2012年5月26日土曜日

3日に分けて書く3言語学習成果-3日目: euskara

学習成果記録・最終日。

 3日に分けて書く3言語学習成果、遂に第3日目、最終日。
 バスク語(euskara(エウシュカラ)です。
 ちなみにeu.wikipedia.orgの「バスク語」の記事を見れば分かりますが、バスク語という言語名称には多くの異名があります。方言によって異なっているのです。俺の知る限り、言語記事に於いて、言語名称が方言別にずらーっとテンプレート内に列挙してあるのが見られるのはこの記事だけです。スゴイね。さすが「優秀な記事」に選出されているだけのことはある。 
 現在は第5課か6課です。文法格は主格、能格、属格、処格、与格が、時制は現在、過去、未来、現在完了が登場済み。過去完了は出てきていませんが、現在完了のつくり方を応用して表現できる気がします。そもそも過去完了って概念がバスク語にあれば、の話ですけどね。あと、法があるのかどうかはまだわかりません。そういえば、アルバニア語には接続法が出てきました。未来の行動を、動詞接続法を用いて表現するためです。

 ナ・カタ・ゾマ・ド・タ・マソヤ・アギミ
 Në këtë dhomë do të mësojë Agimi.
 この部屋でアギムは勉強するつもりだ。

 ※këtë: kjo(キヨ; f.s.; =これ)対格。m.s.acc.も同形(n.: ky(キュ))。
 ※do: この助詞が「të+動詞接続法」に先行することによってその動詞が未来のことを示す。全人称・数に於いて共通。
 ※të: 動詞接続法に先行する助詞。全人称・数に於いて共通。
 ※mësojë < mëson接続法(現在?)3人称単数。2人称単数はmësosh、他の人称・数は直説法現在形と同一。

 その用途からして、登場頻度はフランス語でのそれとは比べ物にならないほど高いのではないでしょうか。タミル語の学習は動詞を使った命令文から始まり、アルバニア語では早々に接続法が登場するという、これまでの言語学習には例のなかった学習順序が共通していることがおもしろいです。
 また、タミル語では、動詞の条件法がこれまでに一度だけ出てきています。

 inda suvicchaip pōṭṭāl veṉṉīr varum / インダ・スウィッチャ・ポーター・ヴェンニ・ヴァルン
 இந்த​ சுவிச்சைப் போட்டால் வென்னீர் வரும்.
 このスイッチを点けるとお湯が出てきます。

 ※போட்டால்(条件法(現在?)) < போட​(pōḍa / ポーダ; 不定形)=入れる、点ける
 ※வரும்(直説法未来形) < வர​(vara / ヴァラ; 不定形)=来る

 では、何課目か忘れましたが、もっとも新しく暗記した文章の、ひとつ手前の文章を綴ります。何故2つ綴ることにしたのかと言うと、最新の文章とその前の文章とで、これまでに学習した時制が俯瞰できるからです。

Iñakik: Zuk zer ikusten duzu, Amaya?

Amayak: Nik Gorbea mendiko gurutzea ikusten dut.
Eta zu zer ikusten duzu, Iñaki?

Iñakik: Nik mendiak eta herriak ikusten ditut.

Iñakik eta Amayak: Mutilak, zuek mendigoizaleak al zarete?
Zuek zer ikusi duzue?

Mutilak: Bai, gu mendigoizaleak gara.
Guk baserri zuriak ikusi ditugu.
Guk menditik Euskal Herria ikusiko dugu.

 たったこれだけの文章を書くにも、十分に気をつけなければなりません。
 ちょっと見ればわかりますが、あまり単語の数は多くありません(=何度も出てきている単語が複数個ある)。思い出す必要のある言葉は少ないわけですが、文法事項の順守に留意して、慎重に綴っていかなければならず、そこに神経を遣う。
 どんな言語でもそれは当たり前ですが、殊バスク語はその特異性が故、慣れていない内はより厳しく脳に鞭打たねばならない。

イニャキク: スク・セル・イクシュテン・ドゥス、アマヤ
Iñakik: Zuk zer ikusten duzu, Amaya?
イニャキ: あなたは何を見ていますか、アマヤ?

 いやー、なんとも説明し難いですね。
 語の登場している順序から見れば、最初は「Iñakik」が能格であり、それはどういうものかを説くのが筋なんでしょうが・・・後に出てくる文章を例に挙げた方が効果的なので飛ばしますね。そもそも、話者を示すこの語がこの位置にあって何故能格であるかは俺にもよくわからん。
 「zuk」は「あなた」で、「zu」の能格です。「きみ」は「hi(主格)」と言い、語形は共用ですがアラビア語やヘブライ語と同じく男女の区別があります。3人称単数には「彼」「彼女」の別はないのに・・・。

 ヒク・アラバ・マイテ・ドゥク
 Hik alaba maite duk.
 きみ(男性)は娘を愛している。

 ヒク・シェメア・マイテ・ドゥン
 Hik semea maite dun.
 きみ(女性)は息子を愛している。

 「主格名詞+maite(adj.; =愛すべき)+ukan(> duk / dun=持っている)」で「(主格名詞)を愛している」という表現で、前者は「duk」、後者は「dun」という動詞が主語の性を表しています。
 イニャキとアマヤの関係は不明ですが、「あなた(お互いにある程度距離のある関係を示す呼称として)」と言っているからと言って、お互いに親しい者同士でないとは言えません。何故なら、バスク語の「hi」で 対象にできる人間の選定は、フランス語の「tu(テュ)」に比べずっと厳しいからです。この辺、タミル語に於ける「きみ=நீ(nī)」に通じるものがあ りますね(学習成果1日目を参照)。
 「zer」は「何(を)」。これが文中にある、たったそれだけのことが「zu」を「zuk」に変え、文の性質を「能格構文」に決定づけています。
 なんと説明すればいいのか、バスク語で初めて能格に触れ、まだまだ学習経験が浅い俺なら当然戸惑うところですが、「能格構文」に於いては、「能格」は「主格」で、「主格」は「対格」であると置換して解釈に努めてみるとある程度しっくりきます。能格のない他の言語で言えば、格としての用法はまさしくそれと同等ですから(少なくとも今までに学んだ範囲内での能格構文に関して言えば)。
 主格を直接目的語に取る主語は能格として運用されます。この文章の場合は、主語=zuk、直接目的語=zerです。動詞はduzuで、d-が直接目的語の 人称と数(この場合はzerなので、3人称単数)と、-u-がこの動詞そのもの(不定詞: ukan)を、-zuが能格主語の人称と数を表しています(この場合は2人称敬称形、意味上は単数だが文法的には複数扱い)。「ikusten」は ikusi(見る、会う)の現在分詞です。

●ukan現在形
s. / pl.

nik dut / guk dugu
hik duk(-n) / zuek duzue ; zuk duzu
hark du / haiek dute

 「d-」はあくまでこの動詞にとっての直接目的語が文法上どういったものであるかを示す指標なので、もしかすると活用表に含めるのは間違いなのかもしれま せんが、本ではこういう体裁を取ってあるので、それに倣います。ちなみに、動詞の形で主語がなんであるかは明白なので、人称代名詞(或いは主語)は省かれても問題ありません。
 「d-」は直接目的語が単数である場合に付くもので、それが複数であれば「dit-」になります。

 ニク・グラショアク・マイテ・ディトゥト
 Nik gurasoak maite ditut.
 私は両親を愛している。

 わかってはいるが、俺はよくこれを挿入するのを忘れてしまいます・・・。
 この直接目的語が3人称以外の場合には、-u-の前に「各人称代名詞の語頭の子音+a」が付きます。

 グラショエク・ニ・マイテ・ナウテ 
 Gurasoek ni maite naute.
 両親は私を愛している。

 ※gurasoek: gurasoakの能格形。能格複数の語形については後述。

 直接目的語たる主格が複数の場合は、aの後に当然+itで、且つ能格主語が複数である場合は、ukanの語末指標-teの直前に-z-が挿入されます。口調に関する現象だと思います。確かに、「-itute」より「-ituzte」の方が個人的にも言い易い。ちなみに、この直接目的語も省略可能です。動詞が表してるからね。つまり、「dut」という一語だけで「私はそれを持っている」という表現が可能。

 グラショエク・グ・マイテ・ガイトゥステ
 Gurasoek gu maite gaituzte.(guを省略: Gurasoek maite gaituzte.)
 両親は私たちを愛している。

 また、直接目的語が2人称複数(=zuek)である場合は更に+αがあります。「z(主格人称指標)-a(緩衝母音)-it(主格複数指標)-u(動詞語 幹)-」と構成されて、次には「能格人称・数の語末指標」が来るでなく、これら2つの要素の間に「-zte-」の挿入が要求されます。目的語が 「zuek」なのか「zu」なのか判り辛くなるから、かな?

 グラショエク・スエク・マイテ・サイトゥステステ
 Gurasoek zuek maite zaituztezte.
 両親はきみたちを愛している。

 ※比較:
 Gurasoek zu maite zaituzte.
 両親はあなたを愛している。

アマヤク: ニク・ゴルベア・メンディコ・グルツェア・イクシュテン・ドゥト. エタ・ス・セル・イクシ・ドゥス、イニャキ
Amayak: Nik Gorbea mendiko gurutzea ikusten dut.
Eta zu zer ikusten duzu, Iñaki?
アマヤ: 私はゴルベア山の十字架を見ています。あなたは何を見ていますか、イニャキ?

 「Gorbea mendiko」は「ゴルベア山の」という意味で、属格です。主格に戻すと、「Gorbea mendi(a)」であり、バスクにある山の名前です。これまでの学習内容にだけ依って言うと、バスク語の格指標語尾は単純な形のものばかりで、且つ、名詞へのその接続も大方機械的に行えるようです。他には、動詞不定形からの現在分詞、未来分詞への変化も平易です(現在分詞はものによってはひとひねり必 要)。過去分詞は不定形と同形です。
 さて、2日目: アルバニア語の記事でちょっと書きましたが、バスク語の定冠詞は名詞の語尾に直接添加させられます。「gurutzea」の不定形はgurutzeです。 ちなみにこの語は、スペイン語で同じ意味を持つcruz(クルス)から来ているそうです。またもアラビア語と同じく、バスク語の言葉は二重子音で始まりません。だからgUru-ですね。母音の豊富な(母音の「種類が」ではない)スペイン語に勝るほど、一文章中に登場する母音の数は多いと言えるでしょう。
 「eta」は、和訳では表せませんでしたが、「そして」という意味で(フランス語の「et」の借用?)、これの直前の語が末尾に母音を持っている場合には、「ta」になったりします。

 エグン・オン - バイ、タ・スリ・エレ 
 Egun on. - Bai, ta zuri ere.
 こんにちは。 - はい、あなた(に)も。

 ※変なやり取りだなあと思いますが、本にある例文なんです。
 ※egun: 日、on: 良い、bai: はい、zuri: zu与格(iは与格指標、-r-は母音間の緩衝音)、ere: ...も

 なんか、またも別の言語、ここではアルバニア語ですが、それとの共通点が見い出せますね。言わずもがな、edhe = dhe = eのことですが、但しこの複数の語形は何を切欠に文中でそれぞれに変化するのか、その条件は知りません。

イニャキク: ニク・メンディアク・エタ・ヘルリアク・イクシュテン・ディトゥト
Iñakik: Nik mendiak eta herriak ikusten ditut.
イニャキ: 私は山々と、村々を見ています。

 ちなみにイニャキもアマヤも一人称を「私」にしていますが、前者は男性名、後者は女性名です。「僕」って言い方嫌いなんですよ。かといってここで「俺」もしっくりこねえしなあと思うんで。
 「mendiak」は、「mendiko」の主格「mendi」の複数形です。「herriak < herria」は、「村」の他に、「国」など、複数の意味があります(村と国以外は忘れたがw)。たとえば「バスク国」は「Euskal Herria(エウシュカル・ヘルリア)」です。後から出てきます。
 今更ですが、能格単数の指標語尾は-kであり、主格複数の指標語尾は-akです。
 「mendi」の能格は「mendiak」ですが、じゃあ「能格複数」は「*mendiakk」か?とちょっと考えましたが、バスク語的な語形ではないで すよね。能格複数形は、どうやら「mendiek」のようです。「ようです」ってのは、能格複数形として登場した別の語(gurasoek < 主格複数: gurasoak(両親)、Lasa jaun-andreek < 同: -andreak(ラシャ夫妻))から類推しただけで、まだ解説が出てきていない為。

イニャキク・エタ・アマヤク: ムティラク、スエク・メンディゴイサレアク・アル・サレテ?スエク・セル・イクシ・ドゥスエ 
Iñakik eta Amayak: Mutilak, zuek mendigoizaleak al zarete?
Zuek zer ikusi duzue?
イニャキとアマヤ: 少年たちよ、きみたちは登山家か?何を見たのだ?

 遅まきながらちゃんと本を読んでなかったなってことにこの文から気付かされたんですけど、「zu」って「あなた」の単数も複数も意味する言葉なのかな?「zuek」は近称としていか用いない?・・・まあ拙い学習の成果の現れってことで、許してくだちゃーい。 
 「mendigoizale(ak)」は、本によると「mendi-(山)」と「-goi-(上へ)」、それから説明のない「-zale」を併せた言葉らしいです。いや、「教師」が「irakasle」、「教える」が「irakatsi」、「-le」は「...する人」という意味がある、ってな説明があったよーななかったよーな?
 「al」は肯定疑問文に含む疑問指標です。アルバニア語にもあります。取り上げるのを忘れていましたが、「a」といいます。なくても別にいいみたいです。

 ア・フレト・シュチプ・ケチュ 
 A flet shqip keq?
 きみはアルバニア語で話すのがうまくないのか?

 ※=Est-ce que tu parles mal l'albanien ?

 さてまた新しい動詞の登場、数多の言語で基本中の基本、フランス語で言うêtreにあたる、izanです。上の文中ではzareteという形になっています。

●izan現在形
s. / pl.

ni naiz / gu gara
hi haiz / zuek zarete ; zu zara
hura da / haiek dira

 人称代名詞の主格はこうなっております。つーか待って・・・zuekとhaiekって主格と能格で語形一緒だったっけ?もうグダグダだよ!
 ukanと違い、主語の人称・数の指標が動詞の先頭に来ている(niならnaiz)のがわかりますね(ukan「現在形」は語末でしたね: nik dut。「現在形は」ってことは・・・?後述)。

ムティラク: バイ、グ・メンディゴイサレアク・ガラ. グク・バシェルリ・スリアク・イクシ・ディトゥグ. グク・メンディティク・エウシュカル・ヘルリア・イクシコ・ドゥグ
Mutilak: Bai, gu mendigoizaleak gara.
Guk baserri zuriak ikusi ditugu.
Guk menditik Euskal Herria ikusiko dugu.
少年たち: はい、私たちは登山家です。私たちは白い複数の農家を見ました。山からはバスク国が見えることでしょう。

 ちょっと長いのが出てきましたね。
 まず最初に注目すべきは、「baserri zuriak」。バスク語の形容詞は、上にある「こんにちは=egun on=日+良い」が例になっているように、被修飾語に後置されます。そして、「名詞+形容詞」という結合からなるひとつの言葉が単数であるか複数であるか、そして冠詞がついているか否かは、後置される形容詞が示すことになります。つまり、「*baserriak zuriak」とか、「*baserriak zuri(< zuriak原形)」という形にはならないということです。
 尚、「gurutze eder bat(十字架+美しい+1本の」、「bi haur(2人+子)」という言葉があり、これを見てわかることは、「1=bat」に修飾された語は定冠詞がつかないこと、そして「bat」は語群の結合 の最後尾に置かれること、「2=bi」(もしくはこれ以上の数)はbatとは逆の位置に置かれること、そしてこれに修飾されても名詞は複数形にならないことが判ります。数が関係する表現は他に「zazpietan=7時に」というのがありましたが、どこからどこまでが「7」なのかは不明です。いや、もしか したら本に書いてあったのかも・・・。
 さて次です。「menditik」は「mendi(=山)から」という意味です。格の名称としては、なんと呼べばいいのだろう?この格は次の課にも登場します。
 「...から」って、タミル語でももう出てきてたなあ。

 yāriḍamirundu inda mobail fōṉai vāṅgiṉīrgaḷ / ヤールッテルンドゥ・インダ・モバイル(・)フォーナ・ヴァーングニーンガ
 யாரிடமிருந்து இந்த​ மொபைல் ஃபோனை வாங்கினீர்கள்?
 あなたは誰からこの携帯電話を買いましたか?

 「ikusiko」はikusiの未来分詞です。不定形が-nで終わる語の後では、-koは-goになります(joan=行く > joangoなど)。品詞がなんであるか見極められないと、属格名詞にも見えてややこしいですね。
 そういえばこれまた今更ですが、現在、過去、未来の3つの時制は、それぞれの時制を司る分詞と、それらの分詞が自動詞からのものであればizanを、他動詞であればukanを助動詞として用いて表現します。

 ニク・エグノロ・トレネス・ビルボラ・ヨアテン・ナイス
 Nik egunoro trenez Bilbora joaten naiz.
 私は毎日電車でビルバオへ行っている。(自動詞)

 ※trenez < tren具格、Bilbora < Bilboへ(スペインはビスカヤの州都・ビルバオのこと)

 ニク・ゴイセアン・サスピエタン・エチェアン・ゴシャルツェン・ドゥト  
 Nik goizean zazpietan etxean gosaltzen dut.
 私は朝7時に家で朝食を摂っている。(他動詞)

 ※goizean: 朝に < goiz処格、etxean < etxe処格、gosaltzen < gosaldu現在分詞

 また、バスク語では「現在進行形」が表現可能であり、それには「ari(またはaritu)」を伴わせる。これがあると、現在進行中の動作が他動詞で表現されていても、 izanを助動詞に用いる。また、自動詞の主語は主格になるので、現在分詞が他動詞で直接目的語を従えていても主語は能格形を取らない。

 イニャキ・エタ・アマヤ・ウルダイ=アスピコア・ヤテン・アリ・ディラ
 Iñaki eta Amaya urdai-azpikoa jaten ari dira.
 (今)イニャキとアマヤはハムを食べている。

 ※比較:
 Iñakik eta Amayak goizean urdai-azpikoa jaten dute.
 イニャキとアマヤは朝にハムを食べる。

 もうここまでで虫の息です。頭ヤバイ。
 まぁ、今回に限らずですが、言語についての解説をする記事を作る際には、音楽やら動画やら一切止めます。普段はそれがなければ死ぬの?ってくらい絶やさず流しっぱなのに、そんくらい神経遣うんですヨ・・・。慣れてない言語を扱うとき限定なのかな~。
 それでは次の課、いってみましょう!

I. Atzo Andonik, Gabrielak eta nik autoz txango ederra egin genuen.

II. Goizean Bilbotik irten eta Gasteizera joan ginen.

III. Gasteizen gosaldu genuen. Kafesnea hartu genuen. 

IV. Iruinean ordu bi egin genituen.
Iruina lehen Euskal Herriko hiriburua izan zen.

V. Orain Nafarroako hiriburua da.

VI. Han bada unibertsitatea.

VII. Gero Donibane Garazi ikusi genuen.

VIII. Zuberoa ere ikusi nahi genuen, baina ez ginen joan.

IX. Baiona Lapurdiko hiriburua da.

X. Han bazkaldu genuen.

XI. Gipuzkoako Donostian geure adiskideei bisita egin diegu.

XII. Arratsaldean poz-pozik itzuli ginen Bilbora.

 いやー、長いですね。暗記で言うなら、この課は文法事項とか一般名詞よりも、これまで全然知らなかった固有名詞を覚える方が骨が折れます。俺は別にバスクの地理に興味があるワケじゃないからなあ・・・。

アツォ・アンドニク, ガブリエラク・エタ・ニク・アウトス・チャンゴ・エデルラ・エギン・ゲヌエン
Atzo Andonik, Gabrielak eta nik autoz txango ederra egin genuen.
昨日、アンドニとガブリエラと私、我々は車で素晴らしい旅をした。

 おっ、早速出てきましたね。この課最重要の文法要素。 
 izanとukanの過去形が初めて出てくる課なのです。語の登場順に文法的要素を解説しているから、ちょっと待っといてねお2人サン。
 「autoz」はauto(車)の具格。上の「trenez」と同じですね。語末が子音で終わっている場合は「-ez」が付くのかとtrenezを見ると思えてきますが、この「-e-」はtrenのeに影響されて出てきた母音って可能性もあるよな。まだ具格はtrenezとautozって言葉として出てきただけなんで、詳しいことはこれからですね。・・・いや、そういえば1課にあった「Euskaraz ba al dakizu?(バスク語を知っていますか)」って例文で、「euskaraz」は具格だったな。何故この日本語訳で「バスク語」を具格として扱わねばならんのか・・・安直に「...によって」を意味するだけの格ではないということだな。
 「txango egin」で、「旅をする」という複合動詞です。この後に「...を訪ねる」を意味する「bisita egin」という表現も出てきますが、バスク語は複合動詞が多いのでしょうか?ペルシャ語を思い出します。ペルシャ語はすごいですよ、「話す」というとても基本的な動作すら複合動詞で表現しますからね。元来、動詞が少ない言語なんだそうです。ちなみにその「話す」は「صحبت کردن(sohbat kardan)」と言います(・・・確か)。「kardan(メンドいしラテン文字で; ペルシャ語の動詞原形は直説法過去3人称単数で表される。不定詞は別にある)」が「...をする」という動詞で、「sohbat」は名詞です。sohbat単体で何を意味するかは忘れましたが。「言葉」とかだったかな・・・。

 diruz shomā be āqāye dehqān darbāreye ān sohbat kardid / ディールーズ・ショマー・ベ・アーガーイェ・デフガーン・ダルバーレィェ・アーン・ソフバト・カルディード
 دیروز شما به اقای دهقان دربارهٔ ان صحبت کردید؟
 あなたは昨日デフガーン氏にあのことについて話しましたか?

 この文中では、「کردن」は「کردید」という形になっていますが、これはkardanの直説法過去2人称複数形(=敬称形)です。この他、「忘れる」、「示す」、「踏む」、「知らせる」などが複合動詞で言い表されると記憶しています。
 さて脱線は毎度のこと。まず出てきた過去形は、ukanのものの方ですね。「genuen」がそれにあたります。

●ukan過去形
s. / pl.

nik nuen / guk genuen
hik huen / zuek zenuten ; zuk zenuen
hark zuen / haiek zuten

 語形に注目!izanの現在形と同じく、人称指標が語頭に来ています。考えてもしょーがないんですが、なんでなんでしょうね?そして全活用に於いて-en を語尾に有しているのが特徴です。勿論、直接目的語が複数である場合は-it-を挟みます。1人称複数と2人称複数以外では、語頭の子音の直後に付け(たとえばnituen)、そしてukan現在形と同じく-te-を持つものはこれの直前に-z-が挿入されるので、即ち、1人称複数はgenituen、2人称複数はzenituzten(*zenitutenではない)、zenituen、3人称複数はzituzten(*zitutenではない)となります。

ゴイセアン・ビルボティク・イルテン・エタ・ガシュテイセラ・ヨアン・ギネン 
Goizean Bilbotik irten eta Gasteizera joan ginen.
朝、ビルバオから出発し、ビトリアへ行った。

 上で手短に言及し、また、直上の和訳にも表れていますが、「Bilbo(> Bilbotik)」ってのはスペインのビスカヤ州都・ビルバオのことです。「Gasteiz(> Gasteizera)」は、そのまま読むと「ガシュテイス」ですが、いわゆるビトリア(Vitoria)、バスク自治州の州都です。なんか本ではいちいちスペイン語名、或いはフランス語名が併記してあって、中には知ったものもあり、そっちの方が俺としてもカナで書いていてしっくりくるので、文章の和訳としては、都市名はバスク名で書かないことにしてます。バスク名はカナ音写には出てきてるってのもあるし、いいかなと。
 過去形は、助動詞としてのizan若しくはukanと過去分詞(=動詞不定形)を共に使うことで表現されます。また、「昨日以前」のことを表すらしく、たとえば今の時点から見て過去である「今日の朝」のことは「現在完了」で表されるそうです。

 ガウル・ゴイセアン・アルラウルツァ・アシュコ・ヤン・ディトゥト
 Gaur goizean arraultza asko jan ditut.
 今朝私はたくさんの卵を食べた。

 ※asko=多い; 「lore asko=たくさんの花」という言葉が別の課に登場していて、これを見るに、「asko」に修飾された名詞は複数形にならないようです。しかし「lore asko」の後の動詞が「ditu」だったので、見た目は単数でも文法上はその意味を反映して複数扱いになっているらしい。

 前の課で「過去」として扱っていた動詞は、実は「現在完了」です (baserri zuriak ikusi ditugu=我々は白い農家を見た)。izanとukanの「現在形」を助動詞として扱っていた、と文字にして説明すると、ピンときやすいかも?

●izan過去形
s. / pl.

ni nintzen / gu ginen
hi hintzen / zuek zineten ; zu zinen
hura zen / haiek ziren

 これも-enで終わるのが特徴ですね。人称指標は現在形と同じく語頭です(n-aiz / n-intzen)。

ガシュテイセン・ゴシャルドゥ・ゲヌエン. カフェシュネア・ハルトゥ・ゲヌエン
Gasteizen gosaldu genuen. Kafesnea hartu genuen.
私たちはビトリアで朝食を食べた。ミルク入りのコーヒーを摂った。

 バスク語とはあんまり関係ないんですが、コーヒーのくだりについては、「摂った」よりも「飲んだ」とすべきでしょうかね。hartuは、食物・飲物に対し、フランス語で言うprendreと同じように使えるようです。
 「kafesne(a)」は見ての通り、「コーヒー」となんらかの合成語ですが・・・「ミルク」にあたる部分は厳密になんて言うのかは、よく読んでなかったので覚えてません・・・。

イルイネア・オルドゥ・ビ・エギン・ゲニトゥエン. イルイネア・レヘン・エウシュカル・ヘルリコ・ヒリブルア・イサン・セン 
Iruinean ordu bi egin genituen.
Iruina lehen Euskal Herriko hiriburua izan zen.
私たちは2時間をパンプローナで過ごした。パンプローナは以前、バスク国の首都であった。

 文の区切り方ミスってますね。一文ずつに番号振っていってたつもりなんですが、2つの文がくっついてます。変えるの面倒臭いんで、このままで。って、IIIもミスってんのか・・・。 
 「Iruina(> Iruinean)」はパンプローナ(Pamplona)、ナバラ州都です。処格語尾は「-en」のようですが、主格が-aを語末に持つ語に付くと、そのaをeに変えるんでしょうか?何かまだ知らない文法要素が働いている予感です。
 さて、この文章をまったく意識せずに上で「bi haur」という表現を登場させていましたが(ホントですよ!)、この「2時間」を見てみましょう、「時間=ordu」に対して「2=bi」は先行しています。
 これについて、今までの言語学習を通して立てられる仮説はひとつ。「2時間」と「2時」という表現は、数詞の位置の違いによって区別されるのではないか、 ということ。というのも、ペルシャ語がそういう言語なんですよね。時間を用いての表現ってどの言語でもまともに身についたためしがなくペルシャ語でも例外じゃないので、その違いを利用しての文例なんかは作れませんが、絶対にそうだったはず。「ساعت دو(sā`ate do; do=2)」は「2時」、「دو ساعت(do sā`at)」は「2時間」だった・・・はず!
 また、「ordu」は単数なのに、これを直接目的の補語に取っている「ukan」の1人称複数過去は「-it-」を含んで「gen-it-uen」となっていますね。やはりこの文章を意識せずに上で取り上げていた「名詞+asko」に通じる文法規則です。
 「lehen」は、例文の中の言葉としては初登場ですが、「第1課」の訳が「lehen ikaskaia(レヘン・イカシュカイア)」でした。「第1の」という意味もあるんですね。
 「hiriburu(a)」は、「hiri-(町)」と「-buru(頭)」の合成語だそうです。すごい最初らへんの課で初出となった語です(今もまったく最初らへんだがw)。

オライン・ナファルロアコ・ヒリブルア・ダ
Orain Nafarroako hiriburua da.
今はナバロ州都である。

 主語が明示されてませんが、当然、パンプローナ(Iruina)のことです。

ハン・バダ・ウニベルチタテア
Han bada unibertsitatea.
そこには大学がある。

 この「大学」というのは、「ナバラ大学」のことだそうです。
 「bada」は、「da」に強調を意味する「ba-」が付いた形、らしい。
 ちなみに、「...がある」を意味する動詞は、「dago」というものが他に登場しており、どう使い分けするのかは現時点では不明。

ゲロ・ドニバネ・ガラスィ・イクシ・ゲヌエン
Gero Donibane Garazi ikusi genuen.
それから私たちはサン=ジャン=ピエ=ド=ポールを見た。

 「ドニバネ・ガラスィ」というバスク名とはかけ離れたこの都市名は、音写からして言わずもがな、フランス語名です(原語表記: Saint-Jean-Piet-de-Port)。

スベロア・エレ・イクシ・ナヒ・ゲヌエン, バイナ・エス・ギネン・ヨアン
Zuberoa ere ikusi nahi genuen, baina ez ginen joan.
スールも見たかったが、私たちは行かなかった。

 「スール(=Soule)」、音写と綴りでわかると思いますが、これもフランス語名です。
 「nahi」は本に「望み」として載っていますが、この文例だけではどうやって使える語なのかよくわかりませんよね。しかもこの「望み」という和訳だと、名詞であるかのように思えるし。
 「ez」は否定詞でもあり、「いいえ(フランス語: non)」を意味する間投詞でもあります。反意語は、上で出てますが「bai」です。
 ちなみにアルバニア語では肯定「po」、否定「jo」というのですが、フランス語「oui(ゥイ)」、ドイツ語「ja(ヤー)」、英語「yes」、ハンガリー語「igen(イゲン; 否定: nem(ネム))」などと言うので、「肯定の間投詞は母音で始まる」という印象があり、また、ドイツ語の「ja」と似ているので、初見では「jo」が肯定 を意味しているのだと勘違いしてしまいました。というかなんか未だに「jo」を「いいえ」と訳する度に「あれっ、「いいえ」だっけ?」とちょっと考えてしまいます。
 ところでお気づきですか、過去分詞が助動詞・izan(文中ではginen)の後に来ていること。これまでは助動詞が文末に置かれていましたよね。たまにこういうことが起こってるんですが、今のところこれについての説明はなしです。この課最後の文章で、「Bilbora」の位置が文末であることも、現在までに目にした大半の文章と比較すると異質です。ただバスク語は典型的な屈折語であると言っていい構造をしているので、おそらく文中に於ける語の位置は、「バスク語的」な語順が確立されている(とすれば少なくとも主語は文頭、(助)動詞は文末)のかいないのかにかかわらず、話者が随意に決めることも可能であるのではないかと思います。まぁ、俺なんて初心者も初心者だし、まったくの「たぶん」だけどね。

バイオナ・ラプルディコ・ヒリブルア・ダ
Baiona Lapurdiko hiriburua da.
バイヨンはラブール州都だ。

 バイヨン、まあ「バイヨンヌ」の方が通りがいいでしょうね。文章そのまま、フランス領バスクはラブール州の州都、Bayonneについてです。

ハン・バスカルドゥ・ゲヌエン
Han bazkaldu genuen.
そこで私たちは昼食を食べた。

 フランス語・déjeuner(デジュネ)の如く、bazkaldu単体で「昼食を食べる」という意味です。「朝食を食べる」は、既出の通り 「gosaldu」で、フランス語では「prendre un petit déjeuner(プランドル・アン・プティ・デジュネ)」と色々な語を組み合わせて表現しなければなりません。フランス人の食生活の変遷に由来しているそうです。大学で教わったけど、もううろ覚えだなー。

ギプスコアコ・ドノシュティアン・ゲウレ・アディシュキデエイ・ビシタ・エギン・ディエグ
Gipuzkoako Donostian geure adiskideei bisita egin diegu.
ギプスコアのサン・セバスティアンで私たちの友達を訪ねた。

 この「Gipuzkoa(> Gipuzkoako)」は、スペイン語名(Guipúzcoa)とほぼ同じ音をしてますね。「サン・セバスティアン(San Sebastián)」と聞くと、やっぱSonata Arcticaのアレだよなあ・・・聴く度よく燃えたものだ。
 「geure」は読んでの如く「我々の」という意味ですが、この課よりも前に「gere」という語形で登場しました。

 ゲレ・イラカシュレア・ドノシュティアン・ビスィ・ダ
 Gere irakaslea Donostian bizi da.
 私たちの先生はサン・セバスティアンに住んでいる。

 どちらが正しいのか、どちらも正しいのか、どちらかが誤植なのかは不明です。今更ですが、Gasteizera(ビトリアへ)はGasteizaとも言うそうです。多様な方言を反映してなのか、音声学的なことに因っているのか、結構こういう異形が見受けられます。ちなみに、実際、巻末の単語集には特定の方言で使われる語も幾つか載っています。
 方言と言えば、私が使っているアルバニア語入門(直野 敦 著)では、標準アルバニア語の基となったトスク方言(つまり、本の内容の中心)の他に、ゲグ方言という有力な方言も学べます。ゲグ方言は第二次世界大戦前までの主要な民衆語だったそうで、ja.wikipedia.orgにも単独で記事があります。戦前の文献を読むためという名目で本では教えてくれるのです。素晴らしいね。ちらっと見たけど、なんとトスク方言とは用いられている字母が異なります。ほんの僅かだけど(ラテン文字ってのは一緒)。あと、語によっては、トスク方言とゲグ方言で、同一の祖を持つ言葉がそれぞれに於いて相互にやや違った形となっているだけでなく、同じ意味でまったく別のものであることも。珍しいことじゃないけど、外国語の方言なんて習う機会そうそうないからね。ひとつのものやことに対し別々の方言で異なる言い方が学べるってのは珍しい。これまでの経験だと、アイルランド語のコシュ・アーリゲ方言とコナマーラ方言(別々の本)を学んだことがあるだけで。標準語がないらしいし、本を変える毎に別の方言が学べる言語なのかもね。
 さてバスク語に話を戻して、と。「adiskideei」は、「adiskide=友人」の「複数与格形」です。この数・格で登場した語はまだこれだけで、解説もありませんでした。既述した通り、「-i」は与格指標です。
 「bisita egin」で、「訪ねる」です。訪ねる対象は、この文を見るに与格になるみたいですね。「bisita」は、本には書いてませんが(巻末の単語帳には書いてあるかも。何語由来かが各語に併記されている親切設計です)、きっとフランス語・visiter(ヴィズィテ)とか、これに準ずる語から来てるんだろうな あ。
 そしてまたも説明のない「diegu」です。「bisita egin」という他動詞の助動詞なんだから、ukanだと思うんですけど、・・・実は直接目的語によってのみだけでなく、間接目的語でも動詞の形が変わる そうです。ちらっとね、先を見ましてね・・・。このdieguはその結果の語形を取っているんでしょう。まだこれからですね。adiskideeiが複数であることがdieguという語形に反映されているのかどうかはわかりません・・・いやきっと反映されているのでしょうが、その証はitではないようですね。

アルラチャルデアン・ポス=ポスィク・イツリ・ギネン・ビルボラ
Arratsaldean poz-pozik itzuli ginen Bilbora.
午後、満足して私たちはビルバオへ帰った。

 「arratsalde(> arratsaldean)」は、第1課に登場した言葉のひとつです。「arratsalde on」で、昼食後の「こんにちは」という挨拶になります。これも合成語なんですが・・・どう分解できるのかやっぱり忘れちまったい。直訳で「なんとかの側」って意味なんですヨ、確か。
 「poz-pozik」は成句みたいですね。この表現を構成する最小単位が「poz」であるとして、これ単体についての訳はこの課には載っていません。

 さてまあ、こんなとこです・・・。
 実に4時間近く費やした記事作成です。
 身体の、どこがとまでは特定できませんが、どこかがおかしいです。明らかに。床に伏せるほどではありませんが、明らかに不調になってる箇所があると感じております・・・。
 なんかもうあれですね、もっとサササーと書けるようになってからですね!しんどすぎます。
 さてこれから細かい所見直していかなきゃ・・・。
 次回?・・・次回は・・・とにかく、タミル語・アルバニア語・バスク語以外の最近学び始めた言語で書けたらいいですね。
 候補筆頭はアイヌ語かな。アイヌ語も語ってみたいもんなあ。
 モンゴル語は・・・まず文字です。まだまだぜーんぜん。チベット語も同じく・・・。
 古英語は・・・いやもうこれ、この言語を用いて文章書けるようにとか、俺の持ってる本じゃたぶんなれんでしょ・・・。学者、研究者の類でなく市井の一般人の身分でこの言語について色々文例やら取り上げつつ語れるようになったら言語マニアを堂々と自称していいどころか、そうするべきってレベルじゃなかろうかw
 ベトナム語は・・・もういいか?もっと学習が進んだら改めて、だな。
 あとはドイツ語とイタリア語か。有名で学習者も多い言語であるが故に、これについてまともに語るのはゴマカシ効かないだろうからいざ書くとなるとすごい緊張しそうだw

 もし最後まで読んでくれた人いたら、
 eskerrik asko!(エシュケルリク・アシュコ; バスク語で「ありがとう」)
 faleminderit!(ファレミンデリト; アルバニア語で同上。最新の課でようやく間投詞出てきたんだ!)
 iyairaykere!(イヤイライケレ; アイヌ語で同上。タミル語では何と言うのか知らないので代わりに出演してもらいました。hioy'oy(ヒオーイオイ)、hap(ハープ)とも言うが、女言葉らしい)

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