2012年12月23日日曜日

俺はものぐさだから

 結局劇的な暗記方法というものは編み出せていないまま。
 ここ数日は原点回帰の上勉強している。
 最近また語学書が新たに2冊増えたのだが、そのうちのひとつは、ポーランド語のもの。
 そしてもうひとつはポルトガル語。・・・「ポルトガル語」ね。「ブラジルの」とか、そういうの一切付かない、純粋なポルトガル語。真のポルトガル語。その名の通りポルトガルで育まれたポルトガル語。ブラジルのポルトガル語なんて俺はやりたかね。いやいつかやるものとしてはいいが、最初は純正に拘りたいんだよ。しかし確かja.wikipedia.orgで目にしたのだと思うが、ポルトガル本国のポルトガル語の正書法は、ブラジルでのそれに倣うようになっているのだか、或いは倣うようになるのだとか。こんなに嘆かわしいことはない。何故そんなことをするんだろう。今やポルトガル語と言えば、ブラジルで話されているポルトガル語の方が影響力があるからか?それはそうだろうな。話者数がまるで違うし。しかしそれに追従する意味が皆目わからない。本当にさっぱりだ。
 ちなみにそんな2つの形態の力関係の差を表しているかの如くであるが、日本では純粋ポルトガル語の本が極僅かしか出版されていない。ないわけではないのでそれが勉強できないということはないが、ルシタニアでない彼の地で話されているポルトガル語の本が、辞書、単語帳、会話練習帳、文法書と様々な体裁で出版されているのを目にするのが実に容易であることに比べれば、その品数の少なさたるや実に残念なことである。
 まぁ、需要がないんでしょうな。簡単な理由である。俺にしたって別にポルトガル本国のポルトガル語を学ぶ動機なんて特にない。たとえば市井の民の声を拾って語学書を作ってくれる出版社があるとして、ではプレゼンどーぞと言われても理由に困る。
 俺の買った本では、ブラジルのポルトガル語を勉強した筆者がポルトガルへ行くと会話に苦労したということが重ねて記されていたが、実際そんなに意思疎通に多少の困難が伴うものなのだろうか?片や、ノルウェー、スウェーデン、デンマークの3国間で、それぞれ固有の言語で互いに話して通じることを鑑みればなんともまあ不思議な話である。ブラジルの、とはいってもあくまでもポルトガル語である。しかしこちらは言語名からして違う。つまり相互に独立性が確立されているということだ。といっても、これら3言語についてのこの話も実際自身が体験したことではないので、本当に通じ合えるのかどうか半信半疑でもあるんだが。というかそもそも、この3つの言語が3つとも云々以前に、とりわけデンマーク語が音声面からしてスウェーデン人、ノルウェー人に通じるとはとても思えないんだけどなあ・・・。
 さて、冒頭の「原点回帰」とはどういうことであるか。
 これは、口に出さず、字を追ってだけして記憶していくというやり方である。
 そして、自分で文章を作る。
 自分で文章を作りながら言葉の使い方や、正しい文法に注意を払い正書法を身に着けてゆくという勉強方法はお勧めである。必ず身につく。
 コツは、どんなに簡単な表現であっても、頭に浮かべば即座に文字にしてみること。口にできるのならそれでもいい。俺の場合は書く(或いは打つ)。
 頭が余程ヘンな構造をしていない限りは、勉強の進捗が著しく進んでいない限りは、即座に思いつけるのは簡単な表現であるはず。そういったものの積み重ねで言語は身につく。いつまで経っても「あれはうんたらです」「こんにちは、お元気ですか?」「どこに住んでいますか?」「昨日は何を食べましたか?」程度の表現しか思いつかなくても、つまりはそれらを何度もしつこく他言語を通して自身の言葉にしていけば、それらは確実に身につけられるということだ。身につけられるものが多いのはいいことだ。そして論文を書いたり小難しいことを長々と述べてみたりしたいのでなければ、そんな簡単なことしか口にできず仕舞いであるとしても、なんの問題がありましょうか?俺は将来、こんな風に他言語ですらすらすら~っと記事を書いてみたいので簡単な表現じゃ満足できないけどね。でも咄嗟に思い浮かぶ言葉が10回連続くらいで「こんにちは、お元気ですか?」くらいのものであったとしても、必ずそれはすべて文字にしている。逆に言えば、その程度のものくらい流暢に表せなくて後々難しい表現が適うと思ってんのか、ということだ。
 ただ、採るべき勉強法は、そのとき教師となってくれている学習書のつくりにもよる。
 上の勉強法は、ポルトガル語の本を読んでいるときのもの。
 ポーランド語の勉強をしているときにはやっていない。いや、生格、じゃない正確にはしていたんだが、やはり俺は生来のものぐさだ。
 俺のポルトガル語の本には、基本的に長文が載っていない。課毎の冒頭に複数の例文が示され、それらの文章で用いられている表現や文法について個別に解説が為されている、という構成だ。
 ポーランド語の本の方にはスキットがある。ひとりの人による記述もあるが、基本的には殆どが会話文だ。
 当然、あとの方のページには複雑な表現が並ぶ。
 全20課あるが、8課くらいまでは最初のページから順に読んでいって学習していた。
 しかし飽きた。
 だから最後の課から逆流していくことにした。
 そうすれば勉強が面白くなるかと思ったかというと-まったくそんなことはない。しかしページの空白をよい具合に埋め尽くすほどの文章群というのは、やはり見ていて心地良い。
 それにしても自分で自分を驚異的だなと思った点がある。
 当たり前のことだが、20課の文章を読むには、文法的知識が不足している。しかし暗記だけでそれすらも乗り越えられる。
 しかも1課丸ごとの暗記に要する時間は僅か30分ほどだ。
 勿論もっと早くに暗記を終えてしまうヤツだっているだろう。
 しかし、20課から・・・今16課なんだが、今のところ30分程度で暗記が適っている。学習開始当初、真面目に最初から読み進めて到達した8課あたりに差し掛かる頃には、暗記に要する時間は当然の如くもっと短くなっているに違いない。
 つまり、1冊に掛ける勉強の総時間が大したことにならないという結果が得られる。
 取り敢えず計算し易いよう、仮に全課30分ずつで終わらせたとすると、所要時間は10時間。そして逆流の内に差し掛かる10課あたりを堺に必ず1課あたりに費やす時間はかなり減るはずなので、実際の所要時間はもっと少ないだろう。これにプラスして文法事項の確認と習得に数時間を掛け、10時間前後になるんじゃなかろうか。ちなみに語彙を増やす努力というのはこれまでに滅多にしたことがないので、表現力アップを謳って設けられている単語表のページはまともに見ないこととする。まぁ、気分にもよるだろうが。
 俺はある1冊のフランス語辞書の付録として載っていた文法解説のページを約4ヶ月間何度もしつこく繰り返し読みまくることで、4年間、フランス人教師との会話も含んだ、大学内での学習に殆ど困らないだけの語彙、文法知識、発音法を得た。
 4ヶ月を費やしひとつの言語の学習書を取っ替え引っ替え読んでいけばどうなる?
 どうなるんだろう?
 どうなるんだろうか・・・。
 実に・・・☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓。
 まぁ、実際のところ、少なくともポーランド語に関して言えば、だが、4ヶ月取っ替え引っ替えはムリそうである。何故なら、そこまで本が手に入らないであろうから。金欠の問題を差し置いても、果たしてこんなに早いペースで学習を進めていった結果、4ヶ月最後の日に至るまで、読み終える毎に新しく本を手に入れられるほど、ここ我らが日本国には日本語で著されたポーランド語の学習書があるのだろうか、ということだ。
 別に4ヶ月に拘らなくてもいいと言えばそうだが・・・謂わば、俺にとっての、言語がある程度習得できるかどうかについて、ひとつの区切りの期間なのだ。
 今にして考えてみれば、4ヶ月ひたすらひとつの学習書を延々と読んでいた、この行為自体が有り得ない。だから今の俺にとっては、そもそも4ヶ月ひとつの言語に打ち込んでみるとどうなるか、を実践することすら不可能に近い。ここまで色んな言語の本を揃えてしまうと、ね・・・(30を超えている)。
 だからこそどうしても考えてしまう。今4ヶ月ずっとひとつの言語をやり続けると、一体・・・。
 さて最後にどうやって暗記しているか、だが、これは至極単純。
 「意味のまとまり毎に覚える」だ。
 以前既に言及しているが、これは長いこと暗記法として揺るぎない効果のある方法であると俺が信じているもののひとつである。まぁ、実際はそこまで大層なものではなく、つまりはさっさと暗記を進めるためにはどうやればいいか、というものぐさ精神の充足に繋がるものでもある。
 それに、分類上、孤立語(中国語など)でない言語の学習中には、こうやって覚えてゆく方がいいに決まっているのだ。
 たとえば、フランス語で「古い」「年をとった」は「vieux(ヴィユー)」と言う。これは原形なので、イコール男性単数形だ。
 では、「男」は「homme(オム)」と言うが、「年寄りの男」は「*(un) vieux homme」かというと、これは間違いで、vieuxの被修飾語となる直後の男性名詞が母音で始まっていれば、「vieil(ヴィエィ)」という特別な形になる。「母音で始まっていれば」、である。「母音で始まっていれば」、ではない。
 そして、形容詞の女性形は大方、原形の語末に-eを付けることによって形成される。たとえばintelligent > intelligente(アンテリジャン > アンテリジャント; 賢い)といった具合で、一方原形が-xで終わっていれば、heureux > heureuse(ウールー > ウールーズ; 幸せな)というように-xが-seに変わるが、vieuxの女性単数形はならば*vieuseか?というとそうではなく、vieuxからではなくvieilから形成され、「vieille(発音はvieilと同じ)」となる。こういうことは辞書やらで数度、実際の使用例を抜きにして言葉とその活用のみを目にするよりも、修飾語と被修飾語のペアを見ながら覚える方が断然ためになる。
 言語の学習法に「正解」はないであろうが、効率良いものであると確信できる方法が見い出せれば、是非ともそれに縋って、できるだけ精神の負担を抑えつつやってゆきたいものである。
 俺はものぐさだから、さっさと覚えたいが為に熱意が楽する方楽する方へと常に向いている。
 今でも、格による曲用の一覧表を作ったりするのは大好きなんだけどね。
 それが苦にならないから、駆け足学習法の欠点を補う術もあって勉強が捗ってるって感じなのかなー。
 では最後に、件のポーランド語学習書・第20課の本文を書き出しときます。こんなものが載ってるんだってことで。

ヤク・シェン・マチェ? ポドブノ・フチョラィ・フ・ポルスツェ・スパドゥ・ピェルフシ・シュニェク
Jak się macie? Podobno wczoraj w Polsce spadł pierwszy śnieg.

フ・ポルスキム・インテルネチェ・ポカザノ・ズディエンチャ・ザシュニェジョヌィフ・ウリツ. チ・イェスト・バルヅォ・ジムノ
W polskim Internecie pokazano zdjęcia zaśnieżonych ulic. Czy jest bardzo zimno?

オト・モイェゴ・ポヴロトゥ・ド・ヤポニイ・ミネウォ・ユシュ・プゥトラ・ミェションツァ
Od mojego powrotu do Japonii minęło już półtora miesiąca.

ヂシュ・イェスト・ピェルフシ・リストパダ - ヴィェム, ジェ・ト・ヂェニュ・フシストキフ・シュフィェンティフ
Dziś jest pierwszy listopada - wiem, że to dzień Wszystkich Świętych.

ヴィェレ・ミ・オポヴィァダノ・オ・ティム・シュフィェンチェ・イ・ジャウイェン, ジェ・ニェ・モゲン・ゴ・ゾバチチュ・ナ・ヴワスネ・オチ
Wiele mi opowiadano o tym święcie i żałuję, że nie mogę go zobaczyć na własne oczy.

ニェダヴノ・フ・ポブリジュ・ナシェゴ・ドム・オトファルト・ノヴィ・スクレプ・ズ・ウポミンカミ
Niedawno w pobliżu naszego domu otwarto nowy sklep z upominkami.

スプシェダヨン・タム・ポルスキェ・ボンプキ・ホインコヴェ! ゾバチフシ・イェ, バルヅォ・シェン・ウチェシワム
Sprzedają tam polskie bombki choinkowe! Zobaczywszy je, bardzo się ucieszyłam.

プシェスィワム・ヴァム・ポズドロヴィェニャ・オト・モイフ・ロヂツフ
Przesyłam wam pozdrowienia od moich rodziców.


 名詞の格毎の特徴的な語形についての記憶はあやふやだし、過去形すらまともに覚えてないけど、ここまでのものが暗記できる。
 この文章、動詞の非人称能動過去形(pokazanoとか)と完了体副分詞(zobaczywszy)が出てきてるんですよ。概念的になんだそりゃって感じなんですが、言葉としては頭に入ってて、取り出せます。
 完了体なんて、初出のページをまだ見てすらいない。
 ロシア語、セルビア語、クロアチア語とやってきてるんで、どういうものかは名前見ただけでわかりますけどね。簡単に言うと、対になるものに「不完了体」ってのがあって、フランス語・travailler(トラヴァイエ=働く)を例にとると、

 不完了体=j'ai travaillé(ジェ・トラヴァイエ=私は働いた)
 -「働いた」という今より過去の動作について言及しているだけで、それが終わったものかどうかについて問題にしていない。たとえば、これを言った時点はサボリ中なのかもしれない。

 完了体=j'ai fini à travailler(ジェ・フィニ・ア・トラヴァイエ=私は働き終えた)
 -働き終えた、今日の自分の仕事はもう終わり、今日はもう働かない、退勤済み。

 ということ-この違いです。
 なんかもうね、勉強が進んでる気がするのなら、これでいいんじゃないのって。

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