2012年2月11日土曜日

ママン・ノエル


 電撃マガジン?かなんかの付録だったんだって。昨日バイト先で貰った。そしてロッカーの中に置いたまま持って帰るのを忘れた。
 「サンタクロースを見た」というラノベを書いてる人の、この付録用の書き下ろしかなんかだと思ってたんだけど、今日表紙や中身の冒頭をちゃんと見てみると、蒼山サグ沖田雅竹宮ゆゆこ土橋真二郎志村一矢の電撃文庫作家5人が「サンタクロースを見た」を題材に書き下ろしたラノベオムニバス、らしい。
 竹宮ゆゆこ以外知らねぇな~・・・アニメ「とらドラ!」、ハマったからね。原作はチラリとも読んだことないけど。というか店頭で文庫見たことないかも。
 で、この表紙は狼と香辛料で挿絵描いてた文倉十によるもの。この人の絵結構好きだから名前覚えてる。・・・けど、この表紙の絵はイマイチ通り越してめちゃ素人臭いね。俺は文倉十というよりは、「狼と香辛料の絵」が好きだったらしい。けど、上記5人のお話すべてに挿絵をつけたのは結構すごいかも。全エピソード、物語の下地になっているのは現実世界に近しい雰囲気の舞台だから、案外描きやすかったのかもしれないけどね。
 とまぁ、タダでラノベが1冊手に入ったわけですが・・・まぁ、読破するか、いやできるかわかんないね。
 だってラノベはサムい!
 ハルヒはまだマシだったけど、同じくアニメを気に入って原作を読んだ狂乱家族日記なんて、俺よく買った当時読破できたなと感心できるレベル。今絶対最後まで読めないからね。どっちも1巻しか持ってない。2巻以降買うなんてもう考えられねぇ。
 ラノベ原作のアニメもいくつか観てるわけだから、ラノベに関心がないわけではないんだけど、かつてと違い、今はもうめちゃくちゃ苦手だと言わざるを得ない。
 あっ、なんの付録かちゃんと書いてあるや。「電撃文庫MAGAZINE Vol. 23 2012年1月号付録①」、だって。②はなんなんでしょうね?
 返品で付録が残ったのかね。
 書店のことは全然わかんね。
 ちなみにCDは、ケース外付けの帯に始まり、CDケースの内側に入っているものがすべて揃っていないと返品に応じてくれません。そう、ハガキとかチラシとかも全部必要。卸によるのかもしれないけど。
 新品なのに不良CDだった!って人は、落ち着いてCDをパッケの中に戻し、商品が包まれていたビニール以外は何もかも買った時の状態にしてからCD屋に文句言いに行ってくださいね。いや、ホンマはメーカーに直接言って欲しいけどね。たとえば、たまに買ったときからCDやDVD等がトレーから外れてることがあるけど、あれだってただ落としただけじゃ滅多にならんよ。大抵店に着く前、つまり出荷時から外れてるんだよ。
 ラノベと全然関係ない話で記事終わったー!

2012年2月6日月曜日

やすな、چه دختر نازنينی!

キルミーベイベーのやすなが超かわいい!

 またまた出ました、すっごい今更な話題。もう5話くらいまで放映してますもんね。
 ネットを介して観てみたんですが、食い入るほど面白いわけじゃなく、ながら観で延々流しててもウザくなるわけでもなく、つまりは生活音の一部にウェルカムなアニメ、キルミーベイベー。
 アニメ化までに結構やってましたよね、原作。かなり前からその名を知っていた気がするんですが。
 元々原作・アニメ共に全然興味なかったんですけど、アニメはJ.C.STAFFが手がけているということを何かでたまたま知って、俄然気になったのです。
 最近は、アニメ化させる原作の内容やデキのせいもあったかもしれないけど、いまいちなアニメしか世に送り出せていなかった感のあるJ.C.STAFF。このスタジオに対する関心は薄れていく一方だったんですが、「キルミーベイベー」で、やはり日本国内に於ける天下無双のアニメ制作スタジオ(深夜アニメ限定だが)であることを改めて思い知らされたのでした。
 安定且つ高いクオリティのアニメーションに加え、巧みなデフォルメとアニメチックな動きでキャラを更に魅力的に演出するセンス、「日常」のように様々なエピソードを1話毎に多数詰め込みながらも、頻出する場面展開の変化に煩わしさの感じられない滑らかな構成、それから冒頭挙げた通り、やすなが超かわいい、これはひとえに声優の地力の高さは勿論見逃せないが、これに加え脚本と演技指導の優秀さから来ているものです。
 ソーニャは殺し屋だが、普通の高校生でもある。やすなへの反撃の理由について「狙われることもあるから」と言っているが本人に己の仕事を隠したがっている素振りがまったく見られない。こういった破天荒な設定を含め、金髪ツインテとか、殺し屋のくせにミョーにショボイものが弱点だとか、現代の漫画・アニメ的要素の具現化をほぼ一手に担うとてもわかりやすい記号的なキャラクターだが、俺はこんなヤツちっともつまらんね。
 キルミーベイベーは間違いなくやすなのやすなによるやすなのためのアニメ。
 ところどころすごく豊崎愛生っぽいんだよね、中の人。
 ○○っぽいっつーと個性が確立されていないことを意味する場合もあると思うが、個人的に豊崎愛生の、特にけいおん!平沢唯が素っ頓狂なことを言っているときの口調がとても好きで、そんな場面での演技を聞いているかの如き瞬間が、キルミーベイベーを観ていると何度もあるんだよね。これはまさに俺得。
 だけど勿論それだけじゃない。主に表に出てきているのは、そういった声色だったり口調だったり、アニメキャラとしての演技は上手なのかだとか、ディスプレイを介して外側からでもすぐ判断のつくような要素なんだが、“やすな愛”が進化すると意識はディスプレイの内側へと飛び、最終的に俺はやすなに楽しませられることで知れた中の人に惚れた!
 豊崎愛生ライクな点だって、それを抜きにしてもそもそも彼女の実力が高く感じられるからこそ認められるもの。そうでしょ?じゃなかったらホントに単なる物真似声優だ。
 それに台詞単位で一番好きな演技は豊崎的なところじゃないんだなあ。

「教えてくれたらもう言わない」

「じゃないと明日も言う」

「毎日言う」

「朝から晩まで言う~」

 ウザカワイさ1000%表現の完璧な演技!実際は、括弧で括った台詞と台詞の間に殆ど間がない点がポイントで、これは是非直接耳にして欲しいな!
 また、演技とは関係ないけど、このときのポーズも最高。口以外は動きのない静止画で、スタッフだってなんらかの絶対的な理由があってやすなにこのポーズをさせたわけじゃないんだろうけど(いやそれは浅慮か?やはり狙ってた?)、これがまたウザ効果UPに貢献してるんだわ。この場面はホントにもう何から何までベスト of ベスト。これから先、これ以上に印象に残るシーンがあるかどうか心配だ・・・。
 ちなみに2番目に好きなのは同じく2話から、こちらは豊崎的演技。関節技をくすぐりで抜けだそうとするときのあの様子は、必死さとコミカルさが絶妙なバランスでブレンドされています。
 俺の永遠の声の女神・皆口裕子、声優の中の声優・沢城みゆきばりにアニメ声優としてだけではなく人として気になる女性声優は久々かも。
 ・・・えーと、名前はまだ覚えてないんだけどネ。
 だって全然知らなかったんだもん。
 ただ、確かにそんな有名な人じゃなかったみたい。
 ソーニャの方は過去に主役をやったりもしてたんだね。あそびにいくヨ!嘉和騎央とか。俺あれ観てたけど全然気がつかなかった。途中で切るくらい思い入れなかったからかな?
 けど、最近個人的に大ヒットして何度繰り返して観たかわかんないくらい愛好した生徒会役員共出島サヤカでもあったことだってぜんっぜんわかんなかったよ・・・。取り立てて出番が少なかったわけじゃないけど、台詞は基本的に短かったからかなぁ。
 声優名を全然覚えてなかったこともあって、主役を張ったことで今作で初めてメジャーになれる可能性をようやく得られた新人声優かと思ってたよ。
 ・・・あとはね、正直ソーニャの中の人よりも知名度が低いと思しきやすなの中の人の方がずっとハキハキしてて、聞いてて心地いい、これも素人から上がりたてかと思った理由のひとつ。
 小見川千明を筆頭として、活動歴の長短に関わらず、素人臭い声優の特徴はなんといっても声にハリがないことに尽きる。そしてそれに起因して、声の出し方にダイナミクスがつけられないこと。
 小見川はその中でも特にヒドいが。感情の昂ぶりを表現するのにただ大きな発声に頼るがままなんで、声が割れるそんな声優初めて聞いたもん。生徒会役員共に荒川アンダーザブリッジ(2期含む)と、出演したアニメそのものが面白く、何度も観て聞いている内に拒否感が薄れていったので嫌いではないけど。ま~詰まるところ役に因るのかな。
 棒読みと言えるほどにまではヒドくないが、ニュアンスの付け方に芸が感じられないのが、実はソーニャは容姿・設定云々よりもずっとマイナス。
 殺し屋であるというキャラ性に沿った演技だと言われればその言い分には説得力があると思えんこともないが、それでもアニメでの表情の豊かさに演技が合っていないことの説明にはならんしな。彼女に欠けているのは笑顔だけですから。
 あぎりの中の人なんてアイドルグループ(活動休止中)のメンバーのひとりだけど、非常にイイ味出してるよね。ただ初登場のとき、ヘンなイントネーションのせいで外人キャラなのかと思ったよ!
 あぎりは忍者キャラとかよりも、やすなと同じくやっぱり喋りが元で好きですね。狙ってもあんな風に喋れんでしょう、普通。
 喋りありきでやすな&あぎりが愛らしすぎて、ソーニャが霞むのです。
 ただ、この2人が特に好きだといっても、実は彼女たちの絡みが出てくると大抵もどかしい思いをしています、私。というのも、「どマイペース」なあぎりに翻弄されるがままなんですよね、やすなちゃん。ソーニャと相対しているときのキレがねーんだよ、キレが!突っ込みばかりさせられて、驚くほどフツーのこと言うだけで終わる。カナシイヨこりゃ。
 原作はキャラの少なさ故に読みやすいところが美点として挙げられることもあるそうですが、確かに、まさに少数精鋭ですね。3人だけでもこんなに楽しい!けど、基本はやすなとソーニャの2人。あぎりはOPでもこの2人と同格で出演していますが、やはり準主役って感じですよね。
 えっ、没キャラ?そもそもあいつはなんなんでしょう・・・。キャラ名からしてメタ100%ってところを突っ込みたいですが、やすなとソーニャを狙う理由も・・・なんなんだ?これまたメタで、没キャラから正キャラへの昇格を成就させんとしてのこと、とか?
 デザインは結構いいですね。やすなとは対照的、ソーニャとは同類で、非常に漫画チック。ソーニャをこき下ろした私ですが、アニメを好きで観てんだからアニメ的なキャラが嫌いってことはないですよ。
 ただ、正直ジャマ。意味ある出番が増えたら増えたでキルミーベイベーならではの雰囲気が崩れそうだし。
 中途半端に出して勝手に自滅して主役たちに認識されず本筋に関われないなら、そもそも出てくる必要がないんじゃあ・・・?
 やすな&ソーニャ視点のパートと、その裏で実は没キャラが2人の視点には一切認識されないまま暗躍していたパートの2本立てにするとかすれば、ひょっとしたら面白いかもだけど。
 そうそう、あとは新井里美の出演だね!アニメ・キルミーベイベーで最初に声を視聴者に届けたのは、何を隠そう彼女なんだよね。
 第1話ド頭、「あさ」の台詞でその声を聞いて既にそれから先の彼女の良い仕事を予見し、「ひーるかーもね」でニヤリと確信に変わった。これ以上ない適役をナレーション(?)に配したもんだ。
 やすな、ソーニャ、あぎり、没キャラ以外のモブを、同じくナレーションも務めるチョーとたった2人で担っているという配役の強引さも、演技関係なしに笑える。
 第1話、花瓶を割ってひたすら「やってしまった」を繰り返す女生徒の演技を聞いたときは、色々喋ってしまうとどうしても彼女特有の声質が目立ってしまうから、苦肉の策で無難なことを言わせているのかと思ったんだけど、クレジットを信じるなら公園で会ったあの女の子、彼女も新井里美がやってるってことなんだよね・・・?えー、全然「おば声」にカモフラする必要ないじゃん。わかる人はすぐわかるのかもしれないけど、俺はホント、全然わかんない。
 ただ、教室でゴキブリが見つかったときのモブとしての演技なんて、モロ畑ランコな抑揚のない喋りが出てたけどね!
 とにかくキャラと演技が楽しいキルミーベイベー。
 髪型、髪の色、体格、口癖、生い立ち、趣味、名前、諸々で強制的にキャラとしての個性を強調させられた多数の女の子が出てくるブヒアニメが、たった3人+αのキャラのやり取りがメインのアニメに、人間を見ることの楽しさという点で完敗してるぜ。マジどんな気持ち?
 やはりJ.C.STAFFにはこれからも付いていかざるを得ないんだなあ!
 原作漫画はね、たぶん買わない。くれるって人がいればもらうって程度にしか興味ないな。
 この楽しさはアニメならではだろうから。
 ちなみにタイトルは、やすながguten Morgenだのbuenos díasだの外国語で挨拶してたので(danke schön(どうもありがとう)が含まれてたところがおバカキャラらしい!)、外国語を混ぜての賛辞にしてみました。良い子はپدرかمادرにle sensをשאלしてみるか、ググってみてnhé!
 それにしても相生祐子といい、蟹沢きぬといい、「アホ子ちゃんは外国語で挨拶したがる」のは一種の定番なんだろうか?

2012年2月3日金曜日

もっとレビューを!

俺はキレた!

 もっとレビューを!
 ネット通販は実に便利なものだが、細心の品定めの機会にはとにかく向いていない。
 たとえばCDで言えば、所望の対象の品番までが判明していて、それで特定されるある商品そのものを買わんとしている場合は、品定めという段階はまったく不要だ。
 しかし、たとえばあるタイトルが欲しいとして、その名の商品が同一タイトルのまま何度も再リリースされている場合には、ブックレットのつくりやトラックリスト、そして特に音質の違いなどが気になるものだと思う。
 ネット上で判明することもあるが、本質的に作品としてのCDに収録されているものの芸術性に関係があるとは言えない、謂わば限りなく「オマケ」に近いようなものである、CDのパッケージに使われている容器のアートワークやブックレットの内容に関しては、実際手に取って開けてみるまでわからないことの方が多いだろう。
 改めて考えてみたが、商品レビューと音源レビューは区別するべきだ。
 個人の好みの差に訴えるものに評価をつけること自体がバカらしく、本当は参考になどならないんじゃないかと思い始めてみれば確かにそう言えんこともないんだが、それはそれで、特に文才のある人間が記すものは一読の価値があるものなのかもしれない。
 それに、こんな話もナンだとは思うものの実際ネットに蔓延っているが故に敢えてしてしまうが、音楽がCDに収録され一般的に販売された時点で、そのデータはデジタル社会の恩恵を享受しそれを楽しんでいる人間たちの間で、合法であれ違法であれ共有されることが決まってしまっているようなもの。 
 不特定多数の人間が書いたレビューを頭と目を痛めて時間を費やしながら読むよりも、どこぞよりダウンロードしてさっさと聴いて好きか嫌いか判断した方が何もムダがなくていい。気に入らなければとっととデリートすればハードディスクにもやさしい。
 そこで真に価値を帯びてくるのが「商品レビュー」。
 ブックレットは全何ページ構成で、中の写真はどういったものが使われているかとか、歌詞の字体はなんだとか、CD製作に関わった人間たちを紹介するクレジットはどうなっているかとか・・・。
 最近のダウソ音源が収納されたフォルダには、ジャケの表 / 裏表紙の画像が同梱されていることも多い。デジタル配信のみで聴ける新作の場合だと、CD化された場合には使われるであろう、ジャケの表紙にあたるアートワークの画像が一緒に入っていたり。
 音源だけだと味気ないと判断する人がそういうことを行なっているんだろう。
 しかしその程度では商品としての詳細はわからん。トラックリストとプロデューサーは大抵書いてあるとして、あとはバンドメンバーくらいだ。レコーディングスタジオとかも書いてあったりするかな?どの道せいぜいこんな程度。
 製作者として、ネットで細々(こまごま)と公表している連中も皆無に等しいはずだ。
 購入した人間の誰にでもできる行為が、「商品レビュー」なんだ。
 ちょっとレビューって書いてみたいけど、俺うまいこと文章書けないしなぁ・・・なんて人でも、商品レビューでなら多少なりともありがたがられるんじゃないだろうか。
 Amazon.co.jpでたまに見かけるのが、「既に色んな人がいいこと書いてるから、俺は異なる視点からレビューします」みたいな人。ああいう気の利いたことができる人はホントにエライ。
 「商品レビュー」は、ネット通販がすっかり一般的になった現在だからこそもっと関心が向けられるべきことなんじゃないだろうか?即ち、実際手に取れないものを買うんだから。
 自分の元に届くまでは、架空の存在を購入しようとしているも同然。在庫ありますとか言っていてもウソかもしれないし、「画像のものと現物は異なる可能性があります」だってかなり強引なエクスキューズかもしれない。なにせネットじゃ現物の正体がわからない。
 まぁ、それは極端な言い方かもしれないが、なんにせよそもそも手に取れないものを買うことには一抹の不安がつきもの。
 小売店などでその場で物品を手に取り、カネを支払って購入する際、たとえばそれがCDなら、ネット上と同じくブックレットの中身を確認しながらそれができるわけではないのにそういったことが気にならないのは、実際に触れる安心感が強く作用しているからだと俺は思う。
 己の元に来るまで実際には触れないものをネットで買わんとしている人に提供した情報のおかげで、実際触って購入している人間以上にその人は購入予定の商品について詳しいなんてすごく面白いじゃないか!
 俺はこれから新しく買ったCDなんかについて書くとき、クレジットやらも細かくここに書いていこうと思います。
 語学書なら、例文の特徴、日本語による文体の特徴、構成の特徴、単語リストの有無、挿絵なども含めた全体的な雰囲気、付録の有無とあるならその内容・・・といったところかな?
 俺は自分が持っている語学書のほぼすべてを読了していないので、こういうことがソラで書ける本は今のところないな・・・。たとえば今やっているチベット語、ドイツ語、イタリア語、ベトナム語は、学習が終わったら商品レビューをしてみようと思う。昔買ったものについては、もしまたそれを用いて学習することがあって、且つそれを読み終えられたならやってみる。
 CDは・・・どうしようかな。たまに昔買ったやつも聴きたくなることがあるし、そういうときにはやってみようかな。
 エラげなことをしようとかいう気では全然なくて、正直、こんなことをすれば話題が増えてイイな、ってのも大きいんですけどね。
 ただ、動機の根幹は、実際そういうことをやってくれる人がいたらイイのになと、かねてから思っていたからです。
 今日語学書の検索をしていて、気になるものがあったからどういう内容なのか知りたかったのに、全然それについて情報がないことにキレちゃったんです。前々からそんなこと数え切れないほど経験していたのに、何故か今日は我慢ならなかったんですよネェ。勢いってこわいですね。
 そういう人がいるとイイなと思っていて俺が発信する側になるってのも意味わからん気がしますが、他人として存在しているか、俺が「そういうイイ人」として存在するようになるか、誰であれそういう人がいればという願望に於けるその担い手には、特定の適任者はいないってことなのかもしれませんね。

2012年2月2日木曜日

می شود من اين نزديکيها کتابی بهتر برای درس فارسی بخرم؟

なんか前回より覚えやすかったような気がする。

 というか俺、7課みたいな道を尋ねたり教えたりっていう文章がニガテなんだよね。大学でフランス語やってるときも面白くなかったし、CDエクスプレス ペルシャ語でもある道案内を主軸に据えた課も覚え辛かった。まぁ、あっちは命令法や接続法を駆使していて、それを伴った構文に慣れていなかったからってのもあるんだが。

bài tám - “Gia đình anh có mấy người?”

- Gia đình anh sống ở đâu?
- Trước đây ở Osaka, còn hiện nay ở Tokyo.
- Gia đình anh có mấy người?
- Có bốn người: bố mẹ, em gái và tôi.
- Bố mẹ anh làm gì?
- Bố tôi là bác sĩ, mẹ tôi là người nội trợ. Còn em gái tôi là sinh viên năm thứ hai.
- Bố mẹ anh năm nay bao nhiêu tuổi?
- Bố tôi năm mươi, còn mẹ tôi bốn mươi tám.
- Mọi người trong gia đình anh đều mạnh khỏe chứ?
- Vâng, cảm ơn chị.

 本曰く、この課の目的は「数の言い方」と「職業の訊き方」を覚えることらしい。後者については解説のページでちょびっと補足があっただけなんだが・・・。
 あ、ちなみにもう日本語書くのメンドくさいんでなしで。
 7課で「50メートル=năm mươi mét」と「10分=mười phút」では「10=mười」の声調が違うことに言及したが、やはり「1の位×10の位」という表現での「10」は「mươi」になるとある。理由は書いてないが。ちなみに会話では省略されがちなんだとか。eg: 77=bảy mươi bảy / bảy bảy。
 上でペルシャ語の話題を出したところで、オマケで例の道案内の文。

هفت - با کمال ميل

اقا، ببخشيد، اين نزديکی ها پستخانه نيست؟
چرا، يکی در خیابان رستگار هست
از اينجا دور است؟
نه، پیاده فقط پنج دقيقه راه است
می شود راه را نشانم بدهيد؟
با کمال ميل. از اين خیابان راست برويد تا چراغ راهنما بعد بپيچيد دست چپ تا به بانک ملی برسيد. پستخانه رو به روی بانک است
خيلی متشکرم
خواهش می کنم

- áqá, bebaxšid, in nazdikihá postxáne nist
- čerá, yeki dar xyábáne rastgár hast
- az injá dur ast
- na, pyáde faqat panj daqiqe ráh ast
- mi shavad ráh rá nešánam bedehid
- bá kamále meyl. az in xyábán rást beravid tá čeráqe ráhnemá ba´d bepičid daste čap tá be bánke melli berasid. postxáne ru be ruye bánk ast
- xeyli motašakkeram
- xáheš mi konam

 ここだとアラビア文字はイタリック体にすると何故かフォントが崩れる(فارسی、こんな感じ。ヒドいよねー)ので直立させてます。また、ハイフンやピリオドは、左から書く言語と同じように前者を文頭に、後者を文末に置こうとしても想定の位置に登場してくれませんので省きました。アラビア文字やヘブライ文字を使ってここで文章書こうとするとスンゲー苦労すんですよ・・・。システムの処理が基本的に左から書かれる文字の表記法に準じているからなんですが、メモ帳みたいに右から書くことも選べるように何故なっていないかなぁ。ここで右Ctrl + 右Shift押しても別に何も起こりませんからね。
 また、本文下段のラテン文字転写についてですが、iとuはマクロン(āの上の記号)がついてなくても長音を示します(「nist」、「in」は「ニースト」、「イーン」、「dur」、「ru」は「ドゥール」、「ルー」)。
 この文章のラテン文字転写では、長音はアクサン・テギュ(áの上の記号)で示しています。使ったのはチェコ語キーボード。マクロンはマオリ語キーボードで打てるけど、そうするとハーチェク(čの上の記号)のタイプがシステムになくて困る。キーボード切り替えつつなんてめんどっちいしね。まぁ、重子音表記でひとつの音を表してもよかったんだけど・・・(čがchとか)。
 俺、本の内容すーぐ無視して自己流に走りたがるクセに、あるものに関しては本からの教えを絶対に順守しようとしたり、自分でも意味分からん性格してますわ。
 ホントはiとuにもマクロンなり付けたいんだけど、本でこう書いてあったからね~・・・。でもこれに今のところは納得がいっているのは、ペルシャ語よりも先にやっていたサンスクリットのラテン文字転写で、同言語ではeとoは必ず長音であるが故に改めてマクロンが振られてなかったことに影響されている。ちなみにペルシャ語だとeとoは必ず短音(標準語の基になっているテヘラン方言以外では知らんけど)。こういう現象、面白くて好きだ。iとuは、サンスクリットだと短音にも長音にもなる。
 さて道案内を扱ったこの文、聞き取ってこうやって書けはするんだけど、内容を理解しつつそれができているかというと、こればっかりはほぼ機械的だね。
 こんな短いのに?-こんな短いのに、なんですよ。ホントダメ、道案内は。
 たぶん、日常生活でさっぱりできないからなんだと思います。
 数が多用されてる文とかも苦手だなぁ。覚えられないもん。
 あ、ちなみに上の文での命令法は、「ببخشيد」、「راست برويد」、「بپيچيد دست چپ」、接続法は「می شود راه را نشانم بدهيد」と「تا به بانک ملی برسيد」。
 「ببخشيد」は「すみません」ってだけの意味なんで命令法とかなんだとか意識することもないんだけど、ペルシャ語では普通、動詞が文末に来るので、「بپيچيد دست چپ」の後に文が続くってのが、初めて勉強した当時は奇妙に思えたんだよね。
 接続法、「تا به بانک ملی برسيد」は、「تا」が接続詞だから、その後に来る動詞は接続法、と、日本語を介して直感的に解せたところもあるんだけど、「می شود راه را نشانم بدهيد」がねー。
 「می شود」~なんとかかんとかで「~ができる」って表現なんだけど、たとえばフランス語だと「Est-ce que c'est possible que vous me montriez ...」みたいに接続詞「que」が入るところが、ペルシャ語だとなんにもないからね。なんで動詞が並んでるんだ?って感じで、納得するのに時間がかかった。
 そういやさ、道案内も数も関係ないけど、ペルシャ語について未だにわかんねーことが。
 上に「نزديکی ها」ってあるでしょ、「ها」は複数の指標なんだけど、単語によってこれがこうやって離して書いてあったり(この場合、これが直前の語に隙間なく接続されていると「نزديکيها」になる)くっついて書いてあったりする。たとえば「イラン人たち=ايرانيها(iránihá)」とか。本来は後者の形であるべきなんじゃないだろうか。
 この「ها」、俺は上の文章だと直前の語とは離して書いたけど、これには理由がある。
 本だと直前の語と隙間なく隣接していて、その直前の語の末尾に「ـی」があると、これがこの形-語末形-のまま直後に「ها」を従えてるんだけど、デジタルで書くとそうはいかないんだよ。隣接させると必ず「ـی」は語末形から語中形に変形して、「ـيـ」となってしまう。
 いや実は、隣接させながら「ی」の語末形を保つ方法がないこともない。
 手順はこうだ。

 ①نزديکيها -複数指標を加えながら一旦すべての文字を連結させて書く。
 ②نزديکیها -指標直前の「ی」をボールド体にする。すると独立形になる。
 ③نزديکیها -ボールド体を解除する。

 こうすれば語中にあれど「ی」は語末形で保たれます。ちなみにこの処理をした単語と同じ行で改行すると元通り語中形に戻ってしまうので、予め改行しておかなければなりません。また、このフォントはArialです。他はTimes New Romanだけ試してみましたが、Times New Romanだとこの処理は成功しませんでした。うーん?
 単語内の字母をボールド体にすると独立形になってしまうことは知ってたんだけど(故に単語に含まれる特定の字母を強調のためボールド体にすることが、アラビア語にはできない)、こういう風に利用できると思いつけたのは我ながら冴えてると言いたい。
 、実はコレ、まったくムダです。
 何故ならこの下書きの中でのみ処理が生きているものに過ぎないから。
 プレビューでは当たり前のように「نزديکيها」という形になってたんで、投稿したら当然上記①の形になってることでしょう。
 まぁ、つまり・・・誤植?

2012年2月1日水曜日

・・・よ?

さあ叩き潰されろ・・・よ?

 Abortedが最新作・Global Flatlineから、Источник Болезни (The Origin of Disease)のビデオを公開!
 ・・・まあ、1月10日なんですけどね、公開日。昨日Century Mediaチャンネル観ようとアクセスした際、遅まきながら知ったわけでして。

現行ラインナップ-ビデオ・Источник Болезни (The Origin of Disease)(Global Flatline収録)より

Sven "Svencho" de Caluwé - Vo.
スヴェン・“スヴェンチョ”・ド・カリュウェ
ערן סגל a.k.a. Eran Segal - Gt.
エラン・セガル
Michael Wilson - Gt.
マイカル・ウィルサン
JB van der Wal - Ba.
イェー・ベー・ヴァン・デル・ワル
Ken Bedene - Ds.
ケン・ビディーン

 ※S
 Sven=オランダ語読み; de Caluwé=フランス語読み。
 で、Svenchoは取りあえず日本人として見たまま。ステージネームの筈なのに、彼をこう呼んでいるインタビュアー皆無だよわけわかんねえ。
 ・・・今更だけど、バンド名からして英語、歌詞も英語で書いてる連中って、名前は機械的に英語読みするべきなのかなあ?
 英語読みだと「スヴェン・“スヴェンチョウ”・ダ・カリューウェイ(sven "sven-choh" də kə-lyoo-way)」などになると思ふ。

 ※E
 ヘブライ語読み。英語読み「エラン・スィーガル(e-rən see-gəl)」。

 ※M
 meye-kəl wil-sən

 ※JB
 オランダ語読み。英語読み「ジェイ・ビー・ヴァン・ダー・ワール(jay bee van der wahl)」。

 ※K
 ken bi-deen

 以前Abortedが新作出すぞってので話題にした際紹介したビデオではベーシストの出演が認められなかったんですが、ちゃんと写ってたんですね。なかなかキレてる感じでかっこいいじゃないですか~。
 あとKen Bedeneの苗字の読みは今に至るまで結局わからずじまいなんですが、まぁたぶんこれで合ってるでしょう。英語読みなら。たしかイギリス人です、この人。というかベルギーのバンドだけどベルギー人はSvenchoだけなんですよね。Eran Segalはイスラエル人、Michael Wilsonはアメリカ人、JB van der Walはオランダ人です。欧米に於ける多国籍・多民族混合バンドは珍しくありませんが、ここまでバラバラなのは稀なんじゃないでしょうか。
 さてさてEuropean Leaders of Gore”ことAbortedの待望の最新作から、アルバムの全体像に思いを馳せるためのコマーシャルトラック・・・。
 かっこいい・・・ね、相変わらず。
 しかし・・・気づいた?
 ギターの音ちっちぇえ~!
 個人的に、元々ゴアってよりは普通のデスメタルに近かった印象のあるバンドでしたが(というかMetallumでもWikipediaでもデスメタルバンドとして紹介されている)、それはまあ別にいいとして、ミックスを担当した奴の頭大丈夫か?ってくらいゴリンゴリンに弾いて掻いて刻んでグチャグチャの爆音を響かせるギターの存在感の強烈さが好きで、そこに惚れ込んだのになんかスゴイこじんまりとしちゃってますよね。
 楽器ごとのその鳴りにはムダがなく、特別耳に残りやすいかっこいいものもそうでないものも、あらゆるフレーズが聞き取りやすいことは、大人しく堪能するにはもってこい・・・しかしそうやって楽しむことのできるバンドはもう既にゴマンといます。
 Century Mediaという一流メジャーレーベルに籍を置きながらも超グチャグチャで、アンダーグラウンドとオーバーグラウンドという二界いずれにも顔のきく数少ない王者のひとりだったのが、これじゃずっと昔からメジャーだったCannibal Corpseなんかの方がまだエグイ。
 各人のフレーズの紡ぎ方というか、かっこいいと思える音の並べ方を思えば、相変わらず凡人には考えつけないような非凡なセンスが発揮されていますが、そういったことをやる連中が出す音を爆音基調にヘンテコなバランスで聞かせてくれるところが俺は好きだったのに。
 かっこいいのはわかる!色んなスゲエフレーズがてんこ盛りだ!・・・でも・・・でも・・・グチャグチャでちゃんと聞き取れん!
 ゴアの要素があるバンドの魅力はこれなんだよね。得体は知れないけどかっこいいものが集積しているのはなんとなく察せられる、だからクセになる。何度も聴きたくなる。
 いや、このИсточник Болезниだって、何十回ものプレイに耐えられる、衰えがたい輝きのある曲だと思うよ。
 だけど上で言った通り、お、かっこいいことやってんな、じっくり聴こう・・・と、落ち着きを以ってそのかっこよさの正体がすぐに知れて、まるでその魅力を研究するかのごとく大人しく聴きたくなるようなバンドはもう他にたくさんいる。
 音作りの上でのこの路線はレーベルの意向によるものなのか?Abortedのメインメンバーたちの好みの変化が原因なのか?それともプロデューサーの所為?
 こういう曲をアルバム単位で聴くなら、若いテクデスバンド聴くかな、俺だったら・・・。
 なんだかちょっとガッカリしたというお話でした。

2012年1月29日日曜日

ベトナム語の勘 / ジャンル名: Lamb of God

ここに至り大分覚えづらい文章群が登場。

bài bải - “Ở gần đây có siên thị không?”
第7課 - 「この近くにスーパーマーケットはありますか?」

- Xin lỗi chị, chị có biết Viện Bao tàng Lịch sử ở đâu không?
すみません、歴史博物館の場所をご存知ですか?
- Anh đi thẳng, đến ngã tư thứ hai thì rẽ trái, rồi đi tiếp khoảng năm mươi mét thì đến. Nó ở bên phải.
まっすぐ行き、2番目の交差点に着いたら左に曲がって、それから50メートルほどそのまま行きます。博物館は右側にありますよ。
- Từ đây đến đó có xa không?
ここから遠いですか?
- Không xa lắm. Đi bộ chỉ mất khoảng mười phút thôi.
そんなには。歩いてたった10分ほどです。
- Cảm ơn chị. À, chị ơi, tôi muốn hỏi thêm một chút. Ở gần đây có siêu thị không?
ありがとうございます。あっ、もうひとつお訊きしたいのですが、この近くにスーパーはありますか?
- Có, có một cái đằng kia.
ええ、あちらの方に1軒ありますよ。
- Cảm ơn chị nhiều.
どうもありがとうございます。

 まず戸惑ったのが、「chị có biết Viện Bao tàng Lịch sử ở đâu không?」という文。
 たとえばフランス語なら「Connaissez-vous où le Musée d'Histoire se trouve?」などになる。つまり、疑問詞が主文の主語と動詞の直後に来るわけだ。
 ベトナム語の文だと、「どこ」にあたる言葉は「đâu」、「ある」は「ở」で、見ての通り疑問詞が副文の文頭に来ていない。
 日本語話者のくせに、これまでの人生を通して欧米の言語に長らく触れていたせいか、日本語に似た語順の他言語に戸惑うこの滑稽さ!
 次、この課で頻出している「đến」について。
 本を見ながらここの和訳を綴ったわけではないが、その内容に影響された訳もある。「đến ngã tư thứ hai thì rẽ trái」の、「~に着いたら~」がそれ。これは本なしではいまひとつ俺にはうまい訳ができなかったと思う。
 というのも、フランス語で言うところの「quand=~したとき」とか、「et=~したら」というような繋ぎの言葉が、この文での最初の動詞「đến」と、次の動詞(+副詞)「rẽ trái」の間にないからだ。謂わば、「着く曲がる」と言っているようなもの。
 こういう動詞の運用は欧風でもないし日本語的でもない。接続詞などは介在させずとも、コンマを入れるなどしていてくれれば、それがうまい解釈の助けになりあるいは「着いたら」というような訳が俺にもできたかもしれないが。
 この文の直後にある、「rồi đi tiếp khoảng năm mươi mét thì đến」についても同じ。「đi tiếp=行き続ける」と、やはり語末の「đến」の間に一呼吸がない。ただ、「50メートルほど行き続けて着く」と日本語で考えてみると、別に意味が通じない文章になっているわけではないんだが・・・ここらへん、ベトナム語を他言語での言い方に置き換えた場合の表現に気を取られすぎているせいなんだろうか?
 あとは、「từ đây đến đó」の「đến」。単語毎に訳すると、「~から・ここ・着く・そこ」だが、現在の位置から目的地までの距離を表現するなら、「ここから」に続く言葉は「そこまで」ではないだろうか?しかし、「đến」に「~まで」という意味があるとは説明されていない。 
 本当に、「~から・ここ・着く・そこ」としか解釈できないのだとしても別に問題はないんだが、なんだかベトナム語はただ言葉を並べているだけの原始的なつくりをしているという印象を受けてしまう。これにしたってたとえそうだとしても問題があるわけではないが、これも、単にこういった言語の学習経験がないが故の戸惑いにあたるんだろうか?
 これで十分理解され得る意味を持つベトナム語であろうとも日本語としては不自然なのできれいな形になるよう訳してみると、「ここからそこに着くまでは」などが和訳のひとつの例としてもっともらしいものになると思う。
 ベトナム語でもこういう風に言うことは可能なんだろう。
 しかし「~から・ここ・着く・そこ」で十分らしい。
 こういう単純な構造が適用されている様々な表現があることだろうし、非常に簡易で学習しやすいと言えんこともないんだが・・・なんだか落ち着かないし、落ち着かない内は、「ベトナム語の勘」が完成されていないということなのかもしれない。
 本に倣った訳といえば、「đi bộ chỉ mất khoảng mười phút thôi」の「歩いて~」もそうだ。
 これは「10メートルほどだけ歩いて(ください)ね」と解釈しても大してその意味に違いは生じないんだが、本で言っている通り、「歩いて=徒歩によって」と解釈するのが正しいのだろうか?本では言い回しをベトナム語での本来的なものから少々変えているのだろうか?これは著者の意図するものなので俺が考えたところでわかるわけもないが。
 こういった、文章の作成にあたって初めて知る構造がいくつかあったわけで、覚え辛かったのだ。何故なら、「ベトナム語の勘」がない今は、覚えるには単なる暗記をする他ないからである。
 当然だが、ベトナム語の音読を聞いて、頭の中では同時にその和訳が浮かんでくる。
 たとえば、「Đi bộ chỉ mất khoảng mười phút thôi.」・・・ここで脳内に「歩いて」うんたらと出てきてしまったら、単なる「歩く」ではなく、「歩い」に手段を示す「て」を意味する言葉が何かついていたかと考えてしまう。単純に聞こえた通り書いていければいいんだが、何分慣れていない今はそうもいかないし、それでは本当に単に機械的に課題をこなしているだけのようでつまらなさすぎる。それに、昨日は、聴解の際は「暗記している内容は関係ない」と書いたものの、やはり、暗記は自然と活きてくる。むしろ機械的に聞き取って綴っていく方が俺にとっては何倍も難しい。
 このベトナム語文では、「歩いて」にあたる言葉は文頭の2語で完結している。そして「歩く」の直後に出てきているのは見ての通り「chỉ」、「chỉ ... thôi」という1セットで「ただ~だけ」を意味する副詞だ。
 次、覚えるのに苦労したものではないが、「50メートル=năm mươi mét」の「10」は「mươi」なのに、何故か「10分=mười phút」の「10」は「mười」であることに納得がいかない。これはおそらく、基数の10の位として用いられる際、「mười」の声調が変わるという法則か何かが存在しているせいなんだと思うが・・・誤植じゃなけりゃね・・・。
 ニューエクスプレスは、CDエクスプレスもそうであったが、2課終える毎にページを2枚使った練習問題が出てくる。2課毎に難度が徐々に高くなっていくと言っていい。
 ここ7課から、遂に本格的なベトナム語の勉強に入ったのかと、始まったばかりで既に少々及び腰である・・・。

2012年1月28日土曜日

Đây thì là...俺が惚れたベトナム語

やっぱりあの、1月21日の記事でのベトナム語表記は納得いかん!

 別に今、あのベトナム語の文章を正しいものに置換することもできるが・・・その後の記事の内容に影響が出るから、訂正したら別の記事を見直す羽目になるのでやらない。
 だから!今回改めて課毎の文章を書く。
 何故!? ベトナム語は気色悪い見た目でタイプが反映されるの!?
 腹立つってレベルじゃないんだよマジで。
 だからイヤなんだよ、多言語をデジタルで表現すんのは。
 タイプすること自体は好きなんだが、自由に決められない字の大きさ、太さ、フォントによってキレイに表示される / されないという見た目の不安定さ、融通の利かない文章の位置・・・字体がフォント選択によって即座に著しく変えられることや、手で綴る際に比べれば圧倒的に字の大きさを揃え易いことなんかはデジタルならではの利便性が存分に発揮される点であるが、つまりは用意されているものから必ず選ぶ必要があるということでもある。それらが好みであるか / そうでないかにかかわらず。
 אתמול לא ישנתי(etmol lo yashanti / 昨日私は寝なかった)-こんな字体では俺は絶対に書けないし、デジタルを利用しての記述に関しては大いに気に入っている点も勿論あるんだが、それでも手で紙に書いたものがそのままここに労せず反映させられるとしたら、俺は迷わずそっちを選ぶね。
 こういう風に日本語を長文を綴ってゆくのはタイプでいいが。
 何語で書くのが好きだからその言語は手で書いたものをここに反映させたいというわけではなく、PCで入力したものが俺の理想通り、或いは本で目にした見た目通りにいっていないのがハラタツわけだからね。
 というかそもそもこんなもん毎日手で書いてなんてられねーって。手で書く気があるならとっくの昔からこうやって“デジタル”な日記でなく、オフラインで“アナログ”な日記を今に至るまでつけ続けていたことでしょう・・・。
 そんなわけで、語学書付属のCDを聞き取り、Lexilogosの入力システムを利用してタイプしたものをここに貼っつけていきます。

bài một
第1課

- Chào chị.
こんにちは。
- Chào anh.
こんにちは。
- Tôi tên là Takeo. Còn chị tên là gì?
私の名前はタケオです。あなたの方はなんとおっしゃるのですか?
- Tôi tên là Mai. Xin lỗi, anh là người nước nào?
マイです。失礼ですが、どちらの国の方ですか?
- Tôi là người Nhật. Rất vui được gặp chị.
日本人です。お会いできてとても嬉しいです。
- Tôi cũng rất vui được gặp anh.
こちらこそ。

bài hai
第2課

- Anh có phải là lưu học sinh không?
あなたは留学生ですか?
- Vâng, tôi là lưu học sinh. Thế chị có phải là sinh viên không?
ええ、そうですよ。それで、あなたは学生ですか?
- Không, tôi không phải là sinh viên. Tôi là nhân viên văn phòng.
いえ、私は学生ではなく、事務員です。
- Thế à? Bây giờ chị đi đâu?
そうでしたか。今からどちらへ行かれるんですか?
- Tôi về nhà. Còn anh?
家に帰ります。あなたは?
- Tôi đi thư viện. Chào chị. Tôi đi nhé.
私は図書館へ。それでは、失礼します。
- Vâng, chào anh.
ええ、さようなら。

bài ba
第3課

- Hôm nay nóng quá nhỉ!
今日はとても暑いですねえ。
- Vâng, nóng thật, nhưng không oi lắm. Thường thường mùa hè Hà Nội nóng và oi lắm.
ええ、本当に。でも蒸してはいないですね。普通、ハノイの夏はとても蒸し暑いのですが。
- Thế mùa đông có lạnh không?
それで、冬は寒いと?
- Vâng, rất lạnh.
ええ、とても。
- Còn thời tiết thành phố Hồ Chí Minh thế nào? Có giống Hà Nội không?
ホーチミン市の方は、どんな気候なんですか?ハノイに似ているんでしょうか。
- Không, thành phố Hồ Chí Minh nóng quanh năm.
いえ、ホーチミン市は一年中暑いですね。
- Thế thời tiết miền Bắc và miền Nam khác nhau nhỉ.
では、北と南では互いに異なる気候なんですねえ。

bài bốn
第4課

- Bác ơi, đây có phải là xe máy của bác không?
小母さん、これはあなたのバイクですか?
- Không, đây là xe của con trai tôi. Tôi không có xe máy.
いいえ、私の息子のよ。私はバイクは持っていないの。
- Còn cái xe mới đó là xe của ai?
その新しいバイクは誰のですか?
- Cái đó là của con gái tôi.
それは私の息子のね。
- Có phải cả hai cái đều là xe Nhật không?
その2台はどちらも日本製ですか?
- Đúng thế. Người Việt Nam thích xe Nhật lắm.
もちろん。ベトナム人は日本のバイクがとても好きですからね。
- Cháo cũng rất muốn một cái bác ạ.
私も1台欲しいんですよねぇ。

bài năm
第5課

- Ngày nghỉ chị thường làm gì?
休日は普通、何をしていますか?
- Tôi thường dọn dẹp nhà cửa, thỉnh thoảng đi mua đồ hay đi xem phim.
普通は家の掃除ですね。ときどきは買い物に行ったり、あるいは映画を観に行ったり。
- Chị thích xem phim gì?
どんな映画がお好きですか。
- Tôi thích phim tình căm.
愛情ものが好きですね。
- Thế à? Tôi cũng thế. Ngày mai chị có rỗi không?
そうなんですか、私もですよ。明日は暇ですか?
- Không, tôi không rỗi. Ngày kia thì rỗi.
いいえ。明後日なら暇ですが。
- Thế thì ngày kia chị đi xem phim với tôi không?
では、明後日私と映画を観に行きませんか?
- Hay quá! Tôi cũng rất muốn đi.
いいですね!私もとても行きたいですから。

bài sáu
第6課

- Em ơi, đây là hồ Hoàm Kiếm phải không?
ねえきみ、これ、ホアンキエム湖で間違いないよね?
- Vâng, đây là hồ Hoàm Kiếm. Anh nói tiếng Việt giỏi quá! Anh đến Hà Nội làm việc à?
ええ、そうですよ。ベトナム語、お上手なんですね。ハノイにはお仕事でいらっしゃったんですか?
- Không, tôi đến đây để học tiếng Việt.
いや、ベトナム語の勉強のためだよ。
- Thế anh đến Hà Nội bao giờ?
いつ来られたんですか?
- Tơi đến đây thánh trước.
先月だね。
- Bao giờ anh về nước?
いつ帰国されるんですか?
- Khoảng cuối năm nay thì tôi về.
今年の末あたりだよ。
- Anh cố gắng học nhé.
お勉強、頑張ってくださいね。

 おお・・・うまくいった。30分近くかかったよ。1課毎の吹き込み、それぞれ30秒ずつぐらいなんだが。1課丸ごと一旦、中断も何もせず聴いてみて、ハイなんて言ってたか書け!とやってるわけじゃないからね。ちゃんと耳に入った通り書くようにしてるから、聞き取れなかったら何度でもその箇所を繰り返し再生。文章が暗記できてるかどうかは関係ない。あとはやっぱタイプの不慣れだね。
 入力はマジめんどっちいけど、やっぱキレイな見た目で綴れると壮観だな~!最高!俺が惚れたベトナム語(の、正書法)はこれなんだ!

2012年1月27日金曜日

Còn chị cũng muốn học tiếng Việt?

今日ベトナム語の勉強をしていたら、「lịch sử」という言葉が出てきた。

 これが含まれていた文の全体は、「(Tôi học tiếng Việt) để nghiên cứu về lịch sử Việt Nam.」。和訳は「(私はベトナム語を勉強している)ベトナムの歴史を研究するために。」。
 nghiêncứulịch、sửが初出の言葉で、Việt Namは「ベトナム」、統語法を鑑みればこれの直前にある言葉が「歴史」だとは初見でもわかるんだけど、「về(ヴェー)」がクセモノ。
 これは、ここまでの学習に登場した際は常に「行く」という意味を持っていたので、「研究」という言葉に含まれているとしても、「歴史」のそれだとしてもしっくりこない。
 しかし、別言語ではあるが、ヘブライ語の「来た」-בא(ba’)-という普通の動詞が、定冠詞付きで-הבא(ha-ba)-形容詞として機能し、「次の」を意味するので-השנה הבאה(ha-shanah ha-ba’ah)=来年-、これと同じく移動に関係するvềも、形容詞的に用いられて時間的概念の段階の明示を被修飾の名詞に与えるのかもしれないと思い、和訳で「歴史」とされる言葉の一構成部品ではないかと考えました。
 しかし、Việt Namの直前の、vềを含まない二語の音に何か引っかかった。
 仮名にすれば「リ・スー」。
 「歴史」の読み仮名は「レキシ」。
 ・・・少々ではあるが互いに似ていると認められる程度には、音に近似性がないだろうか?
 そこで、「lịch sử」でググッてみた。
 すると、他でもないこの2つの単語が合わさった言葉でWikipedia tiếng Việtがヒット!
 果たして、「レキシ」は、「ヴェー・リ・スー」ではなく、「リ・スー」だったというわけだ。
 ・・・ハイ、ここまでが前振り。
 でさ、Wikipediaベトナム語版にアクセスしたわけなんだけども、画面左上のWikipediaのロゴ、あるじゃん?あれ、記事数が大きな数に達したりすると、色々装飾が施されたりするでしょ。丁度ベトナム語版が今それに当たってるようで、ロゴを見るに、おそらく記事数が25万になったのかな?
 で、そのロゴがかっちょいーの!
 ああ、やっぱり文字って素敵だなぁとうっとりしましたね、思わず。
 これは話題にしたい!と思って、画像として即保存しましたよ。


 こんなのです。
 真ん中はたぶん「tết」と書いてあるんでしょう。意味はわかりませんが。
 この文字が筆で書いたような見た目であることと、その赤い色、その下にあるなんだか読めない言葉、それからバックのロゴの縁を飾る緑(青?)。
 素晴らしいセンスです!
 左下にも何かミョーなものが見えますが・・・これはマジでなんなのかわかんないすね。
 今回が初のWikipediaベトナム語版へのアクセスかどうかは覚えてませんが、いずれにせよ今はベトナム語の勉強中、何か理解できる言葉はないかと探してみましたが・・・。
 ホントに部分的にですが、まず上の画像のWIKIPEDIAの真下に見られる一語、「thư」は、「図書館」を意味する「thư viện」として本に出てきました。
 探したとは言えさらーっと見ただけのようなものなのであんまり多くの文は読みませんでしたが、「Wikipediaにようこそ!」的なことが書いてあると思しき、トップページ上方真ん中の文-Chào mừng bạn đến với bách khoa toàn thư mở Wikipedia tiếng Việt!-を構成している言葉の内、既に上で登場している「thư」、「tiếng Việt」を除けば、「chào」、「đến」、「với」は知ってます。と言っても、「chào」単体ではどういう意味かは知らなくて、「chào chị」など相接の言葉に含まれるものとして学びました。他2つは前から順に「来る」、「~と共に」です。

Anh đến Hà Nội bao giờ?
あなたはいハノイに来たのですか?

Ngày kia chị đi xem phim với tôi không?
明後日、俺と一緒に映画を観に行かない?(女性に対して)

 で、「ようこそ!的な文」の真下の文章-Hiện chúng ta có 280.342 bài viết và 265.653 thành viên đã đăng ký. Rất mong nhận được sự tham gia tích cực của bạn!-からは、1「chúng ta」、2「」、3「bài」、4「」、5「thành」、6「viên」、7「rất」、8「được」、9「của」、10「viết」がわかります。
 それぞれ、

1「我々(聞き手を含む; 含まないのは「~ tôi」)」

2「持つ; ~がある; 疑問詞」

Tôi không xe máy.
私はバイクを持っていない。

phải cả hai cái đều là xe Nhật không?
この2台のバイクはどちらも日本製ですか
※厳密には「có phải」で一まとめ。「phải」自体の意味は「正しい」。

3: 本では「○課」の「課」に当たる言葉として登場

bài mt
第1

4「そして; ~と」

Thường thường mùa hè Hà Nội nóng oi lắm.
普通、夏のハノイはとても暑く蒸す。

5: 本では「都市=thành ph」として登場

Thời tiết thành phố Hồ Chí Minh thế nào?
ホーチミンの気候はどんなものですか?

6: 本では「学生=sinh viên」或いは「会社員=nhân viên văn phòng」として登場

Các anh chị có phải là sinh viên không?
あなたたちは学生ですか?

Chúng tôi là nhân viên văn phòng.
我々は会社員です。

7「とても」

Mùa đông Hà Nội rt lạnh.
冬のハノイはとても寒い。

8「できる」

Rt vui đưc gặp chị.
あなたにお会いできてとても嬉しいです。

9「~の(もの)」

Cô Hoa là cô giáo tiếng Việt ca tôi.
ホアさんは私ベトナム語の先生です。

 です。
 この2つはおそらく簡単な内容の文章でしょうし、意味は、他言語版Wikipediaから察するに「Wikipediaは誰でも編集可能なフリー百科事典です」というようなことが書いてあるのだと思います。
 ベトナム語によるこの文章を読むだけでそういった読解をすることはまだ適いませんが、ちゃんと語彙力は増しているようですし、拾った単語を含んだ例文が即座に思いつけることは、ささやかなようでいて何気に凄いことなんじゃないかと、自分でも思います。ま、暗記している本の文をそのままここに引っ張ってきているだけなんですが。
 前振りは長いし、いくつかわかる言葉があった!という内容で話が脇道にそれてもまた長いしでいつも通り内容の愚茶具茶っぷりが目につきますが、ホント、ただベトナム語版Wikipediaのロゴが超かっこいい!と、それだけに端を発した記事だったんです・・・はい。
 そうだ、ところでさ・・・やっぱりベトナム語、ここでタイプすると前回と同じく正しく表示されないんだけど、上のWikipedia.viからのふたつの文をコピーしてここに貼っつけたとき気づいたんだ・・・「あれっ、ちゃんとなってる」って。
 つまりはネット上のベトナム語表記をコピペするとここでも正しいバランスでベトナム語の字母が綴れるってことで、一旦自力ですべて書いてから、表記の正しくない言葉をひとつずつググッて出てきたものをここにせっせとコピペして今回の記事は完成させられました・・・。
 或いは、LexilogosのClavierを利用して入力するとかかね・・・。
 折角タイプできるのに、超アホらしいよこんなもん。

2012年1月26日木曜日

こうやって書いてます

 突然ですが、俺はこうやってノートに文字書いてます。


 まずはひとつのページの左半分に文字を綴っていきます。言語毎の正書法に従って左から書く、右から書くにかかわらず、まずは左半分を使います。ちなみに今回写っているのはベトナム語です。
 で、最下段に到達したら、


 ノートを180°回しにかかります。


 くるくる(という擬音は360°回す際に用いられるべきか?)。


 すると、当たり前ですが、残った余白が左に来ます。


 で、また上から書いていくのです。
 こうやって1ページが埋まったら勿論次のページへ。そしてまた同じように綴ってゆきます。
 何故こんな風に書いているのかと言うと、私は右利きなんですが、右手が常にノートに乗っていないと落ち着かないからです。
 手を浮かせては書けませんし、見ての通り、端をリングで留めているノートは、文字を綴ってゆく内に右手が右端に到達すると手がリングに当たってとても書き辛く、非常に不快です。そしてリングがない側の端に到達しても、ノートから手が落ちてしまってやはり書き辛い。
 昔からこうやって書いていたわけではなく、最近思いついたばかりです。しかしノートを使った勉強の際の不快感はどうにかならんもんかと、かねてより悶々としていました。
 遂に、実にいい方法を見出したものだと今は快適な言語学習生活を送っております。
 ところで以前、今回のように何度かノートを晒したことがありますが、まさにこうやって日々の勉強の内容を実際に綴ったものを見せることで話題にするのが、理想的な「言語学習日記」なんですよ。
 これが平易にできるようになれば、必ず言語学習日記がメタルの話題と並んで、俺が記事を書く際優先的に取り上げる2大トピックになることでしょう。
 その為には先ずスキャナ買わんと・・・。

2012年1月24日火曜日

初めてのオーストラリアン・バンド

Psycropticが、新作・The Inherited Repressionから
Carriers of the PlagueをバンドのFacebookで公開。

 ・・・うん、よく知ってるバンドってわけじゃないんですけどね、実は。
 以前テクデスバンドの情報を熱心に集めてるとき名前を知って、初めて曲聴いたのが今日。
 且つ、Nuclearblast.jpでこいつらのことが冒頭の音源公開についてニュースになってて、最終的に話題にしたくなった決め手としては、肝心の曲が結構かっこいいことやってたので取り上げてみようかなあと。
 初めて聴いたのは上のCarriers of the Plagueじゃなくて、PVのあったInitiate

現行ラインナップ-ビデオ・InitiateOb(Servant)収録)より

Jason Peppiatt - Vo.
ジェイサン・ペピヤト
Joe Haley - Gt.
ジョウ・ヘイリー
Cameron Grant - Ba.
カマラン・グラント
David Haley - Ds.
デイヴィド・ヘイリー

 オーストラリア出身のバンドを話題にするのは初めてですね。ちなみにこの布陣は2006年作・Symbols of Failureからまったく変わっていません。安定ってスバラシイ。
 俺はオーストラリアのHR/HMシーンにまったくと言っていいほど縁がない。
 同国出身のバンドですぐ名前が思い出せるバンドは・・・Airbourneくらい。AC/DCは言わずもがなとして。
 ジャンルはテクデスですが、ボーカルスタイルはドスの聴いたメタルコア系なかんじ。ちょっとこれはなあ。
 知ってるバンドを引き合いに出してその音楽性を言葉で表現してみると、All Shall Perishからエグさを抜いたような、と俺は言います。
 器用に紡がれる譜割の細かいリフが印象的ですが、驚きの織り込まれていないストレートなパートも1曲中に結構長く存在しており、そういう箇所はありきたりと言うまでもないくらいに面白味がなく、テクデスと言うにはもうちょっと頑張って欲しい気がする。まぁ所詮他人がそう言ってるだけだからと言えばそうなんだが。
 昨日今日湧いてきたバンドってわけじゃないし、2ndフルレンス・The Scepter of the AncientsはMetallumでなんと14レビュー、評価のアベレージ92%という驚異的な数字を記録していますし、テクデス界隈の一ビッグネームと言っていいんじゃないでしょうか。これ、聴いてみたいなあ。
 ギターはひとりなので当然目移りならぬ耳移りすることもなく最も目立つものとして印象に残りやすいのですが、ドラマーの頑張りも特筆すべきかと。
 ギタリストはテクニカルかもしれないが基本的にトリッキーではないみたいなので、ところどころ出てくる曲毎の象徴的なテクニカルリフの登場頻度との対比で、縁の下の力持ちのような存在でもあり、常に驚異的な手数足数の多さでテクデス華形パートでもあるドラムの楽曲への貢献が目立つってものですね。
 上で述べた通り、ボーカルはコアっぽいですが、ある意味このバンドの特徴のひとつでもありますね。テクデスバンドとしてどうだろうとは思いますが、迫力はなかなかのモノ。昔の曲も聴いてみてわかったのですが、今はよりコアっぽくなっていて、かつてはまさしくデスメタルバンドのボーカリスト然とした歌唱スタイルだったんですね。
 グロウルとかガテラルの類はよほどエグいものが出せない限りは他者のそれとの様々な差を人々に知らしめづらいものだと思いますので、つくった歌声という印象が大分抜けた今のJason Peppiattのやり方はやはり、現在のPsycropticのウリのひとつと言ってもいいかも。
 なんか、Andreas Sydowを思い出しますね。普通にガナって最高に格好良かった男。
 ベースについてですが、4人構成のせいか、他のパートとの主役争奪戦にまったく遅れを取っていない音色で鳴っている点はイイですね。フレーズは特に目立ってかっこよかったりするものはありませんが・・・。すごいオーソドックスな見た目のベースを弾いてることが一番印象的だったりして。これはなんかArsisの前ベーシスト・Nathaniel Carterを思い出した。或いはRevocationAnthony Buda
 どーしよっかな、The Inherited Repression買ってみようかしら。
 正直The Scepter of the Ancientsの方が気になるけど、このボーカルスタイルを乗せたテクデスもすごい興味深い。
 あー、バウンディくらい安価で日本コロムビアが出してくれてたらなぁ・・・。
 バウンディは輸入盤を擬似国内盤に仕立てあげてるだけだからあれだけ安く提供できてるわけだけど、別にあれでいいじゃんねー、どこの日本の会社のやり方もさ。
 マジ神、バウンディ。これからもたのんますよ!
 日本コロムビアは・・・うん。あのさ、取り敢えず、Nuclearblast.jpのPsycropticのページで、Joe Haleyを「ボーカリスト」として紹介してるのはさっさと訂正してよ?
 Chrome DivisionのページにAll Shall Perishとデカデカと書いてあるのもいまだにそのまんまだし・・・。扱ってるバンドとか価格設定とかじゃなく、こういうところが原因で関心が腐っていったりもするんだよ・・・。
 そーだ、Nuclearblast.jpといえば、もう全然新鮮味のない話題も含まれちゃうけど、こういうバンドについてのニュースも今、Informationに挙がってるんだよね。

現行ラインナップ-ビデオ・A Rose for EponaHelvetios収録)より

Christian "Chrigel" Glanzmann - Vo. / Mandolin
クリスティヤン・“フリーガル”・グランツマン
Anna Murphy - Vo.
アナ・マーフィー
Ivo Henzi - Gt.
イーフォ・ヘンツィ
Simeon "Sime" Koch - Gt.
ズィーマオン・“ズィーマ”・コフ
Kay Brem - Ba.
カイ・ブレム
Merlin Sutter - Ds.
マーリン・ズター
Patrick "Päde" Kistler - Whistle
パトリク・“ペーダ”・キストラー
Meri Tadić - Fiddle
メリ・タディチュ

 こいつらも名前は知ってたってヤツですね。
 フォーク系ってのも知ってたんですが、著名フォークメタルバンドって大抵北欧出身なので、こいつらもスカンジナビアのどこかから出てきたんだと思ってたんですが、スイス出身なんですねー。まぁ、バンド名で察しろよってカンジですが・・・。あ、いや、Helvetiaとは無関係の言葉か?
 にしてもあれですね、Fleshgod Apocalypseを初めて話題にしたとき、シンフォニックメタルバンドの大勢について「メタル要素が薄すぎ」と言いましたが、こいつらもヒドい。
 いや、フォーク系なんだからゴリゴリメタルじゃなくてもいい、確かにそれはそう、しかしフォークテイストを、ここまでつまんないバックをメタルミュージシャンに前にでないよう強制させるほど重視したいなら、そもそもメタルである必要性なんて皆無なんじゃないの?と思う。いいじゃん、ちょっとハードなくらいで。
 そうさなー、Korpiklaaniくらい単純な方がイイよ。テクもなくかっこつけもなくジャンジャンやってるってのが。
 或いは、フォークも全開、メタルらしいバッキングもエキサイティングって方向性だったら、Finntrollくらい何もかもがハデじゃないと、何故お前らはメタルバンドとして活動してるんだと言いたくなる。
 しかもこのバンド、専任ギタリスト2人いまっせ。2人・・・要るのか?Chrigel Glanzmannもレコーディングではギターを弾いているようだが、歌も歌うし、マンドリンも弾く、バグパイプも吹く、そしてギターも弾く、だからいる意味があるんだよね。
 まぁこんな話もアレですが、ギター2人、ついでに言うとベーシストもPVじゃ全然目立ってなかったから、イイシーン見つけ出して撮るのマジ大変でした・・・しかも結局いまいちなので作るほかなかったし。
 ドラマーはね。公式サイトのバンドプロフィールでも上方に載っていることからして中心人物のひとりのようですな。PVでもかっこよく撮られてました。まずアクションが悪くないからね。オイシイシュートも多かったです。
 メタルバンドとしては相当ショボイですよ、コイツら。
 さすがにと言うか、ホイッスルとフィドルはいい味出してますが・・・というかそれがすべてですもんね。
 取って付けたような中盤の、Chrigel Glanzmannのデスボイスの挿入もどうなんだろう・・・。
 まぁちょっとバンド初の曲とかPVとしては物が悪かったのかもしれませんね、このA Rose for Epona。
 ただMetallumでも殆どのアルバムがウケてないみたいだし、つまりはそういうバンドだと言い切っちゃっていい面も見え隠れしていますな。
 実は酷評を下したり、初めて聴いたときにダメだと言い切っちゃった連中の方が、初聴時からベタ褒めした者たちよりも後からやたら気になってきたりするもんで、こいつらのこともしばらくは何かと意識し続けることになる気がするのですが、Eluveitieがどうかってより、なんか、この曲を聴いて、元来ヘヴィメタルとは無関係なジャンルへのメタルテイストの理想的な注入の仕方についてしつこく考えさせられそうですなあ・・・。
 さて今回最後のバンドですが、上で言った「もう全然新鮮味のない」話題の元になっている連中は、こいつらです。

現行ラインナップ-ビデオ・MetalThe Greatest Hits of Earth収録)より

Andreas Bergh a.k.a. Whiplasher Bernadotte - Vo.
アンドレアス・ベルグ = ウィプラシャー・バーナダト
Eric Bäckman a.k.a. Cat Casino - Gt.
エリク・ベクマン = カト・カスィーノウ
Emil Nödveidt a.k.a. Nightmare Industries - Gt.
エーミル・ネトヴェイト = ナイトメアー・インダストリーズ
Jonas Kangur a.k.a. Skinny Disco - Ba.
ヨーナス・カンギュル = スキニー・ディスコウ
Oskar Leander a.k.a. Vice - Ds.
ウスカル・レアンダル = ヴァイス

 ハイ、Deathstarsですね。
 Ole "Bone W. Machine" Öhmanの脱退、そして新ドラマー・Viceの加入を話題にした際、既に彼を迎えての制作がアナウンスされていたMetalのPVが公開されたらまた記事にて取り上げます的なことを言ってたのに、ホント今更っすね!
 この画像つくってからも大分経ってんですよ、実は・・・。これ自体はビデオ公開された直後くらいからPC内で今日まで保管してきました。
 で、ビデオの内容ですが・・・まぁそれにしてもひっくり返るほどダサいもんに仕上がってますねー。
 かっこつけはメタルの華ですが、違うそうじゃない・・・。
 というのもこいつら、デスメタルバンドらしいんですが、ただのデスメタルバンドじゃなく、「グラム・デスメタルバンド」。
 こういうアクションとかでかっこつけるところは、なるほどグラム的ですよね・・・。
 まぁこの際、どこがデスメタルなんだってのはいいですわ。言ってもしょうがないくらいどこを取ってもデスメタルじゃないからw
 演奏シーンは悪くないんですけどね。メイクも、おお、人間の顔はこんな遊び方もできるのかって感じで結構好きです。まぁ、Misfitsが大昔に既にやってたような気もしますが。
 Blitzkriegで見られた、トゲトゲしいネーちゃんの起用がパワーアップして、Whiplasher Bernadotteのみが俳優まがいのことをしていたのが、新参のVice含めみんなで武闘派ギャングごっこ!
 PVとはいえ、恥ずかしくないのかお前ら・・・。
 曲は、バックや諸々のフレーズなどは至ってシンプルで、良さがストレートに聴く側に伝わるようになってますね。だから感想としては、「好き」か「嫌い」かしかないでしょう。PVの内容ともどもテーマなんてあってないようなもんだと思いますし、頭カラッポにしてビートに身を委ねつつ聴くのがよろしいかと。
 このPVがアップされる前からVice加入後の新たなアー写が公開されていましたが、やけに硬派なスタイルを前面に出してきたことが原因でMetalのビデオの内容について良きものを期待しない方がいいかもとも思っていたものの、Blitzkriegでのメイクやら衣装やらと同じく、これもグラムの別の見せ方ですよね。
 メイクからして明らかですが、見た目も込みで売りに出されているバンドのようですし、やってることはさて置いて、映像面でのクオリティの高さは少なくともNuclear Blast内では比肩しうるバンドが他にないほどですね。まぁ、こいつらの如き扱いが相応しくない、芯の意味で硬派な連中ばかりだからだ、とも言えるんですが。
 アルバムを買ったりする予定は今のところありませんが、視覚面でなく、曲の方でこのシンプルなスタイルを貫きつつ、これからどこまで飽きられずにやっていけるのだろうかと、ある意味、最高に好きなジャンルのひとつ・テクデスと同じくらいその行く末が気になりますネェ。
 ああ、それにしてもやっとDeathstars出せた!
 実は画像は作ってあるが、その画像を伴って話題にできていないバンドがまだたっくさんあるんですよ・・・。
 以前画像を作ったけど、今のやり方で作り直したCryptopsy, Fleshgod Apocalypse, Fear Factory, Immolation, Graveworm, Insomnium, Krisiunとかもいて、こいつらもどっかで放出したいなぁ。
 Gotthardは新ボーカリスト、Nic Maeder(ニク・メーダー)が公表されたし、CryptopsyはベーシストのYouri Raymond(ユリ・レイモン)脱退・Olivier "Oli" Pinard(オリヴィエ・“オリ”・ピナル)加入とかすぐ話題にできるバンドもいるから、近い内いくつかの画像を使う機会はあるだろうとは思いますが。

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