俺はキレた!
もっとレビューを!
ネット通販は実に便利なものだが、細心の品定めの機会にはとにかく向いていない。
たとえばCDで言えば、所望の対象の品番までが判明していて、それで特定されるある商品そのものを買わんとしている場合は、品定めという段階はまったく不要だ。
しかし、たとえばあるタイトルが欲しいとして、その名の商品が同一タイトルのまま何度も再リリースされている場合には、ブックレットのつくりやトラックリスト、そして特に音質の違いなどが気になるものだと思う。
ネット上で判明することもあるが、本質的に作品としてのCDに収録されているものの芸術性に関係があるとは言えない、謂わば限りなく「オマケ」に近いようなものである、CDのパッケージに使われている容器のアートワークやブックレットの内容に関しては、実際手に取って開けてみるまでわからないことの方が多いだろう。
改めて考えてみたが、商品レビューと音源レビューは区別するべきだ。
個人の好みの差に訴えるものに評価をつけること自体がバカらしく、本当は参考になどならないんじゃないかと思い始めてみれば確かにそう言えんこともないんだが、それはそれで、特に文才のある人間が記すものは一読の価値があるものなのかもしれない。
それに、こんな話もナンだとは思うものの実際ネットに蔓延っているが故に敢えてしてしまうが、音楽がCDに収録され一般的に販売された時点で、そのデータはデジタル社会の恩恵を享受しそれを楽しんでいる人間たちの間で、合法であれ違法であれ共有されることが決まってしまっているようなもの。
不特定多数の人間が書いたレビューを頭と目を痛めて時間を費やしながら読むよりも、どこぞよりダウンロードしてさっさと聴いて好きか嫌いか判断した方が何もムダがなくていい。気に入らなければとっととデリートすればハードディスクにもやさしい。
そこで真に価値を帯びてくるのが「商品レビュー」。
ブックレットは全何ページ構成で、中の写真はどういったものが使われているかとか、歌詞の字体はなんだとか、CD製作に関わった人間たちを紹介するクレジットはどうなっているかとか・・・。
最近のダウソ音源が収納されたフォルダには、ジャケの表 / 裏表紙の画像が同梱されていることも多い。デジタル配信のみで聴ける新作の場合だと、CD化された場合には使われるであろう、ジャケの表紙にあたるアートワークの画像が一緒に入っていたり。
音源だけだと味気ないと判断する人がそういうことを行なっているんだろう。
しかしその程度では商品としての詳細はわからん。トラックリストとプロデューサーは大抵書いてあるとして、あとはバンドメンバーくらいだ。レコーディングスタジオとかも書いてあったりするかな?どの道せいぜいこんな程度。
製作者として、ネットで細々(こまごま)と公表している連中も皆無に等しいはずだ。
購入した人間の誰にでもできる行為が、「商品レビュー」なんだ。
ちょっとレビューって書いてみたいけど、俺うまいこと文章書けないしなぁ・・・なんて人でも、商品レビューでなら多少なりともありがたがられるんじゃないだろうか。
Amazon.co.jpでたまに見かけるのが、「既に色んな人がいいこと書いてるから、俺は異なる視点からレビューします」みたいな人。ああいう気の利いたことができる人はホントにエライ。
「商品レビュー」は、ネット通販がすっかり一般的になった現在だからこそもっと関心が向けられるべきことなんじゃないだろうか?即ち、実際手に取れないものを買うんだから。
自分の元に届くまでは、架空の存在を購入しようとしているも同然。在庫ありますとか言っていてもウソかもしれないし、「画像のものと現物は異なる可能性があります」だってかなり強引なエクスキューズかもしれない。なにせネットじゃ現物の正体がわからない。
まぁ、それは極端な言い方かもしれないが、なんにせよそもそも手に取れないものを買うことには一抹の不安がつきもの。
小売店などでその場で物品を手に取り、カネを支払って購入する際、たとえばそれがCDなら、ネット上と同じくブックレットの中身を確認しながらそれができるわけではないのにそういったことが気にならないのは、実際に触れる安心感が強く作用しているからだと俺は思う。
己の元に来るまで実際には触れないものをネットで買わんとしている人に提供した情報のおかげで、実際触って購入している人間以上にその人は購入予定の商品について詳しいなんてすごく面白いじゃないか!
俺はこれから新しく買ったCDなんかについて書くとき、クレジットやらも細かくここに書いていこうと思います。
語学書なら、例文の特徴、日本語による文体の特徴、構成の特徴、単語リストの有無、挿絵なども含めた全体的な雰囲気、付録の有無とあるならその内容・・・といったところかな?
俺は自分が持っている語学書のほぼすべてを読了していないので、こういうことがソラで書ける本は今のところないな・・・。たとえば今やっているチベット語、ドイツ語、イタリア語、ベトナム語は、学習が終わったら商品レビューをしてみようと思う。昔買ったものについては、もしまたそれを用いて学習することがあって、且つそれを読み終えられたならやってみる。
CDは・・・どうしようかな。たまに昔買ったやつも聴きたくなることがあるし、そういうときにはやってみようかな。
エラげなことをしようとかいう気では全然なくて、正直、こんなことをすれば話題が増えてイイな、ってのも大きいんですけどね。
ただ、動機の根幹は、実際そういうことをやってくれる人がいたらイイのになと、かねてから思っていたからです。
今日語学書の検索をしていて、気になるものがあったからどういう内容なのか知りたかったのに、全然それについて情報がないことにキレちゃったんです。前々からそんなこと数え切れないほど経験していたのに、何故か今日は我慢ならなかったんですよネェ。勢いってこわいですね。
そういう人がいるとイイなと思っていて俺が発信する側になるってのも意味わからん気がしますが、他人として存在しているか、俺が「そういうイイ人」として存在するようになるか、誰であれそういう人がいればという願望に於けるその担い手には、特定の適任者はいないってことなのかもしれませんね。