ここに至り大分覚えづらい文章群が登場。
bài bải - “Ở gần đây có siên thị không?”
第7課 - 「この近くにスーパーマーケットはありますか?」
- Xin lỗi chị, chị có biết Viện Bao tàng Lịch sử ở đâu không?
すみません、歴史博物館の場所をご存知ですか?
- Anh đi thẳng, đến ngã tư thứ hai thì rẽ trái, rồi đi tiếp khoảng năm mươi mét thì đến. Nó ở bên phải.
まっすぐ行き、2番目の交差点に着いたら左に曲がって、それから50メートルほどそのまま行きます。博物館は右側にありますよ。
- Từ đây đến đó có xa không?
ここから遠いですか?
- Không xa lắm. Đi bộ chỉ mất khoảng mười phút thôi.
そんなには。歩いてたった10分ほどです。
- Cảm ơn chị. À, chị ơi, tôi muốn hỏi thêm một chút. Ở gần đây có siêu thị không?
ありがとうございます。あっ、もうひとつお訊きしたいのですが、この近くにスーパーはありますか?
- Có, có một cái đằng kia.
ええ、あちらの方に1軒ありますよ。
- Cảm ơn chị nhiều.
どうもありがとうございます。
まず戸惑ったのが、「chị có biết Viện Bao tàng Lịch sử ở đâu không?」という文。
たとえばフランス語なら「Connaissez-vous où le Musée d'Histoire se trouve?」などになる。つまり、疑問詞が主文の主語と動詞の直後に来るわけだ。
ベトナム語の文だと、「どこ」にあたる言葉は「đâu」、「ある」は「ở」で、見ての通り疑問詞が副文の文頭に来ていない。
日本語話者のくせに、これまでの人生を通して欧米の言語に長らく触れていたせいか、日本語に似た語順の他言語に戸惑うこの滑稽さ!
次、この課で頻出している「đến」について。
本を見ながらここの和訳を綴ったわけではないが、その内容に影響された訳もある。「đến ngã tư thứ hai thì rẽ trái」の、「~に着いたら~」がそれ。これは本なしではいまひとつ俺にはうまい訳ができなかったと思う。
というのも、フランス語で言うところの「quand=~したとき」とか、「et=~したら」というような繋ぎの言葉が、この文での最初の動詞「đến」と、次の動詞(+副詞)「rẽ trái」の間にないからだ。謂わば、「着く曲がる」と言っているようなもの。
こういう動詞の運用は欧風でもないし日本語的でもない。接続詞などは介在させずとも、コンマを入れるなどしていてくれれば、それがうまい解釈の助けになりあるいは「着いたら」というような訳が俺にもできたかもしれないが。
この文の直後にある、「rồi đi tiếp khoảng năm mươi mét thì đến」についても同じ。「đi tiếp=行き続ける」と、やはり語末の「đến」の間に一呼吸がない。ただ、「50メートルほど行き続けて着く」と日本語で考えてみると、別に意味が通じない文章になっているわけではないんだが・・・ここらへん、ベトナム語を他言語での言い方に置き換えた場合の表現に気を取られすぎているせいなんだろうか?
あとは、「từ đây đến đó」の「đến」。単語毎に訳すると、「~から・ここ・着く・そこ」だが、現在の位置から目的地までの距離を表現するなら、「ここから」に続く言葉は「そこまで」ではないだろうか?しかし、「đến」に「~まで」という意味があるとは説明されていない。
本当に、「~から・ここ・着く・そこ」としか解釈できないのだとしても別に問題はないんだが、なんだかベトナム語はただ言葉を並べているだけの原始的なつくりをしているという印象を受けてしまう。これにしたってたとえそうだとしても問題があるわけではないが、これも、単にこういった言語の学習経験がないが故の戸惑いにあたるんだろうか?
これで十分理解され得る意味を持つベトナム語であろうとも日本語としては不自然なのできれいな形になるよう訳してみると、「ここからそこに着くまでは」などが和訳のひとつの例としてもっともらしいものになると思う。
ベトナム語でもこういう風に言うことは可能なんだろう。
しかし「~から・ここ・着く・そこ」で十分らしい。
こういう単純な構造が適用されている様々な表現があることだろうし、非常に簡易で学習しやすいと言えんこともないんだが・・・なんだか落ち着かないし、落ち着かない内は、「ベトナム語の勘」が完成されていないということなのかもしれない。
本に倣った訳といえば、「đi bộ chỉ mất khoảng mười phút thôi」の「歩いて~」もそうだ。
これは「10メートルほどだけ歩いて(ください)ね」と解釈しても大してその意味に違いは生じないんだが、本で言っている通り、「歩いて=徒歩によって」と解釈するのが正しいのだろうか?本では言い回しをベトナム語での本来的なものから少々変えているのだろうか?これは著者の意図するものなので俺が考えたところでわかるわけもないが。
こういった、文章の作成にあたって初めて知る構造がいくつかあったわけで、覚え辛かったのだ。何故なら、「ベトナム語の勘」がない今は、覚えるには単なる暗記をする他ないからである。
当然だが、ベトナム語の音読を聞いて、頭の中では同時にその和訳が浮かんでくる。
たとえば、「Đi bộ chỉ mất khoảng mười phút thôi.」・・・ここで脳内に「歩いて」うんたらと出てきてしまったら、単なる「歩く」ではなく、「歩い」に手段を示す「て」を意味する言葉が何かついていたかと考えてしまう。単純に聞こえた通り書いていければいいんだが、何分慣れていない今はそうもいかないし、それでは本当に単に機械的に課題をこなしているだけのようでつまらなさすぎる。それに、昨日は、聴解の際は「暗記している内容は関係ない」と書いたものの、やはり、暗記は自然と活きてくる。むしろ機械的に聞き取って綴っていく方が俺にとっては何倍も難しい。
このベトナム語文では、「歩いて」にあたる言葉は文頭の2語で完結している。そして「歩く」の直後に出てきているのは見ての通り「chỉ」、「chỉ ... thôi」という1セットで「ただ~だけ」を意味する副詞だ。
次、覚えるのに苦労したものではないが、「50メートル=năm mươi mét」の「10」は「mươi」なのに、何故か「10分=mười phút」の「10」は「mười」であることに納得がいかない。これはおそらく、基数の10の位として用いられる際、「mười」の声調が変わるという法則か何かが存在しているせいなんだと思うが・・・誤植じゃなけりゃね・・・。
ニューエクスプレスは、CDエクスプレスもそうであったが、2課終える毎にページを2枚使った練習問題が出てくる。2課毎に難度が徐々に高くなっていくと言っていい。
さて、今日はもうひとつ話題が。
つーか、昨日、話題にしようと思ってたのに記事更新しよーって段階で何書くんだっけ?とすっかり忘れてしまって、ベトナム語のことなら書けるからそのことなんか書こう・・・と、ああいう内容になってました。
HR/HMについてなんですが、今回取り上げるのもすごい今更なバンドですよ。いつも通り、「名前は知ってた」・・・です。
現行ラインナップ-ビデオ・Set to Fail(“Wrath”収録)より
David Randall "Randy" Blythe - Vo.
デイヴィド・ランダル・“ランディー”・ブライス
William "Willie" Adler - Gt.
ウィリヤム・“ウィリー”・アドラー
デイヴィド・ランダル・“ランディー”・ブライス
William "Willie" Adler - Gt.
ウィリヤム・“ウィリー”・アドラー
Mark Morton - Gt.
マーク・モータン
John Campbell - Ba.
ジャン・カンバル
Christopher "Chris" Adler - Ds.
クリスタファー・“クリス”・アドラー
マーク・モータン
John Campbell - Ba.
ジャン・カンバル
Christopher "Chris" Adler - Ds.
クリスタファー・“クリス”・アドラー
ハイ、Lamb of Godですネ。
例の2chのスレで、Lamb of Godの新作から収録曲全曲が試聴できるってんで、リンク先行ってみると、なんだAOL。Sebastian BachのKicking & ScreamingやSaxonのCall to Armsやなんかを聴いたサイトですネ。
メタルコアバンドってことくらいしか聴く前から知ってることはなくて、大して期待せず聴き始めたが・・・アルバム全体の序曲のような#1じゃなく、実質オープニングチューンの如き#2からテンションMAX!Lamb of Godはどういうバンドか、ってのがあの1曲で一発でわかるし、先をどんどん聴いていきたい気にさせてくれる最高のリードトラック。
久々にテクが云々とか曲展開がどうこうとか気にせず、ただストレートに「かっこいい!」という印象だけで虜にさせてくれるバンド、アルバムに会いましたね。
メタルコアなんだけど、かなりスラッシーな面があったり、何よりも刻みの細かいリフが多いところがイイですね。
そしてなんといってもRandy Blytheのボーカル!めちゃめちゃアツいです。
なんというか、不思議な印象ですが、このガナりを通してこの人自身に知性が感じられます。やたらにこちらの全身を捩じ伏せんとしているでなく、ピンポイントで脳を破壊しにかかってきているかのような・・・。というのも、声はガナることで出しているんですが、ところどころかなり大胆なダイナミクスが聴き取れます。一本調子で吠えるでなく、吠えながらも歌として成立させようとしていて、こういう風に声を出せばよりかっこよく聞こえるんだぜ、もっと効率的にヘッドバンガーが殺れるんだぜ、と言わんばかりに思えるんです。
そしてこれで咆哮が中途半端になってないんだからスゴイ!個人的には、いそうでいなかったボーカリスト、それがRandy Blytheですなぁ。
この人、絶対普通に歌ってもウマいよ。
で、上のビデオでわかる通り、パフォーマンスはキレッキレ、力強さの感じられる立ち振る舞いはIggy Popを見ているよう。
Lamb of God以上に、今更の遅さでこのボーカリストのことを知ったことが悔やまれます!
うーん、やはりジャンル分けってのはムズかしいもんですね。そして罪作り。
「メタルコアだから」さほど興味がなかったのに。
最新作Resolution、間違いなく買いだぁ・・・。
このアグレッションを堪能できる幸せを見逃す手はない!レッツクリックhttp://music.aol.com/new-releases-full-cds/#/3!(俺に誘導されるまでもないか?)
Ils s'appellent Lamb of God,
et leur genre musical, c'est Lamb of God !