Labas vakaras!
・
・
・
ゑ?
リトアニア語タイプに備えて、自由に書ける言葉を覚えることにしました。
チェコ語キーボードを使おうと思ってたんですが、「ū」が出せないんですね~実は。この字以外はカンペキなんですが。
というわけで、リトアニア語キーボードを用意しました。まぁ、使い辛いですけどね。俺は字母をタイプした後に記号を後付けする方式の方が性に合ってるんですよ。このキーボードの場合は、F1のある列の真下、数字の列を利用して
が打てます。
ą /aː/|č /ʧ/|ę /ɛː/|ė /eː/|į /iː/|š /ʃ/|ų /uː/|ū /uː/|ž /ʒ/
が打てます。
まぁ、背に腹は代えられんってことで。慣れていくっきゃないですね。
新しい言語をタイプする際、練習に利用するのは専らWikipediaですね。且つ、タイプしたい言語で書かれたWikipediaの、「Wikipedia」の記事を模写することが多いです。チェコ語キーボードでは文字が不足していることに気づけたのは、lt.wikipedia.orgのトップページにある新着記事をタイプしていたときですが。
今のところの使い辛さとは別に、このキーボードにはひとつ困ったことがございまして、何故か「!」が出せないんですね~どゆこと?リトアニア語をタイプする際は、本の内容を暗記してここに書き出すときも、「!」抜きで綴っていくことになるのかなと思ったのですが、後述するように、ここでのリトアニア語文はキーボードを切り替えてのタイプが必須となるので、「!」も、他のキーボードに頼って打つことにします。
さて、リトアニア語のタイピングに備えて、ってのは、他でもない、ここに書くときのためです。
ネット上のリトアニア語文章と、リトアニア語入門内の文章とでは、書法に違いがあります。
リトアニア語には、高低アクセントがあります。そう、チベット語とかベトナム語とかにあるあれみたいなやつのことです。「声調」とは書いてなかったので、性質が同じものなのかはわかりませんが。付属CDもまだ聴いてませんし。
lt.wikipedia.orgの文章を見るに、普通は字として明示しないもののようですね。
たとえば、「jūs(ユース; =あなた s.n.)」という言葉があります。これにつくアクセントは「上昇アクセント」で、「 ̃」で表すことができます。
しかし、これに限らず、リトアニア語のあらゆるアクセント記号は、リトアニア語キーボードでは打てません。
となると、己のタイプに於いて単語毎のアクセントを示したければ、リトアニア語キーボードのみの使用では事足りません。
どうするかと考えて、すぐ思いついたのが、ベトナム語キーボードを利用する方法。
古典ギリシャ語に、「ἀδελφή(アデルペー; =姉妹)」という言葉があります。これの双数主格形は「ἀδελφά」であり、音は「アデルパー」の如くです。この言葉や、その数・格を知らなければ、語末のαが長音か短音かが判らないので、初見では正しく読めません。ギリシャ語キーボードではマクロンも打てますが、「ἀδελφᾱ」とは絶対に書くべきではありません。
古典ギリシャ語では、η(ē)とω(ō)は常に長音(現代ギリシャ語ではそれぞれ/i/と/o/、短音)で、他の母音・α(a), ε(e), ι(i), υ(y; フランス語のu、ドイツ語のü、現代ギリシャ語では/i/、位置によって/f/または/v/)は、その位置や、格の語尾として用いられている場合はその格がなんであるかによって長いか短いかわかることもありますが、そうでないことも往々にしてあります。
たとえばπίπτω(ピープトー; =(私は)倒れる; 直説法能動態現在1人称単数)のιは長いですが、綴りからはわかりません。しかし、マクロンを付けてπῑπτωと書くと、アクセント記号が付けられません。アクセントと、単語語頭に付く気息記号(ἀδελφήの語頭ἀの上についているもの)の明示は古典ギリシャ語での必須要素なので、マクロンの優先は有り得ません。
ギリシャ語キーボード単体を使っては、アクセント記号と気息記号をマクロンと重ねて書く方法はありません。
しかし、ベトナム語キーボードを併せて使ってみると、「ἀδελφᾱ́」という具合に、大分不恰好ですが、一応、マクロンともうひとつの共存が適います。
リトアニア語の「u」と「ū」は、「c」と「k」-同じ音を示すが別個の字-のように、互いに異なる字母であり、この2つともがリトアニア語字母総数の増加に貢献しています。「jūs」のアクセントを示すつもりで「jũs」と打ってしまえば、これは「jūs」とは異なる言葉を書いたことになります(ちなみに実在しているのかどうかは知らない)。
となると、「jū̃s」と書かなければならない。こちらは「ἀδελφά」に比べると、非の打ちどころがないキレイな表示が実現できていますね。
・・・と、まあ、一応ベトナム語キーボードの有用性を語ってみたところで、非常に残念な点についての言及もせねばなりません。
かなり前、ベトナム語のことを記事にしていた頃書いたことなんですが、何故かベトナム語キーボードでタイプすると、たとえば「ĩ」と表示されるべきものが「 ĩ」となってしまったりします。
jū̃sがキレイに表示できると言いましたが、実際にはūのように上部或いは下部に記号を持つ母音にアクセント記号を付けるとき、或いは子音にアクセント記号を付けるときのみ利用価値があるのです。とはいえ、これらを実現させるために利用できるものは今のところ俺が知るかぎりベトナム語キーボードだけなので、これが非常に役に立つということに変わりはありませんが(たぶん、ネット上のどこかにはアクセント付きで文字を紹介しているサイトがあると思うのでコピペって方法も・・・もちろんあったところでやるわけない)。
jū̃sがキレイに表示できると言いましたが、実際にはūのように上部或いは下部に記号を持つ母音にアクセント記号を付けるとき、或いは子音にアクセント記号を付けるときのみ利用価値があるのです。とはいえ、これらを実現させるために利用できるものは今のところ俺が知るかぎりベトナム語キーボードだけなので、これが非常に役に立つということに変わりはありませんが(たぶん、ネット上のどこかにはアクセント付きで文字を紹介しているサイトがあると思うのでコピペって方法も・・・もちろんあったところでやるわけない)。
結局、アクセント記号を振る大半のケースに於いて、Lexilogosのオンラインキーボードに手助けしてもらったり、他のキーボードでアクサン・テギュやグラーヴを付ける必要があります。
言わずもがな、キーボードを切り替えながらのタイプは非常に面倒臭いので、できるならアクセント記号は振りたくありません。更に、アクセント記号を示さないことが一般的であるなら、まとまったリトアニア語文には付けないのが正規の書法であると言えるでしょうし、個人的には正規のものであるかもしれないそちらを尊重したいと思います。
ただ、一旦全文を書いた後、文章を一本ずつ見ていく段、解説の際に改めて単語にアクセント記号を付記することには抵抗感は湧かないでしょうし、「解説」に形を変えた学習成果の確認を行うならば、アクセントについてであろうがなんであろうが、知識のすべてを駆使して様々に言及できる方が学習に実りがあったと実感できるはずですね。
では、当ブログ初のリトアニア語タイプといきましょう。
第1課は挨拶の列挙だけで構成されているので、全文書き出しは行わず、最初から各文をバラバラに見ていこうかと思います。
ラーバス・リータス
Labas rytas!
おはよう。
※lãbas: 良い、rýtas: 朝(m.)
さて、意味は読んで字の如く、単語毎の意味も同じくなので、アクセントについて話してみます。と言っても、まだまだ知らないことが多いんですけどね。ちゅーのも、いつもの如く「ちゃんと読んでない」からw
リトアニア語のアクセントは「短アクセント」、「上昇アクセント」、「下降アクセント」の3種類があります。「labas」のアクセントは上昇アクセント、「rytas」は下降アクセントです。この課だけですべてのアクセントが出てきます。
アクセントの性質は、短アクセントのある母音は短く、下降アクセントと上昇アクセントは長いです。「labas」の第1音節の長さはそれで説明がつくのですが、「rytas」のyが長いのは、そもそもリトアニア語のyが「長いi」を示すからでもあります。
声のピッチの位置は、上昇アクセントのみ、低いところから始まり高いところへ、他の2つは、高いところから低いところへ声の調子を変えて発音します。短アクセントはその短さからすぐに声を低くして、長アクセントはある程度の長さを高ピッチで保った後、急にトーンを落とします。
上昇アクセントは、波打つ見た目の「 ̃」から、中国語やベトナム語にあるような、同じ記号で示される声調を連想してしまいますが、低いところから高いところへ昇るというだけです。つまりは、「上昇アクセント」、なわけですね。
そして下降アクセントの記号は、先の2つの言語の声調記号に倣うならば下降とは逆のものを示していそうなものですが、改めて考えてみてください。この記号、普通は上から下へ書かれますよね?まあその書き方から「下降」のアクセント記号として採用されたのかどうかは神の、いやリトアニア人のみぞ知るところですが、下から上で払うようには書きませんし、「下降」として表現されていても納得いくものではあります。特定の二重母音の下降アクセントとして表示される場合は、短アクセントと同じく「`」と書かれます。
そして下降アクセントの記号は、先の2つの言語の声調記号に倣うならば下降とは逆のものを示していそうなものですが、改めて考えてみてください。この記号、普通は上から下へ書かれますよね?まあその書き方から「下降」のアクセント記号として採用されたのかどうかは神の、いやリトアニア人のみぞ知るところですが、下から上で払うようには書きませんし、「下降」として表現されていても納得いくものではあります。特定の二重母音の下降アクセントとして表示される場合は、短アクセントと同じく「`」と書かれます。
先に書いたように、リトアニア語では、字母として、短母音と長母音が厳密に区別されています。 長母音は短アクセントを持たないのかどうかが気になるところですが、それはまだわかりません。「長」母音に「短」アクセント・・・普通に考えたら矛盾が発生する組み合わせではあるが。
ラバ・ディエナ
Laba diena!
こんにちは。
※labà: dienaを修飾、dienà: 日(f.)
さて、labasが文法性によって語形を変えてしまいました。
今タイプして初めて気づいたんですが、labaと、これに修飾されているdienaのアクセントは、いずれも短アクセントであり、位置もウルティマにあるという共通点がありますね。
格などによってアクセントの位置や性質が変わると読んだときは青ざめましたが、その変化にはある程度の規則性がありそうなので、救われた気分w
格などによってアクセントの位置や性質が変わると読んだときは青ざめましたが、その変化にはある程度の規則性がありそうなので、救われた気分w
ラーバス・ヴァーカラス
Labas vakaras!
こんばんは。
※vãkaras: 夜(m.)
そして記事冒頭の挨拶。残念ながら、アクセントを明示すること以外に言及すべき箇所がない。
いや、まあ実は、この第1課から、名詞の単数属格と、曲用タイプが既に示されているんで、それも併記すべきなんですけどね・・・例によってちゃんと見てないから覚えてないっていう。
いや、まあ実は、この第1課から、名詞の単数属格と、曲用タイプが既に示されているんで、それも併記すべきなんですけどね・・・例によってちゃんと見てないから覚えてないっていう。
ラバーナクト
Labãnakt!
おやすみなさい。
これは、laba-と-naktの合成語である気がするですが、どうなんでしょう。本には何も書いてありません。
他の挨拶と同じく下部に再び「labanakt」と書いてもこの場合はムダである為、アクセントを付けてあります。
次来ているのは「Labas!」という挨拶なのですが、見ての通り、形容詞「labas」を単体で使っているというものなので、特別なスペースは設けないことにします。ニュアンスも察しがつくと思いますが、砕けた感じがあるそうです。1日中使える挨拶です。
カイープ・ギーヴーオヤテ
Kaip gyvuojate?
お元気ですか?
※kaĩp: どのように、gyvúojate: 暮らす(2pl.)
これも定番の挨拶ですね。また、2人称複数形が、フランス語などに於けるそれと同じように、あらたまった調子を表現しているのも定番の文法要素。ちなみに原形もちゃんと載ってるんですが・・・もう言わなくてもいいですヨネ、何故ここに書いてないかはw
尚、次の挨拶は「kaip gyvúoji?」で、上のものより砕けた語調だそうです。動詞が示している人称・数は同じのようなんですが、2人称複数形に「丁寧形」と「くだけた形」があるってことなんでしょうか?つうか、「-ji」は形からしてもしかして2人称単数形なんじゃないのか?本曰くの「くだけた表現」なんて説明の仕方じゃ却って混乱するわ。
アーチウー, ゲライー. オー・カイープ・ユース
Ãčiū, geraĩ. Õ kaĩp jū̃s?
ありがとう、元気です。ところであなたはどうですか?
これも読んで字の如くの意味なので、単語毎のスペースは取りません。jūsは上で出てますしね。一応言っておきますが、geraiは副詞です。
アーチウー・ラバイー
Ačiu labai.
どうもありがとう。
※labaĩ: とても
直上とそのまた上の文章は質問と応答として対の表現になっていましたが、こちらはそれは2つとは無関係です、念のため。これは次と対になっています。
プラシャウー
Prašau.
どういたしまして。
はい、「プラシャウー」なんですが、語末のuが長音である根拠は今のところ見つかっていません。よって、本が書いているまま覚えるしかないものです。そもそも、アクセント記号が明示されていませんでしたが、そういう言葉もあるということなんでしょうか?
ところで、これを見て、ポーランド語のprzepraszam(プシェプラシャム)という言葉を思い出しました。意味は「ごめんなさい」なのでprašauに対応する言葉というわけではないのですが、バルト諸語はスラヴ諸語にとても大きな影響を受けているらしく、この言葉がその表れをある程度証明しているかどうかはまったく不確かであるものの、なんだか「なるほどなー」と思ってしまったのでした。
スディエー
Sudiẽ(u)!
さようなら。
本にこう書いてあるんです。この言葉の語末のuは省略されがちってことなんですかね。
イキ・パスィマーティーモ
Ikì pasimãtymo!
またね。
※直訳は「会うまで」; cf. ロシア語・до свидания
ikiの要求する格はなんなのか、pasimatymoの原形(主格)はなんなのか、どっちもまともに確認してなくてさっぱり覚えてません・・・。文法性は確か男性です。
gyvuojate(gyvuoji)についてもそうですが、原形の確認はちゃんとするようにして、次からはちゃんと書けるようにしたいです・・・。
さて、では、アイヌ語2日目、3課&4課!
今回から書き方を少し変えます。
まず、動詞に密着する人称接頭辞(或いは接尾辞)が母音同士の衝突を起こそうがどうしようが、「=」はもう挿入しません。人称接頭辞は動詞には必ず必要だし、「=」がいっぱいになる、そして俺はその見た目が実に気に入らん。もう知らん。
そして固有名詞の語頭も大文字にしません(上記文章では「nupurpet=登別」が該当)。
これらは俺がノートに書いている際の手法です。
正書法が定まってないんだからどう書いてもいいじゃん!って考えの元にこう書いているわけじゃなくて、自然とペンではこういう風に綴るようになってしまっていたのです。
あと、アイヌ語の主流表記のひとつ、カタカナを併記するようにします。なんとなくです。他の言語でも仮名で音写やってるから、もうそれだけでいいです。見た目の問題です。たぶん。知らん。
ところで今回は兄弟の会話です。和訳はその間柄のものとしては不自然かもしれませんが、人称など、和訳に反映させられるものは可能な限りそうしたいので、こういう文体になっています。・・・と言うとそれなりに考えて書いてるように見えますが、たぶんに気まぐれです。1課、2課の和訳はかなりくだけて書いてましたしね。
では語毎に見ていきましょう。「or un」と併せて書いて「...へ; ...に」を意味します。別の課で出てくるんですが、同じ意味で「or ta」(「オッタ」と読む)というものもあり、使い分けの根拠は今のところはわかっていません。
他の言葉は既出なので割愛。nisattaは和訳の通り「明日」。
否定の言葉が出てきました。この言葉で否定されているものは今のところ動詞だけなので、名詞に対しても使えるのかはわかりません。何故いちいちそんなことに考えが及ぶのかというと、名詞の否定がいまだに登場していないのと、大学で教わったインドネシア語がそういう言語だったもので。
一例として「usey kuku rusuy na.」という文に於ける品詞の語順が日本語の如くそっくりそのまま「お湯(が)-(私は)飲み-たい-な」となっているアイヌ語ですが、否定副詞(便宜上敢えてこう言います)は日本語と違い、動詞の前に置かれます。
「karpa」の「k-」は「ku」が縮んだもので、動詞の語頭が母音である場合にはこうして縮約が起きます。ただ、昨日の「ku=iwanke」という組み合わせが示していたように、動詞がiで始まっている場合は、縮約は起きません。
「なん-で」(何-故)という疑問の構成も日本語と同じですね。このように、kusuは「...の為」を意味し、その性質は所謂前置詞のようなものであるとも、接続詞であるとも解釈できます。「...故」にあたる「...の為」だけでなく、目的としている動作の後について「...をするために」を意味する際にも用いられます。
さて、直前の文章で動詞の前に出てきた否定副詞ですが、今回は動詞の後に出てきています。こういう使い方もあります。また、somo kiは、否定を意味する言葉の前によく置かれる、「ka」に導かれることもあります。
ヘマンタ・クス・エアㇻパ・カ・ソモ・キ
hemanta kusu earpa ka somo ki?
(意味同上)
タネ・エイガ・クヌカㇻ・クス・カㇻパ・カ・エアィカㇷ゚・ナ
tane eiga kunukar kusu karpa ka eaykap na.
今私は映画を観には行けないんだよ。
※tane: 今、nukar: ...を見る、eaykap: できない
- nisatta nupurpet or un earpa ya?
- somo karpa wa.
- hemanta kusu earpa somo ki?
- kusinki kusu somo karpa rusuy.
- hemanta eki wa esinki ya?
- numan kusinot kaspa ruwe ne wa.
今回から書き方を少し変えます。
まず、動詞に密着する人称接頭辞(或いは接尾辞)が母音同士の衝突を起こそうがどうしようが、「=」はもう挿入しません。人称接頭辞は動詞には必ず必要だし、「=」がいっぱいになる、そして俺はその見た目が実に気に入らん。もう知らん。
そして固有名詞の語頭も大文字にしません(上記文章では「nupurpet=登別」が該当)。
これらは俺がノートに書いている際の手法です。
正書法が定まってないんだからどう書いてもいいじゃん!って考えの元にこう書いているわけじゃなくて、自然とペンではこういう風に綴るようになってしまっていたのです。
あと、アイヌ語の主流表記のひとつ、カタカナを併記するようにします。なんとなくです。他の言語でも仮名で音写やってるから、もうそれだけでいいです。見た目の問題です。たぶん。知らん。
ニサッタ・ヌプㇽペッ・オルン・エアㇻパ・ヤ
nisatta nupurpet or un earpa ya?
明日きみは登別に行くのかい。
ところで今回は兄弟の会話です。和訳はその間柄のものとしては不自然かもしれませんが、人称など、和訳に反映させられるものは可能な限りそうしたいので、こういう文体になっています。・・・と言うとそれなりに考えて書いてるように見えますが、たぶんに気まぐれです。1課、2課の和訳はかなりくだけて書いてましたしね。
では語毎に見ていきましょう。「or un」と併せて書いて「...へ; ...に」を意味します。別の課で出てくるんですが、同じ意味で「or ta」(「オッタ」と読む)というものもあり、使い分けの根拠は今のところはわかっていません。
他の言葉は既出なので割愛。nisattaは和訳の通り「明日」。
ソモ・カㇻパ・ワ
somo karpa wa.
行かないよ。
否定の言葉が出てきました。この言葉で否定されているものは今のところ動詞だけなので、名詞に対しても使えるのかはわかりません。何故いちいちそんなことに考えが及ぶのかというと、名詞の否定がいまだに登場していないのと、大学で教わったインドネシア語がそういう言語だったもので。
一例として「usey kuku rusuy na.」という文に於ける品詞の語順が日本語の如くそっくりそのまま「お湯(が)-(私は)飲み-たい-な」となっているアイヌ語ですが、否定副詞(便宜上敢えてこう言います)は日本語と違い、動詞の前に置かれます。
「karpa」の「k-」は「ku」が縮んだもので、動詞の語頭が母音である場合にはこうして縮約が起きます。ただ、昨日の「ku=iwanke」という組み合わせが示していたように、動詞がiで始まっている場合は、縮約は起きません。
ヘマンタ・クス・エアㇻパ・ソモ・キ
hemanta kusu earpa somo ki?
なんで行かないの。
「なん-で」(何-故)という疑問の構成も日本語と同じですね。このように、kusuは「...の為」を意味し、その性質は所謂前置詞のようなものであるとも、接続詞であるとも解釈できます。「...故」にあたる「...の為」だけでなく、目的としている動作の後について「...をするために」を意味する際にも用いられます。
さて、直前の文章で動詞の前に出てきた否定副詞ですが、今回は動詞の後に出てきています。こういう使い方もあります。また、somo kiは、否定を意味する言葉の前によく置かれる、「ka」に導かれることもあります。
ヘマンタ・クス・エアㇻパ・カ・ソモ・キ
hemanta kusu earpa ka somo ki?
(意味同上)
タネ・エイガ・クヌカㇻ・クス・カㇻパ・カ・エアィカㇷ゚・ナ
tane eiga kunukar kusu karpa ka eaykap na.
今私は映画を観には行けないんだよ。
※tane: 今、nukar: ...を見る、eaykap: できない
クシンキ・クス・ソモ・カㇻパ・ルスィ
kusinki kusu somo karpa rusuy.
疲れてるから行きたくない。
「ある動作+したい」という表現に於いて、否定詞は「行く」の方に寄っていることに注目。フランス語なんかだと、したい(vouloir)動作を示す不定詞にではなく、「したい」という言葉の方に寄りますし、日本語で言う「行きたくない」も、「行く」ことにではなく「したい」方に否定が用いられているように思います。
ジュ・ヌ・ヴー・パ・ザレ・アヴェク・トゥワ・オ・レストラン・ア・ディネ
Je ne veux pas aller avec toi au restaurant à diner.
お前と夕食食べにレストランなんか行くか!
※veux: vouloir(ヴルワール)直説法現在1人称単数; vouloirは条件法(上記文章の場合はvoudrais)で用いないと、願望の否定を失礼なほど強く表現してしまいます。
ジュ・ヌ・ヴー・パ・ザレ・アヴェク・トゥワ・オ・レストラン・ア・ディネ
Je ne veux pas aller avec toi au restaurant à diner.
お前と夕食食べにレストランなんか行くか!
※veux: vouloir(ヴルワール)直説法現在1人称単数; vouloirは条件法(上記文章の場合はvoudrais)で用いないと、願望の否定を失礼なほど強く表現してしまいます。
ヘマンタ・エキ・ワ・エシンキ・ヤ
- hemanta eki wa esinki ya?
何をして疲れてるんだい。
ヌマン・クシノッ・カㇱパ・ルウェ・ネ・ワ
- numan kusinot kaspa ruwe ne wa.昨日遊びすぎたんだよ。
「hemanta...」の方は解説なし。
「明日」は「nisatta」、「昨日」は「numan」、そして「今日」は「tanto」と言います。tantoは、「tan=この」+「to=日」という構成であることに、本に言及はなくともそれぞれの語を別々に学んだことで気づくことができました。
nisattaの-taはtoに関係している?nisatta、numan両方共n-で始まることには理由がある?と、小さなことですが興味は尽きませんね。そういやダイハツ工業の「タント」って車ありますよね。まぁ、まさかアイヌ語から取ってるわけじゃないでしょうが・・・「今日」という言葉には含みが多いですからね、なんか印象が良くなりました(別に悪かったわけじゃありませんがw)。
「sinot=遊ぶ」は自動詞です。「サッカーをして遊ぶ」といった言い方はアイヌ語じゃできるんでしょうかね?uturano(一緒に) sinotas(我々は遊ぶ) kusu...うんたらって言い方になりそうな気が。
「kaspa」は「...しすぎる」です。ホント、日本語の語順そのままに覚えられる易しい構文です・・・と一旦考えましたが、世界で話者数の多い言語の大抵が「...すぎる」を動詞に後置させてますよね、たぶん。
また、昨日チラっと書いたんですが、アイヌ語の動詞には所謂「現在形」と「過去形」の区別が語形上ありません。時を表す副詞などで補うか、もしくは文脈で時制は判断します。
それでは次、第4課。
- hunak un ecipaye?
- eiga cinukar kusu sapporo or un payeas ruwe ne na.
uturano anukar kusu payean ro!
- tane karpa ka eaykap na. apunno paye yan.
- apunno oka yan.
文章が一向に長くならねぇぞ?w ・・・しかしこの課はこれでいいのだ。気をつけて頭に留めておかねばならない新出の、とても重要な文法要素があるのに、更に文章が長かったら足踏み万年の羽目になるところだった。
フナクン・エチパイェ
hunak un ecipaye?
きみたちはどこへ行くの。
「un」単体でも「...へ」を表すみたいですね。hunak単体ではその音は「フナㇰ」ですが、unと一緒に読まれて「フナク-ン」となります。ちなみに「CDエクスプレス アイヌ語」では、仮名同士の間は全角スペースほど空いており、「・」は介在していません。
「eci」が文章中に初登場です。「e=きみ」にciがついて「eci=きみたち」、非常にわかりやすいですね。きみた「ち」と同じような音を表しているという点もまた、多少なりとも注目せざるを得ない。本当に偶然なんでしょうか?
「eci」が文章中に初登場です。「e=きみ」にciがついて「eci=きみたち」、非常にわかりやすいですね。きみた「ち」と同じような音を表しているという点もまた、多少なりとも注目せざるを得ない。本当に偶然なんでしょうか?
エイガ・チヌカㇻ・クス・サッポロ・オルン・パイェアㇱ・ルウェ・ネ・ナ
eiga cinukar kusu sapporo or un payeas ruwe ne na.
映画を観に札幌に行くんだよ。
ウトゥラノ・アヌカㇻ・クス・パイェアン・ロ
uturano anukar kusu payean ro!一緒に観に行こう。
ひとりの人間が発している文としてはこれまでで最長のものが出てきました。新出の文法要素もあり、解説にやや労力を伴いそうです。
昨日も書きましたが、アイヌ語には本来ない言葉は、日本語からそのまま借用の上使われます。本だと単語全体が大文字+斜体で書かれることによりそれが示されています(eigaならEIGA)。勿論俺はそんなメンドっちいことしませんけどね。そもそも斜体だしw
さて!出てきました、1人称複数形。そして4人称複数形。・・・「4」人称!?
「cinukar」の「ci-」、「payeas」の「-as」が1人称複数で、「anukar」の「a-」、「payean」の「-an」が4人称複数を示しています。
アイヌ語の文法用語として見ると、新たな次元を発見したかのような驚きを与えられますが、その実態は「包括」です。
「私たち」と口にした者(たち)が、話かけている相手のことも包括して表現する際の人称が、「4人称」なのです。
1人称複数にこうした区別のある言語は世界的に珍しいのか否かは知りませんが、学習経験のある言語の内では、ベトナム語がその1人称複数に於いてまったく同じ区別の表現を持っていました。「chúng tôi(チュング・トイ)」で「相手を含まない私たち」、「chúng ta(チュング・ター)」で「相手を含む私たち」です。「私たちは友達だ」などと言う際、慣れていない内は非常に気をつけないといけませんね・・・。
すなわち、「cinukar」、「payeas」というのは、話しかけている人間を排他的に見た上での自分たち(言及していませんでしたがこの「私たち」は姉妹、話しかけている人は叔母)の動作を表していますが、この後で発せられる「anukar」、「payean」は、話しかけている人を自分たちが今行なっていること、これから行うことに加えたいという願望が表れた表現というわけです。まぁ、「eci(きみたち)だけで行きなさい」と、誘いは断られちゃいますが。
さて、1人称、4人称の概念はここまでとして、次は人称接頭辞もしくは接尾辞の1人称ならびに4人称複数についてです(ところで4人称「複数」という言い方は間違いかもしれない。4人称はこれが意味することの性質上、表している人は必ず複数であるわけで。「単数」「複数」って付いてないと落ち着かないんだよ~)。
1人称複数の動詞人称指標は、これが付く動詞が他動詞であるか自動詞であるかによって、接頭辞としても接尾辞としても用いられます。
他動詞に付けば他の人称と同じく接頭辞になり、自動詞に付けば他の人称には例のない接尾辞としての利用が見られます。
その語形は、既に既述している通り、他動詞に対しては「ci-」、自動詞に対しては「-as」、ついでに4人称は「a-」、「-an」です。
ところで、動詞に接続される1人称複数指標についてまっとうなスペースを割いて説明したので間違いの訂正なんですが、昨日書いた「as=as」という表現、実は、1番目の方の「as(立つ)」にはれっきとした「複数形」があり、「roski」と言います。なので、「我々は立ち上がる」という意味で「アㇱ・アㇱ」という表現は有り得ず、正しくは「roskias」(4人称はroskian)となります。ちなみに、「立たせる」は「a」と言い、これが複数形になると、「as」の複数と同じく、「roski」です。
ついでに、「rayke」の複数形は単数のraykeという語形をほぼそのままに保ったものではなく、かなり違うものでした。どんなものかは忘れましたが。私が言っていた、単数形から複数形をつくる際に「語末の2文字を変えるだけ」という動詞は、「理解する」です。これも日本語訳の方しか覚えてませんが。
全部ひっくるめてごめんちゃーい(「まったく成長しないFF6」、遂に更新きたぞ!観たか!?)。
最後に、「ro」は、「...しよう」を意味します。これまでに出てきた4人称動詞は必ずこれを伴っているので、これなしでも勧誘の表現は成立するのかどうかについては今のところ不明です。
また、登場の順番が前後しますが、1番目の文章の最後が「na」で終わっているのは、次に勧誘を控えているからだと言うのがわかりますね。「観に行くんだよ、だから一緒に...」ということです。
タネ・カㇻパ・カ・エアィカㇷ゚・ナ. アプンノ・パイェ・ヤン
tane karpa ka eaykap na. apunno paye yan.
今私は行けないんだよ。気をつけて行っておいで。
すごい偶然ですが、この「tane=今」、アルバニア語の「今=tani」とそっくりです。みんな知ってると思いますが、系統がまったく異なる言語間で似た言葉を見つけるとテンション上がるんですよね。
先にちょっと書きましたが、「eaykap」は「できない」という意味の動詞です。「できる」はまだ不明ですが、「eaykap」と似ているんでしょうか?また、これ単体で否定を示しているので、これに先立つ動詞の方に改めて否定副詞「somo」を用いる必要はないようです。
昨日書きましたが、日本語で言う「さようなら」には、「apunno paye yan」という表現があたります。直訳すると「無事に / おだやか(=apunno)に行きなさい」です。
アプンノ・オカ・ヤン
apunno oka yan.
じゃあね。
「apunno paye yan」が去る人に対するもので、こちらは残る人に対するものです。再び引き合いに出しますが、インドネシア語でも同じように言います。「去る人に対する」方だけ、「selamat jalan(スラマト・ジャラン)」と覚えてます。残る人に対してはselamat tingalだったかな~・・・これはなんか関係ない挨拶の気がするんだよな。
さて、ここで注目すべきはそれよりも動詞の形なんですよ、実は。
「paye」はeciに対するものなので複数形であるのはわかるんですが、何故叔母ひとりに対して「an」の複数形である「oka」が使われているんでしょうか?
第2課の「ahup wa sini yan(アフㇷ゚・ワ・シニ・ヤン; =入って休みなさい)」の「ahup(ahun pl.)」もそうですが、自動詞の複数形の運用にあたっては、まだまだ知らなければいけないことがありそうです。
さて、そんなこんなで第3課と第4課も見終わりました。ついでにリトアニア語の第1課も。原形をまともに覚えてないという不完全な振り返り方でしたけどね。
明日は最終日。繰り返される言葉の登場頻度が段々少なくなってきて、更に多彩な言葉で文章が構成されていくようになります。アイヌ語ならではの表現も続々登場!
タント・シㇼピㇼカ・シリ / チェㇷ゚・アスパ・ワ・アエ・ロ
次回、「tanto sirpirka siri / cep asupa wa ae ro」!
(ドーン)
ところで「サイン・バイノー」という言葉を思い出したんですが、これ何語だろう?どこで覚えたんだろう。