昨日は起きたのがなんと午後2時で、勉強する気力などなくバイトに行くまでにもさほど時間もなく、で何も書けませんでした。
そして特に話題もなかったので更新せず。
今日は今日で11時起き。
昨日今日と寝た時間がね、アレでね。
同じく話題はございませんが何行かは綴ったのでタイプタイプ。
χάριτεσ μὲν χάριτασ τίκτουσιν, ἔριδες δ'ἔριδας.
φενακίζεις, ἐλπὶ κενή, τὰς φυχὰς τῶν ἀνθρώπων.
ἐξ ὄνυχος τὸν λέοντα γιγνώσκομεν. πνεύματι βαπτίζει.
εἰς τὸν θεὸν ἐλπίδας ἔχομεν.
τῷ μύρῳ τοὺς πόδας μου ἠλείφατε.
τῷ μύρῳ τοὺς πόδας μου οὐκ ἠλείφατε.
οὐκ ἠλείφατε τῷ μύρῳ τοὺς πόδας μου.
τὸ φῶς ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει. τὸ φῶς φαίνει ἐν τῇ σκοτίᾳ.
ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει τὸ φῶς.
αἱ μὲν χάριτες χάριτας τίκτουσιν, ἔριδας δὲ αἱ ἔριδες.
αἱ μὲν χάριτες χάριτας τίκτουσιν, αἱ δ'ἔριδες ἔριδας.
κενὴ ἐλπί, τὴν τοῦ ἀνθρώπου φυχὴν φενακίζεις.
ἐλπὶ κενή, φανεκίζεις τὴν φυχὴν τοῦ ἀνθρώπου.
κενὴ ἐλπί, φενακίζεις τοῦ ἀνθρώπου τὴν φυχήν.
ἐλπὶ κενή, τὰς τῶν ἀνθρώπων φυχὰς φενακίζεις.
γιγνώσκομεν ἐκ τῶν ὀνύχων λέοντα.
γιγνώσκομεν λόντα ἐκ τοῦ ὀνύχος. βαπτίζει πνεύματι.
ἔχομεν εἰς τὸν θεὸν ἐλπίδας.
τῷ μύρῳ τοὺς πόδας μου οὐκ ἠλείφατε.
τὸ φῶς ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει.
今回はすべて俺がつくった文章ですよ。
本のものの単なる模写と区別し易いよう、模写のページと作文のページを分けることにしました。
「今日はこんだけだし見映えしないなぁ」と思ってましたが、いざ書き始めると結構苦なのね・・・古典ギリシャ語をタイプし慣れてないからだとは思うけど。
古典ギリシャ語は典型的な屈折語で且つ、「普通」と思しき品詞の並びのパターンはいくつかあるようですが、基本的に語順は書き手、話し手の裁量に委ねられますので、ひとつの文章を色んな形に書き分けられるところが面白いのです。
古典ラテン語よりも。
そんなことをする際十分注意を払う必要があるのが、アクセントの規則。
古典ギリシャ語は古典ラテン語よりもアクセントについての規則が多く、また、ラテン語とは違ってそのアクセントの位置が文字として実際表記上現れることから、音声面だけでなく筆記面に与える影響が無視できないのです。
たとえばεἰμί(=eimi, “I am”)などの後倚辞(こういじ)。
この直前の語は、己の中のどの位置にアクセントを有しているかによって、そのアクセントの質、そしてそれだけでなく直後に来ているεἰμίのアクセントの質をも変えてしまいます。
たとえば
δοῦλος ἀχρεῖός εἰμι. / 私は役立たずの奴隷である。
(↑一昨日の記事タイトルですね)
ふにゃっとしたのは曲アクセント、右斜め上から降りてきているのは鋭アクセント(εἰμίのιについているアポストロフィのようなものは気息記号で、この場合はειがeiと発音されることを示しています)。
これら3語をバラバラにすると、 δοῦλος と ἀχρεῖος と εἰμί なんです。
後倚辞という名称は、その語自体の位置は何か別の語の後ろに必ずなることから来ています。
また、後倚辞すべてがそうであるというわけではないようですが、この後倚辞εἰμίは、これの直前に来ている語のアクセントに影響を与えます。
ふつう、一語につきアクセントはひとつです。
しかしこのἀχρεῖός εἰμιという2語の並びは形容詞ἀχρεῖοςに影響を与え、εἰμίからアクセントを奪い、己の中に2つのアクセントを有しています。
後倚辞からのアクセントの奪い方ですが、後倚辞直前の語に曲アクセントがあり、それが最終音節から2番目の音節(文法用語でpaenultima=ラテン語、「最後の前」)にある場合、最終音節(ultima=「最後」)に鋭アクセントが付きます。
ἀχ - ρεῖ - ός
第1音節 - paenultima(曲アクセント) - ultima(鋭アクセント)
曲アクセントはultimaかpaenultimaにある長い母音にしか付きません。
ultimaに曲アクセントがある場合は、曲アクセントはそのまま維持され、後倚辞からアクセントが消失するだけです。
ἡ συναγωγὴ ἐν τῇ οἰκίᾳ τῶν γεωργῶν ἐστιν χαρίεσσα. /
あの農夫たちの村にある会堂は優美だ。
γε - ωρ - γῶν(< γεωργός m.pl.gen.)
antepaenultima - paenultima - ultima(曲アクセント)
次に、後倚辞直前の語が鋭アクセントを持ち、それがultimaから3番目の音節(antepaenultima=「最後の前の前」)にある場合、ultimaに2つ目の鋭アクセントが生じます。
ἄνθρωπος δίκαιός εἰμι. / 私は正しき人間である。
δί - και - ός
antepaenultima(鋭アクセント) - paenultima - ultima(鋭アクセント)
鋭アクセントがpaenultimaにある場合は、後倚辞が2音節の語であれば、その後倚辞のアクセントは維持されたままであり、且つ、その直前の語のアクセントにはなんの変化もありません。
つまり、鋭アクセントは隣接しないのです。
ἐγὼ ὁ τῆς ζωῆς ἄρτος εἰμί. / 他ならぬ私が命のパンである。
ἄρ - τος
paenultima(鋭アクセント) - ultima(アクセントゼロ)
そして鋭アクセントがultimaにあれば、その語の次に別の語が控えている場合、鋭アクセントは重アクセントと呼ばれるものになり、表記はされるがアクセントは「ないもの」として扱われるが、後倚辞からアクセントを奪うと鋭アクセントとしての性質を保ち続けます。
後ろが普通の語: παιδεύει ἀγαθοὺς ἄνθρώπους. / 彼は善き人間たちを教育している。
ἀ - γα - θοὺς(< ἀγαθός m.pl.acc.)
antepaenultima - paenultima - ultima(重アクセント)
後ろが後倚辞: ἀγαθός εἰμι. / 私は善良だ。
ἀ - γα - θός
antepaenultima - paenultima - ultima(鋭アクセント)
俺が学んだ範囲では、ラテン語のアクセントはultimaを含めず語末から3音節以内に存在し、2音節目が長ければそこが、短ければ3音節目がアクセントを持つ、という知識だけがあるけど、実際はアクセントのある箇所をただ強く発音すればいいわけじゃなかったらしく、それなりに読みに関しては難しかったそうだ。
ちなみに「長い」と「短い」の判別の仕方だが、乱暴に言うと長母音をもつ音節、或いはある音節が子音で終わり直後の音節が子音で始まる場合その音節は「長」く、それ以外は「短」い。
たとえばpuellārum(娘たちの < puella), Rōmānus(ローマ人)はantepaenultima(-el-, ō)とpaenultima(-ā-, -ā-)が長く、horribus(ひどい)はantepaenultima(hor-)が長く、maritimus(海の)はすべての音節が短く、interfaciō(殺す)は-ter-が長い(-ōも長いがアクセントに影響しないので無視)。蛇足だがantepaenultimaも例にすると-ul-が長い。
しかしラテン語はアクセントを表記しないし、また、読みに関して突っ込んだ解説をしている学習書の方が少ないのではないかと思う。
今日母語にする者がいないという点では古典ギリシャ語も同じだが、アクセントを表記するので規則を熟知していないと読むことはおろか書くことすらままならない。
さて、明日から3連休です。
実は希求法くらいまで本は進んだんですけど、中動相後半から接続法あたりにかけて頭がめちゃくちゃこんがらがってきて、それでもごまかしごまかしやってたのが遂にその希求法あたりで破綻したので、最初からやり直しているのです。
千里の道も一歩から、ですね・・・。