ガマルジョバ. トクヴェン・ヤポネリ・ハルト
- გამარჯობა. თქვენ იაპონელი ხართ?
ディアフ. エネッセ・ヴァル. トクヴェン・ラ・グクヴィアト
- დიახ. ენესსე ვარ. თქვენ რა გქვიათ?
メ・ニノ・ムクヴィア. ストゥデンティ・ハルト
- მე ნინო მქვია. სტუდენტი ხართ?
ディアフ, ストゥデンティ・ヴァル. ヅァリアン・サスィアモヴノア
- დიახ, სტუდენტი ვარ. ძალიან სასიამოვნოა.
メツ・ストゥデンティ・ヴァル. ヅァリアン・サスィアモヴノア
- მეც სტუდენტი ვარ. ძალიან სასიამოვნოა.
アルバト・ダグリリ・ハルト
- ალბათ დაღლილი ხართ.
アラ, ダグリリ・アラ・ヴァル
- არა, დაღლილი არა ვარ.
うーん、やっぱりLEXILOGOSは便利だなあ。
ラテン文字を使う言語をタイプする時と同じ感覚で、こうやって文章が作れる。作るといっても、暗記した他人のモノをそっくりそのまま書いてるだけだけどね・・・。「ენესსე(エネッセ)」は勿論俺のことだけど。
それにしてもさ、「ძალიან სასიამოვნოა(dzalian sasiamovnoa)」、この語感めっちゃかっこよくない?日本語で言う「はじめまして」に相当する表現なんだけど、これまでに知った他言語の「はじめまして」で群を抜いて語感に魅力を感じる。他に好きなものといえば、ルーマニア語の「încântat de cunoştinţă(ウンクンタト・デ・クノシュティンツァ)」、ポーランド語の「bardzo mi miło(バルヅォ・ミ・ミウォ)」もなかなか。「クノシュティンツァ」と「バルヅォ」って語感がイイからってだけなんだけどね。
さて、驚くほど濃密な子音クラスターで有名(?)なグルジア語ですが、現在第2課まで読了、この時点ではその特徴はまだまだ息を潜めてるって感じですね。თქვენ(tkven=きみたち; あなた; あなたたち)とかმქვია(mkvia=私は...という名である)みたいに、早くも、広く比較的知名度のある言語では見られないような重子音が登場してはいるんですが、こんなの序の口でしょうね。しかしこの初歩の段にあっても「გქვიათ(gkviat=きみたちは / あなたは / あなた方は...という名である)」の「gk-」という重子音には驚かされる。たとえばフランス語のabsent(アプサン=不在の; b=p)、ポーランド語のw Polsce(フ・ポルスツェ=ポーランドで; w=f)、ロシア語のсказка(スカースカ=物語; з=с)、ハンガリー語のvagytok(ヴァチトク=きみたちは...である; gy=ty)などの様に、有声音と無声音が隣合えば片方が片方に影響されて音の変化が起こるってのが学習上は定石であったものだが。
ところで「სტუდენტი(st'udent'i; t'は帯気音)」は「学生」なんですが、グルジア語でもこう言うんですね。どこから入ったのかな?隣国・ロシアでも「学生」は「студент(ストゥヂェーント)」だけど、ロシア語から入ったってのは有り得るのかな・・・。ちなみに、厳密にはこれは主格で、語幹は「სტუდენტ(st'udent')」です。こう書くとますますどこかで見た語形。「-ი」が主格の指標語尾になってます。
で、第2課に「ეკლესია(ek'lesia)」ってのが出てくるんですが、これはéglise、ἐκκλησία(ekklēsiā)、つまり「教会」です。これも絶対外来語ですね。これも主格形ですが、語幹と形を共有しています。
しかし「車」は不思議な語感をしており、「მანქანა(mankana)」と言います。「車」と言うと、「auto」、「mobile」、「machine」、「car」のいずれかからできてるものばかりこれまで色んな言語で見てきたんですが(フランス語ではautomobile(オトモビル; 原義は「自動で動くもの」)とも言うが、日常的にはvoiture(ヴワテュール)がふつう)、これは新鮮ですね。とは言え、最近学習の優先順位が上の方にあるポーランド語でも「samochód(サモフト)」というこれまたフランス語ないしはロマンス系的でない言葉になってるんですが。ちなみにポーランド語と同じくスラヴ系であるロシア語では「машина(マシーナ)」です。あれ、待てよ。もしかしてმანქანაはmachineからきてるのかな。
とまあ、そんなこんなでグルジア語も楽しんでやっております。
LEXILOGOSの力添えなしでは打てないどころか打つ気もまだしませんが、紙にペンで書くことにはもう早くも大分慣れてきてます。まだ出てきてない字もあるんだけどね。
なんとなくさ、個人的に、「究極の他言語学習」ってのがあるとしたら、それはグルジア語だと思ってるんですよ。なんでなんですかね。何故かは自分でもわからないんですけど。非ラテン文字が正書法に用いられていること、形態論的に膠着語であること、子音クラスターが極端であること・・・とりあえずなんでかなと考えてみて思い浮かんだのはこういったところです。バスク語も難しいとよく言われますが、あっちはまだいいですよ。ラテン文字使ってるんだから。これはホントデカいですよ。まず読めないと学習どころじゃないって、絶対。あああ、チベット語も「究極」入りさせていいかもなあ。一字毎を読む分には事欠かないとしても、言葉って単位になると途端になんて書いてあるんだかって感じだし。読みの規則がないってことではないんだけどね。しかも敬語表現が発達していて、且つ動詞の使い分けに「心情」が関わってくるというなんとも説明し難い特徴がある・・・(少なくともラサ方言には)。正直なんのこっちゃやらでいまだに理解できてません。
まあだからね、まがりなりにも己の言葉として使い始めようと思ったら暗記ってのがイイわけなんですよ。
それを繰り返して理論でなく感覚でいつの間にやら身についた文法要素があるとか、ザラだからね。習うより慣れってやつかね。
ところで「მე ნინო მქვია(me nino mkvia)」は「私はニノといいます」(女性が言っている; 姓・名の内「名」の方の言い方だそう)という意味なんですが、「ニノ」ってのは実在する名なんですね。
荒川アンダーザブリッジがグルジアに輸入されて「ニノ」の名の由来をグルジア人が知ったら、我らの名は日本ではこんなマヌケな理由でつけられるものなのか・・・と多少は複雑な気分になったりするもんなんだろうか?ちょっと興味あるわ。