2012年5月29日火曜日

3日に分けて書くアイヌ語学習成果-1日目: iyairaykere / hunna an?

今日はアイヌ語の学習内容を振り返ってみようと思います。

 今日、注文していたリトアニア語の本を遂に購入しました。リトアニア語入門(ベスト社; ヴァイダ・ヴァイトクテー 監修、ユーラシアセンター 編; ISBNナシ)です。
 数日前、ISBNがない本はどうやってレジ打ちするのかを社員のひとり(女性)に尋ねて、俺がそういう本を買いたがっていることがその人に知られたんで、他の社員にはわけのわからん解釈してるの(男性)がいたんですけど出勤してきて彼女がレジにいるのを見て衝動的に保管してる場所からダッシュで持ち出してきました。
 ついでに、持っていったら俺より後に続いていた一般の客優先に会計すると言われたんで、待たされてる間に店内のおおまかな在庫がわかる検索機を使用して、今日俺15巻がないかどうか見てみたところ-あった!-んで、これもダッシュで取りに行って、2冊同時にお会計。
 記事書いた後読みます!
 俺ね、中野と(片桐)智司好きなんですよ。でも2人とも最近出番少なくてとっても残念・・・だったのが、実は帰宅してからメシ食べるまでの間に15巻パラパラっと目を通したんですけど、その智司が今回は登場してるじゃないですか~!ちょっとだけだったけど・・・。そして中野は13か14巻のどっちかに出てましたね。こいつも1話だけ・・・しかも話の内容がウスすぎるw それにしても、まったく三橋と接点なさそうな女子大生の家に招かれて行ってみるとヤツがいたなんて、そりゃビックリするわな~。
 バクマン。は久々にアツい展開が見られました。週刊やりつつ月刊でも連載か・・・カッコよすぎるぜ。昔は雑誌掛け持ち(しかも異なる出版社の!)で週あるいは月に何本も漫画描いてる人結構いたらしいですね。どんな時代だ。
 ただあのREVERSI、PCPに比べると誕生までの過程が短いのと、漫画の内容があまり具体的に語られていないのでこちらに魅力が伝わり辛く、服部がPCPよりも入れ込んだことについて説得力があまりない気がするんだよなあ。
 刑法に抵触しないとはいえ完全犯罪の達成を根幹に据えた内容から、オファーはあってもアニメ化は絶望的であるとされたPCPですが、完全犯罪が仮に認められても、そもそもすごい地味な作風であり、アニメとして観る価値があまりなさそうなんだよな。REVERSIはREVERSIで雰囲気は暗そうですが、比較的アニメとしては映えやすい気がします。アニメ化なるのか?いや、なったのか?
 与太話はここまでにして、アイヌ語いってみましょう。
 現在6課まで終えていますが、それぞれの課毎の本文がすごく短いので、1課、或いはバスク語でやったように2課ぽっちではいまいち書いてて物足りない気持ちで終わりそうなので、暗記できている6課全課を振り返ってみようかと思います。
 ただ、ひとつの記事で6課も振り返るとなると文章量がもんのすごいことになって時間がかかってしょうがないので・・・「3日に分けて書くアイヌ語学習成果」として記事を作成しようかと思います。
 ちなみに、アイヌ語はアイヌ語で「aynu itak(アイヌ・イタㇰ)」と言います。この「-k」の発音は日本語にはないもので、後述します。
 では魁の第1課。

- topenpe an na. e yan.
- iyairaykere.
- keraan?
- sonno keraan.
- usey e=ku rusuy ya?
- ku=ku rusuy na.
- o.
- hioy’oy.

 アイヌ語の正書法はいまだに定まっていません。
 カタカナかラテン文字かを用いる綴り方が主流のようですが、おそらく有名なのは前者なのではないでしょうか?俺が初めて文字として書かれたアイヌ語を見た際用いられていたのがカタカナだったから、そんな気がしてるってだけなんですけどね。
 CDエクスプレス アイヌ語では、単語や文章はラテン文字で綴られています。そしてカナにも起こされ、併記されています。
 というわけで俺はどっちででもタイプできるのですが・・・そりゃもう勿論、圧倒的にやり易いラテン文字を利用して、このブログでアイヌ語は常に書くつもりです。カナを用いて綴る際必要になるあの小さな文字は、俺のタイピング環境じゃどっかからコピペしなきゃならんしなあ。
 これはつまり、アルバニア語やらバスク語やらの記事でカナを以ってその読みを示していたが、それはアイヌ語に対してはやらないってことです。
 日本語にはない音もありますが逐一言及しますし、基本的にはホントもう、見たまま読んでもらえれば。

topenpe an na. e yan.
お菓子があるよ。おあがり。

 「見たまま読む」ってことは、つまりこの文だとその発音は「トペンペ・アン・ナ. エ・ヤン」とカナで表せるってことです。
 ちなみに、母音が持つアクセントの位置が、フランス語でいうアクサン・テギュで示されるという記述方法があります。「CDエクスプレス」では言及されていなくて、ja.wikipedia.orgで知りました。とは言っても、本でも、文章中には表されていないだけで、課毎に初出の単語の一覧などでは示されています。
 で、まあいつものことなんですけど、発音はあんまり重視せずやってますんで、単語毎のアクセントの位置はあまり真面目に確認していません。なので、「アクセントの位置を明示する記述方法」では「書きたくない」のではなく、「書けません」。
 ただ、アクセントの位置は大方規則的に決まります。あ、ちなみにCDエクスプレスで扱われているのは「千歳方言」なので、勿論これ以外の方言に於いては、アクセントの位置のみならず他の相違点についてはまったくわかりません。
 で、そのアクセントの位置なんですが、①第1音節が開音節、第2音節が閉音節である単語は、第2音節にアクセントを持ち、②第1音節が閉音節である単語は、第1音節にアクセントを持ちます。
 ということは「topenpe」は「topénpe」か?と思ってしまうのですが・・・これは開音節である第1音節にアクセントを持つという数少ない単語のひとつ・tópen(甘い)から成っている言葉で、基本的なアクセントの位置決定の規則は適用されません。その数は、頑張れば1日費やせば暗記が可能であるくらい少ないです。20くらいです、たしか。「発音編」で全例が記されていて、丸暗記せよって書いてあるんだ。俺はこのtopen(pe)以外には2、3くらいしか覚えてません。
 また、単音節の言葉は、単語表でもアクセントが明示されていないので、アクセントがあるんだかないんだかわかりません。CDを聴く限りでは、明らかにアクセントを持っていない単音節の語があるんで、このことを気にするのはムダではないと思います。
 文頭の語が大文字で始まっていないことについてですが、まあ、別にどうでもいいでしょう。それはヨーロッパ的な正書法の内の一規則に過ぎないはずですしね。で、ラテン文字を母語の記述に用いている人々の大方はヨーロッパに影響を受けているので、自然と文章が大文字で始まっている言語を多く見ることになる、と・・・。
 まあ、正書法が定まってないから、全部大文字でもいいし、いっそのことラテン文字でない文字で綴るってのもアリだと、俺は思いますけどね。

топэнпэ ан на. э ян / топенпе ан на. е јан
キリル文字(ロシア語 / セルビア語準拠)とか、

τοπενπε αν να. ε γιαν
 ギリシャ文字(現代ギリシャ語準拠)とか、

تُپِنپِ اَن نَ. اِ یَن 
アラビア文字(ペルシャ語準拠)とか、

טאָפּענפּע אַן נאַ. ע יאַן 
ヘブライ文字(イディッシュ準拠)とか、

դոբենբե ան նա: է յան 
アルメニア文字(西アルメニア語準拠)とか

தொபெந்பெ அந் ந​. எ யந்
タミル文字とか、

तोपेन्पे अन् न​. ए यन्
デーヴァナーガリーとか(サンスクリット準拠; サンスクリットの/o/と/e/は本来は必ず長音)。

 ・・・当たり前のアイヌ語がわかる人に読ませるつもりがないなら。
 さて本筋入るまでにちょっと長くなっちゃいましたね。
 「an」は「...がある」で、これは単数形、複数形は後で(今日、ではない)出てきますが「oka」と言います。「アイヌ語の動詞には単数形と複数形がある」、そして「その語形は「an」と「oka」のように相互に大いに異なる場合がある」、これはアイヌ語学習の際、特に神経を遣って理解に努めなければいけない要素です。
 で、次の「na」は、あちらこちらの文章中に頻出する、アイヌ語のとても日本語的な要素に属する助詞(仮)です。日本語で「あるよ」と言ったときの「よ」にあたります。
 こういった助詞には「na」の他に「ya」、「wa」が学習の範囲内では既出でありますが、この先もっと新しく出てくる予感がします。
 これがアイヌ語文章暗記の最大の弊害になっています。
 語調を和らげたり豊かにしたりと、例文でもよく目にするあたり、アイヌ語に於いてとても大切な要素なんでしょうし、弊害なんて言うのも実は憚れるところなんですが、「この文の最後にあるのはnaだっけwaだっけ?」と、書いていて考えてしまうことがよくあります。「ruwe ne」ってのもあります。で、これに更に「wa」が付いて「ruwe ne wa」になったり・・・。
 「e」は「食べる」です。和訳からわかる通り、「命令形」です。「きみは食べる」だと、「e=e」です。勿論、読み方は「エ・エ」です。「我々は立ち上がる」は「as=as」、「アシ・アシ」です。だから?って?ほら、そこはかとなくおもしろくありませんか?俺は好きなんですけどね。
 「yan」は、上記「na」や「ya」に用法の似た、これ単体では意味を為さない助詞です。ただ、命令表現に伴って登場するものであるという違いがあります。「yan」を付けた方が丁寧な感じが出るそうです。

iyairaykere.
ありがとう。

 「バスク語学習成果」の記事で書きましたね。再びの紹介になりますが、「ありがとう」は「hioy’oy」、「hap」とも言い、この2つは女性が使う表現なんだそうです。どういう由来があるんですかね?
 ちなみに「殺す」を「rayke」と言います。「熊送り」のことを朧気にですが知っているので、「iyairaykere」は「rayke」の派生語なのかとちょっと考えてしまいました。いや、まあ、この疑問はまだ晴らされてないんですけどね。
 ところで何故こんな物騒な動詞を知っているのかですが、アイヌ語には動詞に単数形と複数形という概念があり(その使い分けはヨーロッパの言語的な常識のみを以ってしては語れないが)、ものによっては相互に別々の動詞であるかの如く語形が異なるものがあり、そういった動詞の紹介の際にこの「rayke」が取り上げられていたんです。まぁ、その複数形は忘れちゃったんですけど・・・。ただ、単数形から複数形を規則的に導き出せるものに比べれば確かに単・複別個に暗記が必要になりそうなんですが、確か見た目としては語末の2文字が相互に違うだけなんですよ、ってことは覚えてます。まったく違うものはホントに違いますからね、上で出した「an / oka」や、その他「arpa / paye=行く」、「ek / arki=来る」とか。

- keraan?
- sonno keraan.
おいしい? - とってもおいしい。

 語るべきことが少ない2つの文章を、応答にかこつけてくっつけました。
 一応、「na」とか「ya」を伴う文は、和訳に「...よ」とかを表すように、それらがある場合とない場合で語調を変えて訳しようと思ってます。「sonno keraan na」だったら「とってもおいしい」と書いてたでしょうね。

usey e=ku rusuy ya?
お湯が飲みたいかい?

 この文章、ホントに和訳そのままの語順なんですよ。即ち、「お湯」「きみ(=e=)」「飲む」「欲しい」「かい?」なんです。これもとても日本語的ですね。だからと言って文章が覚え易いかと言うと、俺は正直まあーったく関係ないと思います。個人的に、現にそういう実感があったためしがない。欧米の言語の常識にアタマが侵食されてるからでしょうね、きっと。いいことなのか悪いことなのかは人それぞれ。取り敢えず、俺個人は欧米至上の思想がないってだけで十分だと思ってます。え、どこ至上って?そんなもん日本に決まってるやん。
 アイヌ語には、第6課で「私」が初めて出てきたことからわかるように、人称代名詞もあるようなんですが、同じく第6課でのその「私=kani」の使用例から見るに、それがあろうがなかろうが、動詞の主語は人称接頭辞(だったかな、名前・・・)によって必ず示されるようです。

私は飲む: ku=ku
きみは飲む: e=ku
私たちは飲む: ci=ku
きみたちは飲む: eci=ku

 ※3人称単数を示す人称接頭辞はなく、同複数は未登場なのでどういうものかまだわかりません。
 ※1人称複数の人称指標は、他動詞に対してはその頭に、自動詞に対してはその末尾に付随します。自動詞に付くものについては後日。

ku=ku rusuy na.
飲みたいな。

 今更ですがこの「=」を使う書式、気に入りません。ノートではハイフンに置き換えてます。たまにアポストロフを使ったり、人称接頭辞を動詞に密着させたり、しっくりくる方法を模索中です。
 個人的には人称接頭辞(もしくは接尾辞)は動詞に密着させて書きたいんですけど、そうなると、CDエクスプレス準拠の方式による綴りが示す音と変わる点が生じるのではないかという疑問があって、誰に見てもらうわけでもないノートの上であってもそうやって書く気にいまいちなれないのです。
 たとえば、「ku=iwanke(私は元気だ)」の「ku=」と「i-」の間では、声門を一瞬閉鎖するのが正しい発音なのでしょうか?それとも、「ku=i-」は、「kuy」に等しいのでしょうか?もしそうであるとすると、人称接頭辞と動詞の語頭は機械的に接続できないことになります。この「iwanke」なら、「kuywanke」、「eywanke」などと書かねばならない。
 ただ、文字は所詮文字です。単なる記号です。言語の本質は音であり、「=」は人称接頭辞が動詞の一部でないことを便宜的に示しているだけなのかもしれません。
 それならそれでいいのですが、もし違うのなら、人称接頭辞(単音節でないものはその語末)の母音と、動詞語頭の母音の間は声門閉鎖を挟む必要があると誰かに説いて欲しいところです。
 フランス語のアンシェヌマンのように、2つの単語同士の語頭と語末が結合してあたかも1つの言葉であるかのように聞こえる現象は、それを避けねば語や表現の解釈に間違いが生じる場合、その他に特別な理由がある場合を除けば、口と舌の動くまま声帯の震えるままに自然と行われるものです。
 尚、アイヌ語に於いては、アポストロフを使って、綴りの上で発音に於いてイアテュスが避けられていることを明示することができます。たとえば、「hioy’oy」なんかがその好例です。これにアポストロフがないと、「ヒオーイヨイ」になるわけです。

- o.
- hioy’oy.
どうぞ。 - ありがとう。

 これも、2つの文章がそれぞれいずれも一単語のみで構成されているので、ムダを省くために一行に纏めました。
 ところでこの「hioy’oy」に使われているものに限らず、アイヌ語タイプに於いてはアポストロフは意図的に全角で打つことにしてます。この形が好きなんですよ~。「'」はダメです。ちなみに今のところ、語中の声門閉鎖が明示されている言葉で知っているものはこの「hioy’oy」だけです。
 そういえば、hioy’oyの音写を「ヒオーイオイ」と書いてますが、これは本のカナ転写に準拠しています。また、CDでも、明らかにhioy-のoは長いです。
 ラテン文字からはわかりませんよね。やっぱカナで発音書いた方がいいかなって気がしてきてます。もうここまでカナ抜きで書いてきてるから、追加がメンドくさいので少なくとも今日はこのまま通しますが。
 では本日を〆る第2課。

- hunna an?
- Yosiko ku=ne ruwe ne.
- Yosiko e=ne ruwe?
- ruwe un.
- ahup wa sini yan.
- e.
- e=iwanke ya?
- ku=iwanke wa.

 1課よりは長いけど、単語の繰り返しが多くて覚える必要のある言葉は少ないです。

- hunna an?
- Yosiko ku=ne ruwe ne.
どちら様? - ヨシコです。

 うん、語るべき要素が多いにせよそうでないにせよ、短い2つの文章はこうやって書いた方がいいやね。
 「hunna an?」は、直訳すると「誰がいる?」です。
 さて、他者の家を訪ねるというこの場面にちなんだ話をおひとつ。
 少なくとも、俺が読んだことのあるCDエクスプレスシリーズでその内容を覚えている「現代ヘブライ語」、「ペルシア語」、エクスプレスシリーズ「イディッシュ語」(これ「ニューエクスプレスシリーズ」にならねえかなあ・・・)に於いては、その言語を話す人たちの文化についてのコラムがいくつか読めます。「CDエクスプレス アイヌ語」も同じくそう編集されているのですが、アイヌ人についての情報が大勢の現代日本人にとって一般的でない今、それに言及されている箇所の面白さはとても新鮮です。
 アイヌ人は、他人の家を訪ねると、その辺のものを叩いて音を出したり咳払いをしたりして家の者が己に気づくのを待ち、訪問を受けた側は客を認めると家の中を片付けて迎える環境をつくり、それから中へ招き入れるそうです。また、日本語の「こんにちは」にそっくりあてはまる表現がないそうで、それも家を訪ねた際にかけるべき声を持たないことに関係しているみたいです。
 あ、ちなみに「CDエクスプレス アイヌ語」の著者は生粋の日本人で、CDへの吹き込みを行なっているのもこの人です。
 「Yosiko」の語頭が大文字ですが、本では固有名詞の語頭はこのように大文字で書かれています。他に、「Sapporo(札幌)」、「Nupurpet(登別)」など。また、アイヌ語に元来ない言葉は単語丸ごと大文字で書くことでそれを示しているようで、「EIGA(映画)」、「GAKUSEI(学生)」などがこれに該当します。
 既述の通り、人称接頭辞「ku=」は「私は」にあたりますが、たとえば「私はヨシコです」を「ku Yosiko ku=ne」とは言いません。上で書いた通り、人称代名詞としての「私」は「kani」であり、これの初出は第6課ですが、「私」を主語に持つ動詞はそれまでに何度も出てきました。主語が動詞に付く人称接頭辞で判別可能であるという文法の一要素は、独立した語としての1人称、2人称の明示の省略が可能であることを証明しています。
 故に、「私はヨシコです」と言う際、アイヌ語では「私は」という人称代名詞は省略されても問題なく、結果的に、「ヨシコ 私はです」と書かれているかのような語順になります。
 たった第6課に至っただけですが、人称接尾辞の重要性は既に身に染みて理解できています。アイヌ語の動詞は、unë jam, ti je、ni naiz, hi haizなどというような活用こそしませんが、その使用に於いては主語が必ず判るようになっているのです。
 「ruwe ne」は、直前に述べたことを断定する働きがあるそうです。
 ただ、これにしても「na」や「wa」にしても、時折、意味よりも己にしっくりくる口調や、会話の流れでの小気味良いテンポを保つことを優先して挿入されている気がするんですよね。
 実際、このruweを用いての疑問文「Yosiko e=ne ruwe?」と、用いずの「Yosiko e=ne ya?」、「Yosiko e=ne?」の2つは、使い分けの意味がない程度の違いしかないようですし。

- Yosiko e=ne ruwe?
- ruwe un.
ヨシコなのかい? - そうだよ。

 そういえば今更だけど、・・・って切り出し方が多すぎて反省してまーす。
 で、今更だけど、「si」と書いて日本語発音の「シ」と酷似した音を示します。それで「Yoshiko」と書く必要がないわけですね(というか日本語をラテン文字で表記する際の手法なのでアイヌ語の綴りと混合させて考えること自体が間違い)。
 上で「我々は立ち上がる=as=as」と書いたのを覚えてますか?アシ・覚え・・・なんでもないです。
 「as」の音を「アシ」と表現しましたが(本に厳密に沿うと「アㇱ」)、ヘボン式ローマ字表記で「ashi」に等しいわけでなく、この「シ」は謂わば、「シ」から声帯を震わせて出す「イ」の音を除いたような音です。
 上でも述べたように、「Yosiko e=ne ruwe?」でも「Yosiko e=ne?」でも意味は同じですが、一応の知識として、平叙疑問文はその語末に「ruwe」を追加することで形成することもできると覚えておきましょう。
 そして「ruwe疑問文」(勝手に命名)に対する返答が、「ruwe un」です。まるで日本語の返事、「うん」みたいですね。

- ahup wa sini yan.
- e.
入って休みなさい。 - うん。

 動詞複数形の指標のひとつに、語末の-pがあります。この「ahup」も複数形です(単数形はahunだったっけ・・・)。第6課で初めてそうだとわかりました。複数形を持たない動詞もあります。「sini」が複数形かどうかは忘れました。
 で、動詞が複数形として用いられる条件として、様々な言語でよく見られるように、その主語が複数であるかどうかという区別がありますが、・・・当然ながら、ヨシコは独りです。
 もうひとつの条件は、動詞が示す動作が複数回行われるかどうか、ですが、これが自動詞の複数形に関係あるのかどうかはわかりません。今のところこれが影響して複数形として登場した動詞は他動詞だけです。

 su ku=huraye kusu wa cep poronno ku=huraypa.
 私は鍋を(1回)洗って、魚をたくさん(何度も)洗った。

 ※cep: 魚、poronno: たくさん(形容詞ではない。というかアイヌ語に形容詞はない)
 ※動作が現在のものであるか過去のものであるかは、動詞単体の語形上は判別できません。

 まあつまりどーゆうこっちゃい。今んところは不明な文法規則が働いてる「ahup」(と、もしかすると「sini」も)です。
 そしてこのように、命令文に於いて動詞は人称接頭辞抜きで用いられます。勿論、相手が複数いて、且つ命令に使う動詞に複数形があれば、動詞は複数形に変えて口にします。

 apunno paye yan.
 気をつけて行きなさい。(=さようなら)

 ※paye: arpa複数

 「ahup」の「-p」の読み方について。英語の「type」を正しく発音してみましょう。最後は息が口から漏れますね?声も共に漏れるヤツはやり直し!で、次は息を漏らさず、口を閉じたまま発音を終えてください。そのときの「-pe」が、アイヌ語の単語末の「-p」です。他、「-k」(ekなど)、「-t」(Nupurpetなど)も、息を漏らさず、発音の構えを口で作ったまま終わることで表現される音です。
 「wa」は、和訳からすると、文字としては明瞭に表れていない「そして」を意味するものかと解釈しそうになりますが、「...して」という意味を持つそうです。動詞の後だけにつくモノ?つまりは「そして」なんじゃないの?どちらもまだ判然としません。ただ、「そして」という和訳がそっくり充てられている言葉はいまだに登場していません。
 「e」の用法なんですが、これは疑問副詞のない平叙疑問に対する答えとしては、本来使わないそうです。たとえば真下の文では、「元気かい?」と尋ねられて、「e.」と答えていない。このように、質問に使われた言葉を用いて答えるのが「アイヌ語らしい」作法なんだそうです。但し、最近は、答える側が内容の反復をせずに「e.」と返すことも多くなっているんだとか。他文化-というか日本語の影響なんでしょうねえ。
 尚、この「e」は、本では「エー」と音写されています。何故長音として表現されているかについての理由が書いてあったんだけど、忘れチャッタ・・・。

- e=iwanke ya?
- ku=iwanke wa.
元気かい? - 元気だよ。

 なんかもう、上でぐちゃぐちゃ語ってる際に出したんで、いいですよね。
 「na」と「wa」の使い分けですが、いずれも「...よ」と訳せることに加え、「na」の方は、「...よ、だから...」と、「発せられない要求」を示す機能があります。たとえば、第1課一発目の文、「topenpe an na. e yan.」は、厳密には、「お菓子があるよ、(だから)おあがり」を意図した表現です。

 wakka ku=ku rusuy na.
 水が飲みたいな(、だから持ってきて)。

 まあ、この「発せられない要求」が実際通じるものかどうか、そしてこういう言い方は時と場合によって失礼にあたるのではないかと、色々考えさせられる用法ではありますね。
 「あっそ、自分で入れてきたらいいじゃん」ってアイヌ語で言えるようになれたら一人前ってことにしようかなw

 明日は非番なんでたぶん2日目書きます。

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