なんか前回より覚えやすかったような気がする。
というか俺、7課みたいな道を尋ねたり教えたりっていう文章がニガテなんだよね。大学でフランス語やってるときも面白くなかったし、CDエクスプレス ペルシャ語でもある道案内を主軸に据えた課も覚え辛かった。まぁ、あっちは命令法や接続法を駆使していて、それを伴った構文に慣れていなかったからってのもあるんだが。
bài tám - “Gia đình anh có mấy người?”
- Gia đình anh sống ở đâu?
- Trước đây ở Osaka, còn hiện nay ở Tokyo.
- Gia đình anh có mấy người?
- Có bốn người: bố mẹ, em gái và tôi.
- Bố mẹ anh làm gì?
- Bố tôi là bác sĩ, mẹ tôi là người nội trợ. Còn em gái tôi là sinh viên năm thứ hai.
- Bố mẹ anh năm nay bao nhiêu tuổi?
- Bố tôi năm mươi, còn mẹ tôi bốn mươi tám.
- Mọi người trong gia đình anh đều mạnh khỏe chứ?
- Vâng, cảm ơn chị.
本曰く、この課の目的は「数の言い方」と「職業の訊き方」を覚えることらしい。後者については解説のページでちょびっと補足があっただけなんだが・・・。
あ、ちなみにもう日本語書くのメンドくさいんでなしで。
7課で「50メートル=năm mươi mét」と「10分=mười phút」では「10=mười」の声調が違うことに言及したが、やはり「1の位×10の位」という表現での「10」は「mươi」になるとある。理由は書いてないが。ちなみに会話では省略されがちなんだとか。eg: 77=bảy mươi bảy / bảy bảy。
上でペルシャ語の話題を出したところで、オマケで例の道案内の文。
هفت - با کمال ميل
اقا، ببخشيد، اين نزديکی ها پستخانه نيست؟
چرا، يکی در خیابان رستگار هست
از اينجا دور است؟
نه، پیاده فقط پنج دقيقه راه است
می شود راه را نشانم بدهيد؟
با کمال ميل. از اين خیابان راست برويد تا چراغ راهنما بعد بپيچيد دست چپ تا به بانک ملی برسيد. پستخانه رو به روی بانک است
خيلی متشکرم
خواهش می کنم
- áqá, bebaxšid, in nazdikihá postxáne nist
- čerá, yeki dar xyábáne rastgár hast
- az injá dur ast
- na, pyáde faqat panj daqiqe ráh ast
- mi shavad ráh rá nešánam bedehid
- bá kamále meyl. az in xyábán rást beravid tá čeráqe ráhnemá ba´d bepičid daste čap tá be bánke melli berasid. postxáne ru be ruye bánk ast
- xeyli motašakkeram
- xáheš mi konam
ここだとアラビア文字はイタリック体にすると何故かフォントが崩れる(فارسی、こんな感じ。ヒドいよねー)ので直立させてます。また、ハイフンやピリオドは、左から書く言語と同じように前者を文頭に、後者を文末に置こうとしても想定の位置に登場してくれませんので省きました。アラビア文字やヘブライ文字を使ってここで文章書こうとするとスンゲー苦労すんですよ・・・。システムの処理が基本的に左から書かれる文字の表記法に準じているからなんですが、メモ帳みたいに右から書くことも選べるように何故なっていないかなぁ。ここで右Ctrl + 右Shift押しても別に何も起こりませんからね。
また、本文下段のラテン文字転写についてですが、iとuはマクロン(āの上の記号)がついてなくても長音を示します(「nist」、「in」は「ニースト」、「イーン」、「dur」、「ru」は「ドゥール」、「ルー」)。
この文章のラテン文字転写では、長音はアクサン・テギュ(áの上の記号)で示しています。使ったのはチェコ語キーボード。マクロンはマオリ語キーボードで打てるけど、そうするとハーチェク(čの上の記号)のタイプがシステムになくて困る。キーボード切り替えつつなんてめんどっちいしね。まぁ、重子音表記でひとつの音を表してもよかったんだけど・・・(čがchとか)。
俺、本の内容すーぐ無視して自己流に走りたがるクセに、あるものに関しては本からの教えを絶対に順守しようとしたり、自分でも意味分からん性格してますわ。
ホントはiとuにもマクロンなり付けたいんだけど、本でこう書いてあったからね~・・・。でもこれに今のところは納得がいっているのは、ペルシャ語よりも先にやっていたサンスクリットのラテン文字転写で、同言語ではeとoは必ず長音であるが故に改めてマクロンが振られてなかったことに影響されている。ちなみにペルシャ語だとeとoは必ず短音(標準語の基になっているテヘラン方言以外では知らんけど)。こういう現象、面白くて好きだ。iとuは、サンスクリットだと短音にも長音にもなる。
さて道案内を扱ったこの文、聞き取ってこうやって書けはするんだけど、内容を理解しつつそれができているかというと、こればっかりはほぼ機械的だね。
こんな短いのに?-こんな短いのに、なんですよ。ホントダメ、道案内は。
たぶん、日常生活でさっぱりできないからなんだと思います。
数が多用されてる文とかも苦手だなぁ。覚えられないもん。
あ、ちなみに上の文での命令法は、「ببخشيد」、「راست برويد」、「بپيچيد دست چپ」、接続法は「می شود راه را نشانم بدهيد」と「تا به بانک ملی برسيد」。
「ببخشيد」は「すみません」ってだけの意味なんで命令法とかなんだとか意識することもないんだけど、ペルシャ語では普通、動詞が文末に来るので、「بپيچيد دست چپ」の後に文が続くってのが、初めて勉強した当時は奇妙に思えたんだよね。
接続法、「تا به بانک ملی برسيد」は、「تا」が接続詞だから、その後に来る動詞は接続法、と、日本語を介して直感的に解せたところもあるんだけど、「می شود راه را نشانم بدهيد」がねー。
「می شود」~なんとかかんとかで「~ができる」って表現なんだけど、たとえばフランス語だと「Est-ce que c'est possible que vous me montriez ...」みたいに接続詞「que」が入るところが、ペルシャ語だとなんにもないからね。なんで動詞が並んでるんだ?って感じで、納得するのに時間がかかった。
そういやさ、道案内も数も関係ないけど、ペルシャ語について未だにわかんねーことが。
上に「نزديکی ها」ってあるでしょ、「ها」は複数の指標なんだけど、単語によってこれがこうやって離して書いてあったり(この場合、これが直前の語に隙間なく接続されていると「نزديکيها」になる)くっついて書いてあったりする。たとえば「イラン人たち=ايرانيها(iránihá)」とか。本来は後者の形であるべきなんじゃないだろうか。
この「ها」、俺は上の文章だと直前の語とは離して書いたけど、これには理由がある。
本だと直前の語と隙間なく隣接していて、その直前の語の末尾に「ـی」があると、これがこの形-語末形-のまま直後に「ها」を従えてるんだけど、デジタルで書くとそうはいかないんだよ。隣接させると必ず「ـی」は語末形から語中形に変形して、「ـيـ」となってしまう。
いや実は、隣接させながら「ی」の語末形を保つ方法がないこともない。
手順はこうだ。
①نزديکيها -複数指標を加えながら一旦すべての文字を連結させて書く。
②نزديکیها -指標直前の「ی」をボールド体にする。すると独立形になる。
③نزديکیها -ボールド体を解除する。
こうすれば語中にあれど「ی」は語末形で保たれます。ちなみにこの処理をした単語と同じ行で改行すると元通り語中形に戻ってしまうので、予め改行しておかなければなりません。また、このフォントはArialです。他はTimes New Romanだけ試してみましたが、Times New Romanだとこの処理は成功しませんでした。うーん?
単語内の字母をボールド体にすると独立形になってしまうことは知ってたんだけど(故に単語に含まれる特定の字母を強調のためボールド体にすることが、アラビア語にはできない)、こういう風に利用できると思いつけたのは我ながら冴えてると言いたい。
が、実はコレ、まったくムダです。
何故ならこの下書きの中でのみ処理が生きているものに過ぎないから。
プレビューでは当たり前のように「نزديکيها」という形になってたんで、投稿したら当然上記①の形になってることでしょう。
まぁ、つまり・・・誤植?