2011年9月29日木曜日

ΤΑ ΔΩΡΑ ΑΠΟ ΤΩΝ ΜΟΥΣΩΝ

 今の今までホントにThe Dark Side of the Moonしか聴いてません。
 何回聴いたかな・・・少なくとも5回はいってる。

 でも・・・やっぱりよくわからん。何がいいのか・・・。

 評価については今更言うまでもなく、人類史上日の目を見てきた所謂「名盤」という存在の中でもトップクラスであり、Pink Floydの旧作カタログが再発されるにあたって、この「狂気」が破格の扱いをされているところを見ると、発売から30年以上経って尚その名は世界的な影響を有していることがわかる(厳密に言うと、「確実に世界的な反響があることを見越して商品にしている」ことがわかる)。
 だから、聴いて感じるもの・・・それも大きなものが、必ずあるはず。

 ・・・こういうことを考えてながら聴いているから、ダメなのか・・・。

 トータル・アルバムとされるものに大抵言えることだと思うけど、「歌詞」も重要らしい。
 俺は歌詞は読んでない。
 というのもこの完全初回限定盤、肝心のCDがものすごく取り出しにくく、ブックレットもすべて奥の方に収まっている。
 いや、深さが30cmくらいあるボックスから取り出すってわけでもないんだが、俺はものは片付けないと気が済まないタチなので、読む度あの箱開けてグッズ取り出して記念品の一部だし汚れがつかないように・・・って神経遣いながら読まなければならないかと思うと-この「義務」は俺が自発的に自身に課しているものではあるが-とりあえず先ずはCDだけ、となってしまった。
 或いは、今現在Pink Floydのようなプログレッシブ・ロックは絶え、プログレッシブロックの系譜に連なっていることは確かかもしれないが明らかに別物である「プログレ」に耳が慣れてしまったがためにこのCDにのめり込めないのかもしれない。
 レッチリのI'm with Youを聴いたときの、「こんなはずじゃなかった」という感想が今回も出てきてしまったかという感じだ。
 以前聴いてから数年越しの再会、印象の更新はあるだろうかと臨んでみたが・・・特に何もなかった。
 普通のバンド形態では再現できないような、一筋縄じゃいかない表現方法だって、自転車のベルが使われるなどしてありえない手法がとられたThe Beach BoysPet Soundsに詰め込まれたものの方がよっぽど魅力的だし、より「プログレッシブ」な感じがする。
 レジで金銭を扱う音をリズミカルにサンプリングして取り入れたからといって、それがなんなんだと・・・。
 とにもかくにも、やっぱり何故ここまで偉大な作品だと言われているかわからない要因として確実に挙げられるのは、「偉大な作品には感動させられるはず」という先入観。
 これはおそらくもうどうしようもないくらい頭の中で強い勢力を振るっていることだろう。
 じゃあもうこれが彼の「狂気」であることを意識しないよう聴いてみようと努めたところで多分ムリだし、収められた要素の何にも実際に感銘を受けなかったという事実からしてその努力が功を奏したところで俺の出す評価は変わらない気がする。
 これがプログレの最高峰なら、たぶん俺は根本的にこのジャンルに向いてない。
 けど何が最高かなんて誰にもわからないし、どんな評価を与えられていようがどんな仕様で売りに出されたものであろうがどれだけ高価であろうが本質的にはただ1枚のCDに収まるだけの音楽。
 AZUMA HITOMIきらきらに、デビューシングルであるハリネズミほどの衝撃を受けなかったことを話題にしたとき書いたことと同じく、今後如何に評価の程度が高くなろうとも、「最初は大したことのないものにしか思えなかった」ことは揺るぎない。
 ただ、どれだけ高評価が与えられていようが、あくまでそれは他者の頭が生み出したものなので、当然、自身にとってそれが肯定できるとは限らない。
 ブックレットが汚れないように-とかという考えと同じく、高い評価と豪華な仕様に惑わされすぎてはいないか・・・もうそれすらも本当なんだか間違っているんだかわからないが、ただひとつ確実に揺るぎないこのCDとの、絶対的に正しい付き合い方だけは忘れないし、数多の人々にとってこの作品がどんな存在であれ、俺にとっては、そして本来的には誰にとっても、「単なる1枚のCD」です。

 ただ聴き続けること。
 歌えるようになるまで。
 ある人々にとってはτὰ δῶρα ἀπὸ τῶν Μουσῶν”でしかないとしても、日本人である私にとっては喜ばしくも「音楽」ですから。

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