ」は、反舌音ってやつで、日本語のダ行が歯の付近に舌を密着させた上で発音されるものなら、反舌のDは、その名の通り、口内の天井が柔らかくなるところ(軟口蓋)の直前の部分(硬口蓋)に反らせた舌を付けて出す音です。インドで話されている主要な言語の殆どにある音だと思います。
 所有形容詞には「-உடைய​(uḍaiya)」が付く形と付かない形があり、日常に於いては後者-「我々の」の場合ならஎங்கள்(eṅgaḷ > エンガ)-の方がよく用いられているそうです。短くて言い易いもんね。ただ、「誰の=யாருடைய​(yāruaiya > ヤーローダ)」は、「-உடைய​」が機械的に分離できるからなのか、これを外した形・யார்(ヤール)としても言い表され、「誰が=யார்」と全く同じ綴り、発音になる。文脈でどちらが使用されているか判るというので、問題になってないのかな?
 俺が「エンガ」じゃなくて「エンガローダ」で書いたのは、単に字を沢山書きたかったからですね。よくやるんですよ、こーゆーの。
 「クレオパトラの鼻がもう少し低ければ~うんたら」って逸話があるでしょう(実際はクレオパトラはそんなに美人じゃなかったらしいが)。こういうちょっとしたことでも、実際ショックを与えられたとなると、いやあ、捨て置けませんな~。

2012年5月10日木曜日

“Rihtlīċe hī sind Angle ġehātene.”

これが古英語だ!

 って、俺がこんなとこで書くまでもないんだが。
 今まで名詞の曲用をひたすら覚えてたんだけど、今日はなんとなく文章を書いてみた。
 ・・・何故か暗記してしまった。暗記しようとなんら意識したわけじゃないんだけど・・・。
 いつもこんな超能力発揮できるようにならねぇもんかなあ!

リフトリーチェ・ヒー・スィンド・アングレ・ィェハーテネ
Rihtlice hi sind Angle gehatene.
(Rightly they are called Angels.)

 これが生まれて初めて模写した古英語文。英訳・・・現代英語訳は本に書いてあるものそのまま。
 さて古英語をご存知の方は、綴りにちょっと引っかかるかもしれない。
 まずマクロンがありませんね。マクロンはマオリ語キーボードで出せるけど、あのドットはどのキーボードで出せるのかわからん。ドット自体はチェコ語キーボードとかで出せるけど、「C」、「G」の上に付けるとなると・・・。今日は探す気になれんかった。また別の日にふと思い立ってしつこく色んなキーボードを試しまくってそうだな。
 あと「rihtlice」のcと「gehatene」のgの上にドットがないんですね。この2文字は前後に隣接する字母に影響されてその音を変えます。簡単に言うと、

 C: 「acclaim」では/k/で「rice」では/s/

 G: 「bargain」では/g/で「edge」では/dʒ/を示す

 という音声の変化と同等です。古英語では、「C」は/k/と/tʃ/を(/s/の音は持たない)、「G」は/g/、/ɣ/、/j/、/dʒ/を語中の位置と前後の字母の影響によってかわるがわる示します。ちなみに、/k/の音を示す字母としては「C」が使用率に於いて圧倒的に優勢で、「K」が使われることは稀だったそうです。ゲルマン系といえばKが多用される印象があるので、これはちょっと面白いなと思いました。
 ただ、本来はこういった記号は付いてなかったらしいけどね。後代・・・つまり近代、現代、読み易くするために便宜上付けられ始めた記号なんだそうだ。古典ラテン語とか古典ギリシャ語の語学書にマクロンが書いてあるのと同じ理由だな。ただ古典語の、綴りに現れない長音は、それが長かったかどうかってのは、音声資料が皆無な為後代の人間が単語毎に含まれる母音の長さを知ることが何故できたのかと考えると、今で言うマクロンを付した文章が残ってたってことなんですかね。いや、かつて作成された辞書が残ってたとかなのかな?
 「H」は、語頭では/h/の音を持ちますが、母音の後ではドイツ語の二重子音「CH」の如き性質を持ちます。文頭の「riht-」はさながら「richt」と書いてあるようなものですね。
 で、言わずもがなですが、今回の記事の題はこの文章を本に全く忠実に綴ったものです。
 まだある、暗記した文章。全部で4つあるんだ。2つめはコレ。

サル・ワアルズ・オフスラィェン・ルクモン・キュンゲス・ィェレーヴァ
Þær wearð ofslægen Lucumon cynges gerefa.
(There Lucumon the king's reeve was slain.)

 マクロンと特定の子音字の上のドットを除けば、「古英語・中英語初歩(市川三喜、松浪 有 著)」準拠の綴りを用いた古英語文はアイスランド語キーボードでタイプが可能です。「この本準拠」とわざわざ書いたのは、「ウィン」という文字はタイプできるキーボードがないからです(少なくとも俺のPCには)。Wと同音価を示す借用されたルーン文字で、Ƿ(ƿ)と書きます。
 「ofslægen」のfは/f/で、「gerefa」のfは/v/として音写がしてあるのは、「F」が位置によって異なる音を持つからです。母音間で/v/となります。元々無声子音である「F」が特定の環境下で有声化する現代の言語は見たことないけど、有声の「V」が位置によって無声化する言語ならスラヴ諸語(キリル文字の場合は「В」)から簡単に見つけられますね。たとえば、個人的に今期イチオシアニメのひとつ、「うぽって!!」に登場する銃器・AK=Автомат Калашникова(アフタマート・カラーシュニカヴァ)とかね。
 余談ですがウェールズ語にはVという字母がなく、/v/はFで示されます。FFで/f/です。/v/と/f/をこうやって表している言語は今のところウェールズ語以外には見たことがなく、初めて勉強した際面食らった要素のひとつです。どういう由来があるんでしょうかね。
 「wea-」を「ワア-」としているのは、「ea」という二重母音は/æə/と発音されるとする本に因ります。
 そして3つめ。

アンド・ネ・ィェラード・ズー・ウース・オン・コストヌンゲ
And ne gelæd ðu us on costnunge.
(And lead thou not us into temptation.)

 2つめと、この3つめの文章には「ð」で始まる語がそれぞれに1つずつ含まれていて、カナでの読みは有声子音として表現しましたが、正直正しいのかどうかわかんないです。単語内にあって母音間に挟まれている際には有声化するとは書いてあったけど、語頭にある場合どうなのかという説明はなかったしなあ。
 ちゃんと有声 / 無声の区別をdh / thで表現しているアルバニア語、dd / thで表現しているウェールズ語の正書法を考えた人はエライ・・・当然の仕事か。
 /θ/と/ð/は、それぞれ必ずþとðによって示される・・・わけではなく、いずれの字母も両方共の音価を持つという悲しい無駄。元々は前者が無声、後者が有声だったらしいけど、本にいちいち「古くは」と書いてあるので、この本で扱ってる時代の古英語では混同されてたんでしょう。故に「þær」とあってもその音は必ず「サル」であるとは断言し辛い、と・・・特に学者でもなんでもない俺からすれば。
 いやまあ、もしかしたらこの語学書が説明不足なだけで、位置によって発音のされ方がまったく規則的に決まってたのかもしれないけどね。
 では4つめ。

スム・ヒーア・フェーオッロン・ウィズ・ウェィ
Sumu hie feollon wiþ weg.
(Some of them fell along the way.)

 またþだね。直前が母音で後ろが半母音だから/ð/かな?ってことでこのカナ音写。
 じゃあ母音間で/v/となるfは「ヴ」と表すべきなんじゃないの?って・・・こまけえことは・・・イインダヨ・・・。 ちゅうか単語内はともかく、ある単語の尻とそれとは別の単語の頭の狭間という環境についてまで考える必要はないかも・・・。
 ちなみに模写した文章は全部で5つあったんだけど、最後の5つめだけはこれら4つに比べると長くて忘れちった。
 あと、現代英語と同じく、後期古英語の「e」は、アクセントのあるもの以外は曖昧な音を持つ傾向にあったそうだけど、本にはそういう事実があると前置きした上で敢えて/e/を示すものとすると書いてあったので、ここでの発音のカナ表現はそれに準じた。
 ホントびっくりしたよ。なんで俺こんなの覚えられたんだろ?
 各単語に対応する、現代英語に於ける言葉と共に知ったから?
 でも俺、知らない言葉がここにはあるんだよ。reeveとslain。初めて見たかどうかはわからないけど、意味は知らない。あと、「fall along the way」ってどう訳したらいいの?実は和訳をせず、本から現代英語訳をそのまま持ってきたのはこういうのが理由なんだよ。
 こんくらいなら頭にある程度の間留まって当然なんだろうか?

2012年5月9日水曜日

スキャナ欲しい

カトゥ・カ・カタル・フォトグラフィア 
Këtu ka katër fotografia.  
ここに4枚の写真があります。


 アルバニア語。
 前にも書いたが、アルバニア語は英語に用いるラテン文字にëとçを追加しただけの、覚えるのに労力を伴わない正書法を採用している。ëはシュワーで、çは英語で言う二重子音・CHに相当する。また、Wは使われない。ちなみにこれらはトスク方言ではという話で、他の方言だとちょっと異なる点があるらしい。
 結合によってひとつの音を表す二重子音として

 dh : アラビア語・نافذةのذ(ナーフィザ=窓)
 gj : ハンガリー語・egyのgy(エッヂュ=1)
 ll : 英語・nationalのl(ナシャナル=国家の)
 nj : スペイン語・niñoのñ(ニーニョ=少年)
 sh : フランス語・châteauのch(シャトー=城)
 th : 現代ギリシャ語・θάνατοςのθ(サナトス=死)
 xh : サンスクリット・जित-のज(ヂタ=征服された)
 zh : ロシア語・поживатьのж(パジヴァーチ=生活する)

 があるのだが、何故çは「ch」にならなかったのだろう?
 Xはポーランド語・bardzoのdz(バルヅォ=とても)に相当し、XHという二重子音があるなど、他のラテン文字を正書法に採用している言語と比べると(たぶん)珍しいラテン文字の使い方をしていることに加え、nd-やmb-で始まる語があるのも注目すべきところ。少なくとも今現在も話されているインド・ヨーロッパ系言語の中では珍しいはず。
 ちなみに中央にある語・mengjesは「mëngjes(マンヂェス=朝)」の間違い。ド真ん中にあるので目に入ってきたわ。


 バスク語。
 昨日は「ダイアクリティカルマークのないラテン文字を使う言語」としてバスク語を例に出したが、実際にはスペイン語由来の「ñ」が取り入れられている。頻出するわけじゃないみたいだけど、「andereño(アンデレニョ=女教師)」という日常的な言葉にも入っているので、目にする機会は少なくないのかもしれない。
 /s/をZで、日本語で言う「シュ」の音を表すのにSとXを用いているのが特徴。本をまともに読んでいないのでSとXが示す音の相互的な違いはよく覚えていない。ポーランド語のszとśの音の違いに相当するのかな?


 タミル語。
 子音にai、au、eとその長音、oとその長音を付加する際、綴り上は子音字を書くよりも先に書いておくべき字母があり、これで未だによくミスをしてしまう。
 こういう具合だ:

 தை(tai), தௌ(tau)
 தெ(te), தே(tē)
 தொ(to), தோ(tō)

 左側は、母音のついた子音字の例として出したத(tではなくdの音を持つこともある)​に先行して、右側はத​の左右に字母が置かれているのがわかってもらえると思う。最上段右側に示した、「Cau」という音を含むタミル語はまだ学習中に登場していないので、実際には書いたことがない。ちなみに、この「tau」に於いて、தの次に来ている文字はḷ(a)という音を示す字母ளと全く同一の形(というより流用なのか?)であり、தௌという結合は「teḷa」とも読める。デジタル上の処理で言うと、「tau」は一文字として扱われるが、「teḷa」として打つと「te+ḷa」の2文字になるので、カーソルを文字の上で動かせば、いくつの文字の上を跳んで次の文字へ移るかによって、どう書いてあるのかがわかる。しょーもないことだけどね。
 தௌ தெள​ தௌ தெள​ தௌ தெள・・・さて、「tau」と​「teḷa」はそれぞれ何個ずつあるでしょう?


 サンスクリット。
 この書き方は邪道だろう・・・しかし俺はとっても気に入っているのである。
 一番上の段は、「邪道」字体との対比のために書いた、つい最近までの書き方。これで当然という字体だ。
 正規の書法では、字母毎の天辺に横棒を引き、一部の字を除いてその棒で一単語内の各字を結んでゆく。ちなみにこれは、横棒以外の部分を書いた後で定規で引いている。こういう煩わしさも、正規の書法を捨てた一因である。そんなメンドい書き方してる方が悪い、確かにそうだが、この横棒が真っ直ぐ引けないときのストレスの方が、サンスクリットを綴る際には毎回いちいち定規を持ちだしてこなければいけないメンドくささに圧倒的に勝る。
 新たに思いついた書き方に於いては、結合子音(व्य(vya)、​च्चि(cci)、स्य(sya)など)​を除いて各字母がひとつたりとも横棒で繋がれていない。
 人に読ませるものには絶対に書けない形だが、己が今まで崩してきた字体の中では最も冴えたやり方を以ってして完成したものだと、俺は非常に満足している。
 最上段の書き方は、縦書きのモンゴル文字のガイドに罫線を利用したことに通じるものがある。デーヴァナーガリーはこうやって書くと、言わずもがなだが、次の行には新しく文章が綴られないので空けないといけない。罫線を利用せずに、つまり横棒以外の部分を小さめに書き、罫線よりも下に定規で線を引く、という書き方も試したが、棒と罫線が平行になりづらく見映えが悪くなりがちであることに気持ちが落ち着かず、やはりガイドとしての罫線に頼りたくなってしまうので長続きしなかった。

 あ゛ー・・・スキャナ欲しい。

2012年5月8日火曜日

モンゴル文字を初めて書いた日

モンゴル文字を初めて書いた日。

 ただモンゴル文字をうまく書けるようになるためだけにペンを走らせたわけではなく、ちゃんと意味のあるモンゴル語を、その和訳も発音も逐一確認しつつ、モンゴル文字で書いているわけなので、モンゴル語の勉強が始まったとも言えるんだが・・・まぁでも、単語の羅列を書き写してるだけの現状は、あんま言語の学習とは言えん気がするし、そもそもこういうこと言うまでもなく、まだモンゴル語の勉強が始まったって感じは俺自身が全然してないな。
 「モンゴル語基礎文法(フフバートル 著)」は、買ったその日の内に開いて、すぐ閉じた。
 語学書はまず最初からきっちり読んでいくのが学習の定石というものだと思うが、この前置きがめちゃくちゃ長く・・・それだけだったならまだマシだったんだけど、この本を学習に用いるにあたって留意しておかなければならないことへの言及が織り込まれていたので、飛ばして読むわけにもいかず・・・読むか、読まないか、しょーもないことで悩んでパタン。
 もうまさに出鼻を挫かれた-完全に。
 で、今日改めて開いてみて、「もういいから文字書き始めてみよう」と、筆を取ったわけだ。
 さて、初めて書いてみて-正直言うが、全人類の中で、今日に至る歴史を通して、初めて書いたにしては端からかなり上手く書けているんじゃなかろうか?俺。
 下のものは、一番最初に書いたモンゴル文字を写したページ。より細かく言うと、一番右のもの-「(目を)閉じる」という和訳の直上。「anin」は、後述するが、口語発音で、文字通り読むとその音は「anina」。ちなみに横書きしてあるのはバスク語。


 見ればわかるように、文字が1つ、2つ、3つあって(3つめのものは2つの文字が結合しているように見えるが、これで一文字)、その後にこれら3つを集合させたもの-つまり単語が書いてある。この書き方は本に則ったもので、この「anin(a)」を含めて最初の内いくつかはこうやって書いていたが、すぐ面倒臭くなってやめた。
 発音がカナで書いてあるのは、ラテン文字を縦書きする気になれなかったため。このページだと縦書きされてるラテン文字による転写は「anin」と「oni」のみだね。
 「エネ > エン」のラテン文字転写は「ene > n」、「ウヌ > オン」は「unu > ωn(本ではオメガのような文字で表現されていて、実際は/ɤ/だと思う)」、「エヌュ > オノー」は「önü > onoː」・・・で、次の「エヌュ」は・・・なんだろ?。
 いや、ていうのも、読めないのよ。
 今さ、「あれっ、この2つめの「エヌュ」は1つめとどう違ったんだっけ・・・?よし、モンゴル文字の方見て思い出そう!」とやってはみたんだよ。
 でもさっぱりだね、ジッサイ。
 一応、ただ目に映る通り模写してたわけじゃなくて、上で言った通り、意味も発音も、それから単語内のどこで文字が切れてその各文字が持つ音素は何かとかちゃんと確認しながら書いてはいたんだけど・・・うまく書けることにのぼせてて、頭使ってるつもりが使えてなかったのかな?
 うまく書けると、当たり前だけど凄く気分がいいからね。しかも初めて書く文字でさ。タミル文字はかなりヒドかったからね、書き始めた当初は。機会があったら晒して話題にするかな。
 「ウヌ」はわかる。「un」だ。モンゴル文字は読めないし自分で書いたものをまともに覚えてもいないのに何故「unu」でないと言い切れるのかは下を読めば判る。「ウン」と書かなかったのは気まぐれ。未だに、Nの発音は、カナで表現しようと思ったら「ン」と書くべきか「ヌ」と書くべきか迷うんだよねぇ。
 英語の「cousin」は「カズン」だけど、フランス語の「Aquitaine」は「アキテーン」じゃなくて「アキテーヌ」って言われるでしょ?この2つの語の末尾にあるNは同一の音を示してるのに。英語圏のJohnとフランス語圏のJeanneは本来、どちらも「ジャン」か「ジャヌ」と同等に転写されるべきものなんだよ。
 そういうのにも振り回されて、さあどう表現すべきか?って考えちゃうんだよね。
 ま、そんなことはアレだ・・・ひとつの記事になりそうなくらい奥が深い問題だと思うから、別途書く機会を設けよってところだ。
 さてここで、説明もなしにちょっと後回しになってしまったけど、上記カナによる発音のくだりに見受けられる「>」の意味を、モンゴル語の極めて重要な特徴について言及することで明かしたい。
 それは、文語と口語の音の乖離がかなり激しいということ。
 あれ、なんかそういう言語、最近話題にしてたよね?
 そうですね、タミル語。
 ただあれほどヒドくはないという印象だが。
 モンゴル語に於ける語の末尾の短母音は脱落する傾向にあるそうです。
 だから「ene」は「en」。で、語頭の母音は次の母音に影響されてその音を変える。それで「unu > ωn」。語末の母音も、ウルティマのUが短いからしっかり落ちてますね。
 「önü」もÜは短母音ですが・・・脱落したり長母音化したりってことらしいです。
 まー、あとは特定の子音が語中、母音に挟まれた場合に消えたりとか・・・。
 モンゴル語の母音は性質によって3種類に分類され、それぞれ「男性母音」、「女性-」、「中性-」と名付けられています。
 カンタンに言うと、後舌母音は男性、前舌母音は女性、そして「I」のみが中性に属しています。
 しかし「önü」が口語発音で「onō」になるということは、結局実際の発音上はオスメス関係ねーってことなんじゃあないんでしょうか?後舌化しちゃってますしね。
 そんなわけで、タミル語同様、綴りを覚えて読み方を覚えて、更に口語上での音も覚えないといけない。
 まぁ、「綴りを覚えて読み方を覚えて」ってのは本来逆であるべきでしょうけどね。ひとつひとつの文字の音を覚えた上で単語を読み始める、と・・・。ただ上でも言いましたが、もうさっさと文字が書きたかったので、単語を構成している文字毎の読みはまだまだ覚えられていないものの方が圧倒的に多いです。アラビア語はちゃんと一文字一文字読み方を覚えた上で言葉を読み始めていってましたが・・・あまり文字の数が多くなかったからそれに根をあげずやってられたのかもしれんなー。当時は苦痛とも、何とも思わずただ機械的に本に出てくる文字を順に覚えていってたから、完全に「今にして思えば」って意見だが。至極当然の学習方法だ。経験をある程度積むと、明らかにヘンだとわかってる方法を以ってしてでも結局は全体がモノになるからと思えるようになってしまってイカン。
 ところでさあ、上の2つめの「エヌュ」・・・気づいたんだけど、2番目の文字が「anina」の「na」とまったく同じじゃん!
 つまりは・・・あのモンゴル文字の後に関係のない「エヌュ」を置いたとか、モンゴル文字による単語を書かずに「エヌュ」についての言及を記したとか、本の中で見るべき箇所を誤って1つめの「エヌュ」をあそこに書いてしまったとか・・・なんにせよショーモナイ。
 さて次の画像を見てみよう。


 ページ自体は、最初の画像に写っているものと同じです。
 ここで試みたのは、ノートを傾けずに書けるかどうか、ですね。
 先に結果を言っちゃうと、諦めました。
 ・・・あっ!ていうか見て!「エヌュ > ウン」の「エヌュ」が本当はどんな転写を元にしたのかの答が載ってる!
 「üne」かあ・・・「ユネ」じゃん!
 困ったもんだ。
 そしてやはり跡形もなくなっている女性母音、と。


 さてページを変えました。
 罫線を横にしての、縦書きの練習が続いています。
 書いてる内に、「ガイドなしで線を真っ直ぐ引くなんてムリだしいっそ故意に角度をつけよう」と思いついて、実践してるのがわかりますね。
 書き易くはなったし、別に線が真っ直ぐじゃなくても各語の語頭の書き始めの位置が縦に揃っていれば全体的な見映えはそんなに悪くならないだろうと考えてました。
 でも、結局すぐやめちゃいました。やっぱヘンだろうと。狙った写したものじゃないんですが、次の画像への繋ぎになっているかのように、最下段から線を真っ直ぐ引き始めているのがわかりますね。ちなみに最下段右端にちらっと写っているのはタミル語・・・いや、タミル「文字」ですね。「ani」と読めるので、モンゴル文字で最初に書いた言葉、「anina」と書いたんだと思います(タミル語で「ani-」という言葉は知らないし)。なんか俺、ある文字を書いている際に、それとはまったく異なる文字をふと書きたくなる癖があるんですよ。まったく写ってませんが、このページの右上には実はサンスクリット、つまりデーヴァナーガリー文字がびっしりです。


 最初のページに書いたときは思いつかなかった・・・というか、縦書きといえば我らが日本語だしってことで日本語を縦に書くときと同じ感覚に頼って罫線と罫線の間の空白に文字を置いていっていたんですが、この罫線は非常に優秀なガイドになったんですね。モンゴル文字の垂直な線で罫線を染めていっています。
 ところで真ん中にはなんだかモンゴル文字とは異質そうなものが・・・?
 そう、これはアラビア文字。書いてあるのはペルシャ語。
 アラビア語、ペルシャ語併せて相当の文量をこれまでに書きましたが、それでも尚アラビア文字はあまり手に馴染んでいなくて・・・常々、もっと楽に綴られないものかと考えています。
 で、モンゴル文字をノートを通常の角度にして見るとアラビア語に似た見た目をしていたので、「なるほど!これはもしかしたらかっこよくアラビア文字を記す新しい手法になるかもしれない」と思い、やってみたんですが・・・3行で終わってること、同じ単語をしつこく何度も書いていることからわかるように、まったくそんなことはありませんでした。書き易さを見出したんなら色んな文章書いてただろうからね。チャンチャン。
 ちなみに最初のページからここまでは右から左へ書いていっています。本来は「縦書きで、左から右に」書くのがモンゴル文字です。
 さて、こんな調子でこのページも埋まりました。


 そしてこれが現時点最も新しく書いたモンゴル文字です。「左から右に書く」を初めて実践しています。
 上のページでは、本で3ページほどに亘って登場する複数の言葉を何度も繰り返し書いているんですが、これは更にページを進めて模写したものです。読めねぇよぉ~(笑)。


 そして罫線を横にして見るモンゴル文字。
 どうすかアラビア文字を知ってる方、結構それっぽいでしょ?ちゃんと「左から右に」書いて紙を左に90度傾けると、アラビア文字の並べ方に準じた見た目にもなるんですよお~・・・・・・実はちょっと諦めきれてないんだよね(笑)。
 あと、ちょっとだけシリア文字っぽくもあるんですよね。
 とまあ、モンゴル文字を初めて書いた日、ホント、初めてにしてこの上なく上出来だと俺は思ってます。
 自分で自分を鼓舞できるって、とってもステキなことですね。
 関係ないけど、シリア文字、とっても書いてみたいんです・・・タミル、モンゴルよりも遥かに前に目をつけてたんだ。
 「モンゴル語基礎文法」を初めて話題にしたときにも書いたけど、書き方を学ぶだけならWikipediaでも参考にすればいいが、俺は単に文字単体を綴りたいんじゃなくて、「言語」が書きたいんだよ~!
 シリア語(か、アラム語)が日本語でまともに学べる本ってあるんかしらねぇ。国際語学社のアレは・・・?
 何故書き易さを長時間追求することなくこれほどまでにアッサリと自分なりの筆記方法が確立させられたのかはわかりません。
 ただ最近、あるすごいことに気づきまして、それと関係があるのかもしれません。
 何かというと、

「ラテン文字は書き辛い!!」

 今更!?って感じですが、ホント、長いことラテン文字で色んな言語書いてきて、つい数日前にラテン文字を書いてる際にそう思っちゃったんですよ。唐突に。
 それでアルバニア語、バスク語が書けなくなっちゃいまして・・・すごい落ち込んでました。
 さすが世界で最も多くの人々に綴られている文字なだけあって、字形がすごく単純なんですよね。
 多くの人々によって扱われるようになった経緯には一言で語れぬ複雑な事情が潜んでいるんでしょうが、そういった問題に加えて、確実に「覚え易いこと、書き易いこと」が好まれているが故、実に多くの言語にこの文字が正書法として採用されているという考え方は悪くない筈です。
 俺にとっては、ラテン文字を書く際、フラクトゥールが立派に手で書ければ一番いいんだと思う。
 タミル文字、モンゴル文字に極めて早く慣れることができたのも、日本語の正書法に於ける文字群と同じように単純な形をしていないからなんですよ、おそらく。
 ラテン文字は簡素でありすぎる・・・俺にはそれがよろしくないんでしょうね、何故か今まで気づけませんでしたが。
 いや、それはラテン文字ばかり書いてたからかな。
 タミル文字、モンゴル文字を書き始めるまでに学び終えて自由に書ける文字は、①日本語で使う文字3種(ひとつと数えます)、②ラテン文字、③キリル文字(ロシア語とセルビア語で使うもの限定)、④アルメニア文字(アルメニア語を綴る)、⑤アラビア文字(正則アラビア語とペルシャ語で使うもの)、⑥デーヴァナーガリー文字(サンスクリットで使うもの)、⑦ヘブライ文字(ヘブライ語とイディッシュを綴る)、⑧ギリシャ文字(古典ギリシャ語で覚えた、現代ギリシャ語の正書法よりも複雑なもの)、⑨チベット文字(チベット語を綴る)の9種類があった。ラテン語除くその他の文字は括弧内に示した言語を綴る際に使いますが、だからラテン文字は別格だったんだよね。フランス、オック、イタリア、スペイン、ラテン; ドイツ、オランダ; ウェールズ、アイルランド; デンマーク、ノルウェー; ポーランド、チェコ; フィンランド、ハンガリー; トルコ; ベトナム; インドネシア; エスペラント; アイヌ-の各言語(まだあったかも)を、ラテン文字ひとつで書いてたんだから。更にラテン文字は、非ラテン文字を正書法に持つ言語の音写でも大活躍・・・。
 そりゃあ慣れきった気にもなるわってくらい、たくさんの言語をこの文字で書いてた。
 今はなんとか「書けないスランプ」から脱せたと思う。でもすごく神経遣って書いてる。シンドイw
 タミル文字とモンゴル文字も気を抜いて書けるわけじゃないけど、ラテン文字に比べるとまだ疲れない。
 ・・・たぶん、字形を崩しようがないからなんだろうと思う。
 ラテン文字は意図的にであろうがそうでなかろうが簡単に崩せる。僅かでも油断すると途端にダサくなる。
 立派に見せるためには字形を工夫しないといけない。
 たとえば「L」の小文字、「l」。「1」の如く、線を縦に一本引くだけ。こんな簡素の極まった文字、世界には数えるほどしかないんじゃなかろうか。
 そしてこれをかっこよく見せるには・・・?
 いやあ、俺にゃあ思いつかないな・・・。
 おそらくフォントが世界一豊富に用意されてるのはラテン文字だろうな。
 生まれて初めてラテン文字を見て、その字の形に表現し得ない奥深い魅力を感じる人間って、いるかな?
 ラテン文字はスカスカで落ち着かない・・・。
 だから俺はぎゅうぎゅうにする。それが、現時点俺が最も自身を満足させられる綴り方。


 俺がダイアクリティカルマーク付きのラテン文字に特別な魅力を感じていたのも、今にして思うと、字形の退屈さをある程度削ぐ装飾を纏ったもののように見えていたからなのかもね。
 ただ、実は今は基本のラテン文字のみで綴られる言語が俺の中でアツいんだけどねw
 アイヌ語を始めたり、バスク語やフィリピノ語の本を注文した理由はそこにあるんです。ウズベク語の本を買おうとしていたのも同じ。アイヌ語は、ラテン文字で学べるものを慎重に調べた上でCDエクスプレス アイヌ語を買いましたからね。
 他には、オランダ語がまたやりたくなってきていたり、アフリカーンス語、ソマリ語とかにも目をつけてますが・・・この基準に則って選んでいくと、そして日本語で書かれた語学書がある程度手に入り易いこともあって、自然とオーストロネシア語族のものが多くなるのが悩みドコロだ。あんま魅力を感じないんだよね。

2012年5月7日月曜日

3日に分けて書く3言語学習成果-1日目: தமிழ்

3日に分けて書く3言語学習成果。

 初日はタミル語(தமிழ்(タミル))です。
 遂にタミル文字も使って記事が書ける日が来た!

 1. タミル語
 1.1. 命令の表現
 1.1.1. 肯定命令

 動詞の語幹を用いる。タミル語の2人称には近称と敬称があるので、命令の方法にも2通りある。

 尚、動詞命令法(「法」じゃないかも?フランス語とかで習った言い方なんだよねえ・・・)敬称形は語形上からは対象が単数であるか複数であるかが判別できない(フランス語などと同じ)。また、タミル語での動詞・2人称近称形は、大分年下の相手か、こと親しい友人に対してしか使わないそうだ(タミル語は、ってのもおかしいか。タミル語に反映されているタミル文化に於ける伝統的に正しい対人関係の為し方に因っているんだろうし)。

 நீ வா(<不定形: வர​(ヴァラ)).(ニー・ヴァー)=きみ、来なさい。
 நீங்கள் வாருங்கள்.(ニーンガ・ヴァーンガ)=あなた、来て下さい。(若しくは「あなた方、来て下さい。」)

 
நீநீங்கள்は人称代名詞だが、動詞を用いての命令を口にする際、逐一人称代名詞が必要であるかどうかは(まだ)言及されていない。本での和訳は「きみは来い」という不自然なものになっているので(状況に依っては不自然とも言えないが、本での例文の表記の仕方に、特殊な状況下での発言であるという印象はさっぱりない)、おそらく不要。人称代名詞நீங்கள்நீங்கள்を追加したもので、肯定命令敬称形の指標も同じく-ங்கள்であることから、敬称形-ங்கள்の根拠を示し、語形に説得力を持たせる意図があって併記したのかもしれない。
 敬称を用いるべき相手に対しては、動詞に付く語尾に-
ருங்கள்以外のものがある。尚、上記の-ருங்கள்は語末がஆ(வと合わさってவா)である場合に付随されるものである。

 語末に子音: உட்கார்(オッカール) > உட்காருங்கள்(உட்கார்+உங்கள்)(オッカールンガ)
 語末に母音: சாப்பிடு(サーピドゥ) > சாப்பிடுங்கள்(சாப்பிடு+ங்கள்)(サーピドゥンガ)
 語末に「イ」系の音: Xஇ > Xஇயுங்கள்(-ユンガ)(これを語末に持つ動詞がまだ本に出てきていない)

 1.1.2. 否定命令

 動詞の不定形を用いる。方法に2通りあるのは1.1.1.と同様。

 இங்கே வராதே(வர​+ஆதே).(インガ・ヴァラーダ)=ここへ来るな。
 இங்கே வராதீற்கள்(வர​+ஆதீற்கள்).(インガ・ヴァラーディーンガ)=ここへ来ないで下さい。

 1.1.1.とは違い、敬称形に付随される語尾は1種類のみのようだ。不定形は、-ஆதீற்கள்が付くに不都合のない形をした語末をしているものばかりなのだろうか?

 1.1.3. 禁止を指示する表現

 厳密には命令ではないと思うが、本には「命令」の項目に挙げられているのでそれに準ずる。動詞の不定形の後に分かち書きで
கூடாதுを置くことによって表現する。

 இங்கே வர​ கூடாது.(インガ・ヴァラ・クーダードゥ)=ここに来てはいけません。

 1.2. 疑問の表現
 1.2.1. -ஆで示される肯定疑問

 -இங்கே நல்ல​ ஹோட்டல் இருக்கி
தா(இருக்கிறது+ஆ)?(インガ・ナッラ・ホータル・イルッカー)=ここに良いホテルはありますか?
 -இங்கே நல்ல​ ஹோட்டல் ஒன்றும் இல்லை.(インガ・ナッラ・ホータル・オンヌン・イッラ)=ここに良いホテルはひとつもありません。

 文末の語の末尾にaを追加するだけで肯定疑問文が形成される。その際、その語が既にஆ(アー)で終わっている場合には-ஆは-வா(ヴァー)、「イ」系の音で終わっている場合には-யா(ヤー)になる。

 1.2.2. -ஓで示される肯定疑問

 -இந்த​ உணவு காரமாக இருக்குமொ(இருக்கும்+ஓ)?(インダ・オナヴ・カーラマー・イルックモー)=この食事は辛いのですか?
 -இல்லை, அவ்வளவு காரமாக​ இருக்காது.(イッラ、アヴァラヴ・カーラマー・イルッカードゥ)=いいえ、それほど辛くありません。

 この疑問の表現は、日本語で言うと「~のですか?」という言い回しに相当すると本には書いてあるが、非常に漠然とした説明だと思う。俺は勿論日本人だが、「~ですか?」と「~のですか?」という2通りの言い回しにある相互的に小さな違いはどういうものかと問われると長考、閉口せざるを得ないと思う。
 敢えて言うなら、「~のですか?」の方には、「~ですか?」に比べ、話者の返答を急く、或いはそれを強く欲する意思が反映されているような気がせんでもない。

 1.2.3. 名詞+இல்லையாで示される否定疑問

 否定疑問であっても、文末の語の末尾に
が置かれるのは同じ。否定の指標இல்லைにஆが付き、前者の末尾にある「イ」の音と、次に来る「アー」の音の緩衝のためにய்(y)が挿入されているものである。

 இங்கே நல்ல​ ஹோட்டல் இல்லையா?(インガ・ナッラ・ホータル・イッラヤー)=ここに良いホテルはありませんか?

 尚、これを肯定するにはஇல்லைと、否定するにはஇருக்கிறதுと答える: இல்லை, இங்கே நல்ல​ ஹோட்டல் ஒன்றும் இல்லை.(イッラ、インガ・ナッラ・ホータル・オンヌン・イッラ)=はい、ひとつもありません。 / இருக்கிறது.(イルック)=いいえ(、ありますよ)。

 1.2.4. 動詞不定形+வில்லையாで示される否定疑問

 動詞を含む否定疑問文には-வில்லையாが用いられる。動詞のない、名詞を使った否定疑問文との違いは、இல்லையாは名詞と分かち書きされたものが、こちらは動詞不定形に直接付加されることである。

 -பஸ் இன்னும் வரவில்லையா?(バス・インヌン・ヴァララヤー)=バスはまだ来ませんか?
 -இப்போது வந்துவிடும்.(イッポー・ヴァンドゥルン)=今来ます。

 ちなみに逐一併記したカナによる口語的な読み方についてだが、綴りと実際的な音の乖離を見極めるにあたっての法則がまだ完全に把握できていないので、これらの発音例の根拠についての説明は割愛する。

 実は、タミル語の本を買ったぞ!って記事から、学習はページ上進んでないんだよね。
 なんか、まだ進んじゃダメな気がしてさ。学習内容が身に染みてない実感があるというか。「ない」のに「実感がある」ってのもヘンだが。
 それに、タミル語を使いこなせるようになるぞ!って意気込みがあって勉強してるワケじゃなくて、ただ「書きたい!」って願望から始まってるこの学習だし、同じページに亘って見い出せる同じ文章群を何度も書いてるだけでも楽しいんだよね。実際、上の文法事項とか本にある例文、語彙なんかはしつこく同じこと模写してるウチに身についたものだし。なので、上に書いたことには、ある間違いは本に準拠していることが言い訳にできても、そのこととは関係なく覚え違いをしている点があるかもしれない。そんなわけで実際あっても大目に見てくだちゃーい。
 ちなみに今回遂にラテン文字に頼らない、タミル語(と、カナでの擬似発音例)を混ぜての記述が適ったわけだが(やはりLexilogosではタミル語入力ができた!)、綴りの間違いがどこかに紛れ込んでるかも・・・。
 本当は、カナじゃなくていつも通り、ラテン文字を併記させ読みを示そうかと思ったんだけど、結局口語上の発音がそれからじゃわからないとあっては、「タミル語 / ラテン文字 / カナ」という表記になってしまって、メンドk・・・煩雑この上ないからね。
 ただ、ラテン文字とカナを同時に綴ると、(日本人読者相手には、だが、)タミル語の文語と口語での発音の違いが実に効果的に演出できるのが良いのだが。
 以前も書いたが、இருக்கிறது(...がある)は「irukkiṟadu(イルッキラドゥ)」と転写でき、その口語上の発音をカナで表現すると「イルック」である。
 「ヴァララヤー」とした「வரவில்லையா」も、転写では「varavillai」であり、その音は読んで字の如く「ヴァラヴィッヤー」の様である。そう、動詞の不定形(வர(vara)=来る)の語尾と、追加されるஇல்லையா(illaiyā=...ないか?)との間に口調の緩衝としてவ்(v)が挿入されているのに、実際の発音ではまるでムシ。俺は慣れてしまって、もはや「そんなもんか」としか思えなくなっているが。
 「ヴァラヴィッライヤー」よりは、「ヴァララヤー」の方が言い易い・・・これは否定するべくもない。しかし、綴り通り読めないと困惑するものである。この考え方は、言語の魅力を文字に見出してきたことの弊害なんだろうか?いや、特別なことではないとは思っているが・・・。
 t / dに2種類(த்、ட்)、rに2種類(ர்、ற்)、lは3種類(ல்、ள்、ழ்)など、タミル語はまさに、その学習に於いて音声教材が必須である言語だと言わざるを得ないね。一応本に於いて文字で説明されてはいるし、これらの示す音のどれもが他の言語経由で既に知っていたものなので、それぞれ別個のものであると区別がついてはいるんだが・・・うまく発音できるかっつーと別なんだよね。
 机上の学習に専心し、音声面の追求を疎かにしてきたツケがこんなところに!

 第2弾はアルバニア語、第3弾はバスク語の予定です。

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