2012年3月10日土曜日

生まれて初めて買ったジャズのCD

生まれて初めて買った、ジャズのCD-Undercurrent


 何故これを買うことに決めたのかは・・・今よりもっと話すにいい機会が、遠くない将来あるだろうと思いますので、そのとき話題にしたいですね。
 とりあえず商品レビュー。Deathのときと違って、商品からわかること以外で知っていることを添えつつ話を進めていくってのは不可能でしょうね。
 まず、ミュージシャンの名義は、Bill Evans & Jim Hall
 Bill Evansくらいは俺でも知ってますが、Jim Hall?キエスキセ?全然知らん。
 実は厳密に言うと、Jim HallのCDだから買ったんですが・・・。その理由についても、「遠くない将来」に得られる機会で言及することになると思います。
 品番はTOCJ-50027なんですが、帯を取ると見られる背表紙には「(UA原盤)」と書いてあります。こんな表記のあるCDは初めて見たな。
 で、CDのレーベル面を見ると、「TOCJ-50027」に、「UAS15003」という品番が併記してあります。これが原盤としてのNo.なんでしょうね、たぶん。これでググるとちゃんとこのUndercurrentが出てきます。
 また、この面には「UNITED ARTISTS JAZZ」とも書いてあります。帯には「JAZZ名盤 999 BEST & MORE」とあり、企画モノリリースのようですが、「UNITED~」の方も、原産国でのシリーズ名とかなんでしょうかね。なんとなく書いてあるだけって可能性もありますが。
 上記の「999」の名の通り、そう、¥999です。正直、この安価も購入を決心させた大きな要因(笑)。ジャズ史上、永遠の名声が約束された不世出の名作らしいですからね、そんなものが999円で買えるってんなら、そりゃ買うでしょう、ってことで。ハダに合わなくても999円だし、まいっかとさほど悔みも生まれねー。
 帯によると、24bitデジタル・リマスタリング。うーん?俺にはさっぱり意味がわからない。それにどうでもいい。こう書いてない商品なら買わない!なんて夢にも思ったことがないほどに。
 さて帯の裏を見てみると、UA原盤を販売している「リバティー(原語: Liberty)」について短い説明があります。「UA(ユナイテッド・アーティスツ)」という映画会社のサントラ・レーベルなんだそうです。なるほど、CDレーベル面にあった「United Artists Jazz」の表記は、UAから出たジャズのCDですよってことか。
 裏面から得られる他の情報は・・・JANは4988006882515。で、「10・9・22 (06・6・14)」とあるので、「2006年に日本でリリースされたUndercurrent」の2010年再発バージョンですね。つまり、装丁が変わっていても、マスタリングとか、肝心のCDの中身は2006年から何も変わってませんよってことです。
 発売はEMIミュージック・ジャパン。帯の表に「EMI Music Japan Inc. 50th Anniversary」と書いてあるので、それを記念しての再発、ってことなんでしょうかね。
 さて、パッケを開けるのはもう少し待って、次に裏表紙。「Wait Quickly」というタイトルを戴き、なんか英語で書いてあります。Barry J. Titusって人が書いたようですが、読むのメンドくさいんでパス・・・。
 トラックリストが記されていますが、全6曲収録で半分ずつ「SIDE 1」と「SIDE 2」として区別してあるところが古めかしいですね。そういや、ジャズのCDを買うのは初めてだけど、ジャズのCDを手に取って見たことがないってわけじゃない。uchiで売ってるジャズのCDも、こうやってLP風にトラックリストが構成されているよなあ。伝統なのかしら?

 SIDE 1
  1. My Funny Valentine (Rodgers・Hart) Chappell & Co.・ASCAP
  2. I Hear a Rhapsody (Fragos・Baker・Gasparre) Broadcast Music, Inc.
  3. Dream Gypsy (Veevers) Suffolk Music・BMI
 SIDE 2
  1. Romain (Jim Hall) MJQ Music・BMI
  2. Skating in Central Park (John Lewis) Julie Music・BMI
  3. Darn That Dream (DeLange・Van Heusen) Bregman, Vocco & Conn・ASCAP
 タイトルの後ろになにかくっついてきてますが、作曲者と、版権持ってる会社でしょう、おそらく。書いてある通り全部写しました。
 それにしても・・・オリジナル曲1曲だけ!?他者の曲をレパートリーにするところがクラシックっぽいですね。ちなみにクラシックもCD持ってません。買うなら、「超絶技巧」で有名なリストのピアノ曲が入ったCDかな~とか漠然と考えてはいますが。オーケストラは寝そう。
 トラックリストの後に若干のクレジットがあります。
 まず奏者は、

 William "Bill" Evans - Piano
 ウィリヤム・“ビル”・エヴァンズ
 James "Jim" Hall - Gt.
 ジェイムズ・“ジム・ホール

 で、プロデューサーはAlan DouglasJazz Theater, Inc.と併記されているんですが、この会社から出向して来た人ってこと?わからん。
 で、残りのクレジットが以下の通り。
  • Sound - Bill Schwartau
  • Typography - The Composing Room, Inc.
  • Package Design - Gauna-Douglas
  • Inside Photographer - Charles Stewart
  • Front Cover Photographer - Toni Frissell
  • Back Cover Photographer - Frank Gauna
 なんかメタルのCDじゃみたことないクレジットがあってどう日本語(カナ)にして書いたらいいものかちょっと悩んだんで、見た目の統一を計るためにもそのまま丸写し。「Back Cover Photographer」って・・・?文字が書いてあるだけなんですが。オリジナルには写真が載ってるのか?
 ようやくパッケージを開いて、まずは表紙代わりの紙を取り出します。薄っぺらい・・・というか、1枚の紙が折りたたんであるだけ。中は2ページ丸ごとライナーノーツで、文責は藤本史昭とかいう人。「2010年8月6日」と併記。
 裏面には、モノクロでBill EvansとJim Hallが揃って写った1枚の画像。ここと、あと帯の裏表紙側にも書いてあったけど、録音は1962年4月24日5月14日だそうです。I Hear a Rhapsodyのみが4月24日に録音と注釈がある。・・・って、え?たった2日で録音したの?というかほぼ1日だよね。録音に携わったミュージシャンが2人だけだからか?制作期間全体が2日というわけではなく、また、2人分の演奏を録音するだけでよかったとはいえ、それでも驚異的ダナ、メタルリスナーからすると・・・。
 最後にトレイ(つまり裏表紙の裏にプリントされているもの)には、ジャズ名盤 ベスト&モアのカタログが宣伝されています。品番はTOCJ-50001~50で個々が識別されているそうなので、とても覚えやすいですね。Libertyの他、俺は勿論全然知らんけど、DialRouletteRoostPacific Jazz・・・といった、Libertyと同じくレーベル名であると思しきもののロゴが、商品のパッケージと共に印刷されています。あ、Capitol Recordsだけは知ってるぞ。
 とまあ、今回はこんな感じ。
 あとは聴くだけ。
 ピアノとギターだけなんだよな・・・聴く前からすごいヘンな気分。

2012年3月8日木曜日

不可分のオマケを抜いた意図

セド・ウィーウス・ノーン・スム                                  
SED VIVUS NON SUM!(しかし俺は死んだ!)

 とあるサイトで、Vivus!にはこれまで未公開だった秘蔵のバンドフォトが一緒にパッケージングされているという情報を目にした。
 ・・・そんなもんなかったケド。
 さて、Metallumの当該レコードのページ、Additional Notesでは、確かにそういうことが書いてあります。
 ・・・つまり、そういうことなんですね。オリジナル盤でのみ見られると・・・。
 音楽聴きたくて買ってるわけだけど、本丸であるその質に、なんらかの視覚効果が相俟ってバンドやレコードに対する思い入れが増強されることについては、否定する人間はそういないんじゃないかと思う。
 なんにせよ納得いかんでしょ。直輸入盤を謳ってるのに、日本盤からはわざわざオリジナル盤では不可分のオマケを抜いた意図。
 Metallumでは、Vivus!は「Boxed Set」に分類されています。そもそもつくりがかなり異なるのかもしれませんね、邦盤とは。少なくともジャケに使われている画像は一緒のようですが。日本盤と同じ仕様のパッケージだったら、「Compilation」に分類されていた筈です。
 つまりは、ボックス・セットの体裁を取る必要があるほどブ厚いフォトブックがついているのかもしれないと・・・。
 ・・・もう買わなくていいかい?バウンディさんよ(笑)。
 えー、さて、Vivus!のオリジナル盤とここ日本国内での盤との仕様の違いからくる不満については誰に癒されもしませんが、Deathのカタログに関する別のことでちょっとテンションを上げられることになったので、まあいいです。
 まず、海外盤・Individual Thought Patternsはかなり安く手に入ること。
 当たり前のようですが、今まで確認してませんでしたしね。
 日本経済に貢献・・・ってほどでもないですが、日本盤があるものは、ムダな特典やなんかで値段がオリジナルよりもかなり高くなっていない限りは、日本盤として買いたいなと思ってますんで。でも、ま、Individual Thought Patternsはもう、新品で手に入れるのが既に難しくなってますし、でも去年出たライブCD付きのバージョンが欲しいってんで、じゃあどうするかっていうと、簡単に、オマケに安く手に入る方法を探った結果、オリジナル盤を買うことにした・・・ってワケです。
 あと、The Sound of Perseveranceのリイシューのひとつって、ライブDVDが付いてるそうなんですよ。
 「Live in Cottbus '98」ってんですが、Amazon.comで検索しても出てこない。Metallumじゃ、あたかもこのDVD単体で販売されたかのように、独立したページが設けられてるんですが・・・。2005年リリースだそうです。オリジナルが1998年に発売されたThe Sound of Perseveranceの再発は2001年と2007年、それから去年に行われており、2005年には出ていないので確かにLive in Cottbus '98はれっきとした一個の商品みたいだけど・・・。
 そしてLive in Cottbus '98のAdditional Notesには、「The Sound of Perseveranceが再発された際に一緒についていた」と書いてある。「分売されていない」と言ってるようにも思えるんだけど、まぁなんだかよくわからん。とりあえず実在してるならそれでいいよね。
 とにかく、コレにはDVD・「Live in Cottbus '98」がついている。コッチにはついていないので要注意だね。後者の、2011年に出たものの方にもボーナスディスクがあるけど、デモ音源が入ってるだけ。しかもディスク2枚に分けて。つまり3枚組。ちなみにCottbusってのはこういう所です。
 さてこの2点、もう絶対買うぞ、ってとこまで決意の段階は進んだんですが・・・いつ買うか、なんですよねえ。
 俺はクレカ持ってないんで、Amazon.co.jpから配送されてくるものを代引で買うしかないんですよ。Individual Thought Patternsが¥1400くらい、The Sound of Perseveranceが¥2,000くらいですが、マーケットプレイス経由ならどちらも¥800相当で買えるんですよね・・・。
 言うまでもなくスゴイ差なんで、正直なんとかならんかと今悩んでるトコです。
 新品ならコンビニで先払いすることで購入もできるんですが・・・俺コンビニってキライなんですよね。よく入ってはいるんですが、安く購入できる好きなものがあるから 仕 方 な く 行くのであって、本当ならあんなとこで買物したくないです。
 マケプレ非経由で買う場合の値段が気にならんくらい、月に貰えるようになれればイチバンいいんですが・・・。

2012年3月6日火曜日

“SUA MUSICA NON MORIETUR.”

ウィーウス                                     
VIVUS!(彼は死んじゃいない!)

 当然のことながら入荷日にゲット!Deathの最新作、ダブル・ライブ・アルバム-ヴィヴァス!
 バイト始まる前に買って、さあ今日は帰ってソッコー聴こう!・・・と思ってたんだけど、そのバイトからあがるのがかなり遅くなり、それだけだったらまだよかったんだけどもうクタクタで何をする気力もねーってんで、ちょっとぐらいは聴いてからアルバムについて書こうと思ってたんだけど、一聴もしないままに、「商品レビュー」をしたいと思います。


 体裁はどうっすかな。細かいところまで逐一説明していくのはメンドくさそうだけど・・・まぁ、やってる内に洗練されていくっしょ。
 とりあえず最初となる今回は、つくりやクレジットを非・機械的に話題にしていきましょうかいね。
 2011年に再発されたHumanと同じく、紙ジャケにCDの入ったプラケースが収まっています。紙ジャケは左右が開いていて、どちらからもCDが引っ張り出せる。
 Humanの紙ジャケはエンボス加工されてましたが、Vivus!は単に表面がツルツルしているものです。エンボスに比べると安っぽい気がせんでもないんですけど、これはこれで、紙に光が反射する様が、まるでChuck Schuldinerがライブをしている最中であるかのような演出に思えてきますんで、個人的にはアリだと思います。
 で、中を取り出してみると、Humanと同じく、プラケースと紙ジャケの間には和訳されたライナーノーツが挟まってます。Humanでは同レコードに参加したギタリスト・Paul Masvidalのペンによるものでしたが、こちらはDeathの最後のドラマー・Richard Christyと、Deathの元マネージャーにしてPerseverance Holdings Ltd.の社長、Eric Greif氏の2名が書いたものです。
 ちなみにこのライナーノーツとプラケース、本当は紙ジャケの中に一緒に収められるようなものじゃないです。本当は、プラケース1つ戻すことにすら苦労するほどジャケの大きさには余裕がない!キュウキュウ過ぎて、取り出すとき苦労しましたわ。ライナーノーツと一緒に戻せるかな、コレ・・・。まあ、ムリなら商品が入ってたビニールにパッケージとライナーノーツを入れりゃあいいですわ。表紙のどっちかは見えなくなりますが・・・。破るタイプのビニールじゃないので、持っとくと吉かもね。俺はこういうケースは、入ってたCDと一緒に取っておいてます。
 で、これは仕様の話じゃないんですが、中のCDを見ようとプラケースを開けたはいいが・・・あれっ、Disc 2が収まっている方のトレイが表にできない。
 ・・・トレイの下の端っこ、割れてましたT_T
 俺はあまり海外盤って持ってないので、ネットでよく見かける不良品についての話から縁遠い音楽ライフを送っていたんですけど、最近だとこのDeath以外に、正真正銘国内盤ではありますがOriginEntityのプラケースも届いたときからオモテにヒビが入ってましたねえ。なんの因果か、これもプラケースを紙ジャケが覆っているつくり。俺はプラケースの破損なんかまったくどーでもいいんで誰に言うこともありませんでしたが。気になるかぁ?こんなもん・・・。
 でもCD2枚組の商品で、トレイ1つの表と裏にそれぞれCDが1枚ずつ収まっているタイプのケースだと、破損は気になる。トレイが固定されないので、トレイの端があるべき位置にいちいち直さないと、フタが閉まりません。地味にウザい。
 さて、ライナーノーツについてですが、Humanのものは真っ黒い紙でしたが、今回は真っ白。文章のバックにジャケ左側にある意匠が描かれています。文章量はHumanでPaul Masvidalが記したものの2分の1。裏面は何も書かれていません。Humanでは再発にあたってリミックスを担当したJim Morrisの短いコメントと、歌詞の和訳(God of ThunderKissのカバー)以外)が印刷されていました。ライブCDには歌詞がないってのは海外ミュージシャンの邦盤でも珍しくありませんが、オリジナル盤だとその傾向は「当たり前」というくらい常態化しているのかもしれませんね。
 さてCDを開け、日本のミュージシャンの商品なら説明されずとも「歌詞カード」であると誰もが思う、CDのジャケ代わりになっているブックレットらしきものを取り出してみます。
 5ページ。実は冊子ではありません。パタパタと開けるヤツです。なんと言っていいのか言葉に困りますが。で、ライナーノーツはこの5ページの紙に書かれている、Richard ChristyとEric Greifの言葉を和訳したものなのです。Richard Christyによる文章が終わると、Chuck Schuldinerのライブでの雄姿がモノクロで印刷されています。これ、カッコイイよ。
 ちなみに、Humanも同じ仕様です-ライナーノーツの日本語文は、ブックレット内にあるPaul MasvidalとJim Morrisが記した文章の和訳。
 あとは、このコメントカード(?)と一緒にRelapse Recordsの宣伝シートが表ジャケ裏側には収まっています。嗚呼、Individual Thought Patternsが眩しいぜ・・・。
 さてこのCDは、2001年に既発の、1998年リリースのDeathのラストアルバム・The Sound of Perseverance発売に伴うツアーから2つの公演を録音した2枚のライブCD・Live in L.A. (Death & Row)Live in Eindhoven '98(両者とも、同タイトルのDVDも発売されている)が1つのパッケージに入ったものです。前者がDisc I、後者がDisc IIとして収録されていますが、このCDでは「(Death & Row)」と「'98」という言葉は「Live in ○○」の後に含まれていません。
 Disc I - Live in L.A.には、1998年12月5日、ロサンジェルスのWhisky a Go Goでの、Disc II - Live in Eindhovenには、同じく1998年の5月31日-つまりこちらの方が録音は先ですね-、オランダはエイントホーヴァン(「アイントホーフェン」という呼称は、たぶんドイツ語とオランダ語の読みの規則を混同した結果だと思う。か、単にドイツ読みがここ日本ではまかり通っているか、どちらか)で開催された、Dynamo Open Air FestivalでのDeathのパフォーマンスが収録されています。
 いずれの公演も、The Sound of Perseverance録音時のバンドメンバーによるもの、即ち、

 Charles "Chuck" Schuldiner - Vo. / Gt.
 チャールズ・“チャク”・シュルディナー
 Shannon Hamm - Gt.
 シャナン・ハム
 Scott Clendenin - Ba.
 スカト・クレンダニン
 Thomas Richard Christy a.k.a. Richard Christy - Ds.
 タマス・リチャード・クリスティ = リチャード・クリスティ

 の4人です。
 それでは次に制作に関するクレジットを。
  • 全トラックの作詞&作曲: Chuck Schuldiner
  • 全曲の版権所有: Mutilation Music (BMI)、但し以下4曲を除く;
  • Symbolic, Crystal Mountain, Zero Tolerance, Empty Words(Symbolic収録曲)の版権所有: Mutilation Music / Universal Music
  • 制作指揮: Orion Landau
  • アートワークとレイアウト: Jacob Speis
 サンクスリストに挙がっているのは、
  • Scott (Clendenin)、Richard (Christy)、Shannon (Hamm)
  • Deathのブッキングエージェント・Mitchell KardunaTCI
  • Dynamo Open Air
  • Whisky a Go Go(The World Famousという形容付き)
  • Brian GriffinとDeathのクルー
  • NB(おそらくNuclear Blastのことだと思われる。Live in L.A.とLive in Eindhoven、及びThe Sound of Perseveranceのオリジナルはここから販売されていた)のみんな
  • BC Rich(Chuck Schuldinerの超シンプルでクールすぎるシグネチャーモデルを手がけたギターメーカーだね!)
  • Relapse Records
  • 世界中のDeathの狂信者たち
 そしてクレジットの最後には、

 イン・アエテルヌム・アミークス・メウス・ウィーウィト. スワ・ムースィカ・ノーン・モリエートゥル.
 IN AETERNUM AMICUS MEUS VIVIT. SUA MUSICA NON MORIETUR.
 (私の友は永遠に生きる。彼の音楽は死ぬこともなし。)

 とあります(カナと和訳は当然俺が勝手につけたものです)。粋だねェ。
 meus amicus、sua musica、当たり前ですがChuck Schuldinerと彼が生み出してきた音楽のことですよね。また、musicaには「詩」という意味もあるので、「彼の作品全体」と捉えてもいいかもしれません。
 ただ、「meus」は話し手を誰にした表現なんでしょう・・・Eric Greifか?「noster(ノステル; =我らの)」って言って欲しかったな。
 ちなみにタイトルのvivus(本来の読みは「ウィーウス」)とは、「生きている」という形容詞です。男性単数形(=原形)なので、これも勿論Chuck Schuldinerのことを指していますね。

 ・・・とまあ、商品レビューってのは、こんな感じ。
 書いてて結構楽しかったし、毎回こんな風になっても別にいいかも。
 あ、上の文章に組み込み損ねてたんだけど、
  • 品番: YSCY-1236 
  • JAN: 4560239832361(直輸入盤の日本仕様なのでEANも設定されており、こちらは781676717729
  • 発売元: Perseverance Holdings Ltd.
  • 販売元: Relapse Records
  • ディストリビューション: BounDEE by SSNW
  • 再販禁止期間: 2012年9月6日まで
  • 価格: ¥1,980(税込)
 最後にトラックリスト(重要な要素だけど、別にどこのサイトでも確認できるからいらないかな?):

 Disc I: Live in L.A. - 1998
  1. The Philosopher
  2. Spirit Crusher
  3. Trapped in a Corner
  4. Scavenger of Human Sorrow
  5. Crystal Mountain
  6. Flesh and the Power It Holds
  7. Zero Tolerance
  8. Zombie Ritual
  9. Suicide Machine
  10. Together as One
  11. Empty Words
  12. Symbolic
  13. Pull the Plug
 Disc II: Live in Eindhoven - 1998
  1. The Philosopher
  2. Trapped in a Corner
  3. Crystal Mountain
  4. Suicide Machine
  5. Together as One
  6. Zero Tolerance
  7. Lack of Comprehension
  8. Flesh and the Power It Holds
  9. Flattening of Emotions
  10. Spirit Crusher
  11. Pull the Plug

2012年3月4日日曜日

珍奇な再現

結局出るんだなあ。イイヤッタアアアア!!!

 何がって?コレだよコレ!!
 なんでNuclearblast.jpはニュースにしないんだ!?
 バイト先でつくる新譜告知のネタの収集をしがてら、何か洋楽DVD(特にHR/HM)出ないかな?と検索して知ったんだよ俺。
 あとさ、Terrorizer復活して新譜出したんだね!なんでこれもニュースになってないんだよ、日本コロムビア!サイト内のどこにも情報ないってのはどういうことなんだ?トゥルーパー・エンタテインメントってレーベルから出してることに関係してるのか?確かに同レーベルから邦盤を再発してるArch Enemyの情報も、コロムビアの公式にはないけど・・・。「発売」と「販売」の違いに関する問題?勉強しなきゃな・・・。
 Amazon.comでサンプルを全曲試聴してみましたが、なんと言ってもこの音質、ギター、ベースのトーンが琴線に触れた!Metallumじゃ今現在ウケはイマイチですが、俺はこれ、すごく欲しいです。曲調はどれも似たり寄ったりだけど、好みであるこの音を目当てにずっと聴いてていたいと思わされますね。いやだわ、早くすり潰されないと・・・。
 Pete Sandovalのドラミングも、初めて凄いと思った。Morbid Angelでの演奏聴いて、大勢の他者による高評価に見合うほどの奏者だと、これまで一度も思ったことなかったんだよね。同じくヒスパニックで、Dave Lombardoとかもそうだな。こいつは今でも大したことないと思ってるけど。Reign in Blood出たての頃は比肩するドラマーがいなかったのかもしれないが・・・。未だに「彼がベスト!」みたいな評価をしてる奴みると、オイ?って思わずにはいられんなぁ。
 しかも、発売中止となったものは、CDがメインでオマケでDVDが付くという仕様だったのが、今回改めての発売にあたり、海外(オリジナル)盤と同じ仕様に、つまりDVD+ボーナスCD2枚組の1パッケージ3ディスクという、「DVD」のカテゴリに属する商品に!スゲエぜ!
 お値段¥4,800。前話題にしたときは「安くない」なんて書きましたが、オリジナル盤が日本円にしてこれくらいの価格でも今なら「安い」って思える。改めて考えてみると物凄い内容だもんな。
 ところで、TestamentGene Hoglanが参加してのニューアルバムはなんかなかったことになってるっぽい?うーむ、ビジネスってのはムズかしいんだねえ。これも改めて発売が発表されるんかいねえ。
 前に、なんでTestamentにGene Hoglanなんだよ!とは書いたものの、やっぱ彼のプレイは聴いてみたいしね。ただ俺はそれ以上にChuck Billyの咆哮を心待ちにしているわけで、故に彼らの新譜が楽しみだったのに・・・。
 ちなみに、Gene Hoglanを加えての最新アー写がMetallumで見られます(他でも見られるかは知らん)。あくまでもサポートである彼を含んでの撮影はすごい意外ですね。見映えの問題なんでしょうか。Paul Bostaphは休養とかでなく、正式に脱退してるみたいですし、バンドとしての基本構成が5人組なので、ドラマーが写ってないと・・・ってことなのかな?まぁ、他の4人-Chuck Billy、Eric PetersonAlex SkolnickGreg Christian-とは撮影環境やポージングに於いて統一感が共通していないので、やっぱりあくまでサポートなんだなって雰囲気は写真からだけでもビンビンに感じられますが。
 まー、何はともあれ祝・発売、Hell over Sofia!これに気づくのが遅すぎたから、今から予約しても発売日にはブツは届きませんが、7日発売のDeath / Vivus!と共に、じき過ぎ去る今年度最後の寒さを吹っ飛ばす力を俺におくれよ!
 おお・・・Individual Thought Patterns(買えなかったが)の再発を話題にしたときも、HypocrisyのHell over Sofiaと併せて、「寒い冬に熱いリリース!」みたいなことを書いたが、珍奇な再現ですなあ。
 ・・・Evangelia HeretikaShovel Headed Tour Machineもいつか出ないかなあ。CDはそれぞれビクターとキングレコードから(今のところは)出してるんだしさ・・・余力ありそうじゃない?

2012年2月21日火曜日

ἆρα γράφω καλῶς;

文字の書き方を更にちょっと変えてみた。





 文字は文字でも、「ギリシャ文字」に限るんだけどね。
 さてどう変わったか、俺が何も言わずして誰かにわかるだろうか・・・。
 下の方が、罫線に密着する部分がとんがっていて、且つ、黒が濃い。
 罫線に文字が到達したら、力を入れてペンを払っているわけですね。
 ギリシャ文字をキレイに書くのは難しい。
 しかしそれが適ったときの喜びは、達成が難しいだけに大きなものがあるので、極めんが為に色々と試行してみる価値がある。
 実はこの書き方、かつてラテン文字を書く際適用していた方法です。
 前にノートへの記し方を話題にした際、それがどういったものかを説明するために交えたノートの画像からわかるように、今はやっていない。罫線に接地するとそこで筆を止める。今はそれが気に入ってるから。
 ギリシャ語でもできるといいんだけどね・・・丸みを帯びた字体のほうが、個人的にはより「ギリシャ文字らしい」と思っているので、カクカクとは書けないんだよね。
 しかし今回晒したこの方法は、丸みと角張りの折衷である。
 実は、書き易さの点ではこちらの方が分が悪い。払った線が、はっきりと濃くなっていないと、理想の形としてサマにならないからだ。なので、一瞬のこととはいえ、込める力はかなり強くないといけない。ずっとやってるとこれがシンドイ。
 書き易さを取るか、見た目を取るか・・・。後から読んだりするわけではないものの、まさに書いてる最中目に映る己の文字がキレイでないと、俺は気分が萎えるのです。

2012年2月11日土曜日

ママン・ノエル


 電撃マガジン?かなんかの付録だったんだって。昨日バイト先で貰った。そしてロッカーの中に置いたまま持って帰るのを忘れた。
 「サンタクロースを見た」というラノベを書いてる人の、この付録用の書き下ろしかなんかだと思ってたんだけど、今日表紙や中身の冒頭をちゃんと見てみると、蒼山サグ沖田雅竹宮ゆゆこ土橋真二郎志村一矢の電撃文庫作家5人が「サンタクロースを見た」を題材に書き下ろしたラノベオムニバス、らしい。
 竹宮ゆゆこ以外知らねぇな~・・・アニメ「とらドラ!」、ハマったからね。原作はチラリとも読んだことないけど。というか店頭で文庫見たことないかも。
 で、この表紙は狼と香辛料で挿絵描いてた文倉十によるもの。この人の絵結構好きだから名前覚えてる。・・・けど、この表紙の絵はイマイチ通り越してめちゃ素人臭いね。俺は文倉十というよりは、「狼と香辛料の絵」が好きだったらしい。けど、上記5人のお話すべてに挿絵をつけたのは結構すごいかも。全エピソード、物語の下地になっているのは現実世界に近しい雰囲気の舞台だから、案外描きやすかったのかもしれないけどね。
 とまぁ、タダでラノベが1冊手に入ったわけですが・・・まぁ、読破するか、いやできるかわかんないね。
 だってラノベはサムい!
 ハルヒはまだマシだったけど、同じくアニメを気に入って原作を読んだ狂乱家族日記なんて、俺よく買った当時読破できたなと感心できるレベル。今絶対最後まで読めないからね。どっちも1巻しか持ってない。2巻以降買うなんてもう考えられねぇ。
 ラノベ原作のアニメもいくつか観てるわけだから、ラノベに関心がないわけではないんだけど、かつてと違い、今はもうめちゃくちゃ苦手だと言わざるを得ない。
 あっ、なんの付録かちゃんと書いてあるや。「電撃文庫MAGAZINE Vol. 23 2012年1月号付録①」、だって。②はなんなんでしょうね?
 返品で付録が残ったのかね。
 書店のことは全然わかんね。
 ちなみにCDは、ケース外付けの帯に始まり、CDケースの内側に入っているものがすべて揃っていないと返品に応じてくれません。そう、ハガキとかチラシとかも全部必要。卸によるのかもしれないけど。
 新品なのに不良CDだった!って人は、落ち着いてCDをパッケの中に戻し、商品が包まれていたビニール以外は何もかも買った時の状態にしてからCD屋に文句言いに行ってくださいね。いや、ホンマはメーカーに直接言って欲しいけどね。たとえば、たまに買ったときからCDやDVD等がトレーから外れてることがあるけど、あれだってただ落としただけじゃ滅多にならんよ。大抵店に着く前、つまり出荷時から外れてるんだよ。
 ラノベと全然関係ない話で記事終わったー!

2012年2月6日月曜日

やすな、چه دختر نازنينی!

キルミーベイベーのやすなが超かわいい!

 またまた出ました、すっごい今更な話題。もう5話くらいまで放映してますもんね。
 ネットを介して観てみたんですが、食い入るほど面白いわけじゃなく、ながら観で延々流しててもウザくなるわけでもなく、つまりは生活音の一部にウェルカムなアニメ、キルミーベイベー。
 アニメ化までに結構やってましたよね、原作。かなり前からその名を知っていた気がするんですが。
 元々原作・アニメ共に全然興味なかったんですけど、アニメはJ.C.STAFFが手がけているということを何かでたまたま知って、俄然気になったのです。
 最近は、アニメ化させる原作の内容やデキのせいもあったかもしれないけど、いまいちなアニメしか世に送り出せていなかった感のあるJ.C.STAFF。このスタジオに対する関心は薄れていく一方だったんですが、「キルミーベイベー」で、やはり日本国内に於ける天下無双のアニメ制作スタジオ(深夜アニメ限定だが)であることを改めて思い知らされたのでした。
 安定且つ高いクオリティのアニメーションに加え、巧みなデフォルメとアニメチックな動きでキャラを更に魅力的に演出するセンス、「日常」のように様々なエピソードを1話毎に多数詰め込みながらも、頻出する場面展開の変化に煩わしさの感じられない滑らかな構成、それから冒頭挙げた通り、やすなが超かわいい、これはひとえに声優の地力の高さは勿論見逃せないが、これに加え脚本と演技指導の優秀さから来ているものです。
 ソーニャは殺し屋だが、普通の高校生でもある。やすなへの反撃の理由について「狙われることもあるから」と言っているが本人に己の仕事を隠したがっている素振りがまったく見られない。こういった破天荒な設定を含め、金髪ツインテとか、殺し屋のくせにミョーにショボイものが弱点だとか、現代の漫画・アニメ的要素の具現化をほぼ一手に担うとてもわかりやすい記号的なキャラクターだが、俺はこんなヤツちっともつまらんね。
 キルミーベイベーは間違いなくやすなのやすなによるやすなのためのアニメ。
 ところどころすごく豊崎愛生っぽいんだよね、中の人。
 ○○っぽいっつーと個性が確立されていないことを意味する場合もあると思うが、個人的に豊崎愛生の、特にけいおん!平沢唯が素っ頓狂なことを言っているときの口調がとても好きで、そんな場面での演技を聞いているかの如き瞬間が、キルミーベイベーを観ていると何度もあるんだよね。これはまさに俺得。
 だけど勿論それだけじゃない。主に表に出てきているのは、そういった声色だったり口調だったり、アニメキャラとしての演技は上手なのかだとか、ディスプレイを介して外側からでもすぐ判断のつくような要素なんだが、“やすな愛”が進化すると意識はディスプレイの内側へと飛び、最終的に俺はやすなに楽しませられることで知れた中の人に惚れた!
 豊崎愛生ライクな点だって、それを抜きにしてもそもそも彼女の実力が高く感じられるからこそ認められるもの。そうでしょ?じゃなかったらホントに単なる物真似声優だ。
 それに台詞単位で一番好きな演技は豊崎的なところじゃないんだなあ。

「教えてくれたらもう言わない」

「じゃないと明日も言う」

「毎日言う」

「朝から晩まで言う~」

 ウザカワイさ1000%表現の完璧な演技!実際は、括弧で括った台詞と台詞の間に殆ど間がない点がポイントで、これは是非直接耳にして欲しいな!
 また、演技とは関係ないけど、このときのポーズも最高。口以外は動きのない静止画で、スタッフだってなんらかの絶対的な理由があってやすなにこのポーズをさせたわけじゃないんだろうけど(いやそれは浅慮か?やはり狙ってた?)、これがまたウザ効果UPに貢献してるんだわ。この場面はホントにもう何から何までベスト of ベスト。これから先、これ以上に印象に残るシーンがあるかどうか心配だ・・・。
 ちなみに2番目に好きなのは同じく2話から、こちらは豊崎的演技。関節技をくすぐりで抜けだそうとするときのあの様子は、必死さとコミカルさが絶妙なバランスでブレンドされています。
 俺の永遠の声の女神・皆口裕子、声優の中の声優・沢城みゆきばりにアニメ声優としてだけではなく人として気になる女性声優は久々かも。
 ・・・えーと、名前はまだ覚えてないんだけどネ。
 だって全然知らなかったんだもん。
 ただ、確かにそんな有名な人じゃなかったみたい。
 ソーニャの方は過去に主役をやったりもしてたんだね。あそびにいくヨ!嘉和騎央とか。俺あれ観てたけど全然気がつかなかった。途中で切るくらい思い入れなかったからかな?
 けど、最近個人的に大ヒットして何度繰り返して観たかわかんないくらい愛好した生徒会役員共出島サヤカでもあったことだってぜんっぜんわかんなかったよ・・・。取り立てて出番が少なかったわけじゃないけど、台詞は基本的に短かったからかなぁ。
 声優名を全然覚えてなかったこともあって、主役を張ったことで今作で初めてメジャーになれる可能性をようやく得られた新人声優かと思ってたよ。
 ・・・あとはね、正直ソーニャの中の人よりも知名度が低いと思しきやすなの中の人の方がずっとハキハキしてて、聞いてて心地いい、これも素人から上がりたてかと思った理由のひとつ。
 小見川千明を筆頭として、活動歴の長短に関わらず、素人臭い声優の特徴はなんといっても声にハリがないことに尽きる。そしてそれに起因して、声の出し方にダイナミクスがつけられないこと。
 小見川はその中でも特にヒドいが。感情の昂ぶりを表現するのにただ大きな発声に頼るがままなんで、声が割れるそんな声優初めて聞いたもん。生徒会役員共に荒川アンダーザブリッジ(2期含む)と、出演したアニメそのものが面白く、何度も観て聞いている内に拒否感が薄れていったので嫌いではないけど。ま~詰まるところ役に因るのかな。
 棒読みと言えるほどにまではヒドくないが、ニュアンスの付け方に芸が感じられないのが、実はソーニャは容姿・設定云々よりもずっとマイナス。
 殺し屋であるというキャラ性に沿った演技だと言われればその言い分には説得力があると思えんこともないが、それでもアニメでの表情の豊かさに演技が合っていないことの説明にはならんしな。彼女に欠けているのは笑顔だけですから。
 あぎりの中の人なんてアイドルグループ(活動休止中)のメンバーのひとりだけど、非常にイイ味出してるよね。ただ初登場のとき、ヘンなイントネーションのせいで外人キャラなのかと思ったよ!
 あぎりは忍者キャラとかよりも、やすなと同じくやっぱり喋りが元で好きですね。狙ってもあんな風に喋れんでしょう、普通。
 喋りありきでやすな&あぎりが愛らしすぎて、ソーニャが霞むのです。
 ただ、この2人が特に好きだといっても、実は彼女たちの絡みが出てくると大抵もどかしい思いをしています、私。というのも、「どマイペース」なあぎりに翻弄されるがままなんですよね、やすなちゃん。ソーニャと相対しているときのキレがねーんだよ、キレが!突っ込みばかりさせられて、驚くほどフツーのこと言うだけで終わる。カナシイヨこりゃ。
 原作はキャラの少なさ故に読みやすいところが美点として挙げられることもあるそうですが、確かに、まさに少数精鋭ですね。3人だけでもこんなに楽しい!けど、基本はやすなとソーニャの2人。あぎりはOPでもこの2人と同格で出演していますが、やはり準主役って感じですよね。
 えっ、没キャラ?そもそもあいつはなんなんでしょう・・・。キャラ名からしてメタ100%ってところを突っ込みたいですが、やすなとソーニャを狙う理由も・・・なんなんだ?これまたメタで、没キャラから正キャラへの昇格を成就させんとしてのこと、とか?
 デザインは結構いいですね。やすなとは対照的、ソーニャとは同類で、非常に漫画チック。ソーニャをこき下ろした私ですが、アニメを好きで観てんだからアニメ的なキャラが嫌いってことはないですよ。
 ただ、正直ジャマ。意味ある出番が増えたら増えたでキルミーベイベーならではの雰囲気が崩れそうだし。
 中途半端に出して勝手に自滅して主役たちに認識されず本筋に関われないなら、そもそも出てくる必要がないんじゃあ・・・?
 やすな&ソーニャ視点のパートと、その裏で実は没キャラが2人の視点には一切認識されないまま暗躍していたパートの2本立てにするとかすれば、ひょっとしたら面白いかもだけど。
 そうそう、あとは新井里美の出演だね!アニメ・キルミーベイベーで最初に声を視聴者に届けたのは、何を隠そう彼女なんだよね。
 第1話ド頭、「あさ」の台詞でその声を聞いて既にそれから先の彼女の良い仕事を予見し、「ひーるかーもね」でニヤリと確信に変わった。これ以上ない適役をナレーション(?)に配したもんだ。
 やすな、ソーニャ、あぎり、没キャラ以外のモブを、同じくナレーションも務めるチョーとたった2人で担っているという配役の強引さも、演技関係なしに笑える。
 第1話、花瓶を割ってひたすら「やってしまった」を繰り返す女生徒の演技を聞いたときは、色々喋ってしまうとどうしても彼女特有の声質が目立ってしまうから、苦肉の策で無難なことを言わせているのかと思ったんだけど、クレジットを信じるなら公園で会ったあの女の子、彼女も新井里美がやってるってことなんだよね・・・?えー、全然「おば声」にカモフラする必要ないじゃん。わかる人はすぐわかるのかもしれないけど、俺はホント、全然わかんない。
 ただ、教室でゴキブリが見つかったときのモブとしての演技なんて、モロ畑ランコな抑揚のない喋りが出てたけどね!
 とにかくキャラと演技が楽しいキルミーベイベー。
 髪型、髪の色、体格、口癖、生い立ち、趣味、名前、諸々で強制的にキャラとしての個性を強調させられた多数の女の子が出てくるブヒアニメが、たった3人+αのキャラのやり取りがメインのアニメに、人間を見ることの楽しさという点で完敗してるぜ。マジどんな気持ち?
 やはりJ.C.STAFFにはこれからも付いていかざるを得ないんだなあ!
 原作漫画はね、たぶん買わない。くれるって人がいればもらうって程度にしか興味ないな。
 この楽しさはアニメならではだろうから。
 ちなみにタイトルは、やすながguten Morgenだのbuenos díasだの外国語で挨拶してたので(danke schön(どうもありがとう)が含まれてたところがおバカキャラらしい!)、外国語を混ぜての賛辞にしてみました。良い子はپدرかمادرにle sensをשאלしてみるか、ググってみてnhé!
 それにしても相生祐子といい、蟹沢きぬといい、「アホ子ちゃんは外国語で挨拶したがる」のは一種の定番なんだろうか?

2012年2月3日金曜日

もっとレビューを!

俺はキレた!

 もっとレビューを!
 ネット通販は実に便利なものだが、細心の品定めの機会にはとにかく向いていない。
 たとえばCDで言えば、所望の対象の品番までが判明していて、それで特定されるある商品そのものを買わんとしている場合は、品定めという段階はまったく不要だ。
 しかし、たとえばあるタイトルが欲しいとして、その名の商品が同一タイトルのまま何度も再リリースされている場合には、ブックレットのつくりやトラックリスト、そして特に音質の違いなどが気になるものだと思う。
 ネット上で判明することもあるが、本質的に作品としてのCDに収録されているものの芸術性に関係があるとは言えない、謂わば限りなく「オマケ」に近いようなものである、CDのパッケージに使われている容器のアートワークやブックレットの内容に関しては、実際手に取って開けてみるまでわからないことの方が多いだろう。
 改めて考えてみたが、商品レビューと音源レビューは区別するべきだ。
 個人の好みの差に訴えるものに評価をつけること自体がバカらしく、本当は参考になどならないんじゃないかと思い始めてみれば確かにそう言えんこともないんだが、それはそれで、特に文才のある人間が記すものは一読の価値があるものなのかもしれない。
 それに、こんな話もナンだとは思うものの実際ネットに蔓延っているが故に敢えてしてしまうが、音楽がCDに収録され一般的に販売された時点で、そのデータはデジタル社会の恩恵を享受しそれを楽しんでいる人間たちの間で、合法であれ違法であれ共有されることが決まってしまっているようなもの。 
 不特定多数の人間が書いたレビューを頭と目を痛めて時間を費やしながら読むよりも、どこぞよりダウンロードしてさっさと聴いて好きか嫌いか判断した方が何もムダがなくていい。気に入らなければとっととデリートすればハードディスクにもやさしい。
 そこで真に価値を帯びてくるのが「商品レビュー」。
 ブックレットは全何ページ構成で、中の写真はどういったものが使われているかとか、歌詞の字体はなんだとか、CD製作に関わった人間たちを紹介するクレジットはどうなっているかとか・・・。
 最近のダウソ音源が収納されたフォルダには、ジャケの表 / 裏表紙の画像が同梱されていることも多い。デジタル配信のみで聴ける新作の場合だと、CD化された場合には使われるであろう、ジャケの表紙にあたるアートワークの画像が一緒に入っていたり。
 音源だけだと味気ないと判断する人がそういうことを行なっているんだろう。
 しかしその程度では商品としての詳細はわからん。トラックリストとプロデューサーは大抵書いてあるとして、あとはバンドメンバーくらいだ。レコーディングスタジオとかも書いてあったりするかな?どの道せいぜいこんな程度。
 製作者として、ネットで細々(こまごま)と公表している連中も皆無に等しいはずだ。
 購入した人間の誰にでもできる行為が、「商品レビュー」なんだ。
 ちょっとレビューって書いてみたいけど、俺うまいこと文章書けないしなぁ・・・なんて人でも、商品レビューでなら多少なりともありがたがられるんじゃないだろうか。
 Amazon.co.jpでたまに見かけるのが、「既に色んな人がいいこと書いてるから、俺は異なる視点からレビューします」みたいな人。ああいう気の利いたことができる人はホントにエライ。
 「商品レビュー」は、ネット通販がすっかり一般的になった現在だからこそもっと関心が向けられるべきことなんじゃないだろうか?即ち、実際手に取れないものを買うんだから。
 自分の元に届くまでは、架空の存在を購入しようとしているも同然。在庫ありますとか言っていてもウソかもしれないし、「画像のものと現物は異なる可能性があります」だってかなり強引なエクスキューズかもしれない。なにせネットじゃ現物の正体がわからない。
 まぁ、それは極端な言い方かもしれないが、なんにせよそもそも手に取れないものを買うことには一抹の不安がつきもの。
 小売店などでその場で物品を手に取り、カネを支払って購入する際、たとえばそれがCDなら、ネット上と同じくブックレットの中身を確認しながらそれができるわけではないのにそういったことが気にならないのは、実際に触れる安心感が強く作用しているからだと俺は思う。
 己の元に来るまで実際には触れないものをネットで買わんとしている人に提供した情報のおかげで、実際触って購入している人間以上にその人は購入予定の商品について詳しいなんてすごく面白いじゃないか!
 俺はこれから新しく買ったCDなんかについて書くとき、クレジットやらも細かくここに書いていこうと思います。
 語学書なら、例文の特徴、日本語による文体の特徴、構成の特徴、単語リストの有無、挿絵なども含めた全体的な雰囲気、付録の有無とあるならその内容・・・といったところかな?
 俺は自分が持っている語学書のほぼすべてを読了していないので、こういうことがソラで書ける本は今のところないな・・・。たとえば今やっているチベット語、ドイツ語、イタリア語、ベトナム語は、学習が終わったら商品レビューをしてみようと思う。昔買ったものについては、もしまたそれを用いて学習することがあって、且つそれを読み終えられたならやってみる。
 CDは・・・どうしようかな。たまに昔買ったやつも聴きたくなることがあるし、そういうときにはやってみようかな。
 エラげなことをしようとかいう気では全然なくて、正直、こんなことをすれば話題が増えてイイな、ってのも大きいんですけどね。
 ただ、動機の根幹は、実際そういうことをやってくれる人がいたらイイのになと、かねてから思っていたからです。
 今日語学書の検索をしていて、気になるものがあったからどういう内容なのか知りたかったのに、全然それについて情報がないことにキレちゃったんです。前々からそんなこと数え切れないほど経験していたのに、何故か今日は我慢ならなかったんですよネェ。勢いってこわいですね。
 そういう人がいるとイイなと思っていて俺が発信する側になるってのも意味わからん気がしますが、他人として存在しているか、俺が「そういうイイ人」として存在するようになるか、誰であれそういう人がいればという願望に於けるその担い手には、特定の適任者はいないってことなのかもしれませんね。

2012年2月2日木曜日

می شود من اين نزديکيها کتابی بهتر برای درس فارسی بخرم؟

なんか前回より覚えやすかったような気がする。

 というか俺、7課みたいな道を尋ねたり教えたりっていう文章がニガテなんだよね。大学でフランス語やってるときも面白くなかったし、CDエクスプレス ペルシャ語でもある道案内を主軸に据えた課も覚え辛かった。まぁ、あっちは命令法や接続法を駆使していて、それを伴った構文に慣れていなかったからってのもあるんだが。

bài tám - “Gia đình anh có mấy người?”

- Gia đình anh sống ở đâu?
- Trước đây ở Osaka, còn hiện nay ở Tokyo.
- Gia đình anh có mấy người?
- Có bốn người: bố mẹ, em gái và tôi.
- Bố mẹ anh làm gì?
- Bố tôi là bác sĩ, mẹ tôi là người nội trợ. Còn em gái tôi là sinh viên năm thứ hai.
- Bố mẹ anh năm nay bao nhiêu tuổi?
- Bố tôi năm mươi, còn mẹ tôi bốn mươi tám.
- Mọi người trong gia đình anh đều mạnh khỏe chứ?
- Vâng, cảm ơn chị.

 本曰く、この課の目的は「数の言い方」と「職業の訊き方」を覚えることらしい。後者については解説のページでちょびっと補足があっただけなんだが・・・。
 あ、ちなみにもう日本語書くのメンドくさいんでなしで。
 7課で「50メートル=năm mươi mét」と「10分=mười phút」では「10=mười」の声調が違うことに言及したが、やはり「1の位×10の位」という表現での「10」は「mươi」になるとある。理由は書いてないが。ちなみに会話では省略されがちなんだとか。eg: 77=bảy mươi bảy / bảy bảy。
 上でペルシャ語の話題を出したところで、オマケで例の道案内の文。

هفت - با کمال ميل

اقا، ببخشيد، اين نزديکی ها پستخانه نيست؟
چرا، يکی در خیابان رستگار هست
از اينجا دور است؟
نه، پیاده فقط پنج دقيقه راه است
می شود راه را نشانم بدهيد؟
با کمال ميل. از اين خیابان راست برويد تا چراغ راهنما بعد بپيچيد دست چپ تا به بانک ملی برسيد. پستخانه رو به روی بانک است
خيلی متشکرم
خواهش می کنم

- áqá, bebaxšid, in nazdikihá postxáne nist
- čerá, yeki dar xyábáne rastgár hast
- az injá dur ast
- na, pyáde faqat panj daqiqe ráh ast
- mi shavad ráh rá nešánam bedehid
- bá kamále meyl. az in xyábán rást beravid tá čeráqe ráhnemá ba´d bepičid daste čap tá be bánke melli berasid. postxáne ru be ruye bánk ast
- xeyli motašakkeram
- xáheš mi konam

 ここだとアラビア文字はイタリック体にすると何故かフォントが崩れる(فارسی、こんな感じ。ヒドいよねー)ので直立させてます。また、ハイフンやピリオドは、左から書く言語と同じように前者を文頭に、後者を文末に置こうとしても想定の位置に登場してくれませんので省きました。アラビア文字やヘブライ文字を使ってここで文章書こうとするとスンゲー苦労すんですよ・・・。システムの処理が基本的に左から書かれる文字の表記法に準じているからなんですが、メモ帳みたいに右から書くことも選べるように何故なっていないかなぁ。ここで右Ctrl + 右Shift押しても別に何も起こりませんからね。
 また、本文下段のラテン文字転写についてですが、iとuはマクロン(āの上の記号)がついてなくても長音を示します(「nist」、「in」は「ニースト」、「イーン」、「dur」、「ru」は「ドゥール」、「ルー」)。
 この文章のラテン文字転写では、長音はアクサン・テギュ(áの上の記号)で示しています。使ったのはチェコ語キーボード。マクロンはマオリ語キーボードで打てるけど、そうするとハーチェク(čの上の記号)のタイプがシステムになくて困る。キーボード切り替えつつなんてめんどっちいしね。まぁ、重子音表記でひとつの音を表してもよかったんだけど・・・(čがchとか)。
 俺、本の内容すーぐ無視して自己流に走りたがるクセに、あるものに関しては本からの教えを絶対に順守しようとしたり、自分でも意味分からん性格してますわ。
 ホントはiとuにもマクロンなり付けたいんだけど、本でこう書いてあったからね~・・・。でもこれに今のところは納得がいっているのは、ペルシャ語よりも先にやっていたサンスクリットのラテン文字転写で、同言語ではeとoは必ず長音であるが故に改めてマクロンが振られてなかったことに影響されている。ちなみにペルシャ語だとeとoは必ず短音(標準語の基になっているテヘラン方言以外では知らんけど)。こういう現象、面白くて好きだ。iとuは、サンスクリットだと短音にも長音にもなる。
 さて道案内を扱ったこの文、聞き取ってこうやって書けはするんだけど、内容を理解しつつそれができているかというと、こればっかりはほぼ機械的だね。
 こんな短いのに?-こんな短いのに、なんですよ。ホントダメ、道案内は。
 たぶん、日常生活でさっぱりできないからなんだと思います。
 数が多用されてる文とかも苦手だなぁ。覚えられないもん。
 あ、ちなみに上の文での命令法は、「ببخشيد」、「راست برويد」、「بپيچيد دست چپ」、接続法は「می شود راه را نشانم بدهيد」と「تا به بانک ملی برسيد」。
 「ببخشيد」は「すみません」ってだけの意味なんで命令法とかなんだとか意識することもないんだけど、ペルシャ語では普通、動詞が文末に来るので、「بپيچيد دست چپ」の後に文が続くってのが、初めて勉強した当時は奇妙に思えたんだよね。
 接続法、「تا به بانک ملی برسيد」は、「تا」が接続詞だから、その後に来る動詞は接続法、と、日本語を介して直感的に解せたところもあるんだけど、「می شود راه را نشانم بدهيد」がねー。
 「می شود」~なんとかかんとかで「~ができる」って表現なんだけど、たとえばフランス語だと「Est-ce que c'est possible que vous me montriez ...」みたいに接続詞「que」が入るところが、ペルシャ語だとなんにもないからね。なんで動詞が並んでるんだ?って感じで、納得するのに時間がかかった。
 そういやさ、道案内も数も関係ないけど、ペルシャ語について未だにわかんねーことが。
 上に「نزديکی ها」ってあるでしょ、「ها」は複数の指標なんだけど、単語によってこれがこうやって離して書いてあったり(この場合、これが直前の語に隙間なく接続されていると「نزديکيها」になる)くっついて書いてあったりする。たとえば「イラン人たち=ايرانيها(iránihá)」とか。本来は後者の形であるべきなんじゃないだろうか。
 この「ها」、俺は上の文章だと直前の語とは離して書いたけど、これには理由がある。
 本だと直前の語と隙間なく隣接していて、その直前の語の末尾に「ـی」があると、これがこの形-語末形-のまま直後に「ها」を従えてるんだけど、デジタルで書くとそうはいかないんだよ。隣接させると必ず「ـی」は語末形から語中形に変形して、「ـيـ」となってしまう。
 いや実は、隣接させながら「ی」の語末形を保つ方法がないこともない。
 手順はこうだ。

 ①نزديکيها -複数指標を加えながら一旦すべての文字を連結させて書く。
 ②نزديکیها -指標直前の「ی」をボールド体にする。すると独立形になる。
 ③نزديکیها -ボールド体を解除する。

 こうすれば語中にあれど「ی」は語末形で保たれます。ちなみにこの処理をした単語と同じ行で改行すると元通り語中形に戻ってしまうので、予め改行しておかなければなりません。また、このフォントはArialです。他はTimes New Romanだけ試してみましたが、Times New Romanだとこの処理は成功しませんでした。うーん?
 単語内の字母をボールド体にすると独立形になってしまうことは知ってたんだけど(故に単語に含まれる特定の字母を強調のためボールド体にすることが、アラビア語にはできない)、こういう風に利用できると思いつけたのは我ながら冴えてると言いたい。
 、実はコレ、まったくムダです。
 何故ならこの下書きの中でのみ処理が生きているものに過ぎないから。
 プレビューでは当たり前のように「نزديکيها」という形になってたんで、投稿したら当然上記①の形になってることでしょう。
 まぁ、つまり・・・誤植?

2012年2月1日水曜日

・・・よ?

さあ叩き潰されろ・・・よ?

 Abortedが最新作・Global Flatlineから、Источник Болезни (The Origin of Disease)のビデオを公開!
 ・・・まあ、1月10日なんですけどね、公開日。昨日Century Mediaチャンネル観ようとアクセスした際、遅まきながら知ったわけでして。

現行ラインナップ-ビデオ・Источник Болезни (The Origin of Disease)(Global Flatline収録)より

Sven "Svencho" de Caluwé - Vo.
スヴェン・“スヴェンチョ”・ド・カリュウェ
ערן סגל a.k.a. Eran Segal - Gt.
エラン・セガル
Michael Wilson - Gt.
マイカル・ウィルサン
JB van der Wal - Ba.
イェー・ベー・ヴァン・デル・ワル
Ken Bedene - Ds.
ケン・ビディーン

 ※S
 Sven=オランダ語読み; de Caluwé=フランス語読み。
 で、Svenchoは取りあえず日本人として見たまま。ステージネームの筈なのに、彼をこう呼んでいるインタビュアー皆無だよわけわかんねえ。
 ・・・今更だけど、バンド名からして英語、歌詞も英語で書いてる連中って、名前は機械的に英語読みするべきなのかなあ?
 英語読みだと「スヴェン・“スヴェンチョウ”・ダ・カリューウェイ(sven "sven-choh" də kə-lyoo-way)」などになると思ふ。

 ※E
 ヘブライ語読み。英語読み「エラン・スィーガル(e-rən see-gəl)」。

 ※M
 meye-kəl wil-sən

 ※JB
 オランダ語読み。英語読み「ジェイ・ビー・ヴァン・ダー・ワール(jay bee van der wahl)」。

 ※K
 ken bi-deen

 以前Abortedが新作出すぞってので話題にした際紹介したビデオではベーシストの出演が認められなかったんですが、ちゃんと写ってたんですね。なかなかキレてる感じでかっこいいじゃないですか~。
 あとKen Bedeneの苗字の読みは今に至るまで結局わからずじまいなんですが、まぁたぶんこれで合ってるでしょう。英語読みなら。たしかイギリス人です、この人。というかベルギーのバンドだけどベルギー人はSvenchoだけなんですよね。Eran Segalはイスラエル人、Michael Wilsonはアメリカ人、JB van der Walはオランダ人です。欧米に於ける多国籍・多民族混合バンドは珍しくありませんが、ここまでバラバラなのは稀なんじゃないでしょうか。
 さてさてEuropean Leaders of Gore”ことAbortedの待望の最新作から、アルバムの全体像に思いを馳せるためのコマーシャルトラック・・・。
 かっこいい・・・ね、相変わらず。
 しかし・・・気づいた?
 ギターの音ちっちぇえ~!
 個人的に、元々ゴアってよりは普通のデスメタルに近かった印象のあるバンドでしたが(というかMetallumでもWikipediaでもデスメタルバンドとして紹介されている)、それはまあ別にいいとして、ミックスを担当した奴の頭大丈夫か?ってくらいゴリンゴリンに弾いて掻いて刻んでグチャグチャの爆音を響かせるギターの存在感の強烈さが好きで、そこに惚れ込んだのになんかスゴイこじんまりとしちゃってますよね。
 楽器ごとのその鳴りにはムダがなく、特別耳に残りやすいかっこいいものもそうでないものも、あらゆるフレーズが聞き取りやすいことは、大人しく堪能するにはもってこい・・・しかしそうやって楽しむことのできるバンドはもう既にゴマンといます。
 Century Mediaという一流メジャーレーベルに籍を置きながらも超グチャグチャで、アンダーグラウンドとオーバーグラウンドという二界いずれにも顔のきく数少ない王者のひとりだったのが、これじゃずっと昔からメジャーだったCannibal Corpseなんかの方がまだエグイ。
 各人のフレーズの紡ぎ方というか、かっこいいと思える音の並べ方を思えば、相変わらず凡人には考えつけないような非凡なセンスが発揮されていますが、そういったことをやる連中が出す音を爆音基調にヘンテコなバランスで聞かせてくれるところが俺は好きだったのに。
 かっこいいのはわかる!色んなスゲエフレーズがてんこ盛りだ!・・・でも・・・でも・・・グチャグチャでちゃんと聞き取れん!
 ゴアの要素があるバンドの魅力はこれなんだよね。得体は知れないけどかっこいいものが集積しているのはなんとなく察せられる、だからクセになる。何度も聴きたくなる。
 いや、このИсточник Болезниだって、何十回ものプレイに耐えられる、衰えがたい輝きのある曲だと思うよ。
 だけど上で言った通り、お、かっこいいことやってんな、じっくり聴こう・・・と、落ち着きを以ってそのかっこよさの正体がすぐに知れて、まるでその魅力を研究するかのごとく大人しく聴きたくなるようなバンドはもう他にたくさんいる。
 音作りの上でのこの路線はレーベルの意向によるものなのか?Abortedのメインメンバーたちの好みの変化が原因なのか?それともプロデューサーの所為?
 こういう曲をアルバム単位で聴くなら、若いテクデスバンド聴くかな、俺だったら・・・。
 なんだかちょっとガッカリしたというお話でした。

2012年1月29日日曜日

ベトナム語の勘 / ジャンル名: Lamb of God

ここに至り大分覚えづらい文章群が登場。

bài bải - “Ở gần đây có siên thị không?”
第7課 - 「この近くにスーパーマーケットはありますか?」

- Xin lỗi chị, chị có biết Viện Bao tàng Lịch sử ở đâu không?
すみません、歴史博物館の場所をご存知ですか?
- Anh đi thẳng, đến ngã tư thứ hai thì rẽ trái, rồi đi tiếp khoảng năm mươi mét thì đến. Nó ở bên phải.
まっすぐ行き、2番目の交差点に着いたら左に曲がって、それから50メートルほどそのまま行きます。博物館は右側にありますよ。
- Từ đây đến đó có xa không?
ここから遠いですか?
- Không xa lắm. Đi bộ chỉ mất khoảng mười phút thôi.
そんなには。歩いてたった10分ほどです。
- Cảm ơn chị. À, chị ơi, tôi muốn hỏi thêm một chút. Ở gần đây có siêu thị không?
ありがとうございます。あっ、もうひとつお訊きしたいのですが、この近くにスーパーはありますか?
- Có, có một cái đằng kia.
ええ、あちらの方に1軒ありますよ。
- Cảm ơn chị nhiều.
どうもありがとうございます。

 まず戸惑ったのが、「chị có biết Viện Bao tàng Lịch sử ở đâu không?」という文。
 たとえばフランス語なら「Connaissez-vous où le Musée d'Histoire se trouve?」などになる。つまり、疑問詞が主文の主語と動詞の直後に来るわけだ。
 ベトナム語の文だと、「どこ」にあたる言葉は「đâu」、「ある」は「ở」で、見ての通り疑問詞が副文の文頭に来ていない。
 日本語話者のくせに、これまでの人生を通して欧米の言語に長らく触れていたせいか、日本語に似た語順の他言語に戸惑うこの滑稽さ!
 次、この課で頻出している「đến」について。
 本を見ながらここの和訳を綴ったわけではないが、その内容に影響された訳もある。「đến ngã tư thứ hai thì rẽ trái」の、「~に着いたら~」がそれ。これは本なしではいまひとつ俺にはうまい訳ができなかったと思う。
 というのも、フランス語で言うところの「quand=~したとき」とか、「et=~したら」というような繋ぎの言葉が、この文での最初の動詞「đến」と、次の動詞(+副詞)「rẽ trái」の間にないからだ。謂わば、「着く曲がる」と言っているようなもの。
 こういう動詞の運用は欧風でもないし日本語的でもない。接続詞などは介在させずとも、コンマを入れるなどしていてくれれば、それがうまい解釈の助けになりあるいは「着いたら」というような訳が俺にもできたかもしれないが。
 この文の直後にある、「rồi đi tiếp khoảng năm mươi mét thì đến」についても同じ。「đi tiếp=行き続ける」と、やはり語末の「đến」の間に一呼吸がない。ただ、「50メートルほど行き続けて着く」と日本語で考えてみると、別に意味が通じない文章になっているわけではないんだが・・・ここらへん、ベトナム語を他言語での言い方に置き換えた場合の表現に気を取られすぎているせいなんだろうか?
 あとは、「từ đây đến đó」の「đến」。単語毎に訳すると、「~から・ここ・着く・そこ」だが、現在の位置から目的地までの距離を表現するなら、「ここから」に続く言葉は「そこまで」ではないだろうか?しかし、「đến」に「~まで」という意味があるとは説明されていない。 
 本当に、「~から・ここ・着く・そこ」としか解釈できないのだとしても別に問題はないんだが、なんだかベトナム語はただ言葉を並べているだけの原始的なつくりをしているという印象を受けてしまう。これにしたってたとえそうだとしても問題があるわけではないが、これも、単にこういった言語の学習経験がないが故の戸惑いにあたるんだろうか?
 これで十分理解され得る意味を持つベトナム語であろうとも日本語としては不自然なのできれいな形になるよう訳してみると、「ここからそこに着くまでは」などが和訳のひとつの例としてもっともらしいものになると思う。
 ベトナム語でもこういう風に言うことは可能なんだろう。
 しかし「~から・ここ・着く・そこ」で十分らしい。
 こういう単純な構造が適用されている様々な表現があることだろうし、非常に簡易で学習しやすいと言えんこともないんだが・・・なんだか落ち着かないし、落ち着かない内は、「ベトナム語の勘」が完成されていないということなのかもしれない。
 本に倣った訳といえば、「đi bộ chỉ mất khoảng mười phút thôi」の「歩いて~」もそうだ。
 これは「10メートルほどだけ歩いて(ください)ね」と解釈しても大してその意味に違いは生じないんだが、本で言っている通り、「歩いて=徒歩によって」と解釈するのが正しいのだろうか?本では言い回しをベトナム語での本来的なものから少々変えているのだろうか?これは著者の意図するものなので俺が考えたところでわかるわけもないが。
 こういった、文章の作成にあたって初めて知る構造がいくつかあったわけで、覚え辛かったのだ。何故なら、「ベトナム語の勘」がない今は、覚えるには単なる暗記をする他ないからである。
 当然だが、ベトナム語の音読を聞いて、頭の中では同時にその和訳が浮かんでくる。
 たとえば、「Đi bộ chỉ mất khoảng mười phút thôi.」・・・ここで脳内に「歩いて」うんたらと出てきてしまったら、単なる「歩く」ではなく、「歩い」に手段を示す「て」を意味する言葉が何かついていたかと考えてしまう。単純に聞こえた通り書いていければいいんだが、何分慣れていない今はそうもいかないし、それでは本当に単に機械的に課題をこなしているだけのようでつまらなさすぎる。それに、昨日は、聴解の際は「暗記している内容は関係ない」と書いたものの、やはり、暗記は自然と活きてくる。むしろ機械的に聞き取って綴っていく方が俺にとっては何倍も難しい。
 このベトナム語文では、「歩いて」にあたる言葉は文頭の2語で完結している。そして「歩く」の直後に出てきているのは見ての通り「chỉ」、「chỉ ... thôi」という1セットで「ただ~だけ」を意味する副詞だ。
 次、覚えるのに苦労したものではないが、「50メートル=năm mươi mét」の「10」は「mươi」なのに、何故か「10分=mười phút」の「10」は「mười」であることに納得がいかない。これはおそらく、基数の10の位として用いられる際、「mười」の声調が変わるという法則か何かが存在しているせいなんだと思うが・・・誤植じゃなけりゃね・・・。
 ニューエクスプレスは、CDエクスプレスもそうであったが、2課終える毎にページを2枚使った練習問題が出てくる。2課毎に難度が徐々に高くなっていくと言っていい。
 ここ7課から、遂に本格的なベトナム語の勉強に入ったのかと、始まったばかりで既に少々及び腰である・・・。

2012年1月28日土曜日

Đây thì là...俺が惚れたベトナム語

やっぱりあの、1月21日の記事でのベトナム語表記は納得いかん!

 別に今、あのベトナム語の文章を正しいものに置換することもできるが・・・その後の記事の内容に影響が出るから、訂正したら別の記事を見直す羽目になるのでやらない。
 だから!今回改めて課毎の文章を書く。
 何故!? ベトナム語は気色悪い見た目でタイプが反映されるの!?
 腹立つってレベルじゃないんだよマジで。
 だからイヤなんだよ、多言語をデジタルで表現すんのは。
 タイプすること自体は好きなんだが、自由に決められない字の大きさ、太さ、フォントによってキレイに表示される / されないという見た目の不安定さ、融通の利かない文章の位置・・・字体がフォント選択によって即座に著しく変えられることや、手で綴る際に比べれば圧倒的に字の大きさを揃え易いことなんかはデジタルならではの利便性が存分に発揮される点であるが、つまりは用意されているものから必ず選ぶ必要があるということでもある。それらが好みであるか / そうでないかにかかわらず。
 אתמול לא ישנתי(etmol lo yashanti / 昨日私は寝なかった)-こんな字体では俺は絶対に書けないし、デジタルを利用しての記述に関しては大いに気に入っている点も勿論あるんだが、それでも手で紙に書いたものがそのままここに労せず反映させられるとしたら、俺は迷わずそっちを選ぶね。
 こういう風に日本語を長文を綴ってゆくのはタイプでいいが。
 何語で書くのが好きだからその言語は手で書いたものをここに反映させたいというわけではなく、PCで入力したものが俺の理想通り、或いは本で目にした見た目通りにいっていないのがハラタツわけだからね。
 というかそもそもこんなもん毎日手で書いてなんてられねーって。手で書く気があるならとっくの昔からこうやって“デジタル”な日記でなく、オフラインで“アナログ”な日記を今に至るまでつけ続けていたことでしょう・・・。
 そんなわけで、語学書付属のCDを聞き取り、Lexilogosの入力システムを利用してタイプしたものをここに貼っつけていきます。

bài một
第1課

- Chào chị.
こんにちは。
- Chào anh.
こんにちは。
- Tôi tên là Takeo. Còn chị tên là gì?
私の名前はタケオです。あなたの方はなんとおっしゃるのですか?
- Tôi tên là Mai. Xin lỗi, anh là người nước nào?
マイです。失礼ですが、どちらの国の方ですか?
- Tôi là người Nhật. Rất vui được gặp chị.
日本人です。お会いできてとても嬉しいです。
- Tôi cũng rất vui được gặp anh.
こちらこそ。

bài hai
第2課

- Anh có phải là lưu học sinh không?
あなたは留学生ですか?
- Vâng, tôi là lưu học sinh. Thế chị có phải là sinh viên không?
ええ、そうですよ。それで、あなたは学生ですか?
- Không, tôi không phải là sinh viên. Tôi là nhân viên văn phòng.
いえ、私は学生ではなく、事務員です。
- Thế à? Bây giờ chị đi đâu?
そうでしたか。今からどちらへ行かれるんですか?
- Tôi về nhà. Còn anh?
家に帰ります。あなたは?
- Tôi đi thư viện. Chào chị. Tôi đi nhé.
私は図書館へ。それでは、失礼します。
- Vâng, chào anh.
ええ、さようなら。

bài ba
第3課

- Hôm nay nóng quá nhỉ!
今日はとても暑いですねえ。
- Vâng, nóng thật, nhưng không oi lắm. Thường thường mùa hè Hà Nội nóng và oi lắm.
ええ、本当に。でも蒸してはいないですね。普通、ハノイの夏はとても蒸し暑いのですが。
- Thế mùa đông có lạnh không?
それで、冬は寒いと?
- Vâng, rất lạnh.
ええ、とても。
- Còn thời tiết thành phố Hồ Chí Minh thế nào? Có giống Hà Nội không?
ホーチミン市の方は、どんな気候なんですか?ハノイに似ているんでしょうか。
- Không, thành phố Hồ Chí Minh nóng quanh năm.
いえ、ホーチミン市は一年中暑いですね。
- Thế thời tiết miền Bắc và miền Nam khác nhau nhỉ.
では、北と南では互いに異なる気候なんですねえ。

bài bốn
第4課

- Bác ơi, đây có phải là xe máy của bác không?
小母さん、これはあなたのバイクですか?
- Không, đây là xe của con trai tôi. Tôi không có xe máy.
いいえ、私の息子のよ。私はバイクは持っていないの。
- Còn cái xe mới đó là xe của ai?
その新しいバイクは誰のですか?
- Cái đó là của con gái tôi.
それは私の息子のね。
- Có phải cả hai cái đều là xe Nhật không?
その2台はどちらも日本製ですか?
- Đúng thế. Người Việt Nam thích xe Nhật lắm.
もちろん。ベトナム人は日本のバイクがとても好きですからね。
- Cháo cũng rất muốn một cái bác ạ.
私も1台欲しいんですよねぇ。

bài năm
第5課

- Ngày nghỉ chị thường làm gì?
休日は普通、何をしていますか?
- Tôi thường dọn dẹp nhà cửa, thỉnh thoảng đi mua đồ hay đi xem phim.
普通は家の掃除ですね。ときどきは買い物に行ったり、あるいは映画を観に行ったり。
- Chị thích xem phim gì?
どんな映画がお好きですか。
- Tôi thích phim tình căm.
愛情ものが好きですね。
- Thế à? Tôi cũng thế. Ngày mai chị có rỗi không?
そうなんですか、私もですよ。明日は暇ですか?
- Không, tôi không rỗi. Ngày kia thì rỗi.
いいえ。明後日なら暇ですが。
- Thế thì ngày kia chị đi xem phim với tôi không?
では、明後日私と映画を観に行きませんか?
- Hay quá! Tôi cũng rất muốn đi.
いいですね!私もとても行きたいですから。

bài sáu
第6課

- Em ơi, đây là hồ Hoàm Kiếm phải không?
ねえきみ、これ、ホアンキエム湖で間違いないよね?
- Vâng, đây là hồ Hoàm Kiếm. Anh nói tiếng Việt giỏi quá! Anh đến Hà Nội làm việc à?
ええ、そうですよ。ベトナム語、お上手なんですね。ハノイにはお仕事でいらっしゃったんですか?
- Không, tôi đến đây để học tiếng Việt.
いや、ベトナム語の勉強のためだよ。
- Thế anh đến Hà Nội bao giờ?
いつ来られたんですか?
- Tơi đến đây thánh trước.
先月だね。
- Bao giờ anh về nước?
いつ帰国されるんですか?
- Khoảng cuối năm nay thì tôi về.
今年の末あたりだよ。
- Anh cố gắng học nhé.
お勉強、頑張ってくださいね。

 おお・・・うまくいった。30分近くかかったよ。1課毎の吹き込み、それぞれ30秒ずつぐらいなんだが。1課丸ごと一旦、中断も何もせず聴いてみて、ハイなんて言ってたか書け!とやってるわけじゃないからね。ちゃんと耳に入った通り書くようにしてるから、聞き取れなかったら何度でもその箇所を繰り返し再生。文章が暗記できてるかどうかは関係ない。あとはやっぱタイプの不慣れだね。
 入力はマジめんどっちいけど、やっぱキレイな見た目で綴れると壮観だな~!最高!俺が惚れたベトナム語(の、正書法)はこれなんだ!

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